落 日 の 掟 |
母の葬儀をすませると、心の中にぽっかりと大きな穴が空いて、何をする気力もなくなった。 母は、長い間、寝たきりのいわゆるボケ老人であった。 母の症状が進んで、主に介護に当たっていた妻は疲労の極に達し、それだけが原因ではなかったが、二人の娘を連れて家を出た。 生活を維持するための仕事と、炊事、洗濯、掃除等々の家事労働、それに寝たきり老人の介護が、すべてひとりの男の背にのしかかった。逃れることの出来ない宿命の労苦であった。 母が逝き、長かった労苦からは解き放されはしたが、すべてが終わってみると、自分が何のために生きてきたか、何と戦ってきたか、これから何を目指して生きるのか…… なにも残されていないことに気づいた。 「旅に出よう」 目的も、行くあてもない旅であった。心の空洞を伴にして北へ向かった。 信濃川の河川敷に車を止め、小物の洗濯をしていると「かずや」がやってきた。5歳だというこの子は、すぐ近くに住んでいるらしく、母親の顔も見たことがある。 私の車が気に入ったらしく、始めは土堤にしゃがみこんで、飽きもせず車を眺めていたが、やがて近寄ってきて撫でまわし始めた。 「乗ってもいいよ」と声をかけると、破れたのではないかと思えるほどに目を見開き、すばやく運転席に乗り込んだ。 それからというもの、「かずや」は、毎日やってきて、運転席で何事かひとり言をいいながら、ひとしきり遊んで行く。 一度は洗車を手伝った。 「かずや、スタンド行くけど乗ってくか?」 かずやの目が大きく開き、からだ全体でうなずいた。 そういえば、かずやがいるときに、このRVのエンジンがかかったことがなかった。. この小ドライブで、かずやと私の心の繋がりは非常に強いものになった。 身体を揺さぶるハイパワーのディーゼルエンジン音と、乗用車より高い目線にかずやは興奮した。 翌日、東京へ向かう車の助手席に、かずやがいた。 かずやは、身を乗り出すようにして、過ぎ去って行く窓外の光景を楽しんでいる。わずか数時間で、越後平野、谷川山系を経て、ビルの立ち並ぶ東京に着く。かずやは、その変化に見ほれていた。 私の心は奇妙にゆれて、記憶と現実と夢とが頻繁に入れ替わり、自分の存在位置が不明確に感じた。 家の扉を開くと、かび臭い匂いが鼻を刺した。 「きのう」家を出る前に掃除をしたのに、どうしたのだろう。「何ヶ月」も不在だったような感じだ。 冷蔵庫を開けてみたが、何もなかったので、私は「和也」の手を引いて、近くのスーパーに買い物に出かけた。 「あら。お帰りなさい。どうしてらっしゃったの?」 近所の顔見知りの主婦が、変な挨拶をする。「きのう」も会ったのに。 ともあれ「和也」は初対面なので紹介した。 「息子の和也です。今度私と一緒に住むことになりました。よろしく」 主婦は、笑顔を消し、妙な目つきで私と和也を見比べた。変な人だ。 和也が欲しいと言うので、ファミコンを買ってやった。 よほど気に入ったのか、和也は風呂も途中で飛び出してファミコンに興じている。 私は、豊かで、実に寛いだ気分になった。 深夜、隣で寝ている和也の様子がおかしいことに気づいた。 ファミコンで遊び疲れたのだろうと思っていたが、高い熱を出していた。 風呂の途中で飛び出したため、風邪を引いたのかもしれない。 救急車で病院に連れて行き、ひと晩入院することになった。 私の持っていった健康保険証に和也の名がなかったので、それを説明するのにひと苦労した。母親がちゃんと手続きをしていないのだ。 近日中に必ず保険証を持ってくることを病院に約束して、やっと了解してもらった。 そうだ。和也は、来年の4月には学校へ行かねばならない。 その手続きもしなければ・・・。考えてみると、やらなければならないことがたくさんあった。 さあ、忙しくなってきたぞ。そうつぶやいてみて、それがとても楽しいことに思え、満足した。 和也の熱は下がったが、病院は和也を返してくれなかった。健康保険証を持参しろの一点張りで、お金はちゃんと払う、といってもダメだった。 離婚した妻に電話をかけ、和也の手続きをちゃんとやるように言ったが、 「何を言ってるの? 和也なんて子はいません」という。 こういう女だから、やはり和也をこちらに引き取ってよかったと思った。 和也のいない数日、私の胸は張り裂けそうだった。病院へ行っても、市役所へ行っても埒があかなかった。 別れた妻の住所地の役所に行き掛け合ったが、これも「戸籍上、そういうお子さんはいらっしゃいません」などと訳のわからないことを言う。 疲れて帰ってきたら、家の前に2人の男が立っていた。黒皮の手帳を見せ、私の名を確認した。警察官だった。 ちょうどよい。私は事情を説明し、和也を病院から取り戻してくれるよう依頼した。 「なぜ、あの子を誘拐してきたのかね?」 詳しく説明しろ、というので警察署に行き、別の刑事に一生懸命説明したのに、こんな変なことを言う。 「誘拐? 誘拐はもっとも卑劣な犯罪です。まして子供を誘拐するなど、絶対に許せない犯罪です」 「その通りだよ。だが、それをあんたの口から聞こうとは思わなかった」 私は、何日間か、警察で過ごした。和也のことを思うと心配で仕方なかったが、病院や警察が、まさか和也を飢え死にさせることもあるまいと思い、我慢した。 入れ替わり立ち代わり、いろいろなひとが私の説明を求めた。なかには無礼なものもいたが、和也に何かがあってはと考え、辛抱強く丁寧に説明をした。 ある日、先生と呼ばれる人が私の話を聞いてくれた。この人は私の説明をよく理解してくれたうえ、「うちへ帰って、和也君の帰りを待とうね」といってくれた。ずっとひとりぼっちだったから、この言葉が嬉しくて涙がわいてきた。 「・・・症ですね。五十代じゃちょっと若いけれど、最近増えているんですよ。まじめに必死になって生きてきた人に多い・・・」 先生は、警察官にそう話していた。気の毒に…… 誰かボケてしまった人がいるらしい。私は、母親のことで苦労したから、よくわかる。 私は先生と一緒に家に帰った。 自分の部屋とはちょっと違うような気もしたが、きれいに掃除もしてあったし、誰かが買ってくれたらしいベッドがあって、落ち着くことが出来た。 翌日、若いきれいな女の人が私を尋ねてきた。 「娘さんですよ」と、先生が紹介してくれたが、知らない人だった。 「お父さん、M子よ。ねえ、わからないの?」という。 私には、娘はいない。和也が、息子が一人いる。和也に会いたい。 M子と名乗る女は、その日一日いて帰っていった。一日中、私の顔を見てはぼろぼろ涙を流すのには閉口した。 また何日かして、あの泣き虫の女が来た。 和也が一緒だった。和也が帰ってきた。やっと・・・。 「まこと。おじいちゃんよ」泣き虫がまた泣きながら、和也にそう言った。 |