霊雲寺奥院 |
乗雲山。標高850メートル。 昨夜、行きつけの焼き鳥屋でジョッキを片手に、見るともなしに見ていた地図で見つけた山だ。 私鉄の駅からも近く、日帰りのトレッキングには手ごろな山だと思った。 ただ、不思議な思いもあった。 乗雲山というのは初めて聞く山だった。 奥武蔵の山々は、いままでにほとんど踏破してきている。850メートルはたいした高度ではないが、このあたりの山はほとんど500メートル前後だからこの高さの山なら、名前も知らないということはありえない。 手元のガイドブックをあたってみたが、乗雲山についてはどこにも記載がなかった。よほど魅力がない山か、あまりにも急峻でトレッキングには向かない山か、いずれかである。 トレッキングに向かないほど急峻なら、それなりに有名であるはずだ。 つまらない山だとしても、850メートルならかなりの眺望が期待できる。 「ふむ、行ってみるしかあるまい」 変な「駅」だった。 電車を降りたのはひとりだけ。無人駅はいいとしても、ホームから周囲を見回しても、人っ子一人、いやそれどころか建物一つ見当たらなかった。 道は、ある。 砂利を敷いたホームの端がそのまま道になって、線路を横切り、乗雲山と思しき方向に向かっている。 ほかに道はないので、ともかくその道を進んでみた。 沢沿いの道をぶらぶら10分ほど歩くと、やっと「村」と呼んでもいいような集落に入った。 かなり古い造りだが、形からは農家とも思えない。同じような家が十数軒、パラパラと建っていた。 家があるなら人もいる。人がいるなら駅があっても不思議はないが、この様子では、電車に乗るものなどほとんどいないのではないかと思われた。 念のため、道を聞いてみようと思い、手近な一軒におとないを入れてみたが、誰も出てこなかった。 1/25,000の地図には、この集落は記載されていないが、もう少し先に登山道らしいものが二股に分かれているのが認められた。 ハンディGPSで現在地を確認する。ここからは、地図とこのH/GPSが頼りである。 分岐点には、古い馬頭観音が、放り出すように置かれていた。 地図によれば、左右いずれの道も乗雲山山頂に続いている。 右は沢沿いの山道、左は深い林道だった。林道の方は、等高線の密度が濃く、かなり急峻と読み取れた。 沢沿いの山道は、まだ民家もありそうな気配だったので、往路は右側、帰路に左側の林道へ降りてくることにした。 分岐点から沢沿いの杉林の中を5分ほど歩くと寺があった。 山門はなく、直径50センチほどの、枝を落としただけの自然木を門柱にしつらえており、「霊雲寺」とだけ書かれてあった。山号も宗派名もない。 地図に記載のない寺だった。 地図上に記号のないのは、寺としての実体がないためであろう。 無住であり、宗教的行事が行われていないと考えていい。 そう思って門内を覗くと、さだめし荒れすさんでいるであろうという想像に反して、清められた参道が、正面の本堂に続いていた。 信仰心があるわけではなく、できるだけ早いうちに山登りにかかりたかったが、何かに引き寄せられるように、門内に入ってみた。 境内は、明らかに人の手によって清められていた。 木立は生き生きとしているし、植え込みの草花は水遣りもされていて、水滴が光っていた。 門内左手の御手水所には、湧き水でも引いているのか、すがすがしい水があふれている。 置かれた柄杓を取って口に含んでみると、冷たく甘い水だった。 本堂も、清掃が行き届いているようだった。 正面の扉が開いており、奥をうかがうと、木造だろうか、大きくはないが金張りの厨子に納められた黒光りの仏尊像が安置されていた。 人の気配を感じて振り向くと、坊さんがいた。 寺に坊さんがいても不思議はないわけだが、民家が数えるほどしかないこのあたりで、坊さんを抱えた寺が成り立つとは考えにくく、一瞬、見間違いではないかとさえ思った。 「旅のお方かの?」 坊さんは合掌会釈をして、声をかけてきた。 日帰りの山登りでも、まあ、旅の一種だろう。そう答えると、手招きをして本堂の右手の方へ、先に立って歩き出した。背中が、黙ってついてこい、といっているようだった。 木立に隠されるように、茶室かと思えるような小さな建物があった。庫裏なのであろうか。 まさに茶室のような狭い部屋に招じ入れられたが、驚いたのは庭である。 由緒格式高い寺でもこれほどのものはあるまいと思えるほどの枯山水が展開している。 「お山に登られるのじゃったら、頼みがある。