silly silly
追い掛ける事ばかりに必死で。
決して後ろを振り向かず己を信じて突き進むその誇り高き背中を。
どうにかして追い付きたくて。
周りなんか気にも止めないで歩調も変えず歩き続けるその背中に。
バカだと言っていいのは自分だけだ、その台詞はしっかり覚えている。覚えているのに、何度それを口にしただろう。そうやって何度不機嫌な顔を目にしただろう。それでもその時だけは、こちらを見てくれるのだ。
振り返れ。
振り返れ。俺を見ろ。
振り返れ。
「バカじゃねぇの?」
「ああ?」
また口にしてしまった。煙草を銜えたままの俺を、ゾロが不機嫌な顔で睨み返す。
「耳までバカか。」
そんなものが自分にあっても怖い気もするが、全く可愛げの無い態度だと自覚はしている。甲板にもたれ掛かって座っているゾロの頭には白い包帯が巻かれている。数日前他の海賊船とちょっとやり合った時の怪我だ。ちらりとそれを見てひとつ呆れたような溜息をついてやってから、ほぼ快晴に近い空を見上げた。
「何が言いてぇんだ、てめぇ。」
低い位置から、低い声が返ってくる。
「お前はバカだって言ってるんだ。」
「...てめぇ、前に言った事忘れたのか。俺にバカだって言っていいのは...。」
「覚えてるよ。」
ゾロの言葉を遮るように口を挟んだ。
「覚えてるけどな、やっぱりバカだって思う奴にバカって言って何が悪いんだよ。」
「バカバカってうるせぇよ。だから何が言いてぇんだ、てめぇ。」
眼光鋭く睨み付けてくるゾロをまたちらりと見下ろして、俺はその白い包帯を軽く指で突いた。優秀な医者であるチョッパーにしっかりと結ばれた包帯は、それくらいでは簡単には解けない。
「また怪我してやがる。」
先日の相手は大した奴等じゃなかった。ただ人数だけは多かったが。
「てめぇこそ。」
確かに。俺の頭にも、まるでゾロとお揃いみたいに包帯が巻かれている。
「俺はいいんだよ。別に。てめぇとはポジションが違う。」
「ああ?どういう意味だ、そりゃ?」
紫煙を空に向かって吹き付けて、俺は大袈裟に肩を竦めてみせる。
「てめぇってさぁ、世界最強とやらを目指してるんじゃなかったっけ?」
「...それがどうした。」
「バッカな夢だなぁって思ったこと無ぇ?」
「......。」
「何をもって世界最強なワケ?ミホーク倒したらそれで終わりか?それとも世界中の剣士全てぶっ倒したらそれでいいのか?それって実現可能なワケ?」
あまりにも漠然としたゾロの夢、不明瞭でこれといって為すべき事ははっきりしていないように見える。
「強くなるって、それにしては下らねぇ奴等に怪我させられたりしてるしさ。てめぇ、本気でその夢追ってんのかよ。」
「......。」
やや下方から感じられるゾロの気配がピリピリしてきた。直接顔は見ていないが、きっと眉間にすごい皺を寄せて俺を睨み付けているのだろう。
「なあ、たまには不安にならねぇ?」
その当ての無い未来に、遠過ぎる目標に、靄がかる先に。どうしてそうまで真直ぐに突き進んで行くことが出来るのだろう。
「迷うことは無ぇのかよ。」
「在る、って言って欲しいのか?」
ビクリ、と俺の身体が震えた。驚いたように見下ろして見たゾロの顔は、想像していたように怒ってはいなかった。どちらかと言えば薄く笑っていた。
「迷うことだって、不安になることだって、諦めそうになることだって在る。」
「......。」
「って、言って欲しいか?」
俺はつい黙り込んでしまう。ゾロは真直ぐに俺を見つめていて、反らすことも誤魔化すことも許されないように思えた。
遠い背中。たまに無理矢理振り向かせて、見せるその眼は直視できない程眩しい。
なんて、遠いんだろう。
俺が返答に詰まっていると、親父くさい掛け声と共にゾロが立ち上がる。そして、俺の横に立って同じように快晴の空を見上げた。
「...バカな夢だなんて、自分でも思ってる。前にもそう言ったろ?」
「ああ...。」
隣のゾロの眼は青い空に向けられているけれど、本当は何を映しているのだろう。
「何をすりゃいいかなんて、はっきりした事は俺にも実はよく解らねぇ。でも。」
