「知」を創り出すシステムがあってしかるべき
運営者 まず最初に、なぜ私が「知」のマネジメントに興味を持っているのかということをお話ししておいたほうがいいと思うのですが、それは私が雑誌編集者だからなんです。
雑誌というのは、そこで知が作られる場所なんです。
例えば特集を作るということは、「この分野に関していろんなものを集めてみましたよ」ということで、多角的かつ網羅的に1つのテーマを取り上げるということです。そうやってやや複雑なコンセプトでも、「こういうものがあるよ」ということを、読者にうまく伝えることができて、それに対する反論もフォローできますし、反論の応酬もできます。それを読者がみんなで見守ることで、さらに考えを深めていくことができるわけです。
雑誌とはそういうものであるという認識を私は持っているんです。ところが面白いのは、そういう認識を持っている雑誌編集者はほとんどいないということなんです。つまり普通の編集者は、雑誌というモノの形しか見ていないわけです。「文章が載っていて、写真が載っていれば雑誌だろう」と考えているわけです。そこにものすごく大きな認識の不一致があるわけです。
そんなことないんですよ。昭和17年に「近代の超克」という座談会があって、これは「文学界」という雑誌を舞台にした「知」の創造だったでしょう。過去の中央公論や文藝春秋は、そいうい「知」の創造の役割を果たしてきました。
それが雑誌という形でなくて、シンクタンク・研究機構という形で、あるいはそういう形態を取っていなかったとしても人が集まっていることで、できたケースは過去にもあったと思うんです。例えば京都学派とか、近衛内閣のブレーンだった昭和研究会とか、あるひとつの大きな「知」の流れを作ることは、そういう形で可能であるはずなんです。
「知」というのはそのようにして、人を集め、知恵を掛け合わせ、まさに英知を結集して産み出されるものであって、そのように社会の中で効率的に「知」を創り出すシステムがあってしかるべきであると私は思うわけです。
そして僕が知っている限り、現在の日本でそのようにして実際に、あるひとつのおおきな「知」の流れを生みだすことに成功した人が、鈴木さんなんです。
小泉政権を主に支えている「知」の流れは2つあると思うんです。ひとつが財政再建を主張する財務省であり、もう一つが鈴木さんが作った竹中さんのタスクフォースを中心とした人材の流れです。
日本財団をバックにしていた政策シンクタンクである東京財団の研究事業部は、所長である竹中平蔵さんを中心にして、政策志向の高い学者を糾合していました。このシンクタンクの中心であったのが、研究事業部長だった鈴木さんなんです。そしてここにいた学者や有識者の何人かが、森政権から現在の小泉政権の政策面を実質的に支えているという事実があるわけですが、これは不思議なことにあまり知られていません
どうせ財務省は自分たちの権益である予算と、人事支配を守ることしか言わないわけですから、わけのわかっていない政治家は「学者の話を聞くなどけしからん」などと言っていますが、学者のほうが欲にまみれていない分、よほど正直だと私は思います。