心 象 風 景


 歩いていた。
 なぜか学校からの帰り道だ。ランドセルを背負っているが、小学生ではない。
 よく知っている道で、ここから先自宅まで、目を瞑っていても歩ける。
 試しに目を瞑って歩いてみた。数歩でゴチンと電柱にぶつかった。そういえば私の脳内地図には、電柱までは書き込まれていない、と思った。
 「サブちゃん、お帰り」
 顔見知りの八百屋の親父が声をかけた。ばかやろう、いくら子供のころから知っているからって大の大人に、サブちゃん、はないだろう。返事もせずに行過ぎる。
 この先約五十メートル、富士山の見える郵便局の角を右に曲がると、自宅までは一本道だ。その手前で、ふと左側を見た。坂道があった。かなり長い上り坂だが、この道は知らない。変だ。町内に知らない道があるとは思えない。
 強い興味がそそられた。道草をしてはいけない、と先生に言われていたが、知らない道、は明らかに私に挑戦していた。
 「どこへ行くか知らんだろう? 坂の上まで、ちょっと登ってみるかい?」
 先生がなんと言おうと、この場合、応戦しないわけには行かない。先生はいつも「科学的好奇心を持て」といっている。科学的かどうかは別にして、この道が強く私の好奇心を揺さぶっていることは確かだった。

 ゆっくり坂を上っていると、並行する道があるのに気づいた。
 こちらはアスファルト道路だが、その道は土がむき出しになった未舗装路だった。舗装する際に、何かの都合で道路の位置を変更したのかもしれない。行く先は同じように感じた。
 いまどき未舗装の道路は珍しい。足に優しいので、そちらを行くことにした。
 坂を上りきると橋があった。
 舗装道路のほうはコンクリート製の立派な橋だが、こちらはいわゆる丸木橋で、簡単に削った丸太が三本、無造作に向こう岸に渡してあるだけだった。
 丸木橋は、踏み固められていて動きはしなかったが、狭いのでちょっと怖かった。
 橋を渡りきると、舗装道路は大きく右へ曲がったが、こちらの道は直進していた。
 この先、何か障害物があって、それを避けるため舗装路は迂回している、またどこかで一緒になるだろう。そう思えた。根拠はないがそう思えたので、土の道を直進した。障害物が何なのかこの目で見る必要があった。それが科学的というものだろう。
 直進してすぐにわかった。障害物は山だった。土の道は直進してまっすぐに山登りにかかった。やれやれこの山は登れない。いくら科学的好奇心とはいえ、この山を登っていては夜になってしまう。カミサンはじめ、家族が心配するだろう。
 ちなみに紹介しておくが、家族というのはカミサンと猫が二匹だ。
 いままでの経験によれば、こういう場合、ちゃんと説明すればカミサンはわかってくれるが、猫のほうは厄介で、なかなか理解しようとしない。夜っぴてにゃあにゃんと鳴きながら身体を摺り寄せてくる。それは可愛いからいいのだが、なんとやきもちを妬いたカミサンまで鼻を摺り寄せてくる。四十年連れ添ったカミサンだぜ、勘弁してくれ。

 帰ろうとしてきびすを返すと風が吹いた。強くはないが巻いた風で、かぶっていた帽子を吹き飛ばした。小学校に入ったときにもらった、交通安全の黄色い帽子だ。なぜかその帽子が気に入ってずっとかぶっている。
 なくすとカミサンに叱られるので、帽子の行方を追った。帽子は一度高く舞い上がり、翻って谷底に落ちていった。
 見ると狭いが谷底に降りる道があったのでそれをたどった。
 帽子は谷川の小さな滝の傍らに落ちていた。いや滝が小さいと見たのは誤りで、そばに立つと人の身長ほどもあった。そして、帽子を拾い上げるとき気づいたのだが、滝の落ち口の裏側には洞穴があって、人が通れそうだった。
 興奮した。
 この洞穴のことは聞いたことがない。秘密の場所、見っけ!
 洞穴はまっすぐ奥へ延び、二百メートルくらい先が明るくなっていた。どうやら通り抜けることが出来そうだ。通りぬけ? どこへ? 滝上は山だ。山の向こう側に出られるのか? そんなはずはない。見たところ大きな山だ、たった二百メートルくらいで通り抜けられるわけがない。
 この洞穴の向こうはどうなっているのか、この目で確かめる必要がある。帽子をかぶりなおし、しっかりと紐を掛けた。

