まだ見てござる (3) |
「やった! 観音さん、石川村がやったよ」 「直訴だね? 地蔵さん」 「ああ。すごいことになっている」 「すごいことって、まさか血の雨が降っているんじゃなかろうね?」 「そうじゃない。お侍は刀を抜いていないし、暴力は一切無しだ」 五月雨の季節だった。 朝からの篠突く雨の中、勇ましい触れ声もなく、参勤交代のお行列は、江戸へ向かって城を出た。雨の日は避けたいところだが、参勤交代は、出発日も到着日も、道筋から供ぞろえの人数まで定められていて、日延べは出来ない。 国境に近い谷間の街道で、突然、お行列が止まった。 前方の路上に、三人の百姓が平伏し、油紙に包んだ書状らしきものを高々と掲げて叫んでいた。 「お願いでございまするぅ。お願いでございまするぅ!」 「石川村名主耕兵衛ほか二名、お殿様にお願い申し上げまするぅ!」 警護の供侍が、わらわらと前方に走り向かう。 「退け! 道、開けい!」 「直訴はならぬ。直訴は禁止じゃ!」 「退け! ええい、退かぬか!」 「直訴は、死罪じゃぞ!」 厳しい叱責にも、三人は動かなかった。 斬り捨てるのは簡単だったが、参勤交代の道を血で汚すのははばかられた。やむなく総がかりで三人を路肩に押さえ込んだときだった。 「お願いでございまするぅ!」 「お願いでございまするぅ!」 雨音を突き破って喚声が上がり、お行列の左右からおびただしい百姓の群れが手に手に訴状を掲げて湧き上がった。 後にわかったことだが、石川村百姓百四十余名、病気怪我で動けないものを除く女子供を含めた全員が打ち揃って直訴に及んだのであった。 これは、直訴というより、もはや一揆だった。 手に掲げたのは訴状であるが、百を超える多数がいっせいにかざしたそれは鋭い刃にも似て行列を震え上がらせた。 大混乱に陥ったが、さすがに一城の主、お殿様は立派だった。 「鎮まれ! 騒ぐでない!」 お駕籠から雨の中に降り立つや供の者たちに一喝した。 泥んこになってひれ伏しながらも訴状を打ち振る村人たちを左右に見ながら、お殿様は悠然と名主の前に進んだ。 「石川村、と申したな?」 「へ、へぇ」 「ならば訴状は読まずともわかる。蔵米のことであろう?」 「へ、へぇ。食うものがなく、村の衆は飢えてますだ……」 「すまぬな。わかっておるのだが、城の蔵にも米はほとんどないのだ。急ぎ他国より買い入れの手配をいたしておる故、今しばらく堪えてくれ」 お殿様は、それだけ言ってきびすを返した。ずぶ濡れになり、髷も崩れてしまったが、気にする風もなく静かに駕籠に戻り、老臣に何事かささやいて再び駕籠に乗り込んだ。 供侍のうち数名を残して、お行列は静かに動き出し、何事もなかったように江戸へ向かった。 百姓たちは、黙ってお行列を見送った。 百姓の苦しみなどどこ吹く風、城の奥で贅沢三昧をしていると思っていたお殿様が、石川村の窮状を知っており、「すまぬ」と詫びた。 その場で斬り殺されることも覚悟していた。いっそ殺されたほうがましだ、とも考えていた。場合によっては、敵わぬまでも一暴れしてやろうとひそかに草刈鎌や包丁を隠し持っていた若い衆もいたが、思いもかけぬ藩侯の言葉に、身体中にみなぎっていた力が消えてゆくのを止めようがなかった。 「なにもなかった。よいな、何もなかったのだぞ」 お殿様は、そう老臣に耳打ちしたのだった。事を荒立てて、万一、出府が遅れたり、参勤交代の道中に支障があったことが幕府の耳に入ったら、どんなお咎めを受けるか知れない。 「百姓たちの罪科と問うてはならぬ。労って村へ帰してやれ」 供侍のうち数名が残り、石川村の百姓衆を連れて城に戻った。 一応の取調べが行われたが、それは取調べというより、村の窮状を聴取したというほうが正しかった。 その日の昼過ぎには、雨の切れ目を選んで、百姓衆は村へ帰って行った。 帰村に際し、弁当として、全員に握り飯二個、子供たちには別に一個の菓子が与えられた。 