まだ見てござる (2) |
「で、どうしたらいいかね、茂作どん」 「百姓は相みたがい。食料の合力はしないわけにはいかんでしょ。直訴の話は、こちらでは何も手助けが出来んし、今のところわしらしか知らないこと。村の衆には伏せておいたほうがいい」 「合力って言ったって、どうやるんだね? まさか石川村まで荷車を押して行くわけにはいくまい? 役人に見つかったらただじゃすまん」 「粟を一升、隣村へ送ればいい」 「なに、粟をたった一升? おいおい茂作どん。托鉢の坊さんへの合力じゃないんだよ。それに隣村へ送ってどうしようというんだね?」 出来ることなら「石川村援助物資」と札を掲げた山積みの荷車を押し立てて石川村へ向かいたい、と茂作は思った。領内の村々から一斉に荷車が動き出したら役人どもは肝をつぶすだろう。 だが、それはできない。役人は、百姓どもが政に逆らって旗を揚げたと見るだろう。形は違うが、一揆のようなものだ。 「隣村へ一升の粟なら、誰にも知られず送ることが出来る。そうやって隣村から隣村へ順繰りに送っていけば、あっという間に石川村に着くと思うよ。でね、ご領内の百二十か村が一升ずつ合力したら、石川村には十二斗の粟が集まる。ま、これは全部粟だと仮定しての計算だがね。これで石川村の人々は十日は食えることになる。十日の後にはまた一升。これを続けているうちに、石川村は立ち直る」 「うむ。そうすれば、ご法度破りの直訴をしなくて済むな」 茂作もできれば石川村の衆には、直訴は避けてほしかった。 が、それは、久右衛門が考えている自分の村へのとばっちりを恐れるためではなかった。 石川村が直訴したところで、名主はじめ何名かの代表者を犠牲にして、いくばくかの米を手にするだけのこと。政の歪みそのものは何も変わらないのだ。直訴というのは、法を超越する権力を持つものに直接訴えてお願いをすること。殿さまだろうがお武家だろうが、つまるところは同じ糞をする人間じゃねえか。もともと百姓が作った米、その百姓が食えなくてどうする。お願いをして食わしてもらう筋じゃない。 直訴なんてしなくても、がんばって働いたら働いた分だけ食えて当たり前。同じ命をかけるなら、そういう世の中にするために命をかけなきゃ。 茂作はそういいたかったが、やめた。そう言ったところで、久右衛門には理解できないだろう。 「それで、もしだよ、途中の村がネコババしたらどうする?」 「久右衛門さん、そこまで疑っちゃいけない。人のものを掠って生きるのはお武家だけだ。百姓は信じあうしかない。それに、仮に途中で消えたとしてもね、それはよほど腹を減らしたものの仕業だ。許してやらなくちゃね」 楢沢村の名主にはその旨返書を送る、ということで話がほぼまとまった。 そこへ、待っていたように快堯和尚が茶を持って現れた。 「すまんことじゃが、茶は冷めておる。いや実は、先ほどからそこに居ってな、話を立ち聞きしてしもうた」 待っていたように、ではなく、待っていたのだ。 「難儀なことになりましたなあ」 「聞かれてしまったものは仕方がないが、和尚さん、この話はくれぐれも内緒にして置いてください」 「拙僧は、今日この村へ着いたばかりで、知り人はまだ誰もおりません。話したくても聞いてくれる人はいませんよ。ご安心なさい」 茂作は、しかし、かえって不安になった。 百姓は、いつも広い田畑の中で、自然を相手にひとりでぽつんと仕事をしている。だから社会とはかけ離れていて世事には疎いようだが、意外にも地獄耳で、どこから聞き込んでくるのか、よその村の出来事の噂話をしたりする。 「寺に新しく坊さんが来るそうだ」 快堯和尚についても、そんな噂が流れていても不思議ではなかったが、今度ばかりは全く、何の前触れもなかった。 「ここへ来る前、拙僧はある天領の村におりましてな」 茂作の不安を見透かしたように、和尚が語りだした。 