Scott Callon (1995) , Divided Sun: MITI and the Breakdown of Japanese High-Tech Industrial Policy 1975-1993, Stanford: Stanford University Press
読後ノート (c)Tirom!,2001.


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(2001.10.11-)


  1. 本書の主張要旨
  2.  本書は、revisionistの主張に反して、70年代以降、日本の戦後産業政策の基礎が崩壊してきたことを示そうとしたものである。Revisionistは、現在でも、通産省の産業政策が日本の諸産業の国際競争力を高めるための政府ビジネス間の協調を促進し、これが、単なる市場経済以上の効果をもたらしていることを主張してきた。これに対して、Callonは70年代までは、revisionistの見解は、一定の妥当性をもったかもしれないが、それ以降は、官民挙げてのコンセンサス、協調を基礎とした産業政策が崩壊し、アクター間の対立の激化、通産省の力の低下が見られ、もはやrevisionistの見解は妥当性をもたないと、主張する。そして、70年代までは、revisionistの言うように、通産省に日本経済の重心はあったかもしれないが、それ以降は、民間企業の力が通産省を上回り、日本経済の重心は通産省から民間企業へ移行したと主張する(pp. 1-3)

    Callonは、以上の主張の妥当性を、70年代以降、通産省によって行われたコンピューター関連部門における四つのhigh-tech consortia の成否によって裏付けようとする。70年代後半の超LSI consortiumは成功した。しかしながら、それ以降の、スーパーコンピューター、第五世代コンピューター、TRONに関するプロジェクトはすべて初期の目標を達成することなく終わり、また、意図せざるスピルオーバーもさして大きくない一方で、プロジェクトの多大な機会費用を残した点で、すべて失敗だった。ここから、通産省のtechnology consortiaの効果の低下が結論付けられる。また、各事例におて、企業間、企業-通産省間、通産省―他の政府機関(NTT,文部省)間の対立と競争が浮き掘りにされ、官民あげての協調という見方は幻想に過ぎないことが明かにされる(第六章)。

     また、通産省のtechnology consortiaの効果の低下は、皮肉なことにも、日本の技術力、経済力がアメリカにほぼ追いつき世界トップクラスのものとなったものによるという仮説が提示される。とくに、企業の規模と競争力拡大が通産省のconsortiaにおけるR&D予算の相対的規模の低下を生んだこと(企業からconsortiaへのの資金供与減少、企業の自前のR&D予算急増、通産省自身の予算の頭打ち)、技術フロンティアへの到達によって、(企業自身のR&Dが急増し通産省consortiaにおけるR&Dの重要性を低下させた一方で)、通産省consortiaR&Dの内容が、アメリカの外圧もあいまって、応用研究から基礎研究へと移行せざるをえなくなったこと、が主たる要因とされる。Consortiaの基礎研究への移行が、その効果の低下をもたらした理由は、第一に、基礎研究の性格から収益が低下せざるを得ないこと、第2に文部省の領域と重複することにならざるをえないが文部省の協力が得られないこと、第3に、研究の長期化をもたらしざるをえないことが、研究計画の硬直性とあいまって、研究期間中の技術変化への対応を困難にすること、であるとされている(第7章)。

  3. コメント

 Callonの議論は、キャッチアップの完了が開発主義を実行不可能にする、という仮説に一般化可能であり、これを日本のケースで示した点で、非常に興味深い。しかしながら、いくつかの点で、疑問が残るので、それを示す。これらの疑問は、彼の言うように、ハイテク部門でのconsortiaという形態をとった通産省の産業政策の効力が低下していることを認めたとしても、日本の政治経済体制がどうなっているのか、特に、rivisionistのいうような開発主義体制が変質したのかどうか、変質したとしても、どのような政治経済システムへ移行したのか、という点が、判然としない、という点にある。

  1. 日本は開発主義を実施できなくなったのか?
  2.  Callonは、本書をrevisionistへの反論として打ち出しており、80年代以降の日本ではもはや開発主義を行えなくなった、と主張したいようである。しかしながら、本書のサーベイが適切なものであったとしても、そのように結論するのは性急である。Callonは、technology consortiaという形態での産業政策が、policy instrumentとして効果をもたなくなったことは実証したかもしれない。しかしながら、他の形態での産業政策、あるいは産業政策に限らず、他の形態の国家による経済介入の中に、未だに効果のあるものが残存しているかもしれない。そのような場合、国家が一貫した「国益」推進 ―産業の高度化、経済的観点での他国とのバランシング-― に必要な経済介入を行う力、すなわちstate capacityは残っていることになる。この場合、開発主義、重商主義的政策を行えなくなったという主張はできない。日本で開発主義、重商主義が実施不能になったことを示すには、通産省の政策を満遍なくとりあげて、全体として、実施不能傾向にあることを示さなければならないだろう。

  3. 日本は弱い国家になったのか?

 日本は通産省主導の政治経済体制から、企業が通産省の力を上回る、企業主導の政治経済体制へ移行し、通産省はこのような状況の中であらたな役割を見出さない限り衰退していく、とCallonは主張する(p.3, p.181)。

 しかしながら、日本の80年代以降の政治経済体制が、開発主義的なものから変質していると仮に認めたとしても、いかなる体制に移行したのか、彼のサーベイだけではよくわからない。また、他の政治経済体制の類型との適合性も検討したうえで、開発主義が不適合で、他の類型が適合的だと示さなければ、開発主義的イメージを批判しているだけで、現在の日本の政治経済体制はよくわからないものになるだけである。

 政治経済体制の類型として、国家の強さに着目すれば、いくつかのものをあげられることができる。まず、開発主義は、state capacity, state autonomyともに強いケースである。しかしながら、新古典派的なレセフェール的な体制もまた、state autonomyのみ、場合によってはstate capacityも強い体制である。なぜならば、企業が自らの私的利益を政策に実現しようとする要求を跳ね除けて公益と信ずるところのものを政策として維持しつづけ、また、場合によっては、不完全な市場メカニズムを完全なものに回復するための、独禁法、労働組合の排除等の、国家による経済介入を必要とするからである。おそらくは開発主義も新古典派的体制も、その合理性の持ち方、公益の捉え方がことなるだけで、どちらも強い国家の一類型である。また、state autonomyが弱い場合、少数に集中した私的利益が政策として実現されるレントシーキング型の体制か、多数集団の私的利益が政策として実現される、数の力を特徴とする民主主義型の体制になるであろう。この場合、state capacityに比例して、強力な集団へのばら撒きが強化されよう。

 日本が開発主義ではもはやないとして、日本の政治経済体制は、このような類型のうちのどれであるのか、Callonの議論だけでははっきりしない。国家は分裂して官庁間の対立が生じ、また、通産省は、企業に圧倒されるというが、では、日本はレントシーキング型の体制になったのか、あるいは、通産省はいまだに自律性を保持し、レントシーキングの圧力を撥ね退け、従来とはことなる「合理性」、「公的利益」を、新たな政策手段で貫徹しているのか(たとえば新古典派的体制)、これらの点を明らかにすることが、日本の政治経済体制理解に建設的に貢献する上で、不可欠であるように思える。