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'00.4.28.更新
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ホームページへようこそ。最初の写真は四月二十四日に平塚の空に架かった虹の光景です。桜はすでに散ってしまっていましたが、大気が不安定になって雷の音が何度も鳴った夕暮れ時の空に現れた大きな虹です。『Over the rainbow』虹の彼方には何があるのでしょうか?不況の長いトンネルを抜けたときにどんな時代が開けてくるのかと思わず考えてしまうような感じですが、新聞紙面やテレビなどではIT(インフォーメーション・テクノロジー)革命が取りざたされています。コンピューターに代表される情報機器によってインターネットなどの浸透した社会が生まれ出るのも間近な状況です。しかし大自然の動きは人間の社会の変化よりもゆっくりなのかも知れません。人間の活動が大きくなるに従って地球の気象までもが変化してしまうまでになってしまったとは言っても、自然は同じようなリズムで繰り返してもいます。
東京の愛宕山トンネルの中から見た桜の並木です。「街の短いトンネルを抜けるとそこは桜並木だった」といったところです。こんな書き出しで私が小説を書いたところでノーベル文学賞がもらえるわけでもありませんが、東京のオフィス街にあるちょっとした自然の営みです。このトンネルの山の上にはNHKの愛宕山放送局があります。
この放送局と同じ高さくらいのところには、桜のトンネルの方向から見て右手に愛宕神社があります。愛宕神社は徳川家康の菩提寺だそうで非常に急な階段を上っていかなければなりません。この階段は「出世の石段」と呼ばれているようです。しかし高所恐怖症の私は階段を下りるときの恐怖感を考えて、下からその階段を写真に収めるだけにしました。それが以下のものです。なまじ出世などしてから身を落とす事への恐怖感にさいなまれるくらいなら最初から出世しようとしないのが私の生き方とも言えるかも知れません。こんな私の言いぐさを「怠け者の言い訳」と評する人もいます。まあ、そうなんでしょう。
これに比べれば平塚は比較的に平坦な街だといえます。でも平塚市は土地が平坦であるから平塚という地名になったと言うわけではありません。最初は平須賀(ひらすか)と呼んでいたそうなのですが、桓武天皇の第三皇女が亡くなってそのお墓を作ったのだそうです。その塚が平らな塚だったので後に平塚と言う地名が生まれたと言うことのようです。私の母校の小学校の校歌も「桓武の昔貴人(あてびと)の手植えましけん一本(ひともと)の松のお生きか年毎に緑色添う塚の上」と言う歌い出しで始まります。明治六年に開校された公立小学校ですが、今は市街地の空洞化による人口の減少と少子化の影響で私たちの頃から比べると非常に生徒数が少なくなってしまっています。昼夜人口が非常に異なるのは東京のオフィス街と平塚の市街地も何か共通しているところがあります。
これは日産車体平塚工場の東側にある公園の桜です。平塚は江戸時代には宿場町でしたが明治時代以後に工業都市へと変貌しました。航空機の研究所や製造工場があったために戦時中にはアメリカ軍による集中爆撃を受けもしました。大正時代には紡績工場もありました。平塚も各時代の影響をもろに受けながら現在に至っていると言えます。日産自動車の社長にカルロス・ゴーン氏が就任する事になり、経営難になっている日産の再建のために一部工場の閉鎖を発表しました。その中には東京の村山工場や京都工場などが含まれていましたが日産車体平塚工場は閉鎖の憂き目を受けずに済みました。
今はどうか知りませんが、以前は日産のドル箱と言われたスポーツカーの「フェアレデイ」などを製造もしていた工場ですので、閉鎖をされずに済んだのかも知れません。平塚市には日産車体以外には横浜ゴムや万年筆のパイロット工場そして日本たばこなどが代表的なものとしてあります。地場産業としては地元では余り知られてはいないにも関わらず平塚は全国でも有数のバラの花の生産地です。また飲屋街の数は密集率では甲府をしのいで全国一とも言われています。もし日産車体の工場が閉鎖されていたなら、平塚市の経済にも大きな影響が出たことでしょう。東京へ通うサラリーマンも平塚には大勢いますが日産車体に勤務している人も多数に上るからです。日本の一流企業と言われる会社の工場には一つの工場だけでも三千人規模の従業員がいるところが数多くあります。富士フィルムの工場やIBMの工場などにはそのくらいの人数の人がいると聴いています。自動車工場でもその数はそれほど変わらないのではないでしょうか。一つの工場の閉鎖は大企業の場合には大量の失業者を生み出すと言うことです。それは当然地元の経済にも大きな影響を与えてしまいます。
夜の平塚駅前の路上パーフォーマンスでギターを弾いて歌を歌ったりハモニカを吹いたりブレイクダンスを披露したりしている人たちの中にはそんな工場の若い従業員の人もいるようです。
歳がわかってしまいますが私の学生時代には東京の新宿の西口広場にはたくさんのフォークゲリラの人たちがいました。当時は激しい時代だったと言うこともできるかも知れませんが、今は厳しい時代のように思います。平塚でパーフォーマンスを演じている若者達の歌はヒューマニステイックな歌詞の歌が多いように感じます。通りがかりに聴くだけなので詳しくは知らないのですが、またそれらの歌が彼らのオリジナルなのかそれとも誰かの歌なのかも私にはわからないのですが、何となくそんな印象がします。ただ「オリジナルカセットもあります」などと書いた紙などを飾っているグループもあるので、自分たちで作った自分の持ち歌もたくさんあるのかも知れません。そして駅前にいるグループの顔ぶれは時々入れ替わっているようです。
こちらは新宿西口でアンデスの歌を披露しているインデイオの人たちです。かなり本格的な演奏を聴かせてもらうことができますし、写真からもわかるようにCDも買うことができます。テレビの歌謡番組よりも路上での演奏の方が聴き応えがあることがしばしばですし、私の好みの音楽に近い演奏にしばしば出くわして時々聴き入ったりします。路上演奏や路上での物品の販売は違法なのかも知れませんが、警察関係の方がこのホームページの写真を証拠として彼らを違法者にしないでくれることをお願いしておきます。たとえ無名であったとしても彼らは立派なエンターテナーであり文化の発信者達だからです。政治団体の街宣車が大音響で軍歌を流しながら街中の道路を走って行くことが許されるのであれば、路上の片隅でささやかな演奏で人々を楽しませることは決して違法なこととされる理由はないとも思います。
では最後に散った桜の花びらが散乱する公園の鳩の写真でこのページを終わります。
Tel/Fax 0463 (32) 4971
以上、ホームページ作成はHasegawa Study Assisting (HSA) でした。HSA では中学生・高校生の英語・数学の個人・個別指導を承っています。対象地域は神奈川県平塚市・大磯町・二宮町・伊勢原市などです。ご希望の方は上記のところへメールか電話でお知らせください。また HSA では英文翻訳も承っています。英文の日本語訳や日本文の英語訳などご希望の方も同様の方法でお知らせください。
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