Salsa Day

Albert Torres
プエルトリコ生まれ、 ニューヨークに育ち、ダンサーである母親を持つ。
ニューヨークでの黒人差別を感じ、”サルサを通じての調和”のテーマの基に、LAに移住後、1986年より、LAにある世界最大のサルサクラブ、MAYANにてサルサインストラクターとしてスタート、振り付け師としては”MAMBO KINGS", "DANCE WITH ME"等多くの作品を手がけ、自らもダンサーとして出演。
多くのサルサダンサーに慕われ、サルサという新たな文化を育てる事を1997年に決意、ダンサーからサルサ文化育成のプロヂューサーに専念を開始。1999年のLAでのサルサコングレスをかわきりに、世界中でのサルサイベントへの援助を開始。現在、世界のサルサの祭典の頂点たるワールドサルサコングレスの主催者であり、日本,ニューヨーク、パリ、香港、ドバイ、バルセロナ等15以上の世界のサルサコングレスの共催者でもある。
日本ではSALSA HOTLINE JAPANのジョージ渡部との共催で2000年よりジャパンサルサコングレスに協力。2000年は観客動員数1200人、2001年2400人、2002年、3000人、2003年は3500人。日本のサルサムーブメントの貢献者である。
また、サルサのルーツとも言うべきキューバにおいては、”CUBA SI"というボランティア活動を行い、眼の見えない子供たちへの支援等の活動も開始、また同時にキューバと国交のないアメリカにロス・バン・バン、チャランガ・ハバネラ等のキューバ人ミュージシャンを政治の壁を超えて招聘。”サルサに国境はない!”のテーマのもとに、アメリカにおいて唯一のキューバ人音楽家との文化的パイプを持つ。
プロモーターとしてはカチャオ、ティト・ニエベス、ティト・プエンテ等のミュージシャンのアメリカ西海岸でのコンサートをプロデュース、マイノリティのラテンだったサルサを一般化させた。現在彼のマネジメントにある、ジョニー・ポランコ・バンドはラテン・グラミーの2部門にもエントリーされ、日本のサルサファンにとっては彼等の再度の来日を望む声が大きい。
 日本人のサルサファンにとっても、世界のサルサファンにとっても、そのサルサへの貢献度から、大きな尊敬を集めている。