 洞穴は二百メートルどころか二メートルくらいしかなかった。
 ほら、確かめる必要があったじゃないか。
 洞穴は、ズームレンズのようになっていたのだ。長く延びているがジャバラのようになっていて、人の歩みに合わせて短縮するのだろう。
 洞穴の向こうは花園だった。暖かい、暖かすぎない風がゆるやかに吹いていて、たくさんの花が咲いていた。名前を知っている花、知らない花、春の花、秋の花、どれも満開だった。
 デジタル一眼レフを取り出して、片っ端から撮影した。ランドセルだと思っていたが、よく見ると使い慣れたリュックタイプのカメラバッグだった。
 夢中になって撮影していたら、危うく崖から落ちそうになった。何かの映画で見たような巨大な崖だった。崖の向こうに、荒涼とした平原が広がっていた。
 土煙が立って何かが一直線にこちらに向かっていた。
 うん。これは知っている。むかし見た西部劇映画だ。馬が走っていて、手綱はジョン・ウエインだろう。ゲーリー・クーパーかもしれない。
 私は崖上の特等席、巨大な巌の上に腰掛けてこの西部劇を鑑賞することにした。

 ん? 馬じゃないなあ。それに、ジョン・ウエインもゲーリー・クーパーも乗っていない。人間は後ろから走ってくる。手に手に棍棒を持ち、追いかけているようだ。先を走って土煙を上げて逃げているのは・・・・
 マンモスだあ!
 すると、追っているのは毛皮をまとった原始人!
 こりゃ大変だ。大発見だ。わが町に原始民族の社会が現存するとは。日ごろから、科学的好奇心を持て、といっていた先生は正しかった。宇宙には人工衛星が数千個も飛んでいる現代に、未開の原始人が狩猟生活を送っているとは。
 早速、知らせなくちゃ。
 未舗装の道のこと、谷の滝のこと、洞穴のこと、花園のこと、そしてこの未開の大平原のこと。
 誰に知らせる? 誰でも良いが、この場合、まずカミサンと先生だろう。
 立ち上がろうとして気づいた。
 興奮のあまり、崖の先端に出すぎていた。怖い。私は高所恐怖症なのだ。怖くて立ち上がれない。

 そのまま寝ころんで腕を伸ばし、巌の隙間に手がかりを探す。
 どうにか探し出して指を掛けたとたん、巌そのものがグラリと揺れた。心臓がぎゅっと縮まった。そんな不安定な巌に乗っていたとは思いもかけなかった。
 手がかりの指を頼りに、じわじわと身体をずらして、揺らぐ巌から脱出する。
 時間はかかったがどうにか重心だけ他の巌に移すことに成功した。
 とたん、大きく揺れた巌は、音を立ててがけ下に崩れていった。
 ふう。助かった。高いところはこれだから嫌だ。

 ほっとして辺りを見回すと、数組の人々が崖の上に立っていた。どうやら夢中になって原始人の狩猟の様子を眺めているようだ。
 「危険ですよ。巌は不安定だ。気をつけたほうが良いですよ」
 大声で注意を促したが、こちらを見返る人はいなかった。私の乗った巌が崩れ落ちたのにも気づかなかったらしい。そういえば、時折ガラガラとなにかの音が響いているが、慢性的な地すべりが起きているようで、人々は慣れっこになっているようだった。
 こんな危険なところによく平気でいられるものだ。

 もう帰ろう。
 来た道を戻ろうとしたが、様子が違っていた。
 行くてには東屋があり、家族連れが弁当を広げていた。
 そういえばおなかがすいた。そう思った次の瞬間、草原でみんなでご飯を食べていた。猫たちもちゃんといて、カルカンの舌平目とまぐろのフレークを食べていた。
 「さ、帰ろう」
 「あらあら、サブちゃんたらご飯を食べたらもう公園には用事はないのね」
 カミサンまでサブちゃんという。
 その呼び方はやめろ。子供じゃないんだから。

 みんなで手を繋いで出口へ向かった。
 広い広い公園だった。道は知らなかったが、辻々に案内表示があって「⇒中央口」と書いてあるので迷うことはなかった。クルマは中央口の駐車場に置いてあるのだ。
 「今日はバスに乗って帰ろう」
 カミサンの提案にみんなが賛成して、中央口からちょうど来た駅へ向かう路線バスに乗り込んだ。
 「クルマ、どうするの?」
 誰も答えないので、私がクルマを持ち帰ることになった。
 みんなを見送って、あのジャバラの洞穴を抜けると、舗装道路の向こうにみんなの乗ったバスが見えた。バスよりも早く町に着いて、私は得意だった。

 洞穴のことは、先生にも秘密にしておこうと思った。
                                 (おわり)