まだ見てござる

(4)


 暑い一日が終わり、静かな夜を迎えた。
 青田を渡ってくる風がさわやかで、空には星がきらめいていたが、お堂の中の観音さんには、それを感じ見ることはできなかった。
 お堂の扉が閉ざされていたためばかりではない。
 観音さんの目は涙で曇り、心は深い深い悲しみの淵に沈みこんでいたからである。
 観音さんの耳には、読経の声が響いていた。経は、地蔵さんがねっとでつないでくれた、溝口家の通夜の枕経だった。
 悲しい、あまりにも悲しい響きの枕経だった。
 「まだわからないかね、地蔵さん」
 「もうちょっと待ってくださいな、観音さん。領内のねっとが総掛かりで調べているけど、まだ引っかからないようだ」
 「ふむ。限られた数の藩の探索方ならいざしらず、地蔵ねっとの網の目をかいくぐっている下手人、いったいどんなヤツなんだろう」

 地蔵ねっととは、国中の地蔵と道祖神をつなぐ通信網で、各地の地蔵、道祖神からはさらに神社仏閣はもとより個人宅の仏壇、神棚までつながっている。
 そのねっとが、いまフル稼働して、七重を殺した下手人の探索に当たっているのである。
 探索といっても、神仏の場合は、藩の探索方の役人がやるような、聞き込みや戸別改め、あるいは道路封鎖をやるわけではない。地蔵や道祖神、仏壇や神棚、神社仏閣の付近を通る人間を、ただ黙って見ているだけである。
 見ているだけではあるが、そこは人の心を司る神さま、仏さま。下手人が近くに来れば、たちどころにその心気をを読み取ってしまうのである。

 藩の探索方による下手人の追及も急ピッチで行われていた。
 百姓、町人が殺されたのではない。出自はともかく、七重は、現在はれきとした藩士の奥方なのである。それが「藩士と思われる風体」の武士に殺害された。事実下手人が藩士なら、これは重大問題である。
 探索方は、目撃者である溝口家の下男、三やの証言をもとに、「若い藩士」を片っ端から調べ上げた。
 これは割合簡単な作業であった。
 「藩士」は、もともと数百人しかいないし、「若い」と言う条件を当てはめるとさらに少なくなる。
 四つ過ぎ、と言う犯行時刻は、勤務時間内だから、藩士ならそれぞれの役所に出仕していたはずだし、非番のものや無役のものに限定すると対象になるものはごく限られた数になる。
 下手人はすぐに見つかる。誰もがそう思った。
 探索方の役人にしても、日のあるうちに犯人を捕らえ、事件の背景まで明らかにできる、と考えていた。
 いや、それくらいの速度で解決してしまわなければならない事情があった。
 この日、幕府の大目付配下の吟味役が城内に入り、領内の治安に関して吟味が始まったのだ。
 まず城代家老の審問が行われ、続いて関係奉行や重臣の取調べが行われる。翌日からは、証拠、証言、あるいは風聞に基づく現地、現場調査が行われ、調査が済み次第、仮処分が決定される。
 その吟味が進めてられている最中に、こともあろうに藩士の正妻が斬殺されるなどという血なまぐさい事件がおこり、その解決に手間取っているわけには行かないのである。
 だが、必死の探索にもかかわらず、下手人の行方は杳として知れなかった。

 「観音さんよう、ちょいと場所を借りるぜ」
 快堯が酒徳利をぶら下げて本堂に入ってきた。
 「庫裏は暑くてたまらん。庫裏に比べて、ここは風も通るし……」
 ばたばたと扉と窓を開けると、快堯は観音さんの前に座り込んだ。
 その瞬間、観音さんは、足の下にまがまがしい心気を感じた。その場に立っていることが耐えられないような、血なまぐさい心気だった。
 ことん。音がして観音さんの台座の一角が開き、男が二人、床下から顔を覗かせた。
 快堯は黙って湯飲みに酒を注ぎ、二人に渡した。

