星のレクイエム (上) |
いつものようにベンチにラジカセを置き、背もたれに松葉杖を立てかけて寝転がった。見上げた夜空に、ちょうどそのとき、星が流れた。 「また、間に合わなかったな」 ラジカセのスイッチを入れて、四郎は次の流れ星を待つことにした。 使い古したカセットテープが頼りなげに回り、ベニー・グッドマンを奏ではじめた。音が割れ、ノイズがひどかったが、四郎の耳には心地よく鮮明にスイングしていた。 流れ星に祈ると、願いがかなうと言う。 幼いころ、母にそう聞かされた。 毎夜のように、真暗な庭で母は四郎を抱きしめて、星に手を合わせた。 母の頬は、いつも冷たく濡れていた。父に殴られたからだ。 父は、よく酒を飲んだ。強くはない。コップに2〜3杯で酔いつぶれる。 気の小さい職人で、いつも笑顔を絶やさず、人当たりはよかったが、酒を飲むと人が変わった。 毎夜、酒を飲んでは母と口論をし、母を殴りつけて口論を終えた。 母は、四郎が中学に入ってまもなく死んだ。病気で死んだのだが、四郎は父が殺したと思った。 その幼いころの習慣で、四郎はよく夜空を見上げ、流れ星を探した。 流れ星はけっこう見つけたが、願い事を祈ったことはない。星の流れる時間はあまりにも短くて、いつも間に合わなかったからだ。 もっとも間に合ったところで、四郎には、これといって星に祈る願い事があるわけではなかった。 習慣といったが、幼いころからずっと続けていたわけではない。 少年時代は、夜といえば遊び疲れて飯を食って寝るだけだったし、第一、星に祈るほどの願い事はなかった。 青春時代は夜空を見上げて物思いにふけるほどロマンチックではなかった。 中学卒業と同時に集団就職で故郷を離れ、鉄鋼工場の寮に入った。3交代24時間操業で働き詰めだったし、空いた時間は定時制の高校に通わねばならなかった。 とても夜空を見上げるゆとりはなかった。 忙しく、厳しい仕事だった。 数年の間に、一緒に就職した仲間が次々に辞め、四郎一人が残った。 四郎も、辞めたいと思わなかったわけではない。「金の卵」ともてはやされたが、中卒の工員は、工場ではいちばん下っ端の使い走りに過ぎなかった。 息つく暇もなく働いて、仕事が終わると学校へ行き、その後は寮へ帰って4人一部屋の蚕棚のようなベッドにもぐりこむだけの生活だった。 休日、辞めていった友人に会った。 きれいな服を着て、ガールフレンドがいた。四畳半一間のアパートに一人で住んでいた。狭いながらも一国一城の主だった。 最新型のトランジスタラジオがあった。 寮では、食堂にある一台の5球スーパーラジオをみんなで聴いた。聴きたい番組はいろいろあったが、みんなで聞くのでわがままは許されなかった。 だから四郎は、雑誌の広告で見た、通信販売の鉱石ラジオを買い、自分で組み立てて聴いた。蚕棚のベッドで布団に包まり、イアフォンを耳に押し込んで聞く。雑音がひどく、特に民間放送はラジオ東京以外はほとんど聞こえなかったが、四郎の給料では、それが精一杯の贅沢だった。 トランジスタラジオの音は、信じられないほど明瞭だった。 「うちの会社においでよ。給料だって、いまよりずっといいよ」 鮮明なベニー・グッドマンの音楽をバックに、友人の声が四郎の耳にしみこんだ。四郎は、陶酔の中で友人の勧めに頷いた。 だが、結局、四郎は鉄鋼会社を辞めなかった。 会社に未練や希望があったわけではない。ただ忙しくて、なかなか職長に退職の意思を伝えられなかっただけだ。 数ヵ月後、ようやく職長に話をする機会を得、四郎はおずおずと退職の話を切り出した。 「だめだ」 職長は、一言でトランジスタラジオの夢を打ち砕いた。 職長には逆らえなかった。 寡黙で仕事には厳しい職長だったが、親兄弟や仲間たちのいる故郷をひとり離れてやってきた、まだ頬に赤みを残す少年たちには親のように優しく、厳しかった。 しかし、この段階での職長の判断は正しかった。 世の中は好況を謳歌し、四郎の給料も年毎に面白いように増えていった。 ボーナスで念願のトランジスタラジオを買い、わずかだが貯金もできた。 