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2004. 9/10(金) わらびもち屋
また一ヶ月ほども空いてしまったけれど、なにを書きたいかというと頭はいまだアテネにあるのだった。しばらくオリンピックネタを書くつもりだが、今日はその前に夏に遭遇した小ネタをひとつ。
車で売りにくるわらびもち屋さんが、たまに近くを通る。呼び込みのメロディーは、あれはほかの地域でも聞くが、
♪わらび〜〜〜〜〜もち ♪つめた〜〜〜〜〜くて ♪おいし〜〜〜〜〜いよ
っていうのが聞き慣れたパターンだ。さらに何度かおなじような言葉がつづいて最後に、
♪はやくこないといっちゃうよ〜〜〜〜〜
で、しめる。 ああ風物詩だなあという、ゆったりとした節回し。
しかし、今年はまったく別の歌を聞いた。リズムはなんと、レゲエだ。 「ブンチャチャ、ンッ、チャ ブンチャチャ、ンッ、チャ」というリズムにあわせ、
♪わらびもちだよわらびもち ♪わらびもちだよもっちもち
とくりかえす。部屋にいて僕はこれを聞き、たまげて窓の外を見た。車の姿は見えず、その不思議なメロディーはすぐに遠ざかっていった。
即座にネットで調べてみた。数はすくないが、目撃情報がやはりみつかった。しかも名古屋近辺で見た、というものが多い。それによると、ふつうのわらびもち売りなら車のスピードはせいぜい20キロ程度のものだが、このレゲエわらびもち屋は60キロくらいのスピードでかっ飛ばしていくらしい。
けっきょく、聞いたのはその一度きりだった。次やってきた時には、ぜひその姿を見てみたい。
2004. 9/22(水) 今さらアテネ
オリンピックのことを書こうと思っていたら、パラリンピックがはじまってしまった。これまでまったく見ることのなかったパラリンピックに興味が向かったのは、車椅子マラソンに出場する伊藤智也選手の特集番組を見たからだ。 伊藤さんは7年前、多発性硬化症という難病に冒され、余命3年と診断された。下半身不随になり左目の視力を失っても生きることへの挑戦をやめず、車椅子マラソンを始めたという。パラリンピックの選手に選ばれてからも、7月に体調を崩し、一時は両手を動かせないほどの症状に陥った。病状が落ち着いてからも左手の力がなかなか元に戻らず、焦る日々。それでも病床で鉄アレイでのトレーニングをつづけ、予定の日付をオーバーしてようやく退院する。退院後は、以前に上れたはずの坂道さえ上れないほどに体力は落ちていた。オーバーワークとも言えるようなトレーニングを繰り返し、ようやく以前の力を取り戻し、パラリンピックを迎えた。
番組を見ていて、なんでそこまでがんばれるのだろう、と驚嘆してしまった。もし自分が下半身不随になったとしたら、絶望する以外に考えられない。そこからさらに生きようとするパワーは、いったいどこから生まれるのだろう。僕は、伊藤さんのような人を心から尊敬する。障害者だから心がきれい、などという幻想で言っているのではない。どんなパラリンピックの選手だって、番組では決して見られない弱さや傲慢さやずるさを持っていることだろうと思う。それでも、いま自分の立っている場所のさらに上を目指し、どんなひどい状況でも、どんなひどい世の中であっても生きがいをみつけようと努力する人のことを、僕は心から尊敬する。
・・・
それでは遅ればせながら、一人プレイバックオリンピックを。
●柔道 大逆転で銀メダルを獲得した横沢選手のことは8/17に書いた。他にも、今回の柔道はものすごいメダルラッシュだった。これまであまり騒がれずにきた男子60キロ級の野村忠宏選手。オリンピック三連覇は、大偉業だ。もっともっと持ち上げられていい。国民栄誉賞だって、この人なら僕は納得する。 女子63キロ級の谷本歩実選手の、優勝後に古賀コーチに抱きついたシーンや、女子70キロ級の上野雅恵選手が表彰式で見せた競技中とは180度違う笑顔なども、印象に残った。ずっとオリンピックで勝てなかった78キロ級の阿武教子選手の優勝も感動的だった。 男子ではなにより、100キロ超級の鈴木桂治選手が優勝したのに驚いた。今までの100キロ超級のいかつい選手達と違い、なんとなくひよわな感じがあって、これは勝てないかなと勝手に思っていたせいもある。対して、金メダルは盤石と目されながら一回戦で負けてしまった100キロ級の井上選手。どんな超人的な人にもそれぞれの事情があり、それぞれの人間的な思いがある。
2004. 9/29(水) 今さらアテネ(2)
絶対もう需要はないと知りながら、一人プレイバックオリンピック、第二弾。これを書かないと僕の夏は終わらない。
●競泳 北島選手二冠は、とにかくアッパレ。2位の選手を大きく引き離しての完勝だった。あの体格で世界を制することができるのだ。彼のインタビューでの態度や言動は正直あまり好きにはなれないのだけれど、あの実績は高く評価する。 それから森田智己選手の100m背泳ぎ銅メダル、山本貴司選手の200mバタフライ銀メダル、どちらも微笑ましかった。山本選手はアトランタ、シドニーと二度のオリンピックでメダルに手が届かず、三度目にしてようやくの銀メダル。途方もない道のりの中で何度もあきらめようとする瞬間はあったろうにと思うと、明るい笑顔を見ながら泣けてしまう。あの怪物、マイケル・フェルプスに僅差まで迫っての2位なのだから、これはすごい銀メダルだ。 最後のメドレーリレーは、まさにザ・日本スペシャルという感じで、貫禄の銅メダル。みんな仲良さそうでうらやましい。 女子はやはり、800m自由形金メダルの柴田亜衣選手。レース後半までずっと2位で離されずについていき、最後に抜き去った作戦は見事。レース直後はあっけらかんとしていたのに、表彰式のあとになって泣き崩れていたのが印象的だった。
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