 「こいつだ! こいつがやったんだ!」
 二人のうち、若い方の男から血なまぐさい妖気が漂っていた。
 「こいつだよ、地蔵さん、見えるかい?」
 「ああ、見えてますよ、観音さん。その若い方が友吉だ。もうひとりは宗助という薬売り…… こいつらが仕組んで七重を殺したんだな!」
 なるほどこいつらなら、地蔵ねっとにはなかなか引っかからないだろう。神棚や仏壇のあるようなまとな家には住んでいないだろうし、歩くのは人目を避けての裏街道や山の中。地蔵や道祖神の目にも触れない道理だった。

 「いよいよ明後日、か……」
 快堯は、湯飲みの酒を口に含んで薄笑いを浮かべた。
 「筋書きはちょいと変わったが、今度も楽な仕事だったな」
 「大丈夫ですかね。村中にうわさは振りまいておきましたが」
 「ま、村の百姓どもは手を出さんだろう。代わりにどこのものとも知れぬ百姓が血の雨を降らせるさ」
 「どこのものとも知れぬ、ねえ……」
 友吉が残忍な笑みを浮かべて、酒を一息に飲み込んだ。

 「もうたまらん、ここには立っていられない。明神さん、私を背負ってここから出してくれないか」
 「へっ? 観音さんを背負うのかい? かなり重そうだけど」
 「大丈夫だから、早く早く」
 明神さんが台座の脇に腰をかがめると、木像から白い煙のようになった観音さんがふわぁっと抜け出てきて背に乗った。
 「さあ早く外へ出ておくれ。一瞬でもこいつらと同じところに居たくない」
 「へっ? 観音さん、もうおんぶしてるのかい? 軽いねえ」
 「私は、実体は模糊だからね」
 「模糊?」
 「真髄といってもいい。そんなことはどうでもいいから、明神さん、すまないけど、このまま私を七重の枕元まで連れて行ってくれないかね」
 「ほい、承知した。でも、いいのかね、こいつらは?」
 「かまわないよ。すべては明後日だ。それまでに、こちらもやることをやっておかねばならんからね」
 観音さんを背負った明神さんは、歩き出しがてら、快堯の目の前の徳利を蹴飛ばしてやった。
 徳利がひとりでにひっくり返ったので、快堯は眉をしかめ、気味悪げに観音さんの顔を振り仰いだ。

 「観音さん、わしゃ、あいつらに罰を当ててやりたいんだがね」
 観音さんを背負って、ご城下へ向かう夜道をたどりながら、明神さんはたまりかねたように言った。
 「明神さん、気持ちはわかるけどね、この世の人間たちのすることに、私たちは手出しをしてはいけないんじゃなかったかね。人は自分の力で物事を解決しなければならない。私たちはそれを見届けるだけだ。罰は、人の力ではどうしようもない魔に対して当てるものじゃないか」
 「あいつらは、魔じゃないのかね」
 「やつらは、命ぜられた仕事をこなしているに過ぎない」
 「放っておくのかね?」
 「放っておきはしない。だから七重のところへ行くんだよ」

 星もない暗闇の中に、一対の堤燈に照らされて溝口家の門だけが浮かび上がっていた。灯りは人の心を明るくするものだが、いまはすでに弔問客も絶えて、むしろ寂しさを浮かび上がらせていた。

 「ここでいいよ、明神さん」
 「すまないね、観音さん。わしも七重の顔を見たいんだが、忌の字のすだれはくぐれないんでね」
 門口で明神さんの背を降りた観音さんは、折りよく堤燈の具合を確かめに出てきた下働きの三やに乗り移って、溝口の家へと入っていった。
 夜も更けていたので、弔問客こそいなかったが、七重の枕元には、溝口徳之助を始め、老いた徳之助の両親、七重の養い親となった内藤与惣兵衛夫妻、そして茂作、お糸夫婦が沈痛な面持ちで座っていた。
 お糸のひざには、七重の忘れ形見となった徳七郎が眠っていた。まだ幼い徳七郎は、母の死も知らず、人の出入りでにぎやかになったためであろう、先ほどまで興奮してはしゃいでいたが、お糸にあやされてようやく寝付いたところであった。

