ニューヨークから、広島初のサルサライブ!日本初来日マイケル・スチュアートがコンサート。大成功に! 広島のボランティア・市民活動団体で実施する「ラテン・フィエスタ」イベントの一環で、広島初のNYサルサライブを1999年3月7日(日)夕方(ベスト電器ホール)で実施。約500名の参加の中、大変盛り上がり、大成功に終わりました。
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![]() ●コンサートの状況などは、こちらで紹介。 ![]() ![]() ![]()
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●MichaelStuart日本ライブのFeedback 1999.05.01 先日来日したMichael Stuart、日本の印象をアスーカル編集長吉田カヨさんがNY老舗中 の老舗Latin Quarterで聞かれたインタビュー記事です。 Kayo:まずは日本でのライブの感想を。 Michael(以下M):とにかく素晴らしかった。僕もすごくエキサイトしていたし、 思っていたよりもすべてが良かった。日本の人達は僕よりもうまくサルサを踊って いたよ。 K:でも私が前にインタビューしたときに、あなたはサルサを踊れないって言っ て、その記事を読んだ人がライブにいって、マイケルの踊りがうまくてびっくりし たっていってたよ。 M:違うよ。僕の方が驚いたんだから。彼らは本当に踊りがわかっているよね。う そじゃないよ!僕は彼らがあんな風に踊れるとは思ってなかったから、本当にびっ くりした。 K:こちらのライブではアーティストとお客さんのコミュニケーションがとても重 要視されているけれど、日本ではそのへんのところ何か難しさはありましたか? M:全然それはなかったし、NYなんかでライブをしているような雰囲気だった。彼 らは僕が何を歌っているかわかっていたし、彼ら自身が何を踊っているかというこ ともちゃんとわかっていた。僕なんて「WHAAAAT IS THIIIIIS!」って思ったよ。ラ テン世界とは程遠い国なのに、この人達はラテン音楽がわかってるんだなぁって 思った。彼らは僕よりもうまく踊るし、ファンキーだし、それにスペイン語、英語 がわかる人も多かったのには驚いた。あとは日本で働いているペルー、ベネズエ ラ、プエルトリコの人達にも会ったな。プエルトリコの人はアーミーの人だったん だけれど、「日本で何やってんの!」なんて話したよ。僕は本当にハッピーだっ た。コミュニケーションの面では全然問題はなかった。 K:日本で何か印象に残っていることとかはありますか? M:ライブで僕が歌いだしたときに、お客さんが座って僕の音楽をきいたこと。そ んなこと今までなかったから、なんか僕はとても感動して泣きたい気分だった。泣 きたいのか、ジャンプしたいのか、叫びたいのかわからなかったけれど、Wow!って いう気持ちだった。前にインタビューしてくれたときに、僕が「日本の人達は一番 だ」っていったの覚えてる?そのことをライブの時にもいったんだよ。きっと理解 してくれたと思うけど。 K:日本食はどうだった? M:すし、麺類、あと海産物も美味しかった。(スペイン 語でラパというものがとても美味しいといっていたのだが、私はラパが何かわから なかった。知っている人教えてください。カタツムリみたいだっていうんだけ ど。) K:日本のファンへメッセージを! M:(ラップ調に)Wait for me!! I will be there! I will be back! 今この瞬 間、今日にでも、一時間後にでも日本に行きたいと思っているよ。Right now!! In14 hours I will be there!!! 本当に日本を愛しているよ。日本で訪れた全ての 場所が素晴らしかった。皆すごく親切で、なんか僕なんて王様みたいに扱われたん だよ。とてもエキサイティングで愛がいっぱいの国だった。またきっと来年も行く かもしれない。本当に日本にまたライブで行くのが待ちきれない。とにかく僕を 待っててね。 ※赤字のところは、広島だけのことです!(ファシナシオン・ラティーナ) |
■マイケル・スチュアートコンサートを終えて(Masahiko Joguchi) 1999.3.7広島初の海外サルサコンサート「マイケル・スチュアート」ライブは、約500名の観客を集め最高に盛り上がった。生で見る本物の演奏に釘付け状態になりながらも、マイケルの掛け声に反応し会場が熱気ムンムン。そんな中、小学生が若い女性といっしょに、また、高齢者がカップルで踊っていたりと、何故か家庭的な雰囲気が会場を包み込んでいる。広島のラティーノもマイケルの呼び掛けにステージで踊りだした。老若男女+世界中の人が一緒になって楽しめるのがサルサのいいところ。オールスタンディング、ダンスレッスンとダンスショーのあとライブという設定も、会場全体に和やかな雰囲気を作り出した。 ここに至るまでは裏方を勤めた多くのボランティアの力と音響・照明・会場関係者・スポンサーの支援、広島平和文化センターの助成があったからであるが、一番に挙げたいのはサルサを楽しむ広島の人たちの盛り上がりである。 広島では、1996年6月からスタートしたファシナシオン・ラティーナ主催の「サルサ&ラテン!ダンスパーティ」を通じて多くのラティーノと日本人が集い交流している。ペルー・ブラジル・ベネズエラの日系人、岩国米軍のコロンビア・メキシコ・プエルトリコ、野球のカープのドミニカ選手もよく顔を出す。1年前からは、日本人とラティーノのダンス好きのメンバーでサルサ、メレンゲ、サンバ、マンボチームをつくり、国際交流イベントや地域の祭りのステージ出演や公民館などでのダンス指導、テレビ・ラジオ出演などさまざまな場面でサルサ&ラテンを広める活動を常々行っている。 特に今回のライブは、「ラテン・フィエスタ」と題して展示会や講演会、映画上映会などの一環として開催。広島市平和文化センターも国際交流イベントとして位置づけ共催・助成。前売り3500円の低料金に設定できたのもそのためである。 「広島は素晴らしかった!」とマイケルが語るように、会場全体がなんとも言えないいい雰囲気を醸し出した日本初ライブだった。 |
■ラテン・フィエスタ開幕!
■「広島国際クラブニュース 第14号1999.5」(ひろしま国際センター)で、ラテン・フィエスタを紹介してもらいました。