T.J. Pempel (1998) ,
“Regime Shift: Comparative Dynamics of the Japanese Political Economy.”本書での中心的な分析概念は、「レジーム」である。「レジーム」は、ある国の政治経済の、持続的な形態、整合性、予測可能性をさす
(pp.20−21)。「レジーム」は、1.社会経済的アライアンス、2.政治経済制度、3.公共政策のプロフィール、という、三要素から構成される。これらは、1.「誰が」、2.「どのようにして決めた」、3.「一貫した方針に従って」国を動かすか、を、それぞれが意味している(p21)。また、これら三要素の間に、
virtuous cycle,ないしは、positive synergiesが働く場合、すなわち、各要素が相互的に支持、強化する場合は、予測可能性、安定性が高まり、「レジーム」は均衡する。しかしながら、downward spiral , negative synergy が三要素間に働く場合には、予測可能性、安定性が低下し、「レジーム」は不均衡に陥る。不均衡に陥った「レジーム」は調整が働いて、均衡を回復するか、崩壊するかのいずれかである(p21)。レジームの安定を脅かし、
downward spiral, negative synergyに陥らせるものは、1.社会経済的な問題、2.選挙、民主主義上の問題、3.国内政治経済と国際システムとの相互作用の問題、の三つに分類される。1.社会経済的問題とは、経済の発展、変化によって人工構成比がかわった、などといったことである。2.選挙、民主主義上の問題とは、有権者の特殊利益の要求と、有権者の利害に反するかもしれないが国政運営上必要な処置との衝突などである(pp.114−117)。また、これらにたいするレジームの反応も三つに分類される。三要素のうち一つだけが変化すれば、first−order
change, 三要素のうち二つが変化すれば、second−order change,三要素のすべてが変化すれば、third−order changeである。first−order change,second−order changeはレジーム内調整を、third−order changeはレジームシフトを意味している(pp. 117‐119)。II.
日本への適用60
年代日本には、conservative regimeが成立していた(p.42)。その公共政策は、“embedded mercantilism”であり、これは、国内市場の隔離、産業政策、財政支出の抑制などで特徴づけられる(p.49)。また、これを支持する社会経済的アライアンスは、大企業、中小偉業、農業の連合であり、反regime勢力である、組織労働者と対立していた(p.63)。また、政治経済制度は、凝集性、組織化によって特徴づけられていた。国政に関わる、自民党、および、官僚機構、水平垂直各方向での系列等の政治経済制度、、農協を通して示される、農業セクターの凝集性などが、その例である(pp.65‐73)。conservative regimeを構成するアクターはまとまりがよく、互いに依存し、協力していた(pp.73−77)。ここでは、positive−sum的な政治経済関係が存在し、「レジーム」は安定性を保持していた(p.167)。しかしながら、
90年代日本では、conservative regimeは崩壊する。まず、公共政策のプロフィールをみると、embedded mercantilismが終わっている(pp.146−157)。政治経済制度も、断片化、分化が進んでいる(pp.157−163)。社会経済的アライアンスについても、conservative regime自体の支持基盤は拡大したが、旧支持基盤内部での激しい対立が発生する、という大きな変化が見られる。つまり、従来は同質的で、positive sum的な関係にあった集団が、規制緩和を 強く望む、競争力のある産業―都市と、保護を強く望む、競争力のない産業―農村という、対立的で、zero−sum的関係にある二つの集団に分化している(pp.163−167)。このように古いレジームは崩壊し、回復可能な状態にあるが、しかし、新しいレジームもまだ、見えてこない、という状況に日本の90年代の状況はあるという(p.167)。日本の
conservative regimeをゆるがせた要因のうち、社会経済的なものとして、農業従事者、中小企業関係者の人口比低下、高齢化、人不足、都市化があげられている(170−172)。また、選挙に関わる要因としては、自民党の圧倒的優位が崩れたことがあげられている(pp.172−177)。最後に、国際的な要因として、円高、オイルショック、市場開放要求等の外圧があげられている(175−180)。また、これらに対する
conservative regimeの反応、変化を見ると、80年代までは、first−order change,second−order changeによって、とりあえず調整がつき、conservative regimeの均衡は維持されてきた。Second−order changeによる調整の例としては、経済政策の政治家、企業レベルでの労使協調と国レベルでの労働運動の弱体化・穏健化、赤字財政、行政改革と消費税導入、競争力のある企業の多国籍企業化、があげられている(181−182)。しかしながら、
90年代には、バブル経済の崩壊、自民党分裂という事態に至り、これをもって、conservative regimeの長期的均衡は崩壊した、とされる。この背後にあるとされるのは、80年代自民党は都市層、労働者のなかに、新たな支持者を得たが、旧来の支持者と相容れず、浅く広い支持の獲得が逆に支持者間の対立を助長したこと、凝集性、組織化の高かった諸制度が断片化したこと、である(197−205)。