日頃、村人の信頼の厚い茂作だが、今回ばかりはつらい立場にいた。 年貢の軽減を、領主を飛び越して幕府に直訴しようと言う名主と、そこに陰謀の匂いを嗅ぎつけて何とか押しとどめようとする茂作が対立し、村を二分する騒ぎになった。 二分といっても、「幕領の三公七民とはいかずともせめて五公五民に」とぶちあげる名主につくものは多く、「陰謀だ」と訴える茂作を支持する村人は少なかった。 陰謀だといっても、それは茂作の勘に過ぎず、なんの証拠も示すことができなかったからである。 その騒ぎの真っ最中に、石川村の直訴成功のうわさが流れてきた。 もともとうわさと言うものは、伝言ゲームと同じで、伝聞に次ぐ伝聞だから内容の信憑性は乏しい。その上、噂話とは、もともと真実や事実を伝えようとするものではないので、話が面白く膨らんでゆく傾向がある。 芦原村へ伝わった石川村直訴の話は、ご領主様が将軍様に叱られて百姓衆に手をついて詫び年貢の減免を約束した、というふうになっていた。 このうわさが追い風となって、名主派はさらに膨れ上がり、茂作はついに孤立してしまったのである。 「それはおかしい! 義父上の言うとおり、これは陰謀だ!」 娘婿の溝口徳之助が厳しい表情でいった。 石川村事件のあと、藩はすぐさま領内の全農村に役人を繰り出した。 事件が他村に広がるのを恐れてのことではあるが、同時に、藩財政の窮乏を根本的に解決するために、数年前から推進している新田開発の計画の具体化を図るためであった。 個人でも会社でも、いうまでもなく国と言う巨大組織でも同じだが、財政の根本は「出るを制し、入るを図る」である。 「出る」のほうは、倹約に倹約を重ね、なおかつ藩士の給料など「半知御借上げ」と称して半分しか支給されないなど、絞れるだけ絞り上げているのが実情だった。 にもかかわらず支出がほとんど減らなかったのは、幕府から江戸城の修復をはじめとする各種の工事を次々と押し付けられたためであった。これはどこの藩も同じで、巨額の出費を要する土木事業を押し付けることによって、各大名の力をそぐことが目的であったと言われている。 「出る」のほうの制御がこれ以上不能となると、「入る」のほうを膨らますしかない。つまり、増税である。 手っ取り早い増税には二つの方法がある。ひとつは税率を上げること、もうひとつは課税対象の拡大である。 しかし現実には、六公四民という税率は、ほぼ限界である。六公四民というのは、前にも述べたように、実収を基礎にしたものではなく、建物部分や道路などを含めた土地そのものを米の生産量に換算した、いわば架空の数字を対象にしたものだから、「六公」は事実上、米の生産量の「すべて」であった。 この税率を仮に七公三民に引き上げたとすると、それは「百姓は食わずに働け」と言うに等しかった。 残された道はただひとつ、米の生産量を増やすことしかない。すなわち新田の開発である。 「だが、義父上が間違ったのは、誰が陰謀の主か、ということだ。よく考えればわかることだが、お百姓衆が騒いで誰が得をするだろうか。少なくとも藩ではない。藩は、お百姓衆に騒がれると、ひとつには、米の収穫に影響し年貢が減ってしまう。もうひとつ大事なことは、お百姓衆が騒ぐと言うことは、領内の治政がうまくいっていないということで、幕府からきついお咎めを受けると言うことだ」 「では、誰が百姓にわなををかけるというだね? 町の商人たちかね? あるいはあの快堯ら悪坊主たちかね? やつらは百姓から小銭を掠め取ることは考えても、年貢がどうなろうと何の関係もない」 「幕府だよ、義父上。陰謀の主は幕府だ。幕府はこの藩の取り潰しを考えているに違いない。快堯とか言う坊主と友吉と言う若者、そして薬売り、おそらくそいつらは幕府の隠密だろう」 「おんみつ?」 茂作は、初めて聴くその言葉になんともいえぬおどろおどろしさを感じた。そういわれてみると、あの快堯坊主にしろ友吉にしろ、得体の知れない禍々しさがあった。 