「そのご領地では、年貢は三公七民と決まっておりましてな」 「三公七民?」 久右衛門が、びっくりして声を上げた。 「さよう。年貢というものは、古くは太閤秀吉さまが二公一民と定めたものじゃが、徳川さまの御代となってからは、農業は国の礎、百姓を大切にせねばならぬということで、五公五民というのが基本になった。天下の無事が続いて実収も上がるようになったので、天領では、さらに厚く四公六民、三公七民とするところが出てきたのじゃ」 「三公七民なんて夢のようだ。四公六民だって、一揆だ直訴だと騒ぐ連中はいなくなる」 「そればかりではない。士農工商といって、農民は武士に次ぐ高い身分が保証されているが、これも権現家康公の定めたもの。権現様は、それまで虫けらのように扱われていた百姓のことを思い、<百姓むざと殺し候事御停止>という政令を出され、仮に罪科のある者でも百姓を殺してはならぬ、と仰せ出せれた。国を富ませるのは百姓、その国を守るのが武士、あい携えて無事(平和)の天下を作り上げよう、というのが権現様のお考えじゃった」 「ではなぜ、この藩は六公四民なんです? 太閤さまの二公一民より多少はよくなったかも知れんが、天領の三公七民とは違いすぎる」 「お大名、お旗本のご領地、知行地については、それぞれの事情にしたがって決めることになっているからじゃが、もう一つは将軍さま、つまり幕府が個別の実情をつかんでおらんからじゃよ。無事が続いている限り、その藩はうまくいっていると考えるしかない。これが、直訴、一揆など、お百姓衆が立ち上がって幕府の耳に入るとはじめて、吟味が行われ、改善されることになる」 「この藩を吟味にかけるには直訴、一揆が必要だと?」 「いや、拙僧は御仏に仕える身。政治向きのことにどうこう言うつもりはないし、お百姓衆にどうせよとも言わない。ただ仕組みについてお話しただけのことじゃよ」 徳川家康が、「百姓は国の根本である」といい、厳しい身分制度において高く位置づけたのは事実である。また「むざと殺してはならない」と農民保護の政令を出したのも事実であるが、それは当時の総人口の九割を超える農民を支配し、生産性を高めるための方便であった。 それは、甘い言葉とは裏腹に、百姓の生活行動が厳しく制限されていたことに表れている。百姓は、たとえば許可なく村を出ることが出来ず、決まった土地に縛り付けられていた。他の村の百姓と交流することももちろん禁止され、生活のさまざまな局面で、五人組などの連帯責任制度により相互監視の仕組みを押し付けられていた。 快堯和尚の話は、農民支配のためのアメとムチ政策のアメのほうだけだったが、これをはじめて聞いた久右衛門と茂作は呆然とした。自分たちのおかれた状況があまりも違ったからである。 久右衛門にいたっては、この村の実情を幕府に直訴しようか、と言い出す始末であった。 しかし、二人は知らなかったが、六公四民という年貢こそ重かったものの、この藩は、昔からの農民との信頼関係を大切にして強引な年貢の取立て等は行わず、他藩に比べれば総体的には善政といってもよかったのであった。 「観音さん。石川村の地蔵から情報が入ったよ。状況は、友吉という若者の言うとおりで、ひどいもんだ。田畑はほとんど雑草に覆われているし、百姓衆はその雑草をかじって命をつないでいる。報告をくれた石川村の地蔵はお堂ごと押し流されて、新しく出来た川の流れの中に転がっているらしい。誰も道端にあった地蔵のことなんかかまっている余裕はないみたいだ」 「おやおや気の毒に。じゃ、この話に問題はないんだね?」 「いいや。問題は大有りだよ」 地蔵ねっとには、次のような情報が集まった。 まず、石川村の状況は友吉の話したとおりだが、問題は、石川村には、友吉という若者は存在しないこと。 