アンビエント・ディスタンス |
ナミは宮殿の書庫にいた。熱心に古い本を読んでいる。 アラバスタに平和の雨が降って数日。 この国のすべてがもとどおりになるのはまだまだ先だけれど、その日は確実にやってくる。 今回の戦いではナミも怪我をした。ミス・ダブルフィンガーの刺に、足を貫かれた。 もちろんすごく痛かったけれど、ナミにとっては、ビビのために進んで戦うことを望んだナミにとっては「名誉の負傷」とも云えるもので、気にしてなどいない。 みんなそれぞれに怪我を――一般的に云えば間違いなく「重傷」と云われるような怪我をしているので、ナミの怪我は軽い方だ。 戦いが終わってとりあえず落ち着くと、チョッパーがみんなを診てまわったが、最初の診断から絶対安静を云い渡されなかったのはナミとビビだけだったのがそれを証明している。 …ただ、小さな船医の云うことを聞く人間は誰もいない。 ルフィだけはまだ眠り続けているので彼の手を煩わせることはなかったが、他の3人についてはチョッパーも少し諦めているらしく、「動いてもいいから、朝昼晩3回必ず診察するからな!絶対この部屋に戻って来るんだぞ!」と懸命に怒鳴っていた。 ある意味でみんなチョッパーに甘えてしまっているのだ。 優秀な医者がそばにいるのだから、多少のムリをしても平気だと。 (でももうちょっと云うこと聞いてあげないと気苦労が絶えないわよね、チョッパーも。特にバカ2人…) つらつらと考えながらページを捲っていると、控えめなノックの音が聞こえた。 ナミはきょとんとドアを見つめる。 この書庫は基本的に王族しか立ち入りが許されていない。だからノックをして入るような人間はいないし、第一、書庫に入るのにノックをする必要があるだろうか。 ナミにはドアの向こうにいるのが誰だか判ってしまった。 「はい?」 ソファに寝そべっていた姿勢を正すことなく返事をする。 「ナミさん?入ってもいい?」 「どうぞ」 こんな断りをナミに入れるのは、ただ1人なのだ。 そっとドアを開けると、予想通りにトレイを持ったサンジが入ってきた。 「ビビちゃんがここだって云ってたから。ドリンクをどうぞ」 サンジが渡してくれたグラスにはきれいな色をした飲み物が入っている。 ありがとうと云って一口飲むと、後味のすっきりした甘さが口の中に広がった。 「これ、サンジくんが作ったの?」 「そう。暇だったから厨房借りて作ったんだけど…お口に合いませんでしたか?」 「いいえ。すごく美味しい」 『暇だったから』なんて。 仮にも医者に絶対安静を云い渡されている怪我人が云うことだろうか。 そのことには触れずに、まだ立ったままのサンジを見上げた(きっと彼はナミがいいと云うまでそのままの姿勢でいる)。 トレイにはまだ何かが乗っていた。 「それは?」 サンジはナミの視線を辿り、トレイを見つめる。 「あ、俺の本来の用事です。チョッパーから痛み止めの薬と塗り薬預かって来たんだ」 ナミは水の入ったコップとカプセル状の薬を受け取った。 「チョッパーのところに行ってきたってことは、ちゃんと診てもらったの?」 「俺は最後みたいです。厨房からあの部屋に行った時にはウソップが大げさに喚きながら診てもらってたし、ゾロはそれが終わるの待ってたから」 もう何ともないんだけどね、とサンジは肩を竦める。 何ともないはずはない。 「あと塗り薬でしょ」 トレイに手をのばすと、ナミよりも早くサンジの手が塗り薬の容器を取った。 「俺がやりますよ」 何故サンジはナミに対してこうも恭しい態度を取れるのだろうか。 いつでもナミやビビを最優先するワリに、下心はあまりない。…おそらく。 女性に優しくするのが好き。人の面倒を見るのが好き。 そういう人間だから。 