「しかし快堯坊主の言ったことは筋が通っていた。友吉だって、嘘を言ったわけではない……」 「人をたぶらかそうとするときは、一から十まで嘘を言ったのではすぐばれてしまう。十のうち九までは本当のことを言い、ひとつだけ事実を捻じ曲げることを言うのが常道ですよ。快堯の言った幕領の年貢のことは、おそらく事実でしょう。ですが、義父上、年貢と言うものは五公五民といった税率だけではわからないものなんですよ。たとえばこの藩でも、直訴のあった石川村は三公七民です。ほかにも四公六民や五公五民の村もある」 「石川村は三公七民?」 「そう。あの村はもともと土地が荒れていて、米はおろか他の作物も実りがよくない。藩ではそういう実情をある程度勘案して、村ごとに税率を定めているんです。この芦原村や付近の村は、比較的豊かだから六公四民。いわば貧しい村の分を肩代わりしているんです。いいですか。米が五十俵とれる土地の七民と百俵とれる土地の四民では、百姓衆の取り分はどちらが多いですか?」 「三十五俵と四十俵…… 六公四民のほうが多い」 「そう。だから税率だけではわからないんです」 「六公四民の年貢は確かに厳しい。けれどそれは、百姓衆を絞り上げてわれら武士が贅沢をしているためではない。たとえばわが溝口の家の財政がどれほど厳しいか、義父上も七重を通じて聞き及んでおられましょう。われら家臣だけではない。お殿様も同じで、日常の食事は麦飯、お着物は木綿の一重で継ぎあてだらけ。奥方様は、腰元から裁縫を習ってお針仕事をしていると聞いています」 徳之助のこの説明は説得力を持っていた。 百姓衆は、他村の百姓との交流を禁じられてはいたが、地獄耳を持っていて領内の村々の年貢が微妙に違うことはもともと知っていたし、藩財政の窮乏ぶりもそこはかとなく聞き知っていた。 石川村と違って、自分たちは、いま食べていけないわけではない。税率は下げてほしいには違いないが、今すぐ非常手段を講じなければならないほど差し迫った事情があるわけではない。 「少し様子を見よう」 それは、常に大自然を相手に生産活動にいそしむ百姓衆が、ことに当たって最善の道を選ぶための処世術であった。 名主の訴える幕府への陳情が必ずしも得策ではないことに気付き始め、名主の役所には押してしまった爪印の取り消しを求める村人が次々と訪れた。 「なに! あの溝口と言う役人の嫁は、百姓の娘だと?」 「それも、あの名主名代の茂作の娘……」 「ふむう。使えるぞ、これは。さてどう料理してやろうか……」 快堯は、床下から戸棚へ首だけ突き出して報告する友吉に、茶を与えてから腕を組んだ。 この日、快堯は不機嫌だった。 芦原村への工作は思いのほかうまくいって、もう少しで、願ってもない「証拠」が手に入るはずであった。名主久右衛門が村の大多数の百姓の爪印まで集めた「訴状」である。 数日後には、快堯は、村を離れることのできない名主久右衛門にかわり、その訴状を「預かって」江戸へ旅立つ段取りになっていた。 その訴状が快堯の手に入る寸前、破棄されてしまった。 あの溝口徳之助と言う藩役人がやってきて、名主名代の茂作とともに村人の説得に回ったためであった。 「やはり、あのおっちょこちょいの名主ではなく、名代の茂作を工作すべきだったか」 快堯は、そう悔いていた。 事前の調査では、この村では先鋭的な考え方を持つ名主名代の茂作の影響力が大きく、工作に当たってはまず茂作を取り込むことが得策と考えられた。 だが、快堯の打った初手にあまりにも見事に名主が引っかかり、勝手に狙い通りの方向に動き出したため、快堯は、労せずして実を得る道を選んでしまったのだ。 それでうまくいっていた。つい数日前までは…… それがあっさりひっくり返ってしまった。 「井上様は、そろそろ到着されるのであろうな?」 「明日にはこの領内に入ります。城代家老にはすでに先触れが入っていますが、大目付様のご吟味と聞いて肝をつぶしているでしょう」 「殿様がすでに江戸屋敷で蟄居させられていることも知らぬのだろうな?」 