というより、これは当寺の開山以来のしきたりでな。このお山は、全山、当寺の境内で山頂には奥院があるのじゃが、登山をするものは、この下院から奥院へ、お札を届けねばならないのじゃ」 850メートルの山を全山寺域としているとなれば、これは本山格の寺ではないか。 何宗かわからないが、このあたりにそんな寺があるとは聞いたことがない。 何かに化かされているのではないかと思ったが、しきたりだ、といわれればそれまでで、白木の箱に収めたお札を預かって寺を出た。 「摩訶般若波羅蜜多心経〜〜」 山道をたどる背中に、朗々と、坊さんの読経の声が響いた。 「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五薀皆空。度一切苦厄。……」 坊さんの声につづいて、数十人いや数百人と思えるような大合唱が山に響き渡った。 杉林がきれ、うっそうとした雑木林に変わる。 なだらかな登りが急坂になり、沢のせせらぎが遠くなった。 見通しが利かないので、位置の確認は出来ないが、すでにかなり高度を稼いでいるはずだった。 30分ほど登りづめだったので、やや平坦なところを見つけて一息入れていると、上方から男が降りてきた。トレッカーではない、このあたりの住人のようだった。 「お山へ登るのけぇ? この道いっても、峠へは上がれねぇよ」 男によれば、この先10分ほどのところにクサリ場があるのだが、鎖が切れてしまっている。かなり距離があるので、素手では危険だという。 「遠回りにはなるけんど、岩を巻いてゆく獣道があるからよぉ……」 勧めにしたがって、登ってきた道を一旦100メートルほど戻ってみると、なるほど、登ってくるときには気づかなかったが、かなり踏み固められた道が反対方向に向かっていた。 土地の人に出会えたのは幸運であった。この幸運がなければ、クサリ場であきらめただろう。人のほとんど来ないこんなところで無理をして、怪我でもしたら、それこそ命取りだ。 教えられた獣道をゆくと、5分ほどで雑木林がきれ、潅木に蔽われたなだらかな斜面に出た。目の前にそびえているのが乗雲山頂であろうか。まだかなりの距離がありそうだった。 襟元を冷たい風が吹き過ぎ、あたりが急に暗くなった。見上げると、真っ黒な雲が空を覆い始めていた。 これだから山は油断できない。 用意のカッパで身を包むと、待っていましたとばかりに稲妻が走り、大粒の雨が落ちてきた。 カッパを着ると蒸し暑くてやりきれないが、雨に打たれるよりましだ。雨に濡れると体温が急激に下がり、この程度の山でも遭難死することがある。 なにか、聞こえた。 雷鳴のようでもあり、怒鳴り声のようでもあり…… いや吼声だ! 前方の雨幕が裂け、巨大な虎が姿をあらわした。 虎? そんなバカな! こんなところに、虎なんて! 動物園から逃げ出した、という話も聞いていない。 とは思ったが、ものを考えている余裕はなかった。虎はすでに、獲物を捕獲する態勢に入っている。 武器はない。相手が人間でも腕力には自信がないのだから、虎と取っ組み合いをしても勝てる道理がない。 走って逃げるしかないが、虎に追いかけられて逃げ切った人間なんてこの世に存在するだろうか。 虎は地響きを立てて迫ってきた。 生臭い息が首筋にかかり、咆哮が鼓膜を破った瞬間、草に足を取られ、もんどりうって地面に転がった。 「舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄不増不減。是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。……」 読経が聞こえたように感じ、ふと我に返った。 雑木林の中にいた。一息入れたつもりが、居眠りをしていたらしい。 クサリ場の鎖は切れていなかった。 一汗かいて巌頭に立つと、吹き上げてくる風が心地よかった。遠くに街がかすんで見えた。 しばらく尾根伝いのゆるい登りが続く。左手に凸型の山が突きあげている。 これが乗雲山頂なのだろう。 「2時間もかからんだろうな」 途中、「土地の人」に騙されて虎に追いかけられた…… という夢を見たりしたが、初めて来た山にしては、順調だ。というのも、道がハッキリしているからだろう。知られていない山にしては珍しいことだ。 尾根が終わり、ゆるい下りに入る。ふたたび雑木林で、視界がきかない。 「すみませぇん」 女の声が追いかけてきた。ふりかえると、トレッキング姿の若い女がひとり追いついてくるところだった。 