「そう?じゃお願いしようかな」 「はい」 だから、ナミは躊躇うことも警戒することもなくサンジと付き合える。 サンジはナミの足元に身を屈めて、包帯を取った。 テープで止めてあるガーゼもはがす。 チョッパー特製の化膿止め塗り薬は膏薬タイプのもので、ガーゼに塗って患部に当てるものだ。 ガーゼから落ちて皮膚にこびり付いている薬を丁寧に拭き取る。 「痛くありませんか?」 「平気よ」 普段の、ナミに接する時のヘラヘラした表情ではなく、とても真剣な顔をしている。 いつもこんな顔をしてればいいのに、とナミは思わなくもない。 サンジは新しく持ってきたガーゼに薬をまんべんなく乗せている。 「サンジくんの怪我はもういいの?」 骨を何本か折っているとチョッパーは云っていたが、サンジはよく動き回っている。 あれだけ血を流していたゾロもバカみたいに鍛錬を再開している。 ウソップはチョッパーの診断後ほんの何時間かおとなしくしていただけで、動き回る他のクルーを見て気が引けたのか、『動かないと死んでしまう病』に罹ったと包帯を外していた。何だかんだで負けず嫌いなのだ。 「問題ないですよ。アバラをほんの何本かですからね。背骨を折った時に比べれば全然。痛さって骨の太さに比例するのかな」 よく分からない理屈だ。 背骨は他の骨と違うからじゃない?とナミが云うと、あぁそうなんだ、さすがナミさん――と真剣な中にも、口元に笑みを浮かべる。 そう。サンジはドラムで背骨を折っているのだ。それに続いての重傷である。 背骨を折った時には流石に少しつらそうな表情をすることもあったが、ナミがそれを見かけたことはほとんどない。普段どおりに食事を作って忙しそうに動き回り、病み上がりだったナミを心配していた。 「でも無理しない方がいいわよ。骨がくっつくのが遅れたらいろいろ差し障りもあるでしょう?」 「大丈夫ですよ、回復がはやいのが取り柄ですから。…ナミさんに心配してもらえるなんて嬉しいなぁ」 自分は人の心配ばかりするのに、こちらが少しでもその素ぶりを見せるととたんに冗談めいた口調でごまかしてしまう。 これ以上何かを云ってもますますはぐらかされるだけだと分かっているから、何も云えない。 「包帯も新しいのに変えておくね」 ガーゼを几帳面にテープで固定して包帯をケースから取り出した。 真新しい包帯が足に巻かれていくのを見ながらナミは思う。 (私もサンジくんとの関係に乗っかってるけど、サンジくんもきっと同じだ) サンジはナミに甘い。甘いと云うよりも絶対服従だ。 そのことを分かっていてナミは彼を都合のいいように使う。 もちろんそれは、自分を特別扱いしてくれることが嬉しくて、と云うのも多分にあるのだが。 いつもいつも気を遣ってくれたり褒めてくれたり雑用を引き受けてくれたり。 お返しと云う訳ではないけれど、こちらがサンジに対して何かをしようとすると。 ――ナミさんのお手を煩わせることじゃないですよ。 ――ナミさんにお心遣いいただいて光栄です。 慇懃な態度で、やんわりとはぐらかされることが多い。 きっとナミがそうであるように、関係の距離感が楽しいのだ。 はぐらかされるのは、『これ以上は近づく必要がない』と云うサンジからの合図のようなもの。女に「素」のカオを見せるのを無意識の内に避けているのかもしれない。 ナミにそんなことはどうでもいい。 サンジにとってナミの役割はそういったものではないと云うことだし、それを望むこともしない。適役と云えるかどうかは定かではないけれど、すでにその役割の人はサンジに割り振られていることをナミは知っている。 (でも、だからってこの距離感に甘んじてるってのもねぇ…) 「さ、出来た。包帯きつくないかい?」 「ううん。大丈夫みたい。