 溝口徳之助は、深い悲しみと怒りの淵に沈んでいた。
 七重は素晴らしい妻だった。
 もともと七重という「女」に惚れ込んで妻にしたわけではない。勘定方の家系に生まれながら剣術に打ち込んだ朴念仁と言えども、女の美醜はわかる。どう贔屓目に見ても、七重は美人の部類に入らない。七重の所作を見て「武士の妻にふさわしい」と考えただけである。
 だが、百姓の娘が武士の妻にふさわしいわけがない。そんなことよりも「自分の妻」として大当たりだったことに、徳之助はすぐに気づいた。
 「下手人は誰だ。誰が何のために七重を殺めたのか」
 つい先ほど、探索方から捜査状況の知らせがあったが、下手人はおろか、なぜ七重が殺されたのか、その理由すらわかっていないようだった。
 下手人は「百姓と通ずる溝口徳之助は許しがたい」と言ったというが、現実には、藩内でそういうことが問題になったことはないし、そんな考えをもつ藩士がいるという噂さえなかった。七重自身は、といえば、前にも述べたように近頃は人気者で誰からも好かれており、手にかけるほどの憎しみをもつ者の存在は、誰にも思い当たらなかった。
 「すまなかったな、七重……」
 それは、悲しみと怒りにまざって、何度も沸き起こった思いだった。
 「武士の妻にならなければ、こんな死に方をすることもなかっただろうに」

 「いいえ、旦那さま。旦那さまの妻になって、私はは幸せでしたよ」
 七重の声が聞こえた。気の迷いだ。徳之助は首を振って気持ちを切り替えようとした。
 しかし七重の声は続いた。
 「義父上さま、義母上さまも心から私を大事にしてくださいましたし、内藤さまもお妙さまも私には良くしてくださいました。そして何よりも旦那さまが私を愛してくださったこと、とてもうれしゅうございました」
 部屋にいる全員が体を起こし、顔を見合わせた。
 七重の声は、全員の耳に響いていた。

 夢枕である。
 神仏が人に語りかけるとき、通常は眠っている間に夢に託すものだが、眠っているのは徳七郎だけで、ほかの人々は放って置いたら永久に眠らないのではないかと思える状況だった。だが、ことは急を要する。そこで観音さんは七重の魂と同化して、全員の心に直接訴えかける夢枕の手法を使ったのであった。
 七重の声が続いた。
 「短い間でしたが、お武家さまの世界に身を置いて、私はとても大事なことを学んだ気がします。お武家さまも百姓も同じ人間、人としての心は同じだって言うことです。二つの世界を区切る垣根を取り払い、協力し合えば、もっともっと豊かに安心して生きてゆくことができると思いました。……でも、それを望まない人々もいました」
 それを望まず、七重を殺めて武家と百姓衆の対立を掻き立てようとたくらんだ者たち…… 七重の言葉として語られたこの事件の全貌は、徳之助と茂作の推測に一致していた。


 大目付吟味役、井上上総之介の怒りは頂点に達し、全身の震えが止まらなかった。
 藩士が百姓女を殺した。それに怒った百姓たちが騒ぎ、藩の侍相手に刃物を振り回す…… それが筋書きだったはずである。百姓たちが本当に事を起こすかどうかは問題ではない。百姓衆に紛れ込んだ宗助と友吉が、誰でもいい、その辺にいる藩士を血祭りに上げ、騒ぎにまぎれて逃げ出してしまえばいい。後は上総之介の出番だ。
 もともと言いがかりに近い吟味だったから、たいした証拠はない。ないが、「こともあろうに幕府の吟味役の目の前で」流血の騒ぎが起きたとなれば、それだけで藩政不安定とするに十分である。
 「準備は整った、すべて予定通り」
 昨夜、城内の井上上総之介の寝所に忍んで来た宗助は、確かにそう報告したはずである。

