Hasegawa Study Assisting

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このコーナーへようこそ。’98年の夏は平塚市の学生たちの活動で二つほどのニュースがありました。そのひとつは上の写真にあるように、平塚市内にある私立高校の平塚学園が甲子園出場を果たしたことでした。平塚学園にとっても初めてであるばかりでなく、それは平塚市にとっても初めての出来事だったのです。今年は甲子園の八十年記念大会だったために、神奈川県は東地区と西地区の二つの地域に分割されて二チームが県代表として甲子園に行くことが可能でした。そんなこともあって平塚学園は幸運にも甲子園出場を果たせたのです。神奈川代表が一チームだったとしたら、平塚学園は到底甲子園には行くことができなかったことでしょう。なぜなら、神奈川県代表の松坂投手というスタープレーヤーがいる横浜高校に勝たなければならなかったからです。皆さんもご存知のように、横浜高校は見事な試合振りで甲子園での優勝を果たしました。甲子園で優勝するようなチームと県大会であたるようなことにでもなっていたら、平塚学園が甲子園に出場することなど到底できないことは誰の目にも明らかなことです。横浜高校と平塚学園とでは野球チームの力の差がありすぎるからです。

平塚学園はそのような八十周年というめったに無いチャンスを生かすことができました。自分の地域に甲子園の常連組の高校がある人にはわかってもらえないかもしれませんが、自分の地域の高校がはじめて甲子園に出場できたという感覚は言うに言われない興奮があるものです。何しろ七十九年間もの間、平塚市内のどの高校も甲子園に行ったことが無かったからです。平塚市の市制発足以前にまでさかのぼってもはじめてのことでした。しかも平塚学園は、かつては勉強ができないほうの代表格のように市内の人たちには受け取られていた学校でした。近年は徐々に有名大学への入学者が出始めてきてはいましたが、それでも多くの親の世代の人たちの頭には昔の印象が今でも残ってしまっていました。ですが今回の平塚学園の甲子園出場は、平塚市内の人はもとより平塚の近隣の人にも平塚学園というものの存在をぐっと身近なものに感じさせてくれる効果があったと思います。甲子園での最初の対戦相手の九州学院との試合では見事な逆転劇を演じ、第二戦での日南学園との試合においても、敗れはしたものの「また逆転勝利してくれるのではないか....」という期待を持たせる試合でした。横浜高校と比べれば力には雲泥の差があるにしても持てる力は出し切ったと言えます。

今年の甲子園に参加した全国の高校は四千校以上でした。記念大会だったので甲子園出場校は五十五校と例年より多かったわけですが、それでも甲子園に出場できる確立は1.3%そこそこしかないのです。甲子園に出場できたというだけでも高校球児としては十分にエリートといえます。初戦に勝利すればそれは全体の中で0.7%の人しか味わえない活躍といえます。甲子園で優勝するのは1/4000の確率ですが、それはあくまで最終的に目指せばよい目標です。甲子園から帰ってきた平塚学園のチームのメンバーたちが学校のグラウンドで缶入りウーロン茶で乾杯している光景をテレビで見ました。毒入りウーロン茶事件が起きて全国的な騒ぎになる前であったことは幸いでした。

今年の夏の平塚での出来事のもうひとつは、七人の中学生がおぼれた小学生を救ったというニュースです。ケーブルテレビの市民チャンネルで流されていたのですが、部活明けの平塚市立金旭中学の七人の中学生が、平塚市西部を流れている花水川の相模湾へと注ぐ河口で小学生を助けたのです。四人で遊んでいた小学生のうちの一人が見えなくなり、中学生たちが助けあげて二人が冷えきって意識の無くなった体をタオルで拭いて温め、残る二人が救命処置をし、残る三人が持っていたPHSで消防署に電話してレスキュー隊を呼んだというものです。レスキュー隊が現場に到着したときには小学生の意識は戻っていて、学生たちは自分の学校名を告げただけで立ち去ってしまい、後で調べて彼らがわかったとのことでした。

のちにこれらの中学生たちは平塚市長から表彰されましたが、その場面にはチャパツやピアスをした学生も混じっていました。PHSを所持することも、チャパツやピアスを着けることも、それを中学生がやろうとすると周囲の目はそれをあまり好意的には見ないのが現実だろうと思います。しかし「そんな中学生」といわれそうな人たちでも、こんなこともするというわけです。一人の学生は、「いいことをしてると思った?」とインタビュアーに聞かれて、「助けることで頭がいっぱいで何も考えられなかった」と答えていました。それは大人でもそんな場面に出くわせばそうなることでしょう。とっさの出来事の中で「俺はいいことしてるんだな〜」などと考えている余裕など無いはずだからです。

夏休みに優れた自由研究の宿題をした人もいたことでしょう。ですが上に記した人たちの夏は、かれらの人生の中で一生記憶から消えることの無い夏の出来事だったのではないでしょうか。