ポーランド  表紙(地図)へ戻る homeへ  2004.1.15

1993年から1995年にかけて、縁あって3度ポーランド(ワルシャワクラクフザコパネ)を訪問した。その時の記録を元にこのページを作りました。

ポーランドはヨーロッパ諸国の中では比較的歴史の浅い国で、且つドイツ、ロシア、オーストリアという大国に囲まれ波乱に満ちた歴史をたどっっている。しかし、古くはコペルニクス(1437-1543)、近代では、キュリー夫人(1867-1934)、ショパン(1810-1849)といった優秀な科学者、芸術家を生み魅力ある文化を持っている。

その歴史をたどれば、ローマ時代はまだ、帝国国境からずっと奥に位置したため歴史には現れずローマ人にはただ蛮族の住む地方としか認識されていなかったようだ。

10世紀頃にスラブ系ポラニエ族がクラコフ周辺に建てた国が歴史に現れる最初。ポーランドという国名はこれに由来するようだが、平原の国という意味もあるそうである。

14世紀に入って、リトアニア出身のブワジスワフ・ヤギエウォがポーランド王になり、リトワニアさらにはプロイセン、ハンガリーまでも保護下に置く大国となりポーランド王国の全盛時代を迎えた。これがヤギエウォ朝ポーランド(1386-1572)であり首都はクラクフにおかれた。

このように、ポーランドの王は伝統的にポーランド貴族(シェラフタと呼ばれる)の選挙により選ばれ、国内にぬきんでた有力者がいないので、しばしば外国の王家(リトアニア、スエーデン、フランス・アンジュー家など)から王を迎えた。そのため他国の干渉を受けることが多かったようである。

その後紆余曲折を経て、17世紀にスエーデン王家出身のジグムント三世がワーザ朝ポーランドを建てた時、首都がクラクフからワルシャワに移された。さらに、ナポレオン戦争の後、国力の疲弊したポーランドはオーストリア(ハプスブルグ家)、プロイセン、ロシアに分割支配を受けることになった。

その後、第一次大戦後独立したが、第二次大戦時国土の北部は、ドイツとソビエトの苛烈な戦場となり、徹底的に破壊された。現在あるワルシャワの旧市街はその後復旧されたものである。

そんなわけで、ポーランド人は、ロシア嫌いで、日露戦争でロシヤに勝利した日本には好意的である。

ワルシャワ

人口およそ200万、ポーランドの首都である。第二次世界大戦で徹底的に破壊されたが、復旧し、特に旧市街は昔のままの姿に戻された。町の中心部にあり、いやでも目に入るのは、戦後スターリンにより寄贈されたという文化科学宮で、ロシア嫌いで口の悪いポーランド人は、『ワルシャワで最も景色のいい所は、文化宮のてっぺんである。なぜなら文化宮が見えないから』という小噺がある。

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ワルシャワ新市街


文化科学宮殿の展望台からの景色。

向こうに流れる川はヴィスワ川



ワルシャワ旧市街 ↓


市場広場を取り巻く建物

第二次大戦後、元通り復旧された。




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文化科学宮殿

第二次大戦後スターリンがワルシャワ市民に贈ったという。
1994年私が出席した磁気国際会議もここで開催された
モスクワ大学の本館にそっくり
ショパン博物館

ショパンの使ったプレイエル社製のピアノをはじめ数多くの遺品が納められている。
ショパン協会の本部でもある。
元は貴族の宮殿

旧市街広場

馬車が行きかう

キュリー夫人博物館
1867年、後にキュリー夫人となるマリー・スクウォドフスカの生家
中は所持品などを展示する博物館となっている

バルバカン

旧市街の城門

ワジェンキ公園

中央に見えるのはショパン像

クラクフ     Top

ポーランド南部にある旧首都。ポーランドがヨーロッパ史上最も光彩を放ったヤギェウォ朝時代の首都である。第二次大戦の戦火を免れ中世の面影を残している美しい都市。コペルニクスが学んだヤギェウォ大学や、科学アカデミーの研究所があり学術研究も盛ん。ユネスコ世界遺産にも指定されている。ポーランドの京都という所か。主な建物は、旧市街南端にある王城(ヴァヴェル城)および旧市街のほぼ中央にある織物会館とそれを取り巻く中央市場広場。 人口約80万


ヴァヴェル城から見たクラクフ旧市街


中央市場広場と織物会館 現在内部(1階)は大きなみやげ物売り場になっている。多種多様のポーランドの民族工芸品が並んでおり楽しい買い物が出来る。左の教会は聖マリア教会 

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王 宮
ヴァヴェル城
手前はヴィスワ川

日本美術・技術センター
浮世絵のコレクションが凄い
有名な映画監督アンジェイ・ワイダ氏の京都賞基金を基に建造された
設計は磯崎新

センターでの日本文化の催し実演

伝説の龍
ヴァヴェル城の麓にある。時々火を噴く

ヴァヴェル城の大釣鐘

ヤギェウォ大学
1364年創立

大学の外にあるコペルニクスの立像

大学内にあるコペルニクスの胸像
コペルニクスはこの大学で学んだ

科学アカデミー
冶金鉱山学研究所

ここの研究者と知り合い

織物会館の中の
マーケット
お土産売り場
チャルトルスキ美術館
チャルトリスキ家はポーランド有数の名門貴族
その収蔵品を集めた美術館

チャルトリスキ伯爵夫人はショパンの庇護者としても有名
レオナルド・ダヴィンチ
『白テンを抱く貴婦人
美術館一の傑作

最近日本でも公開された

ヴィエリチカ (巨大な岩塩鉱)

クラクフの南郊にあるヴィエリチカには1000年の長きにわたって採掘され続けている巨大な岩塩鉱山がある。その内部の一部が公開されており、地下教会や、無数の岩塩の彫刻が見られる。クラクフ在住の友人に案内してもらった。

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入り口

昔の木製エレベータ
の巻き取り機

伝説の女神
岩塩の彫刻

コペルニクス像

地下教会
シャンデリアも岩塩製

ザコパネ  Top

ポーランドは国土の大部分が平原かなだらかな丘陵に覆われている農業国であるが南部国境だけはアルプスから連なるタトラ山脈に隔てられ、チェコとスロバキアに接している。そのタトラ山脈の麓に位置するザコパネはポーランド最大の保養地でスキー場もある。ここでは、スキーの世界選手権大会、ユニバーシアード大会などが開催されたことはあるが、2006年の冬季オリンピック会場に立候補したが選ばれなかったようだ。

1995年ここで毎年開催されるヤギェウォ大学物理学科が主催する『ザコパネ物理学夏の学校』に講師として招かれた時の記録である。

タトラ山地とザコパネの町

中央山麓付近に見える2本の瀧状のものはジャンプ台。

夏の学校のエクスカーションとして、町の北側にある小高い山からの眺め。

ケーブルカーで登れる。

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町とジャンプ台

ダウンタウン

別荘

木造の教会

民族舞踊 ポロネーズ、マズルカなどポーランドはハンガリーと並んで民族舞踊の宝庫である。
下の写真は夏の学校のエクスカーション(午後は全てエクスカーション、勉強は午前と夜にする)の催しのスナップ写真  サムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります

最後に、遊んでばかりいたわけでないことを示すため、このとき一緒だったヤギェウォ大学のトマラ教授との共同研究の成果を示しておく。 ここをクリック(内容は専門家でなければわからないがガドリニウムのメスバウアー効果と中性子回折を使った日本国内では出来ない実験を行なった)