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2003. 9/4(木) 何だこのルールは
世界陸上の開幕と同時に忙しくなり、本来なら毎日観戦記をここに書く予定だったのができなくなった。それでも、連日深夜に録画したものを翌日の朝以降、食事時のたびに見るという生活はつづけ、それなりに感動を味わってはいた。末續選手の銅メダルやディバース選手の100mハードル準決勝敗退、マラソン日本女子選手の活躍など、いろいろと書きたいことはあるのだけれど。
まずは最初に、これに触れたいと思う。 男子100m、二次予選。 まあとにかく、二日目は、この話題に尽きた気がする。関係者も見ている者をも騒然とさせた、ドラモンド選手のフライング事件の話だ。
前提から話そう。トラック競技におけるスタート時のフライングの対処が、今大会から変更された。以前は、同じ選手が二回フライングを行うとその選手は失格、というルールだったのが今回から、一つのレースにおいて、どの選手がおかしたフライングかに関係なく、二回目以降にフライングした選手がすべて失格、ということになった。つまり、A〜Hという8人が走るレースで、最初にAさんがフライングをし、次にBさんがフライングをしたら、その時点でBさんが失格になる、というもの。まあ、競技の所要時間の短縮を狙ったものだろう。
この新ルールにのっとり、男子100m予選でも、何人かの選手が失格となった。そして、第二次予選。第2組において、事件は起きた。 まず最初に、一人の選手がフライングをした。さらに、次のスタートでもまたフライングが告げられ、競技が中断された。2回目だから、対象者は失格である。審判が示した選手は、アメリカの有力選手、ドラモンドと、ジャマイカのパウエル選手の二人だった。この裁定に、ドラモンド選手が、猛然と抗議した。自分はフライングなどしていない、ビデオを見てくれればわかる、という主張だった。テレビ画面では何度もスタート画面がスローで流されていたが、確かに見た目では、ドラモンド選手が他の選手より早くスタートしているようには見えなかった。 それでも審判は、判定を覆すことはない。収まりきらないドラモンド選手はレーンから動こうとせず、このためレースが続行できなくなってしまった。審判団は、競技の結果、いったんこの組のレースを中断し、他の組を先行させたのちに改めてこの組を呼んで再レースを行う、という手段をとった。
再開後に、ドラモンド選手とパウエル選手の二人の姿は、トラック上になかった。テレビ画面では、サブトラックで泣き崩れるドラモンド選手の姿が映し出された。 まあとにかく、これでとりあえずは一件落着、レースができる、と誰もが思ったが、事件はこれだけでは終わらなかった。 問題の組は結局、6人での再スタートとなったが、「位置について」がコールされると、会場からブーイングが起こった。裁定に納得できない観客が、抗議をはじめたのだ。通常、トラック競技のレースでは、会場が静まらない限りスタートが切れない。「ドン」の合図が聞き取れないおそれがあるからだ。 いったん「位置について」が解かれ、しばらく間を置いたのちに、またコールがされる。しかし、またもやブーイング。スタートはできない。 延々とこの状態はつづいた。とりあえず静まったかと思われたブーイングが、スタート直前になってまた盛り返す。何度そんなことを繰り返しただろうか。このレースで走らなければならない選手達は、みな怒りの様子をあらわにしている。トリニダード・トバゴのボルドン選手など、有力選手もこの中には入っている。番組は、いったんCMに入った。 スタートは、CM開けでようやく成功した。さんざん待たされ、集中力を乱された選手たちは、不満が募っていたことだろう。みな、口々に叫びながら、ロッカールームへと引き揚げていった。
これが、事件のあらましだ。まあ、この事件の中にはさまざまな要素が入り乱れているので、整理して考えなければいけないだろう。
まずは、同じ人が2回フライングしたら失格、ではなく、そのレースにおいて2番目以降にフライングをした人が失格、という改正ルール。番組中でもしきりにこの点に触れられていた。じっさい、関係者のあいだでも首を傾げる人が多いという。パリで実況をしていた苅部元選手も、納得できないといった印象を口にしていた。 ただし、今回の事件においては、実はここが問題ではない。なぜなら、ドラモンド選手が主張していたのは、「全体で二人目のフライングをしたから失格、というのは納得できない」ということではない。「そもそも私はフライングなどしていない」と言っているのだ。だから、事件の本質は、ここではない。この点については、あとで述べる。