さっきの「土地の人」の例もあるのでちょっと警戒したが、「下のお寺で先に行った人がいるって聞いたので、追いかけてきたんですよ。ひとりじゃ、心細いので」と、屈託のない笑顔で話すのを聞いて、心を許した。 狐狸の類が化かそうとするのなら、美人でなければならない。 つまり、この若い女は、はちきれそうな健康美はあるが、どう贔屓目に見ても美人とはいえないのだ。失礼だが、十人並み…… 以下、だ。 乗雲山本体は、地図の等高線で予想はしていたが、かなりの急峻であった。 歳はとっても健脚の部類に入ると自認していたが、追いついてきた若い女の身軽さには負けそうだった。 木の根や幹が頼りの崖のぼりでは、どうしても遅れがちになった。 綿パンに包まれた形のいい尻がどんどん遠のいてゆくのがさびしくて、必死になって追ったのだが、とうとう見失ってしまった。 パラパラ…… なにかが頭や肩、腕にあたった。 しまった! 落石だ! 振り仰ぐと崖上まではまだかなりの距離がある。下へ降りるのでは落ちてくるものに勝てる道理がない。くぼみに身を潜めるしかないのだが、付近に適当なくぼみがない。 万事休す、だった。 ガラガラゴロゴロ! 斜面が揺れた。 「無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。……」 また読経が聞こえた。いや、落石の音自体が、リズムを持った読経だった。 大き目の木の根にしがみついて、運を天に任せた。 乗雲山がそっくり崩れてしまったのではないか、と思えるほど大量の土砂、岩石が、長時間、いやたいした時間ではなかったかもしれないが、命の縮むには十分な時間、降り注いだ。 が、奥院にお札を納めるという任務を負った身に、災難は無縁であったようだ。小石がいくつか当たって、身体中のそこここに痛みがあったが、ついに直撃を免れて、間もなく崖上に到達した。 彼女はいなかった。 50〜60メートルほど離れた草むらをしっぽの太い小動物が走り去っていくのが見えた。 「ブスめ!」そう、声を投げてやったが、妙に可愛いブスだったと思う。 5分ほど急坂だが歩きやすい道が続いた後、大きく視界が開けた。 目の前に、乗雲山山頂に向けて稜線が延びている。 すばらしい展望で、手を伸ばせば届くのではないかと思えるほどのところに雲がぽっかり浮かんでいる。乗雲という名前はこんなとこらからつけられたものだろう。 20分ほどの快適な稜線歩きの後、これが最後と思われる岩場にぶつかった。 10メートルほどの高さで、鎖等はない。巻き道もありそうだったが、ここまできてこれを避けては自尊心が許さない。 注意深く、手がかり、足がかりを確かめながらゆっくりとよじ登る。 頂上の風は強かった。 「菩提薩タ。依般若波羅蜜多故。心無ケイゲ。無ケイゲ故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿ノク多羅三ミャク三菩提。……」 朗々と読経が続いている。(一部、機種依存文字、および辞書未搭載文字のため、音読みカタカナ表記しました。以下同じ) 360度の展望は、興奮を覚えるほどであった。 ほとんど踏破した奥武蔵の山々が視界に広がっていた。山々がいっせいに祝福してくれているかのようだった。 山頂中央に、小さな祠があった。これが、霊雲寺奥院なのであろう。 近寄って正面の扉に手をかけて気が付いた。祠は、下院の本堂で見た、仏尊像の入った御厨子と同じものだった。 先ほどから聞こえている読経は、祠の内側から響いていた。 扉を左右に開くと、祠は巨大な堂宇と化した。いや、この身が小さくなったのかもしれない。しかしその詮索は御仏の前では意味がない。 内部はまばゆい黄金の光で満ちていた。 正面に立つ如来像の前に、たくさんのお札が積み上げられていた。いや、それはお札ではなく、おびただしい数の僧侶であった。数百、いや数千、数万の僧が、般若心経を唱和していた。 持ってきたお札を最後尾に置く。 読経の声が一段と高まって、体がふわっと浮き上がった。 「故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚故。説般若波羅蜜多呪。 「即説呪曰 「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか 「般若波羅蜜多心経〜〜」 気がつくと雲の上にいた。 明るい陽光に包まれて、真っ青な空の中にふんわりと浮かんだ白い雲。 