ありがとう」 「とんでもない」 彼曰く「レディ用」の笑顔を浮かべてサンジは立ち上がった。 一緒にナミも立ち上がる。 「サンジくん」 「はい?」 サンジの両肩に腕をかける。 軽く目を見開いているサンジを尻目に上目遣いで笑ってみせた。 「キスしてあげようか?」 「は…えぇっ?」 ――ほらね。 サンジの動転しているさまが、ナミには手に取るように分かる。 「お、お気持ちは嬉しいですが…人が来ますよ」 「じゃあ場所変える?」 「そうじゃなくて…」 ナミがこういう態度に出ることをサンジは全く考えていなかったようで、しどろもどろもいいところだ。 それは、ナミに対して好意はあり余るほどもっていても好意以上にはなり得ないと示しているようなもの。献身的な言動の「裏側」などと云うものは全くなく、見返りがほしいなんて考えてもいないのだ。 ナミはサンジが自分の思っていたとおりの態度に出たことが嬉しくて、――もう少し苛めてみたくなる。 「私のこと、嫌いなの?」 「まさか!」 じゃあいいじゃない――そう続けようとした時(云ったところで、本当にキスする気などさらさらなかったのだが)、今度はノックも何もなくドアが開けられた。 「おい、チョッパーが早く来いって――」 ドアから顔を覗かせ、部屋の中に入ってきたのはゾロだ。 2人の体勢を見てほんの一瞬表情が固まっていたが、何事もなかったようにサンジに目を向ける。 サンジはサンジで、ゾロが入ってきたことに慌てながらも、丁寧にナミの腕を自分の肩から外した。 「…いつまで遊んでんだ。次、お前の番だぞ」 「遊んでねぇよ。ナミさんの包帯を換えて差し上げて楽しく語らってたってぇのに、邪魔しやがって」 どこか居心地の悪そうな科白だとナミは思った。原因を作ったのは自分だという事実は棚に上げておく。 「いいから早く行け。かなり待たせてんだよ、てめぇは」 「ごめんね、サンジくん。引き止めちゃって」 「わーかったよ!行くからゴチャゴチャ云うなってんだ。あぁ、ナミさんは気にしなくていいからね」 言葉の前半はゾロに、後半はナミに。 机の上のトレイを持って、サンジはぎこちなく簡易の診察室に向かった。 あとにはゾロとナミが残される。 「さ、本読むの再開しようかな」 沈黙が訪れそうになった書庫に、ナミの声が白々しく響く。 ゾロが見ているのが分かったけれど、それは無視した。 ただ、本のページをめくりながらも神経を立ったままの剣士に向けていると。 何かを云いたそうにしていたくせに何も云わずに、ゾロはドアの方に歩き出した。 ゾロが部屋を出て行く間際を狙ってちらりとそちらを見やる。 口を真一文字に結んで、ひどく子供じみた表情をしていた。 あんな顔もするんだとナミが思っていると、鬱憤を晴らすかのようにバタンと勢いよくドアが閉められた。 「やっだ、けっこうあからさまに妬くのね…」 閉められたドアを見つめてナミは呟いた。 ゾロが入ってきたのは予想外のことだったけれど、からかい甲斐があったと云うか。 2人の滅多に見られないカオを見られてちょっと楽しくなってしまった。 またいつかやろうかしら、あぁでも警戒されるかな、サンジくんならそんなことないか、優先順位のいちばんは私なんだし、くすくすと笑いながらそんなことを考えて、ナミはサンジが置いていったドリンクに手をのばした。 |
20020719 初稿 |
2002/7/28UP
Replicant Kreuz(綵架さん)トコのサイト一周年記念DLF小説ですvv
奪ってまいりましたぁ〜!
ナミサンだぁ〜vと一人で喜んでおりました(^-^)うふふv
妬いているゾロがいいじゃないですかぁ(*^-^*)
綵架さん、掲載許可有り難うございます〜♪
*kei*