もっとも重要な点は、何をもってフライングとするのか、ということだ。ドラモンド選手は、フライングを告げられたあと、「自分はフライングなんかしてない。ビデオを見てくれ、俺は他の選手より先に出たりしてないだろ?」と繰り返している。スローモーションで流れる映像を見る限り、彼の言う通りである。 現在のフライング判定は、機械によって行われている。スターティングブロックに圧力測定器が組み込まれていて、そこに20kg以上の力がかかった瞬間が、スタートを切った瞬間と判断される。いっぽう、人間の反応時間はピストルが鳴らされてから0.1秒以上はかかる、という科学的事実があるため、0.1秒以内にスタートを切った場合、「ピストルの音を聞いてスタートしたのではなく、勘でスタートを切った」とみなされ、フライングとされる。 ここで、機械が壊れていた、ということは考えにくいだろう。たぶん、機械によって圧力が感知されたのは確かだ。しかしそれが、スタートするための足の動きだったのかはわからない。スタート直前にこまかく足が動くのは十分あり得ることで、それを感知されてのフライングかもしれない。ドラモンド選手が主張していたのは、主にこの点だった。
それから、あまり番組でも取り上げられなかったが、事件の奥底に眠っている問題点がある。それは、「用意」から「ドン」までの間隔がレースによってまちまちであるという点だ。ずっと見ているとわかるけれど、その間隔が0.5秒ほどのこともあるし、3秒ぐらいかかることもある。 これはひとつには、「ピストルが鳴り、そのピストルの音を聞いてからスタートする」という、ルール上の前提があるからだ。それからもうひとつ、「用意」とコールされたあと、全ての選手が静止しないうちは「ドン」の合図は出さない、という理由もある。さらに、スターターごとの癖もある。これらの理由のため、レースによってこの「用意」から「ドン」までの間隔がかなり違ってくることになる。そうすると、0.5秒の間隔でスタートが切られたレースが続いたあと、急に3秒も間隔が開いたりすると、どうしてもフライングしやすくなってしまう。僕は、これも大きな問題点だと思う。
僕は自分の頭の中でさまざまな検討をかさね、以下のように結論した。
(1)ドラモンド選手のやり方はやはり賢明ではなかった。裁定に不満があるのなら、レースが終わったあとで、正式に抗議をするべきだった。待たされている選手も同じく大事なレースを前に集中力を乱され、多大な迷惑を被るのだと気づくべきだった。 ただし。そうは思いながらも、彼の気持ちは痛いほどわかる。金メダルを取れる位置にもいる彼にとっては、これまでの毎日の辛い練習や、人々から受けるプレッシャー、そういったものを堪え忍んでようやくこぎつけたこの舞台である。こんな不条理な理由でレースの場からいやおうなくつまみ出されるなんて、納得できないのは当然だ。あまり彼を責めたくはない。
(2)フライングの判定は、現在の圧力検知ではなく、ピストルの音より先にスタートラインから前に体が出ないこと、とする。現方式による不可解なフライング判定は、実はずっと前から気になっていたことだ。フライングの根本の定義は、「スタートの合図の前に走り出してはいけない」ということであって、「スタートの合図の前に足を動かしてはいけない」ということでは決してないはずだ。 現方式は、いいアイディアだったとは思うが、正確なフライング検出にはならなかった。このままではいつまでも不可解な判定というものがついて回ることになる。だいたい、審判員でさえ、今のがフライングだと言い切れないのだ。裁定を下すはずの彼らでさえ目で見た限りではわからず、機械が判断したから正しい、としか言いようがないのだから、こんなおかしなことはない。 そこで、現方式に変わる方式だが、例えば、スタートラインから体が出たかどうかを判定する機械を設け、スタートの合図より先に体の一部でもそこから出ればフライング、とすればどうだろうか。このやりかただと、後でビデオで見て明らかにそれとわかる。いくら選手が抗議をしたところで、白黒ははっきりとつけられる。
(3)フライングは、以前のように、一人の選手が二回フライングをしたらその選手は失格、というルールに戻す。 今のルールは、ただただレースの時間短縮を狙っただけで、前方式から比べて利点は何もない。よくもこんな改悪案が承認されたものだと驚嘆せざるをえない。さらに、レースにおいて実力的に自分が不利だと考える選手が、有力選手を振り落としたり、スタートダッシュをしづらくさせるため、わざとフライングをするという悪用もじゅうぶんに考えられる。