 が……
 吟味最終日、芦原村に入った井上上総之介の目の前には、まったく別の筋書きが展開されたのであった。
 いま、上総之介の目の前には、高手小手に縛り上げられた快堯ら三人が転がされている。衣服が裂け、血まみれになったその姿は、捕えられた際のすさまじい抵抗を物語っていた。

 この日早朝、探索方の役人と藩の手利きのもの数十名が蟻の這い出る隙もないほどに淨観寺を取り囲んだ。
 その中に、溝口徳之助の姿があったことは言うまでもない。

 「観音さんよう。今日でお別れだ。念入りに経を唱えてやるからな」
 上機嫌で朝の勤行を始めた快堯は、すぐに異常な気配を感じ取った。
 すぐさまろうそくを吹き消して小窓から覗く。外はまだ夜明け前の暗闇に支配されていたが、闇を見るのになれた快堯の目は木陰に潜むおびただしい数の役人たちの姿をとらえた。
 「くそっ。甘く見すぎたか」
 庫裏から、同じく気配を感じて飛び起きた宗助と友吉が武器を携えて本堂に飛び込んできた。
 「これまでじゃ。なあに相手は田舎侍、なにほどのことがあろう。切っ払って囲みの外に出てしまえばこっちのものだ。行くぞ!」
 たちまち大乱闘になった。

 数から言えば、三人対数十人だから結果は見えていたが、快堯の読みはある程度あたっていた。
 幾多の修羅場を潜り抜けてきた隠密たちに対し、藩士たちは戦の経験がまったくなく、探索方といえども人を相手に真剣を抜いたことがないというのが実情だった。藩士の中では最も腕のたつ、免許皆伝の溝口徳之助にしても、真剣で人を斬ったことはない。
 二重三重に取り囲んでは見たものの、三人を捕縛するための決定的な一撃がないのである。
 三人は、たちまち囲みを斬り破った。
 「計画はちと狂ったが、騒ぎで藩士にけが人が出たことは間違いない。こちらの正体さえばれなければ、あとは井上様が適当に料理してくださるだろう」
 裏山に逃げ込みながら、快堯は、宗助と友吉に言って、このまま領外に出るように指示した。
 「そうはいかねえだよ」
 行く手の木立から声が響いた。
 暁闇をすかしてみると、あたりの木陰には手に手に得物を持ったおびただしい数の百姓衆が潜んでいた。
 「皆の衆、こいつらが七重を殺した下手人だ」
 百姓衆の先頭にいるのは、肥桶を担ぐ天秤棒を手にした茂作だった……
 乱闘は、小半刻ほどで終わった。
 簡単に突き破れると思った百姓衆の囲みを、隠密たちは抜け出すことができなかった。なにしろ百姓たちは、追えば逃げる、逃げれば追うの繰り返しで、三人を遠巻きにして石を投げ、茂みの中から棒を突き出してくるのである。
 互いに武器を手にした侍同士の戦いには慣れている快堯たちも、刀の届く距離には決して近づかない百姓衆の攻撃にはなすすべもなく、ただ刀を振り回して動き回ることで自ら体力を使い果たしてしまったのであった。

 「こやつらは、何者かな?」
 怒りを抑え、井上上総之介は城代家老に尋ねた。
 めったなことでは自分の素性を明かさぬものたちではあるが、万一にでも隠密であることが知られればすべてが水泡に帰する。
 「さ、それはこれから厳しく取り調べることでござるが、いずれ将軍家のご威光による平穏の世に不満を持つ不逞の輩でございましょう」
 「こやつらが画策したという証拠はあるのか?」
 城代家老の目がきらりと光った。
 「証拠? 何の証拠でございましょうかな? ご吟味役さまは、こやつらがなにか画策したと仰せられる?」
 「なにっ!」
 「この者どもは、先頃より当村の寺に巣食う無宿者にございます。この村の寺は、現在無住の小寺とはいえ、わが殿様が開基檀那を勤められた由緒正しき寺。いかがわしき無宿者の跋扈を許すわけには参りませぬ。よって手捕りにいたしたもの。……ご吟味役さまは、なにか此度のわが藩政不行き届きお疑いの件とかかわりがあるとお考えでも?」