お蔵米の下げ渡しについては、役人が断ったのは事実だが、それは蔵に米がなかったからであった。お城の仏壇から寄せられた情報によれば、お殿様は、「すぐさま必要なだけ米を放出せよ」と命じたのだが、参勤交代の巨額な費用を作るため、お城の米はほとんど売り払われた後だった。 いま城内では、ご家来衆の扶持を削ったり、ご城下の商人に融資を依頼するなどして、なんとか石川村を救済すべく協議が重ねられているという。 「じゃ、なぜ直訴だなんて話が出てきたのかね?」 「たまたま石川村へやって来た旅の坊さんが知恵をつけたらしい」 「なにっ? 旅の坊さん? もしや……」 「そう。どうやらいま観音さんのところにいる快堯坊主らしい」 飢餓に苦しむ石川を村を訪れた旅の坊さんは、「百姓は国の根本だ。百姓が飢えては国が成り立たない。そのことをご領主さまに訴え出るべきだ」と説いた。 そして百姓の苦しみがご公儀にまで響けば、かならず百姓が大切にされる世が来るとして、参勤交代の折こそ直訴の好機である、と煽った。 「それと、楢沢村のほうだがね、名主が芦原村宛の手紙を薬売りに託したのはその通りだった。飛脚に頼むとご法度破りがばれてしまうので、苦肉の策として往来に不審を抱かれない薬売りを選んだようだ。だが、これにもちょっと引っかかることがあってね、この薬売り、毎年やって来る顔なじみの薬売りではないそうなんだ。いつも来るものが病気のため、代わりに来たと」 「なにか、たくらみの匂いがするね」 「そう。西国のある地蔵からはね、かつて、名前は違うが同じような三人組がやってきて、平和な領内に騒動が持ち上がったあげく、その藩がお取り潰しになった、という情報も来た」 「幕府の隠密……?」 「百姓たちを煽って騒ぎを起こさせ、それを理由に藩を取り潰す……」 翌早朝、茂作の家から友吉が発っていった。 軽やかな足取りで去ってゆく若者を見送った茂作は、家に入ろうとしてふと立ち止まった。上がり框に小さな包みを発見したからだ。 友吉の忘れ物だった。お糸が作った弁当を小さな柳行李に入れて風呂敷包みにしたものである。 おかしい。 昨日から、なにか引っかかるものがあると思っていたが、その正体がわかったような気がした。 友吉という男、飢餓にあえぐ石川村から来たにしては元気で、食い物への執着がなかった。 昨日、話しを聞いたとき、茶は飲んだが、茶受けに出した漬物には手をつけなかった。 晩飯の雑炊も椀に2杯しか食べなかった。お糸は料理が下手だから、大してうまくはないが、腹が減っていれば味なんか関係ない。茂作ですら四杯食ったのに。 朝飯は、早立ちだから、と食わなかった。その分、持たせる弁当を増やしてやったのに、それを忘れていった。 疑念が膨らんだ。 昨日も感じたことだが、友吉は、なぜ名主のところへ行かず、茂作を尋ねてきたのか? その問いに友吉は「茂作さんがいちばんもののわかった人と聞いたから」と答えた。 いままでなんの関わりもなかった石川村、そこに茂作を知っているものがいるとは考えにくい。とすれば友吉は、茂作のことをどこで聞き込んだのだろうか? 百姓が用もなく村を出て、他の村へ行くことは禁じられている。 したがって、石川村からこの芦原村へ、友吉は、人の目を忍んでやってきたはずだ。どこで見咎められて役人の手に落ちるかもしれないからだ。 石川村は、いま直訴という非常手段を計画中だから、友吉は、なおのこと用心深く行動したはずである。 途中の村で、誰かに芦原村の様子を聞くなどということは出来ないはずだ。それもただの村人では、他村の事情など知るはずがない。聞いたとすれば、名主などの村役人ということになる。 しかし村役人は、百姓ではあるが必ずしも百姓の味方とは言い切れない。見知らぬ百姓が、他の村の事情を聞きに来たら、その場で取り押さえて役人に引き渡すことだってあり得るのである。 