(4)スタートは、「用意」から「ドン」までの間隔を共通にする。そのため、「用意 → ドン」までを、録音された音を流すように変更する。 このやり方は以前にも提案されたことがあるらしい。しかしこれだと、スタートの合図を聞いてスタートするのではなく勘でスタートを切る選手が出てくる、という懸念の声が出て、結果、採用されなかったらしい。 でも、僕はそれでもいいじゃないか、と思う。体で「用意」から「ドン」までの間隔を覚えてスタートを切る、というのなら、それも立派な技術だ。もちろん、フライングのルールは上に書いたとおりである。だから、規定より早くスタートした場合はフライングとする。 「用意」の合図で体が静止しきらない選手も出てくるだろう。それも、上の(2)に書いたフライングのルールで吸収する。すなわち、体が前に出ていなければ、体が動いていてもよしとするのだ。
結局、ルールなんて、決めようと思えばいくらでも決められる。そして、「これがルールだから。こういうルールの競技だから」と言ってしまえばそれまでである。それでも、誰もが納得のできるルールであるに越したことはない。トラブルのたびに釈然としない思いを味わうのなら、競技をおこなう喜びも、競技を見る喜びも、薄れていってしまうかもしれない。そんなことは、誰も望んでいないはずなのに。 上に書いたのは、ほんの一案だ。選手や関係者が集まり、自分だけでなく、相手の選手にされたとしても納得のできるルールというものを検討し、策定してほしいと願う。
2003. 9/7(日) 何だこの観客と放送は
世界陸上の話を続けて。 先日書いた100m予選の話で、ちょっと論旨が外れてしまうためあえて書かなかったことがある。それは、観客のマナーのこと。
男子100mに限らず、トラックレースのスタートにおいて、いったん「位置について」がコールされたのにスタートができず、「位置について」が解かれる、というケースが頻出した。 スタートにおいては、観衆が静まらない限り、「用意、ドン」のコールは出せない。選手が聞き取れないおそれがあるからだろう。なのに会場の観客からの声援が鳴りやまず、やむなくやり直しとなることが今回非常に多かった。 会場では、トラック競技とフィールド競技が並行して行われている。100mレースをやっているすぐそばで、走り幅跳びや砲丸投げが行われていたりする。跳躍系の種目では、スタートする前に観客からの手拍子や歓声が鳴り響くことがある。有力選手や地元のフランス人選手の番になると特にそれは顕著になる。さらに、自分を奮い立たせるため、みずからそれをあおる選手も多く、このためトラック競技に影響が出る。大会ごとに何度か目にする光景ではあるが、今回はとくにそれが目立った。たび重なるスタート中断に対し、「またか」と顔をゆがめるテレビ視聴者は多かったはずだ。僕もその一人だった。
僕はまず、観客に対し、トラックレースのスタート時は静かにするようにというアナウンスをするべきだと思う。観劇の前に流される、「携帯電話のスイッチはお切りになって……」というのと同じパターンだ。全体の競技が始まる前の注意点として、そうしておけばよい。以前に二度ほど陸上競技を生で観戦したことがあるが、そういった注意は受けた覚えがない。さらに、なにか問題があった場合にはそのたびごとにアナウンスを行う。今回見ている限りでは、そういった放送は一切なかったように思う。 見に来ている客は、陸上にそれほど詳しい人ばかりとは限らない。スタート前の選手に激励の拍手や歓声を送りたくなる気持ちもよくわかる。だからこそ、選手や運営スタッフに迷惑になることを周知させ、選手も観客も気持ちよく競技を迎えることができるようになればと思う。
それにしても。 そうしたアナウンスが事前にされていなかったとしても。 100m予選での、あのブーイングは酷かった。
アメリカのドラモンド選手が不可解なフライング裁定により失格となり、中断のあと迎えた再レースのことだ。「位置について」のコールがされたあとに会場からブーイングが起こり、レースが行えなくなってしまった。フランス人が主体なのか、失格となったドラモンド選手を応援していたアメリカ人の観客が主体なのかは、知らない。それでも、もう裁定はくつがえるはずはないのにレースを妨害するなど、そのレースで走る選手たち、それから、そのあとに控えた女子100mの選手達にとってただ迷惑な行為でしかない。しかも、途中からはお祭り気分でやっているようにも思えた。僕はなにより、あのブーイングに不快感を覚えた。 あの時の観客の中で、裁定に不満だということを、運営者なり陸上競技連盟なりに正式に訴えようとした人がいるのだろうか。ただ口で「ブー」と言って指を下に向けるのは簡単なことだ。誰にでもできる。それで何か正義感にでものっとった行いをしている気分になっているのだとしたら、非常に不愉快で、唾棄すべきことだ。
……