「江戸屋敷はご吟味終了まで閉門。国許への使者は禁足させられています」 「ご吟味は3日、延びても5日で終わる。これまでにお届けした証拠と、石川村直訴の一件だけでもこの藩の改易は免れないところであろうが、もうひとつほしかったな。この領内では有数の豊かな村、芦原村の蜂起という、決定的な駄目押しがな」 「よし、ちょいと荒っぽい手を使うか」 快堯の唇がゆがみ、邪悪な微笑みが洩れた。機嫌が治ったようだった。 下働きの三やとともに、七重が家を出たのは四つ過ぎ(現代の午前10時ころ)だった。 七重は、このところ毎日、藩士の奥方たちに招かれて忙しかった。 溝口徳之助に嫁入った当初は、出自が百姓とあってさげすまれ、後ろ指を差され、日常の挨拶すら無視されたものだったが、養母の、内藤与惣兵衛の妻、妙のとりなしと七重自身の寡黙で控えめな性格が好まれて、次第に奥方仲間に加えてもらえるようになっていた。 そればかりではない。 七重は最近、かなり上級の藩士の奥方たちの人気者になり、連日、それぞれの私邸に招かれているのだった。 七重の人気の秘密は、百姓出身と言う身の上にあった。 前にも述べたように、この藩では、財政の逼迫から「半知お借り上げ」と称して藩士の俸給を半分に減らすと言う大リストラを敢行中であるが、そのためどの家でも家計のやりくりと圧縮を迫られていたのである。 「武士は食わねど高楊枝」という。 表向きの体面は保たねばならぬとなれば圧縮するのは食い物しかない。金をかけずに腹の虫に文句を言わせないだけ食う、そういう料理なら、これは百姓出身の七重の最も得意とするところだ。 各藩士の家の台所で、七重は、今までなら捨ててしまっていた食材を、見事に食卓に乗せる秘術を、奥方たちに伝授していたのである。 身分の高い藩士の家では、広い庭に目をつけて、枯山水の代わりに菜園を造ることを勧め、実際、城代家老さまの屋敷などは庭の半分ほどが菜園と化し、書院の障子を開けると紫色のナスの花が見えるまでになったという。 七重は、今日は久しぶりに養母である内藤家の妙を訪れる予定であった。 養母といっても、妙は七重より十歳も若い。これは百姓娘の七重が溝口徳之助に嫁入るに際し、武家の娘という身分が必要だったため、便宜上、内藤家の養女ということになったためだ。 ちなみに、七重には「ははうえ」が三人いる。 内藤家の「養母上」と溝口家の「義母上」そして実の母お糸である。実母は言うまでもなく、義母である徳之助の母も、養母である妙も、皆よくしてくれるので、七重は自分を幸せ者だと思っていた。 父、茂作の影響で、七重は武士に対して漠然と嫌悪感を持っていたが、夫である徳之助は心底自分を愛してくれているし、舅も溝口家当主の嫁として大事に扱ってくれている。徳之助の同僚や他の藩士たちにしても、当初は好奇の目で七重を見たが、最近は誰もが親しみを込めて挨拶をするので、武士だ、百姓だといっても付き合って見れば同じ人間。きっとうまくやってゆける、と思い始めていた。 「溝口徳之助殿のご妻女、七重殿でござるな?」 家を出て数歩のところで、深編笠をかぶった武士が七重の行く手をさえぎった。若い武家で、羽織袴をつけた姿は、藩士を思わせた。「お顔は存じ上げませんが、決してご身分の低くないお方とお見受けしました」とは、三やが後に探索方の役人にした証言である。 「はい」 答えて七重が、挨拶のため軽く腰をかがめた瞬間だった。男の腰からすべりでた刀がきらりと光って七重の右胸から左首筋を切り裂いた。 「藩、大事の折、百姓と意を通ずる溝口徳之助は許しがたし。天誅じゃ」 武士は刀を納めると、なにが起こったのか理解できずに呆然としている三やに向かって言った。 「直ちにこのことを溝口徳之助に伝えよ」 |
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