できなかったのは、ガールフレンドだけだった。鉄鋼工場は男の世界で、周りにいる女性といえば食堂のおばさんだけだったからだ。 さして面白いこともなく、二十年近い歳月が過ぎた。 四郎は班長になっていた。平凡だが、着実といえる四郎の青春だった。 四郎は、彼を一人前の職人に仕立て上げてくれた職長の仲人で見合いをし、勧められるままに結婚した。相手は、明るく活発で都会的な美人だった。少なくとも四郎はそう感じて気に入った。 独身寮から社宅に移った。白いコンクリートの5階建て、四郎の家は、その4階の2DKだった。近代的な設備を整えた家に美しい妻が待つ、夢にも見なかったような生活だった。 2年後に女の子が生まれて、夢はさらにふくらんだ。 追いかけるように、四郎に職長昇進の辞令が下りた。 幸せだった。 「俺、いま幸せの絶頂にいる。これ以上、もうなにも要らない」 美しい妻のふくよかな胸に顔をうずめて、四郎はそう言った。 「あの時、星が流れたのかもしれない」 星空を見上げ、思い出に浸りながら、四郎はたびたびそう考えた。流れ星が四郎の願いを聞き間違えて、「なにも要らない」というところだけ叶えてしまったのではないだろうか。 ちょうど1年後、女の子が生まれたころから、四郎の人生には陰が差しはじめた。 新聞に「不況」という文字が目に付くようになり、職場では「合理化」という言葉がささやかれるようになった。 合理化…… 四郎にはよく理解できなかったが、それは「首切り」の代名詞だった。 工場のオートメーション化が進み、従来、四郎らの人手に頼っていた作業が要らなくなって、会社にとってはその分がそっくり余剰人員ということになったのである。 勉強をして、機械を操る技術を習得し、資格を取れば、合理化された工場で生き残る道はあった。 その努力を、四郎もしなかったわけではない。 しかしそれはあまりにも狭き門だった。 はじめから専門知識を持った大学出の新入社員と、中卒で身体で仕事を覚えた四郎たちとでは勝負にならなかった。 人員整理の嵐が、すさまじい勢いで会社、工場内を吹き荒れた。 希望退職、配置転換、子会社や下請け会社への出向、転籍…… それでも計画を達成できなければ容赦なく首を切る…… 四郎に提示されたのは、北陸地方の小さな子会社への転籍だった。 子会社といっても、作れば売れるといわれた好況時に、もとは町工場だった小さな会社を資本の力で買い取ったもので、いまでは会社ごと合理化の対象とうわさされているところだった。 「いまより条件がよくなるんだから、首になるよりましよ」 妻はそう言って、子会社への転出に賛成した。 転籍先での職階は、工場長。給料も、若干だがアップするという話だった。 転籍に応じる旨を会社に伝えると、四郎は急に忙しくなった。 数日後に迫っていた給与計算の締切日をもって退職し、その翌日から子会社へ出勤するように命じられた。 そんな状態だから、家族と引越しの相談をする暇もなかった。 身一つ、当座の着替えだけ携えて、四郎は北陸の新任地に赴いた。 まじめにこつこつと一生懸命働けば、必ず評価される…… それが四郎の人生哲学だった。 自分は評価されている。新任地で、工場長という肩書きのついた名刺を渡されて、四郎はそう思った。実際には、余剰人員の一人として整理されたに過ぎないのだが、生まれて初めて会社の名刺というものを手にした実感だった。 しかし、工場長という肩書きは名ばかりだった。 かつては数十名の従業員がいたという工場だが、四郎の「部下」となった職工はたった八人で、本社工場での職長時代より少なかった。そのうえ工場長としての権限はなにもなく、ただ生産計画達成の責任だけが押し付けられた。 生産設備は、二昔前のものと思えるほど旧式で、部下の工員は全員四郎より年上。仕事は丁寧だが、動作がのろく、生産は常に遅れ気味だった。 工場の能力を超える受注に問題があるのだが、四郎はそれを指摘する立場になかった。遅れを取り戻すため、連日残業をし、休日にも出勤してひたすら課せられた責任をこなすしかなかった。 