文句を書いたついでに、今回の世界陸上に対する不満をここで晒してしまおう。 まずは実況。女子100mで優勝した選手の名前を間違え大ひんしゅくを買ったアナウンサーは、最終日、女子マラソンで日本選手が獲得した銀メダルを、「銅メダル」と言い間違えた。ほかにも彼は競技全体において言い間違いが非常に多く、耳障りなことこの上なかった。 それから、インタビュアーのTさん。彼女は、大会を通じて同じ間違いを繰り返し、何も学ばないまま終わった。会場では大歓声で声が聞き取りづらいため、声を張り上げなければならない。最初からそれは経験していたはずなのに、ずっとぼそぼそ声で話し続け、選手から聞き返される、という醜態を繰り返した。さらに、直前に命じられたインタビューではなく、事前に聞くことを検討しておく余裕はじゅうぶんあったはずなのに、いつも質問の内容は同じで途中でネタ切れになって詰まる、という馬鹿馬鹿しさだった。直そうと思ってできなかった訳ではなく、直そうという意志がなかった。誰にも指摘されることはなかったのだろうか、と不思議に思うくらいだった。 パリのスタジオは、現地在住のAアナと、元陸上選手のKさんのコンビ。Aさんは新人アナウンサーかと思うくらい全く進行ができず、見続けるのがしんどくなる内容だった。サブトラック情報を伝えてくれる元シンクロ選手のKさんのはしゃぎぶりというか意味ないパフォーマンスも、僕はあまり好感を持てなかった。 さらに、東京のスタジオ。織田さんの司会ぶりは僕は大好きだが、だんだんブレーキがきかなくなっている。今回は、ちょっとこれはいただけないな、という発言が何度かあったし、終わったばかりのレースについてコメントも言わず、次の目玉競技に話題を向けているのにも、ちょっとしらけることがあった。
2003. 9/19(金) 一本の電話から
早朝の電話で起こされる。かけてきたのは母親だった。7時半という尋常ではない時間の呼び出しに、数年前父が倒れた時の記憶がよぎり、身構えていると、親戚の伯父さんが亡くなったという知らせだった。父の兄にあたる人で、僕はほとんど面識がなく、話を聞いてもとくべつ気持ちが動くことはなかった。それでも、今日中に帰ってきてほしい、と言われたので、ぼやけた頭のまま「うん」と答え、電話を切ってしばらくしてから、本格的に帰る準備をはじめた。
東京に行く時に使ったキャリーバッグは、昨日ようやく押入の一番上の段によっこらしょと担いで入れたのだが、一日で早くも再登場することになった。礼服は、会社時代に買って十年ほども着ていないのがクローゼットにぶらさがっている。ネクタイや靴下もたしかこの服を買ったときセットで付いてきたはずなのに、いくら探しても出てこない。考えていくと、引っ越しの際に、もう使うことはないだろう、と捨ててしまった記憶もある。靴下は適当なものでごまかすとして、ネクタイだけは買わなくてはいけなさそうだった。 無職の身とはいっても、いろいろとやることはある。向こうでの作業用としてノートパソコンや資料なんかもバッグに詰め込む。さらに下着や着替えや洗面道具や文庫本などを礼服セットと一緒に入れると、数日の予定にもかかわらず、そこそこ重い荷物ができあがる。
次には切符の手配である。実家方面に行くには、最近はたいがい金券ショップで近鉄の丸得切符を買う。ただし、前に買った店は栄にあり、これだと名古屋駅に向かう途中で地下鉄を降り、荷物を転がして買いに行ってまた地下鉄に戻る、というめんどくさいルートをとらなければならない。このためだけに駅のコインロッカーを使ったりするのもばからしい。最寄りの駅から名古屋駅までは直通の地下鉄一本で行けるし、荷物も重たいから、できればチケットは家の近くで事前に買っておきたい。 別の金券ショップが、家から車ですこし行った場所にある。ここでは昔、近鉄の普通電車のチケットを買ったことがある。しかし、電話で在庫の確認をし、値段を訊くと、3500円だと言われた。栄の店だと3200円で買えるから、往復分で600円も違うことになる。 しばらく迷った。めんどくさいけど値段は安い栄の店で買うか、高いけど事前に用意しておける店で買うか。さらに、ネクタイも買う必要があるため、栄の金券ショップのそばでは適当な店がなさそうで、これをどこで買うかも検討しなくてはいけない。いろいろと考えながら、他に金券ショップはないか調べていると、家のすぐ近くに3150円という最安値で売っている店があった。近くにはスーパーもあるから、ネクタイも買える。これでようやく決定し、すぐさま車を飛ばしてこれらを手に入れた。
