ベトナム戦争と環境問題
ダイオキシン1

ダイオキシン2

ダイオキシン3

ダイオキシン4

司馬遼太郎

マクナマラ

奪われし未来

環境ホルモン

江藤淳

アル・ゴア

臨界事故

被爆

五木寛之1

五木寛之2

開高健

小田実

 

 

 現在問題とされている環境ホルモンと呼ばれる化学物質の中の代表的なものにダイオキシンがあります。千九百六十五年〜千九百七十五年に起きたベトナム戦争で枯れ葉剤として大量にアメリカ軍によってベトナムの地に散布された物質と同じものです。枯れ葉剤は農薬としてアメリカで研究開発がされていましたが、ベトコンなどが活動するジャングルの樹木を枯らしてアメリカ軍の作戦行動を有利にする目的で散布されたと思われます。ベトナム戦争の模様は現地に取材した日本人の作家では開高健氏が『輝ける闇』という本にまとめられています。アメリカが作戦行動を行っているさなかにも、アメリカ国内には「自分たちの研究成果がどのように利用されどのような結果を招いているのかを研究者は考えて研究を行うべきだ」と言う戦争を批判し研究者に一考を求める声が存在しました。そのようなアメリカ国内での反戦運動のさなかには自動小銃で射殺された反戦活動家などもいたのです。北ベトナムでは何人もの僧侶達がアメリカの爆撃(北爆)に抗議して焼身自殺を遂げました。日本においても小田実氏が旗揚げした 「ベトナムに平和を市民連合」(ベ平連)などの反戦運動が起こり全共闘運動などの学生運動が燃えさかりました。東大全共闘の主張には「アメリカからの委託研究を行っている東大は間接的にアメリカが行っている戦争に荷担するものであるから、我々は東大生であることを拒否する」と言うものがありました。所謂「自己否定の論理」と言うものですが、多くの日本人にとっては当時の学生の行動を近年起きたオウム真理教の行動と類似するもののように述べている人が少なくありません。五木寛之氏はベトナム反戦運動がアメリカで起こりヒッピー達が出現して彼らの仲間内で回し読みされているうちに有名になって後に日本でも五木寛之氏の手によって翻訳された『カモメのジョナサン』と言う短編のあとがきで「なぜ人よりも優れた存在だと自分自身を思いこみ他の人を高見から見下すような意識になるのか」と当時の学生運動に絡めてこの小説に批判を述べ、また同じよな感想をオウム真理教に対して新聞紙上で述べられています。つい最近自殺された江藤淳氏も『国家とはなにか』の中で全共闘運動もオウム事件も「ごっこ」であり、戦後全ての日本人は国民ごっこをさせられていたのだというような趣旨を述べています。しかし当時の学生運動は枯れ葉剤などが散布されている戦争に反対していたのであって、日米最終戦争のハルマゲドンを標榜しながら自らサリンガスを撒いたりダイオキシンを発生させて散布しようともくろんだりしたオウム真理教の行動とは方向性が全く正反対のものなのです。サリンガスは第二次大戦の折りにナチスドイツによって開発されたと言われますが、戦争の手段として使われたものを自ら使用しようとした人間と戦争に反対して行動した人間とを同列には論じられないはずです。すなわち若い世代が時代の中で行動したと言うことが共通していたとしても、方向性が全く正反対の行動を同じたぐいのこととして論ずることはできないはずだと思うのです。亡くなった司馬遼太郎氏も当時の学生運動には批判的でした。司馬遼太郎氏は当時の学生運動に影響力があったマルクス主義に対して「思想に酔える人酔えない人」と言う内容の講演を行っています。「思想に酔える人はマルクスを読んだ事がなくてもマルクスと聞いただけで信じてしまう」というような感じです。私個人はマルクス主義者ではありませんがマルクスを少しは読んだ経験があります。しかし日本の産業界で仕事をしている人はマルクスを読んでもいないのに「共産主義は悪だ、マルクスはだめだ」と言っていたのではないでしょうか。当時の冷戦構造の世界においては自由主義圏と共産主義ないしは社会主義圏とのつばぜり合いの中で引き起こされてきていた戦争ですし、日本の政治状況も五十五年体制と呼ばれる世界の冷戦構造をそのまま日本国内でコピーしたような政界の形が存在していました。そして九十年代に入ってからベトナム戦争の立て役者だったアメリカの当時の国防長官のマクナマラ氏が『マクナマラ回顧録』を出版したりしています。ベトナム戦争への彼なりの再評価です。そして彼の本が翻訳されて日本で出版される頃には、日本国内ではゴミ焼却場から出るダイオキシンの問題が深刻さを加えていました。司馬遼太郎氏は「欧米人は体力も日本人より優っていて激しいエネルギーなのでイデオロギーで人々を規制しておく必要があるが、日本人は体力もおとり優しいエネルギーなので日本人にはイデオロギーで生活を律する必要ない」と述べています。確かにベトナムでのダイオキシンの被害は戦争という激しいエネルギーの下で生み出されたものであり日本のダイオキシンの被害は我々が日々暮らす中で出てくるゴミの焼却と言う優しいエネルギーから生まれ出ていると言えます。しかしダイオキシンの人体に対する毒性自体はその発生源が激しいか優しいかによって変化する訳のものでもないはずです。六十年の安保改訂の時にも「アメリカの核は日本を守ってくれるから良い核で、ソ連の核は悪い核だ」と言う主張がありました。しかしアメリカの核であれソ連の核であれそれらが使用されたときに生まれ出る放射線の人体に与える影響と危険性は同じもののはずです。ダイオキシンに対するものもこれと似通った話です。

