徳安(とくあん) 慶長8年(1603年)〜寛文8年(1668年)
 

大和国名張(なばり)郡で生まれる。1615年、12歳の時、大阪夏の陣の後の騒乱を避け、豊後岡藩(現竹田市)の藩医佐野卓節(伯父にあたる)の許に身を寄せる。長じて卓節から医業を学んだ。杵築に医師が少ないと聞いて杵築に移住し、医業を為した。「刀圭の妙、神の如し」と謳われたという。噂を聞いた藩侯小笠原忠知が、西町(現上町佐野家付近)に宅を与えて侍医として召し抱えた。ある日、往診の途中に出遭った僧より、「余子の顔貌を相するに仁徳あり。実に済生の器なり。」と告げられ、その秘蔵の医王尊像を授かった。これは今日も「薬師如来像」として佐野家の家宝となっている。

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