「でも、迷ったことは無ぇ?」
俺がそう言えば、目線がこちらを向く。そして、ニッと笑った。
「よく解ってんじゃねぇか。」
そりゃそうだ。だって、俺はずっとてめぇの背中ばっかり見てきたんだ。真直ぐで、しっかりと地を踏み締めて揺らぐことのない背中。幾ら走っても、手を伸ばしても届かない。出会った時からずっとそうだった。苛ついて、それでいてひたすら羨ましく思った。追い付きたい。追い付きたい、その隣に並ぶことが出来るなら。
俺を、見てくれたなら。
俺はてめぇと同じくらいバカだけど、てめぇほど真直ぐバカなままじゃ居られねぇんだ。時々夢が霞んでしまう。迷いが出てしまう。夢の存在、疑わないけれどたまに手が空を切るんだ。何も掴めずに。...てめぇの背中にも届かずに。
「サンジ。」
呼ばれた名前に驚いて、俯いていた顔を上げる。ゾロが俺の名前を呼ぶなんて、滅多に無いことだった。俺とゾロの間には煙草の煙が揺らめいていて、それを邪魔そうにゾロが取り上げて海に捨てた。
「解ってるんだろ。」
「...何を?」
まだ大分残っていた煙草を捨てられたことを、表面的には不貞腐れたように顔を作ってみせる。煙草は俺の素面 を隠すアイテムなのだから、それが無いと落ち着かない。
「てめぇだってバカだろ?」
「......。」
真直ぐな眼が痛い。ポケットからくしゃくしゃの箱を取り出して、新しい煙草に火を点けようとする手を止められる。
「てめぇこそ、どうして夢持ってられる?言っておくが、てめぇの夢の方がバカみてぇだ。」
「...なんだと、てめぇ...。」
思いきりゾロを睨み付けてやれば、動じた様子も無くゾロは笑う。
「だってそうだろ?在るかどうかも解らねぇようなモンを追ってられるてめぇの方がバカだ。」
「......。」
バカバカと繰り返されて、本当なら腹が立ってもおかしくない筈なのに、何故かそうはならなかった。言葉はそうでも、決してゾロが俺のことをバカにしてるのでは無いと解った。同じだと解った。...俺が、ゾロをバカだと言う、その気持ちと。
「同じ、ってか?」
「そうだろ?確信が無いモンだから、時々は不安になる。それでも、てめぇは信じてるんだろ。」
夢の在り処を、その海の存在を、疑うこと無く。
「...当たり前だろ。在るんだよ、絶対。」
「な?そういうことだ。同じなんだよ、俺等は。」
「同じくらいバカだってことか。」
「そうだな。」
煙草も無いまま、何故かずっとゾロと眼が合わせられた。真直ぐな眼、俺もそうゾロに映ればいい。
「じゃあ、やっぱりてめぇもバカだろ。バカだって言わせろよ。」
「何だよ、その屁理屈は。」
呆れたようなゾロに笑ってやる。
「ば〜か。」
ゾロは肩を竦めて大きくひとつ伸びをして、身を返す。
「まあ、いいか。俺と、てめぇからなら言われてもいいってことにしといてやるよ。」
背中から返ってきた声が嬉しかった。俺が改めて煙草に火を点けると、ゾロがキッチンに向かって歩き出す。
「喉乾いた。何かくれ。」
「おう。」
その背中は、手を伸ばせば余裕で届く位置にあって。あれ?と思う。俺とゾロとの距離ってこんなに近かったっけ?首を傾げる俺に、またその背中から声が掛かる。
「...俺もバカだから、信じてる。...絶対在るよ、てめぇの海...。」
必死で走って追い掛けて、周りが見えなくなっていたのは俺だったんだ。
ゾロの歩調は時々ゆっくりになって。
俺のことを待っていてくれたり。
引っ張っていってくれたり。
隣に居たり、少しだけ後ろに居たり、先に居たり。
時々くらいは寄り道したり。
いがみ合ったり、解り合ったり、気付けば一番イイ位置に居て。
同じ場所に居て。
背中に向かって呼び掛ける。
「ゾロ。」
ちゃんと振り返ってくれるその顔は少し照れくさそうだ。
「早く治せよ。」
頭の白い包帯を、また突つく。こんな些細な怪我さえ、ゾロの夢の為への布石にさえ思えた。
「てめぇこそ。」
そう言って突つき返された。
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