 ダイオキシンが性ホルモン攪乱物質であると言うことが解ったのはベトナム戦争が終わってからアメリカで行われた研究によってのことでした。そして『奪われし未来』の出版以後、日本でも性ホルモン攪乱物質すなわち環境ホルモンの問題が騒がれるようになりました。マスコミなども「ダイオキシンはベトナム戦争で使われた枯れ葉剤に含まれる物質と同じ物質で」と紹介しています。しかしベトナム戦争が起きていた時点の日本国内の状況や反戦運動あるいは全共闘運動などに対する日本政府の対応などにまでには踏み込んで紹介しようとはしていませんし当時の反戦運動や全共闘運動への再評価もなされてきてはいません。日本国内でもダイオキシンの問題が深刻になっているというなら枯れ葉剤を大量に散布していた当時のベトナム戦争とそれに対する反戦運動や学生運動あるいは当時の日本政府のとった対応などに対する評価に変更が加えられても良いはずです。マクナマラの回顧録を待つまでもなく日本国内でダイオキシンの問題が深刻になってしまっているからであり、日本人自身がダイオキシンの被害を心配しなければならない立場に立たされてしまっているからです。ダイオキシンの被害はそれがベトナム人であれば取るに足らないことであり日本人の場合においてだけ心配すべき事であるというのでしょうか。残念ながらこれまで、日本国内ではベトナム戦争当時の日本をあるいは日本政府の行動を再評価するような意見も動きも出てきてはいません。七十年安保と沖縄返還を控えていた当時の日本政府すなわち佐藤栄作政権にとってはまず日本国内にくすぶる反戦や反米的な動きを沈静化することが最重要のテーマであり、それが結果的に日本政府としてベトナム戦争でのアメリカ政府の行動を支持する側に回らざるを得ないと言う構図がありました。私は反米愛国主義者ではありませんがまたアメリカという国がむしろ好きな人間ですが、アメリカのベトナム戦争には反対の立場をとっていた者です。当時私は学生でした。そしてクリントン大統領やゴア副大統領と同じアメリカで言われているベトナム世代と同じ世代に属しています。日本ではその世代のことを団塊の世代と呼んでいますがアメリカではベトナム世代と呼ぶようです。六十年代末には日本でも大気汚染が深刻さを増し公害問題が発生していましたが、そのようなことはその後二酸化炭素の大気中濃度の上昇による地球温暖化の問題として広がりを持って行きました。ダイオキシンに代表される環境ホルモンの問題も日本で大騒ぎになって来ています。冷戦構造で世界が編成されている間にもっとも経済的な利益を挙げたのは日本でした。世界の戦後秩序の中でもっとも大きな恩恵を受けていたのは日本だったのです。冷戦構造の秩序の中でその秩序を維持して行く上では日本は何の自己犠牲も払うことなく済ませていることができました。ひたすら経済的な利益を上げることだけに邁進していられたのです。そのような日本にダイオキシンなどの環境ホルモンや環境問題が大きくのしかかってきたと言えます。経済と環境問題の関係についてはアル・ゴア氏が『地球の掟』のなかで「環境が悪化すればするほど経済規模はむしろ大きくなる」という興味深く重要な指摘を行っています。ゴミが増えれば増えるほどゴミ処分場やゴミ処理業者が必要となり、その分経済規模は大きくなります。山林が荒れれば水の浄化能力が落ちて浄水場では塩素濃度を高くし、その塩素を除去する為に一般の消費者に対しては浄水器が売れます。塩素を供給した会社にも浄水器を売る会社にも所得が生まれ経済は大きくなります。しかしこれはほんとに望ましい経済成長の姿といえるのでしょうか。ダイオキシンの影響を調べるにも一検体につき五十万円もの費用がかかると言われています。母乳の安全性を調べたり食物の安全性を確認するにもそれだけの費用がかかるとするなら、人々が健康で安全な生活をして行くにはものすごく高い費用が必要になってくるはずです。しかしそれでも経済自体は膨らんで行くかも知れません。しかしそのよな経済の拡大は望ましいことなのでしょうか。また人々はそのようなことをしてまで経済が拡大することを望むのでしょうか。

