人のためになるからこそ有益な「知」なのだ
鈴木 もう一つは、国公立、私立に関わらず大学は税金をもらっているわけですから、地域の人たちとどのように重なるかということも重要なポイントなんです。特に地方の大学は、「地域とのかかわり」を重視し始めています。
運営者 ホームページなどを見ていると、涙ぐましいほどの努力をしていますね。提携する企業の組織化なんかもやってるみたいなんですけど。
わたしは、地方の大学だとリベラルアーツ教育が最後の生き残りのカギだと思うんですけどね。
鈴木 市民がもっと利用しやすい大学にするべきだし、市民の側ももっと大学を使うべきだと思いますよ。大学には、ある分野で努力している人が必ずいるんです。その人たちを、地域の中でどうやってもっとうまく使っていくかを考えるべきでしょう。
運営者 そこの壁になっているのは、やっぱり共同体意識で、「みんな共同体の中で平等なのが良いんだ。突出しちゃいけないんだ」と考えるのではなくて、「みんな各々能力を持っているわけだから、それをちゃんと評価して、能力を持った人間であればそれをもっと社会の中で生かしてやろうよ」と周りがフォローしてやる姿勢や考え方がない、ということなんですよ。これって、わかんない人はとことん分かりませんからね(笑)。
ぜんぜんばらばらの人たちが集まって、うまく知恵を出し合うなんて、なかなかできないことですよ。東京財団が気持ちよかったのは、竹中さんと鈴木さんがそういう面ですごくオープン志向であった、それをみんなが理解していたからだったと思うんです。そしてやっぱり、集まってきた人も骨身を惜しまず協力したいと思っていたわけです。すごい高名な先生でも汗を流してましたよ。
ひょっとして、「知」を生み出すためには、それはどうしても必要なことなんじゃないでしょうかね。つまり、自分のためだけの「知」というのは全く無意味であって、人のためになるからこそ有益な「知」なのだと。自分の出世のためとか、大学の名誉のための「知」なんて、まったくの無意味ですよ。
どうも僕には、そんな気がしてなりませんね。
大学の先生といっても、教育も期待されている役割のひとつなんですから。「生徒のためになることを教えてやりたい」という気持ちがないんだったら、「先生でござい」とは片腹いたいと思いますがね。
鈴木 でも、授業の面白くない先生は多いですよね。
運営者 時代は変わっていて、初等教育の世界では、いかにして生徒を飽きさせずに授業に集中させるかにみんないろいろ工夫をしていますよ。大学でも、ファカルティ・ディベロップメントに注目が集まっているみたいだし。
鈴木 予備校の先生に、おもしろい授業の仕方を教わっているみたいですからね。
(この項終わり)