東京から帰った疲れも残るままこうした作業をつづけるうち、僕はだんだんと苛立ちが募ってきていた。もともと思い入れは全くない人のことだから、葬式に出たいという内からの欲求はない。なのに僕はこれから面倒な思いをして実家に戻り、面倒な一連の成り行きを済ませなければならない。なによりそうやって、自分ではやりたくないと思いながらやろうとしている自分はいったい何なのだろう、という思いが募り、情けない気分になってくる。いつだって、自分が納得できないまま自分以外の何物かに動かされて行動するというのは、不真面目で無責任なことだ。真っ当に考えたすえ、行く必要がないと判断するなら、行くべきではない。それなのに僕は……、という思いが頭について離れない。
買い物を済ませて帰ってくる頃には、すでに正午を回っていた。これから2時間ほど近鉄特急に乗り、そのあと大阪駅に出て、新快速で姫路に向かう。家まで行くには、さらにそこからローカル線に40分ほど乗る。遅くなると通勤ラッシュに巻き込まれてしまうから、そろそろ出発しなくてはいけない。 戸締まりをし、荷物を持って玄関を出る。鍵をかけようと鍵穴に差し込んだとき、ふと気がついた。 ――そうだ、香典用意しなきゃ。 そう思った瞬間、僕がこの日、朝から抱き続けてきた違和感が、形をなして目の前に現れた気がした。僕は鍵穴から鍵を抜き、玄関先に荷物を置いたまま立ちつくした。 大人になってから親戚の葬式に出た覚えはないから、こういう立場で香典が必要なのか、必要ならいくらが妥当なのかよくわからないし、なんにしろ香典袋などは持っていないから、これから用意しなくてはいけない。いや、きっと両親がそのあたりは承知していて、僕のために香典袋にお金が入った状態で手渡してくれるだろう。でもそれはかなり屈辱的なことで、僕はもしそうされたら断るだろうし、葬式には出るが香典は出さないでおこうか、などと思ったりもしてみた。 そうした諸々を考えていくうち、帰省する気はすっかり失せてしまっていた。荷物をひきずって玄関の中に引き戻し、パソコンのある部屋で椅子に座ってしばらく思いをめぐらせたすえ、バッグから荷物を取り出し、部屋着に着替えた。
引っかかったのが香典、というのには、理由がある。 以前に知り合いの結婚式に出たとき、祝儀をいくらにするか、さんざん考えたことがある。祝儀の意味するところは様々だろうが、僕は、おめでとうという気持ちをお金に換えたもの、と思っている。食事や会場などを用意した側に対する会費のようなものだ、という人もいるが、それなら潔く会費制にすればよい。これだけの式でこれだけの食事を用意してやったからそのぶんを祝儀としてよこせ、という考えには納得できない。 新郎となる彼とはそれほど親しい付き合いがあったわけではなく、僕は、自分の気持ちをいくらに置き換えることができるのか考えた。当時の相場は、2万円から3万円だった。それでも僕には、2万円という金額すら、とうてい納得できるものではなかった。もちろん、2万円を出したところで生活にはまったく響かない。それでも僕は、というか誰でもがそうであるに違いないのだけれど、自分の納得できないお金は1円だって払いたくはない。道を歩いていて見知らぬ人から千円くれと言われて、千円なら払えるから払うかと言ったら、誰もそんなことはしないだろう。それと同じだ。 じゃあいくらなら払えるのか。考えに考え、僕は、1万円なら執着なく出せる、と結論した。そして僕は1万円を祝儀袋に入れ、彼に渡した。たぶん、そんな金額を入れてきた人は僕くらいのものだったろう。渡すとき、かなり緊張した。こんなことでほんとにいいんだろうか、恥ずかしい、という気持ちがどうしてもあった。それでも、そういう考えを押しとどめ、僕は1万円の祝儀袋を渡した。そうするのが大事なことだと思ったからだ。 仏教には「浄財」という言葉がある。お布施をする時などに使われる、けがれのないお金、執着のないお金のことだ。お布施で渡すのはこの、「浄財」でなければならない。それを渡すとき、「もったいない」「ほんとはあげたくない」という気持ちがその人にあれば、そのお金は浄財ではなくなる。汚れたお金は渡してはならないのだ。そうした考えも、僕の行動を後押ししてくれた。 僕の渡したお金は、他の人よりも額はすくないかもしれない。でもこのお金には「結婚おめでとう」という曇りのない気持ちが詰まっているのだ、と胸を張って言いたい。
その時のことが、一瞬にして頭に浮かんだのだった。伯父さんが亡くなったことに対して、かわいそうだとか、冥福を祈る、という気持ちは僕の胸には湧かなかった。それは、会ったことのない人の死に何の感慨も抱けないという、誰もが感じる気持ちと一緒のはずだ。だから、さっきの祝儀の理屈でいえば、香典の額はゼロだ。そしてさらに、めんどうな思いをして、お金をかけて実家に帰るということも不条理だということになる。 荷物がかたづいたあと、僕は実家に電話をかけた。電話には誰も出ず、僕はまた夜にでも電話をかけることにして、いつもの日常をそこからはじめることにした。それでも頭はまだ、このことについて考え続けていた。
