評価基準は議論して作るべき
運営者 大学が、社会や企業にアピールするのは、やっぱり研究や教育のプログラムですよね。「うちではこういう分野が強いですよ」とか、「こういう教育やってますよ」という。
鈴木 それが本分ですよね。だけどなかなかそこまで深く考えてる人はいないんじゃないでしょうか。
運営者 大学にとって、学会というのはどういうものなんでしょうかね。
鈴木 学会は、研究者にとってのキャリアパスですよ。学会でどういう発表をしたかとか、何本論文を書いたかということが評価の対象になるわけですから。
運営者 しかしですね、話を聞いてみると、例えば医学部の論文などは、同じ内容の論文だとしても対象を男女で分けたり、年齢を変えたりするだけで、論文の本数を増やすことができるらしいじゃないですか。そんなことやってて楽しいですかね。
鈴木 そうなんですけど、すごい論文を10年かけて書くよりも、本数を増やした方が評価は高くなるんです。それはアメリカの大学だっておんなじですよ。
運営者 ということは、研究面の評価を客観的に行うということは、不可能に近いということなんでしょうか。
鈴木 評価というのは、評価する側と、される側のコンセンサスがあらかじめなければ、できないはずのものなんです。評価する前に、お互いが議論をした上で評価基準を作っておいて、その上で評価しなければ評価ではないんです。それがなければ、評価する側も、される側も、単に相手が間違っているという話で終わってしまうんです。
そこの土壌ができていないのに、「評価、評価」といっても、良い評価はできないですよ。
運営者 目標管理制度みたいなもんですね。
鈴木 だから、そういうところに真剣に取り組もうとしない限り、日本の高等教育担当者は、「評価」というものをその程度のものとしか見ていないのだということになりますよね。
運営者 つまり、評価に意味がないことになってしまいますね。たいしたことだと思っていないということなんだ。
鈴木 でもね、ある人が言っていたんだけど、「国立大学の独法化というのは、変わることが重要なのではなくて、変えることができるようになるということが大切なんだ」と。まったくそうだと思うんですよ。だから、あとは各大学がどのように対応するかをまじめに考えるかどうかの問題でしょう。