そんな状態だったため、家族を迎える家さがしが遅れ遅れになった。 四郎は「退職」したのだから、社宅からは出なければならなかった。さすがに、退職日までに出ろ、とは言われなかったが、与えられた猶予期間は一ヶ月だった。新任地での家が決まらないまま、妻と幼い娘は、とりあえず妻の実家に帰ることになった。 このことが、四郎の人生をさらに大きく狂わせることになった。 四郎にしてみれば、妻と子が実家に帰り住んでいるということは、ひとまず安心できる状態だったのだが、こうして離れ離れになっていることがいつか夫婦の間に溝を作ることになるとは考えても見なかった。 妻と子に、生活の不安はなかった。 工場長の給料はそう高いものではなかったが、四郎は工場敷地内の宿直室で家賃の要らない生活をしていたから、食費を除くほとんどを妻に送金していたし、親会社退職時に支払われた退職金が手付かずのまま妻の手元にあった。 だが妻は、もともと活発な性格で、生活に不安がないからといって、子育てに専念しているような女ではなかった。まして実母のいる家では子育てにも手は掛からない。 妻は働きに出た。 はじめは簡単で短時間のパートだったが、明るく活発な性格が好まれて、勧められて正社員になった。 つまり、妻自身の世界が出来上がってしまったのである。 夫と妻がそれぞれの世界を持つと、ともに暮らしていても多少の軋みはできるものである。まして四郎の場合は、夫婦の間に物理的な距離があって、いつの間にかそれは埋めようもない溝に広がってしまっていた。 いくら忙しい仕事でも、正月は休む。世の中が皆休んでしまうからである。 その正月休みに、四郎は妻のもとに帰った。 が、四郎自身は「帰った」つもりでいても、そこは妻の実家であり、一家の主としての四郎の居場所はなかった。四郎は、「客」でしかなかった。 娘は「知らないおじさん」の膝にかしこまって座り、妻との距離もなんとなく埋まらなかった。三晩泊まり、四郎は妻の肌に触れることもできず、正月を過ごした。 翌年の正月も同じであった。 違ったのは、北陸へ戻る四郎を駅まで送って出た妻が、別れ際に茶封筒を渡したことだった。 中には、四郎の分だけ空欄になった離婚届の用紙が入っていた。 次の正月は、いやそれ以降ずっと、四郎は雪に閉ざされた工場を一歩も出なかった。これといった友人もおらず、帰るべき家もなかったからである。 こうしてまた、十数年が過ぎた。 四郎は、相変わらずこつこつと与えられた仕事をこなしていた。 不平も不満も言わなかった。まったく不平不満がなかったわけではないが、四郎には、一生懸命働いていれば必ず認められる、という信念があった。認められてどうなりたいというのではない。とにかく健康で、不安のない生活を送れればよい、と考えていた。 四郎は相変わらず「工場長」だった。それはまさに自分が評価されているからだと思った。 確かに四郎は、この会社に来てからずっと「工場長」だった。 その間に、部下の職工が半分に減って四人になり、仕事の内容も下請けから孫請けに変わり、昇給がなかったので実質賃金が下がったといえども、社内では誰もが四郎を工場長と呼び、工場内の一角に置かれた四郎のデスクには「工場長」の肩書きのついた名刺が置かれているのは事実であった。 もっともその名刺は、四郎がこの工場に赴任したときに渡されたもので、最初のあいさつ回りのときに二十枚ほど使って以来、ほとんど減っていない、というのが実情だった。 そんなほとんど名目だけの工場長にはいかんともしがたい事態が出来した。 会社の倒産である。 もともとこの会社は内容が悪く、四郎が赴任した時期に親会社が保有株全株を売却して手を引いてしまったものだった。引き受けたのは、この地方の有力資本で、その後はバブルといわれた好況に下支えされてなんとか命脈を保ってきたが、旧態依然の経営では時代の要請についてゆけず、バブル景気の崩壊とともに淘汰されてしまったのである。 |
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