どうしても、祝儀や香典のことに考えがいってしまう。 祝儀を出すのがもったいない、という話はよく聞く。「今月、友だちの結婚式が重なっちゃってさあ、参っちゃうよ」なんて言葉も、よく耳にする。気持ちはわからないでもないが、いったい、結婚おめでとうという気持ちはあるのだろうか、と疑いたくなる。 そもそも、祝儀をいくら出すのか、決めているのは自分だ。嫌なら払わなければいい。それでも払わないわけにはいかないし、今後の付き合いもあるし、人より額がすくないのもまずいし、云々という自己議論のすえに、払うと決めたのは自分なのだ。払わないとか、金額を少なくするという選択肢は確かにあったはずなのにそれを選ばず、その金額を払うという選択肢をとったのは、自分自身なのだ。そのことだけは自覚したほうがいいと思う。 香典も同じことだし、そもそも披露宴や葬式に出る、ということの意味合いからしてそうだ。だいたい自分自身の行動に無頓着な人は多くて、結婚を祝うために披露宴に出る、亡くなったひとを弔うために葬式に出る、というのが本来の意味であるはずなのに、暑いさなかに式に出ていって、「ああもう、このクソ暑いのにまったく」なんて言っている。だったら出なければいいじゃない、それで、そんな暑い時にでもやっぱり出たいと思う式に出ればいいじゃない、と思ってしまう。
朝早くからはじまり、延々つらつらとそんなことを考えた一日だった。しかし、まだ話はつづきがあった。 親に説明するのもそれなりにエネルギーがいるから、重たい気持ちをずっと抱えていたら、夕方に向こうからかかってきた。母親は、 「やっぱり、出なくていいから」 と言った。どうも、おなじく甥や姪にあたる人たちが出ないことがわかり、それなら僕も出なくてもいいということになったらしい。 なんだそれは、と思った。わざわざ名古屋から兵庫の実家までお金と時間を割いてまで「帰らなきゃいけない」という言い方をしておいて、それは単なる親戚に対する体面だけの理由であって、他の人も出ないとなれば「出なくてもいい」となる。まさに、今回の一件の核ともなる言葉だった。「ああそう」と僕は電話を切り、同じようなことがあっても次はきっぱりと断ろう、と強く思ったのだった。
2003. 9/20(土) 結果
カード会社から、報告書が届いた。7月にカードの不正利用にやられたことを書いたが、その調査結果である。文面は簡単なもので、 「先般よりご照会いただいておりました下記の海外ご利用につき、現地カード会社からの資金回収が成立し本件解決となりましたことをご報告申しあげます」 というものだった。
どうやら僕は支払わなくてもよいということらしいが、なかなかにわかりづらい文章である。そこで念のため、カード会社に詳細を確認してみた。 調査、とはいっても現実は機械的な手続きであり、言葉から連想される、ちょっとわくわくさえするような、事件捜査みたいなものでは決してない。 今回おこなったのは異議申し立てという手続きであり、請求されているようなカード利用の事実はないということを、請求先の会社に伝えるものだ。これについては一定の期間が設けてあり、その期限内に、請求した側から「いや、やっぱりこの人が購入したものだから、払ってもらわなくては困ります」という返答がなければ支払わなくてもよい、というルールになっているようだ。 カード会社側でわかっているのは、異議申し立てを行い、一定期間が過ぎても相手から何のアクションもなかった、ということだけである。どうして今回のようなことが起こったのか、誰が、どういうやり方で僕がカードを使ったようにみせかけたのか、そのあたりをぜひ聞いてみたいところだったが、そんな情報はカード会社からはまったく得られないのだった。
また同じ目にあったらどうしよう、という不安は残るものの、今回はカード番号も変更したことだし、まあとりあえず一件落着としておこう。
2003. 9/23(火) もう一人のチャーリー
チャーリーからメールがとどいた。7月の雑記に書いたとおり、ナイロビで僕のガイドをしてくれたチャーリーに手紙を書いたから、「Photosfrom Charlie」という題名のメールを受け取ったとき、その返事が来たのだと思った。 内容を見ても、アフリカの旅行の話が書いてあって、やっぱり、と思ったのだが、よくよく読むと、タンザニアでの話が書いてある。 ナイロビのチャーリーではなかった。タンザニアのツアーで一緒になった、アンダスタンだった。