なにものにも煩わされず、なにも悩みはない。 ゆったりと座しているだけで、身は、えもいわれぬ快感につつまれる。 これが、これが極楽なのか。 山の頂から雲に乗って極楽へ、これが「乗雲山」のいわれなのだろうか。 まてよ。 これが極楽だとすれば…… 私は、いつ死んだのだろう? 落石に打たれた時か、それとも虎に食い殺されたのか、あるいはまた下院に踏み入ったときか。 いやいや、どう考えてもあの駅がおかしい。あれが黄泉の国の入り口だったのではないだろうか。 ……さわやかな涼しい風を首筋に感じてふと我に返った。 明るい日差し、青い空はそのままだったが、雲の上ではなく、祠の脇の草むらに座していた。祠にもたれて居眠りをしていたようだ。 太陽はだいぶ西に傾いていた。 夢か。 帰りは、さすがにあの鎖のない岩場を下る気にはなれなかった。というより普通、岩場は「攀じ登る」ことは出来ても「攀じ下る」のは困難を極める。 巻き道、いわゆる「女坂」を下る。 ぶらぶら歩きで約500メートル、岩場の下から来た道をちょっと下ると、右側の尾根伝いに疎林に続く道がある。 地図によれば、これがあの馬頭観音の分かれ道、左側の林道に続いているようだった。 タヌキかキツネか、あるいはムジナか知らないが、またあの健康美人に化かされてはたまらない。今度こそ、とばかりにあの虎の餌食にもなるのも願い下げだ。 というわけでもなく、単に同じ道を帰りたくないという理由で右の道を選ぶ。 1/25,000の地図で予想していたことではあるが、こちらの急坂は見事だった。 2対1、つまり200メートル進むと100メートル高度を下げるという、約45度の急坂である。この角度は、上から見ると、ほとんど「垂直」だ。 地面に尻をつけて、両手両足で付近の木の根やブッシュを手がかり、足がかりに選びながら、滑り降りる。 普通のルートなら、こういう斜面はせいぜい10メートルくらいしかないが、ここでは断続的に100メートル。30階建てのビルを滑り降りる感じだから、すごい。 ぞくっとするようなスリルを楽しみながら、慎重に斜面を降りる。 見上げると、我が事ながら、よくも無事に降りきったものと身震いするほどの斜面であった。 全身あちこちに、軽い打撲や擦過傷ができたが、征服感からか、それらの痛みがむしろ心地よかった。 斜面下からは、うっそうとした杉木立の中の、ゆるい下りであった。 40分ほど歩くと、あの馬頭観音の分かれ道に着いた。 左へ行くと霊雲寺、右へ行くと駅。 家へ帰るのだから、躊躇なく、駅への道を選ぶ。 沢鳴りの聞こえるこの道は、今朝、そう五、六時間前に通ったばかりなのだが何か雰囲気が違うように感じた。 確か駅へはせいぜい20分ほどの距離であったはずなのに、もう1時間近く歩いているのに到着しない。 道を間違ったわけではない。周辺の風景も、数は少ないが建っている家も見覚えがある。 2時間ほど歩いて、ようやく駅が見えてきた。見えては来たが、不思議なことが起こった。 一歩進むと、駅が二歩分ほど遠のく。 走ってみると、グーンと、まるで逆ズームするように、駅は遠ざかる。 またもや悪霊の悪戯に引っかかったのだろうか。 だが、悪霊の悪戯にしては、ちょっと様子が違う。 悪霊たちの仕業なら、こちらが恐怖を感じるような危険がとっくに現出していなければならない。それがない。 悪意がなく、ただ名残を惜しんでいるような…… いや違う。 これは明白に「帰るを許さず」という天の意思であった。 霊雲寺に戻ることにした。 あの和尚に会えば、天の意思、自分の採るべき道の啓示があると確信できた。 霊雲寺に入ろうとすると、門内から男が出てきた。 トレッキング姿をしていたが、紛れもなく、今朝のあの坊さんであった。 坊さん、いやトレッカーはにっこりと微笑んで、しかし無言で会釈し、駅の方角へ歩み去った。 庫裏の玄関に入ると、「ただいま」と声を掛けたくなるほどの懐かしさと安心を感じた。 何の疑問もなく、ごく自然に霊雲寺を預かり、事実上の住職になった。 何日か経った。いや、何年だったかもしれないし、翌日かもしれない。もしかしたら、当日と考えることもできる…… 時間には意味がない。 早朝のお勤めを済ませ、寺域の清掃を終えて庫裏に戻ろうとしたとき、本堂を覗き込むひとりの男を認めた。 トレッキング姿の中年の男で、乗雲山を目指していると思われた。 男がこちらを見て会釈したので、合掌して声をかけた。 「旅のお方かの?」 |