 冷戦構造が世界を覆っていた戦後と言われる五十年以上の間、日本は世界で最大の経済的な恩恵を受けてきたと言えます。日本に原爆投下をしたアメリカはその後ろめたさもあってかフルブライト奨学金によって多くの日本人にアメリカへ留学するチャンスを与えました。この奨学金は世界中の国々の人々を対象にするものでありましたが、その内訳の中で日本人の人数が一番多かったのです。貿易面でも日本はアメリカ市場で大きな利益を上げさせてもらえて来ました。米ソのつばぜり合いの中で、自由主義圏の一員として日本をアメリカ側に就かせておくために日本の少々の貿易黒字にはアメリカは目をつむっていた部分もあるかも知れません。ベトナム戦争時点で反戦活動や全共闘運動に参加していた学生などはそれなりに当時の日本社会から制裁や非難を受けその代償を支払わされてきましたが、批判したり非難したりする側にあった人たちは最大限冷戦構造下での経済的な恩恵に浴していたはずです。それが大きく狂ってしまったのが冷戦構造の崩壊課程とそれと軌を一にして起こった日本のバブル経済の崩壊でした。そして冷戦構造の時代には支払ってきていなかった日本の自己犠牲のツケのようなものがいっぺんに日本にのしかかってきてしまったと思えるような状況です。すなわち冷戦時代に世界を均衡させていた米ソの軍事費に匹敵するような世界の秩序を維持する費用負担をしないまま日本はやってこれたわけですが、湾岸戦争頃から世界を形作る費用負担を日本もせざるを得なくなったと言うわけです。費用を負担するだけでなく日本国内では冷戦時代の最大の戦争であったベトナム戦争の脅威の一つともいえるダイオキシンなどの環境ホルモンの被害に対する不安に日本人自身がさらさらされなければならない状況になりました。湾岸戦争においてはイラク軍のクエート領内の石油施設の破壊によって海洋汚染が起こりました。その後セルビア問題でのアメリカ軍の空爆によっても、破壊された軍需工場などから化学物質が流出して環境問題が起きていることなどが報道されています。一つ一つの戦争や作戦行動の結果が環境という側面から考えられ始めたのはつい最近のことに過ぎません。環境問題は戦争でもあるいは普通に暮らしていても引き起こされるものです。核兵器による破壊と放射能による被爆の問題は非常に危険ですが、原子力の平和利用といえる原子力発電には放射能などによる被爆の危険が全くないかと言えばその危険は常につきまといます。我々日本人が日々暮らして行く上で無くてはならない石油も、タンカーの事故などによって原油流出による海洋(環境)汚染が生まれることはあります。日本は憲法で戦争を放棄しているから戦争で生まれ出る悲劇や危険からは逃れられているとばかりも言っていられません。平和な生活の中にも現代科学の成果が取り入れられているので、現代科学の粋を集めて行われる戦争の悲劇や危険と同じ現象が起きてこないとは断言できないわけです。ましてや日本が戦争の当事国になる道を自ら再び望もうとするのであるなら、その危険性は平和時にも増して大きくなってしまうと思います。そして人間と環境問題というものの関係は、戦争や平和の双方を含めて、人間の行動と自然の変化そして人体への影響というルートを通ってやってくるものだろうと思います。私は環境問題に対して模範生ぶる気持ちも悪ぶる気持ちもありませんが、いずれにしろ人間の活動や行動の結果として我々の元に環境問題はやってくるだろうと思うのです。 二千五年にはベトナムでもベトナム戦争を知らない世代が人口の半分を超えたと言われます。しかし戦争が過去のものになっても現代科学が消えてなくなっているわけではないので、環境問題は依然残るといえるでしょう。

 

 


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