アフリカ旅行記へのリンクは外してあるからすこしだけ説明すると、アンダスタンというのはドイツ人で、もちろん本名ではない。彼もまたチャーリーという名前で、48歳のおじさんである。3月に行ったアフリカ旅行の現地ツアーで一緒になった。なにかにつけては文句を言い、ケニアのサファリはこんなに素晴らしかったが、今回はここがいけないあれもいただけない、と旅の道中、けちのつけ通しだった。僕は彼にうんざりしてしまい、途中からは、何を言われても「はい、はい」と適当に受け流し、取り合わないことにした。彼の口癖は、何かをしゃべるたび語尾に「〜ドゥーユーアンダスタ〜ン?」をつけることだった。僕は心の中で一人、彼のことを「アンダスタン」と呼び、別のツアー客に向かって言わなくてもいいことをしゃべりはじめた時など、「ま〜たアンダスタン、余計なこと言ってるよ」、と心でつぶやいたものだった。
タンザニアでは、そのあと今度は一人きりでサファリにでかけ、さらにケニアでもまた別のサファリツアーに乗ったりしていろんな人に出会った。そこで感じたのは、本当に動物が好きでサファリに来ている人は案外すくない、ということだった。とくに、道中で出会った数人の日本人についてはそれを強く思った。とにかくアフリカを縦断する、というのが目的の人ばかりだったせいかもしれないが、彼らは、「アフリカに来たらやっぱりサファリには行っとかないと」という程度で、なにか義務的な予定を消化するような感じでサファリに来ていた。珍しい動物を見れば立ち上がって写真を撮ったりするが、それ以外は、旅をそれほど楽しんでいるようには見えなかった。 外国人についても同様で、僕が、目の前の景色を一時も逃すまいと窓の外にへばりついているような時にも、他の人は本を読んでいたりして、旅に対する思い入れの違いを痛感することもあった。 そうして、一緒にいる時にはあまり良く思わなかったアンダスタンのことを、あらためて思い返した。彼は文句を言いながらも、サファリをちゃんと楽しんでいた。動物を見ることについて他の誰よりも真剣で、貴重な動物やすばらしい風景に出会った時には素直に目を輝かせ、感嘆の声を上げていた。
もらったメールには、簡単な文章と、役立ちそうなリンクが紹介してあった。(どれも英語かドイツ語なのでたぶん使えそうにはないのだけれど。)メールアドレスは最初に会った時に交換しあっていた。 それで、つづいて届いた二通目のメールに、添付で写真が2枚ついてきた。旅の途中で撮ってくれた、僕の写真だった。なんと、400万画素の画像だった。彼がいつも使っていた、(そして自慢していた、)小さいけれど性能の良いデジカメを思い出した。
メールをもらったのは一週間ほど前で、今日、ようやく返事を書いた。簡単な文章なのに辞書を引き引き、英語でつづり、写真を何枚か添付した。セレンゲティ国立公園のゲートの広場でアンダスタンがのんびりバナナを食べている写真は、銀塩プリントからスキャナで取り込んで添付した。 タンザニアでのツアーを終えたあと、翌日の朝食の席で彼と一緒になった。これからさらにアフリカを南に下るつもりだ、マラウィあたりはとくにきれいで最高なんだ、と言っていた。今頃はどこにいるのか、メールを送ってくるぐらいだからドイツか、療養中のタイに戻ったのかもしれない。(彼は自動車事故で会社を辞め、今はタイに住んでいるのだ、と言った。) 返事を書くために、また写真を見直し、自分の書いた旅行記を読み直したりした。いい旅だったなあ、という思いがあらためてはっきりと胸の中にわいた。
2003. 9/25(木) 熊よけ
今度は北海道の人からメールを頂いた。見覚えのない差出人とタイトルからスパムかと訝しんだが、内容を流し見すると、「犬の鳴き声を利用させてください」という旨で、やっぱり自分には関係ない、と削除しかけたところでもう一度よく内容を読み、ようやく理解した。
このサイトの動画のコーナーに、カナダの動画が載せてある。そこにある「犬舎の犬たち」という動画に収録されている、犬の鳴き声のことだった。 メールを下さったのは北海道開発局の方で、ダムに勤務されているらしい。ダムの近辺には熊が出没し、熊を回避するためには犬の鳴き声が有効らしく、僕の作ったこの動画の音声を使わせてほしいという依頼だった。 それにしてもよくここを見つけたなあ、と思った。べつに犬や鳴き声がメインのサイトでもないし、検索で簡単にみつかるとも思えない。 とにかく、内容がわかれば断る道理もなく、僕は、使ってもいいですよいう返事を出した。するとまた丁寧なお礼のメールが送られてきた。あの音声は、ダムから放送で流されることになるらしい。 不思議な気持ちになる。まさかそんな風に使われるとは思ってもいなかった。それでも、役に立っていただけるなら、嬉しい限りである。サイトを管理し、情報を発信する側の立場として、充実した気持ちになる一件であった。
2003. 9/30(火) 型破り