 しまった、引っかかった……
 隠密組の工作が順調に進み、いよいよ最後の仕上げというときに、肝心の快堯らが捕えられたため、上総之介はすでに事が露見した、と思い込んでしまった。
 いや、吟味役の目の前に三人を引き出したということは、すでに快堯らの正体は知られているに違いない。
 問題は、「証拠があるか」という言い方で、彼らのかかわりを上総之介自身が認めてしまったことだった。
 無言のまま、上総之介がにらみつけると、城代家老は、静かな自信に満ちた目つきで見返してきた。

 「どうしろというのかな?」
 「不逞のものといい状、この者は僧形をいたしておりますれば、厳しく言えばお寺社奉行さまのお係りと存じます」
 「いかにも。お寺社の支配には、われら大目付さま配下といえども手を出すわけには参らぬ」
 「では、この者どもは吟味役さまにお預け申しますゆえ、江戸へお連れ帰り吟味役さまからお寺社さまへお引渡し願いたく……」
 「なに! わしに任す、というのか?」
 「いかにも。併せて此度の当藩政にかかわる一件についても……」

 「なに? なにが言いたい?」
 「いえ、なにも」
 城代家老は口元に笑みを浮かべていい放った。
 「身はなにも言うつもりはございませぬ。が、藩士七百六十名余と家の子郎党、しめて二千名の口を閉ざすことはでき申しませぬ。仮に、お家改易となり、この二千名が浪々の身となって全国に散れば…… その口より何が洩れるか」
 「わしを脅迫するつもりか?」
 上総之介の最後の言葉は、つぶやくように小さかった。


 その日のうちに、吟味役井上上総之介は、江戸への帰途についた。
 一行の後尾には、数珠繋ぎにされた快堯ら三人が引きずられるように従っていたが、上総之介が江戸に到着したときには、三人の姿はなかった。
 新たな任務を命じられて他国へ赴いたものか、あるいは仕事の失敗の責を問われ、どこぞの山の土になったものか、誰も知らない。


 「ほれほれ。そんなへっぴり腰じゃ、畑仕事はつとまらねえよ」
 「へ、へっぴり腰ぃ? 義父上こそ足元がふらふらしてますよ。お歳のせいじゃないんですか?」
 「義父上だあ? やい徳助、百姓がそんな口の利き方をするか。いつまでも侍根性がなおらねえなら、俺んちどころか、この村からもたたき出すぞ」
 「へん、鍬に振り回されてるじいさまに、このおらが叩きだせるもんけえ」
 「よし、その調子だ」
 「あはははは……」
 「わはははは……」
 空がぬけるように青い秋の日、茂作の畑には、減らず口を戦わせながら収穫にいそしむ二人の男が認められた。
 一人は言うまでもなく、茂作。もう一人は、刀を捨て徳助と名を改めて百姓になった溝口徳之助だった。

 結局、藩は取り潰しを免れたものの、幕府の顔も立て、国替えということで幕が引かれた。
 藩の領地は、将軍家お預かりとして幕府が直轄することになった。
 半月ほど前、殿様と藩士たちは、揃って新しい任地の旅立っていったが、徳之助は「非業の死を遂げた妻の眠る地を離れがたい」として同行せず、一人息子の徳七郎とともに芦原村に居を定めたのであった。

 「お茶が入ったよぅ。一息入れたらぁ」
 男たちの笑い声に、お糸の声が割って入った。
 あぜ道に敷いたむしろに座り、孫の徳七郎、いや徳七の遊び相手をしながら、お糸は、ここに七重がいてくれたら、と涙ぐんだ。