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'99.11.28.更新
あなたは 人目の訪問者です
ホームページへようこそ。冬も近づきバイクで走っていると手袋が無くては朝晩が耐えられないようになってきました。私の服装はTシャツスタイルから革ジャンに変わり街を歩く女性もブーツ姿の人が増えてきました。ブーツに変わるのは例年のことなのかも知れませんが、このところ目を引くのは厚底靴のブーツスタイルです。
見てやってくださいこの脚線美と厚底靴を!「もっと正面から写せばパンチラじゃないか」なんて言わないでください。あくまでも私はブーツを写しているのですから。電車の中で日常的に目にできる姿とはいえポックリ以外にはかつてはこのような靴が日本にはあまりなかったと言えます。欧米人に比べて足の長さの比率で引けを取る日本人の体型をカバーできる利点のある靴だといえます。ただ自分の恋人との身長差はどうなのかなどと気になったりはしないのでしょうか?欧米人の男性を恋人にすればその問題は解決できるとはいえ、では見捨てられた日本人の男性はどうなるのかという問題が生まれます。
こんな風景のところから平塚駅を出発して東京方面にしばらく行くと大船駅に着きます。下の写真は大船駅から見える観音様です。
私はこの観音の表情が大変好きです。落ち着きと優しさがあって気分が和みます。「もうちょっと胸が豊だったらもっといい」などと考えるのは不謹慎というものでしょう。横須賀港の守り神としてたてられたというような話も聞いていますが観音の向いている方向は横須賀の方向ではないように思われます。横須賀はご存じの通りアメリカ海軍の寄港地であり、戦時中の日本にとっても重要な軍港でした。そのようなことからすれば観音は横須賀港の守り神だと考えられてもおかしくはないのですが、どうも方向が違うように思われるのです。まあそれはともかく、電車でさらに東京方面へと向かうと横浜を過ぎて川崎へとたどり着きます。川崎駅の周辺にはかつてのリクルート事件で再三報道されたリクルートのビルや何かが駅の周辺に立ち並んでいます。以下の写真がそれです。
上の二枚の写真は神奈川県と東京都を分ける境界の多摩川です。河川敷では天気の良い休日にはよく野球をやっている光景が見られます。しかし'99年八月の集中豪雨の時にはこの河川敷も全て水面下に沈みました。危険水位を超えてレスキュー隊の人たちが土手のところで警戒して眺めているところを私は自分の眼で見ました。そして品川で東海道線を降りて山手線に乗り新宿へ出るとまず眼に飛び込んでくるのがおなじみの駅前のビルにある大きなテレビのような電光掲示板です。
東京には新宿だけでなく銀座にもこのような大きな電光掲示板があったかと思いますが、これらは世界の人にも有名になっているもののようです。以前アフリカのジンバブエの郵便局職員の人から手紙をもらったことがありますが、その人の手紙には「東京にあるビルの壁面に取り付けられている巨大なテレビを雑誌の写真で見たけれど信じられない」と書いてありました。新宿東口の風景はこの電光掲示板から始まって以下の写真のように見えてきます。
新宿の東口はこんな感じですが、西口には近年パソコンショップの量販店が進出してきています。秋葉原から新宿へとハイテク街が移り変わってきているとは新聞で読んではいたのですが実際にそれを眼にしたのは初めてのことでした。新宿へはよく出向いていても西口方面へは出ていなかったからです。新宿駅の京王デパートから出て正面左側にそれはありました。新宿西口には東京都庁を初めとする高層ビル群があります。東口から西口の高層ビル群を見ると下の写真のようになります。
新宿駅の方向からこれら都庁を初めとする高層ビル群に向かって歩いているといかにも大都会の東京という感じがします。上の二枚の写真の左側の写真に写っている左側の建物が東京都庁舎です。しかし北新宿の方向から歩いて行く道筋すなわち表面からではなく裏側からこの高層ビル群を望むと以下のようにも見えます。何か表向きの顔とは違って見えるのではないでしょうか。
これも東京の新宿の実際の風景です。できて間もない都心の部分と古くからあるビルの群が存在しているわけです。多くの人が眼にするのは表から見ている新宿の顔の表情だろうと思います。古くからある新宿の顔であった「思いで横町」あるいは俗称「しょんべん横町」が火災にあったというニュースが流れましたが、それが以下の場所であり火災を受けた建物の写真です。私を含めて火災の跡を見ようと張られたテントの隙間から中をのぞき込もうとしている人たちが大勢いました。延焼を逃れた店は営業をしていました。学生時代のゼミの仲間の一人にこのしょんべん横町と反対側のやはり線路のガードをくぐった沿いにある横町でお母さんが店を出している人がいました。隣はロシア人の店だと言うことでしたが、何軒かの古い店が肩を寄せ合うように並んでいてやはりしょんべん横町と呼ばれていました。その店並がいまもあるかどうかは確認しませんでしたが学生時代にしょっちゅう出掛けていた新宿は私には第二のふるさとと思えるところです。しかしふるさとの姿も当時とは非常に変わってしまっています。当時は都庁もなく淀橋浄水場だったのです。
さて、ちょっとセンチメンタルになりそうなところで、今回のこのページを終わります。自分のふるさとと第二のふるさとの間のちょっとした旅の報告でした。
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