宅間被告の死刑が確定した。弁護団が行っていた控訴は、宅間被告自身によって取り下げられた。僕はそのニュースを聞いて、ああそうだよね、それが順当な判断だよね、と感じた。 前に読書感想で書いたように、僕は死刑賛成派だ。死刑制度が完璧だとも思わないし絶対に正しいことだと言い切るつもりもないが、人を殺した人間は死刑に処せられる、というのが一番妥当で納得できる処置だと思うからだ。 一審で死刑が確定するというのは相当に珍しいことらしい。いいじゃない、なにしろ裁判なんて他にも山ほどあるのだから、早々に決着がつくならそれに越したことはないだろう、と僕は思うのだが、弁護団は、被告自身の意向に反してまで控訴を要求した。そんなことが法的に有効なのか、という思いと同時に、なぜそんなことをする必要があるのか、という疑問が湧いた。 僕は法律には疎いのでこれは素人的で稚拙な見方かもしれないが、そもそも今回の児童殺傷事件やオウムの松本被告など、重罪を犯しているのが明らかな場合でも弁護士がついて弁護を行うということ自体がどうにも腑に落ちない。ただ裁判をややこしくして長引かせているだけで、無意味なことのように思えてしかたない。世の中には真偽を見極めるべき事件が山のようにあるというのに、やらなくていい弁護までやっているように思えてしかたない。
弁護団は、控訴を行う理由を三つ挙げている。Yahooニュースから引用すれば、次のようなものだ。
(1)責任能力について十分に解明されたとは言えず、二審でさらに詳細な調べが必要 (2)責任能力があったとしても、被告に贖罪(しょくざい)の意識をもって刑に服してほしい (3)死刑執行にはより慎重な審理が必要で一審で確定させるのは問題
最初の項目については、僕には判断できない。刑事責任能力の有無は裁判での唯一の争点だったらしいが、何をもって責任能力があると判断するのか、僕はよく知らない。ただ、精神鑑定は二度おこなわれ、いずれも「クロ」と判定されたことは事実だ。想像するに、弁護団側でも、何をもって「十分に解明」されたかの定義はなく、ただ単に控訴するためだけに適当な言い訳を用意したに過ぎない気がしてしまう。 二番目については、法を無視している、というか死刑制度そのものの否定である。贖罪を期待するにも値しない罪だと判定された時に死刑判決が下されるのではないのか。 三番目については、言いたいことはわかる。今回のことを認めたら、この先、一審での死刑確定がぽんぽん出てしまう、それは危険なことではないか、という意味だ。しかし、それはお門違いである。被告本人に控訴する意志がない、という重大な点が抜けているのだ。今回の判決で、今後の裁判模様が変わることはないだろう。
さらには、どこかの臨床心理士だかが宅間被告と面会し、控訴するよう説得した、というニュースも見た。いったい何をどうしたいのだろう。人を死なせないことがいつでも必ず良いことだ、とでも言いたいのか。 僕が感じたのは、型にはまらないものは受け入れず、自分達の思考形態に合わないものは排除しようという、根強く残っている日本人的な考え方である。つまり、死刑判決を受けたら控訴するのは当たり前なのである。そういう筋書きなのである。なのに、被告が一審での死刑判決を受け入れるという、常ならない事態が起こったものだから混乱してしまった。これはなんとしても、「型」にはめなければいけない。被告たるもの、死刑に納得しちゃいけない、命は粗末にしちゃいけないのだ、となる。
ここ二カ月ほど、ずっと読み続けている本がある。「死刑執行人の歌」という、殺人者ゲイリー・ギルモアについて書かれたノンフィクションである。彼は1976年に二人の人間を殺し、死刑を求刑された。彼はそこで控訴を行わず、さらに、長らく死刑執行が行われていなかったアメリカにおいて、みずから死刑執行を願い出た。常人とはかけ離れた彼の振る舞いに世間は騒いだ。そしてやはり、彼の弁護団は被告の意志に反して控訴を要求した。 さっき、「日本人的な考え方」と書いたが、訂正しなければならない。型にはまらないものを受け入れない、というのはアメリカでも同じであった。被告本人が、与えられた罰を受け入れると言っているのに、周りの人間がなんとしてでも死なせないようにする。そんな様が滑稽なまでに描かれている。
宅間被告に、それほど憎しみや同情があるわけではない。ただ、周りはもっと素直に受け入れればいいじゃない、と思うだけだ。「お前は死刑だ」と宣告し、「ははっ、わかりました」と頭を下げた。それだけのことではないか。いつもより手間が省けてよかった、くらいに思ってもいいかもしれない。なるべく機械的に事務的に手続きを済ませればそれでいい。どうも、よけいなことに手を割いて、もっとやらなければならないことがおろそかになっている気がする。宅間被告に控訴を勧める暇があるんだったら、未解決の事件の捜査にもっと力を注げよと言いたい。
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