おかしいぞ、これは…… 友吉という若者に疑念がある以上、その友吉が持ってきた話も疑ってみる必要がある。 しかし友吉は、石川村の水害のことと、そのために村中が飢えていること、そしてその解決策として藩のお蔵米の下げ渡しについて直訴という非常手段に出ることを伝えただけだった。それについて芦原村にどうしてほしいともいわなかった。 石川村の事情は、楢沢村の名主からの手紙で裏付けられている。嘘ではあるまい。仮に嘘だったとしても、そんな嘘をなぜ茂作に吹く必要があるのか。 待てよ…… 逆に考えたらどうか。 名主のところに来た手紙がニセ手紙で、その手紙の内容を補強するために茂作のところに友吉が来た、と。 が、しかし、手紙の内容は、石川村への食料の合力の依頼だった。 その手紙が嘘だったとして、狙いはなんだろう。まさか食料の詐取ではあるまい。久右衛門と茂作を欺いたとしても、芦原村から出る食料など、なにほどのことがあろう。 「おはよう。茂作どん」 「おう、三太どん。おはよう。どうしたね? なにか用かね?」 百姓の朝は忙しい。隣人でもない三太が早朝、訪ねてくるのはよほどの用件に違いなかった。 「いや、ゆんべね、名主さんが来て、書付に爪印を捺せというだよ。おらあ字が読めねえからわかんねえが、なんでも年貢を軽くしてもらう願い状だとかで……」 「な、なんだって! 願い状だあ?」 「ああ、そう言ってた」 「で、捺したのか?」 「捺した。だってもう、三つも捺してあったから。だけんど、急だったし茂作どんからはなんにも聞いてねえし、んで相談に……」 しまった! 狙いはこれだったんだ! 茂作は走り出した。あっけにとられる三太を残し、名主の家を目指して。 巨大な快堯和尚の顔が、茂作の目に音を立てて浮かび上がった。 あの野郎! 何の根拠もなかったが、あの野郎が一枚かんでいる、茂作はそう直感した。 役人が仕掛けた罠だ。茂作はそう思った。 なぜかはわからないが、芦原村を陥れる罠が仕掛けられた。 一つは茂作に。一つは名主の久右衛門に。 「おや、明神さん。どうしたんだね? その格好は」 明神さんは、汗にまみれ、顔といわず手といわず全身泥だらけ。その上、自慢の衣が何箇所も裂けていた。 「どうしたもないもんだよ、観音さん。わしゃ、あんたに言われて薬売りにへばりついているんだがね」 「お、そうだった。でも、それとその姿とは……」 「わしゃ、初めて山歩きをしてね、滑ったり転んだり、棘に衣を裂かれたりと散々な目にあったよ」 「なんでまた、山歩きなんか?」 昨日から今朝、名主の返書を預かって楢沢村へと出発するまで、薬売りに怪しいところは何もなかった。 「間違いなく楢沢村の名主さんにお渡ししますで……」 そういって薬売りは村を出て行った。 明神さんは、地蔵さんのいる村はずれまで薬売りを追ったが、なにもなさそうなので尾行を打ち切ろうと思っていた。 「いや、明神さん。薬売りは幕府の隠密かもしれないんだ。もうちょっと調べてほしい」 地蔵さんにそういわれて、明神さんはそのまま薬売りのあとを追った。 村を出て半里ほどいったときだった。 林の中から若い百姓が飛び出してきて、薬売りに手を振った。友吉だった。二人はあらかじめ打ち合わせをしてあったらしく、無言のまま連れ立って林の奥の山へ入っていった。 「いやあ、えらく足の達者なやつらでね、くっついていくのに一苦労だったよ。で、どこをどう通ったのか、気がついたらこの寺の裏に出たんだよ」 「つまり二人は、人目を避けて山越えをしてこの寺にやってきたというわけだね? で、二人は今どうしてる?」」 「縁の下をつたって庫裏の空っぽの押し入れに入り込み、そこで坊さんと話しているよ」 「その話の中身が知りたかったんだがね」 「わしゃ子供の使いじゃないんだよ。もちろん聞いてきたさ」 快堯和尚は、薬売りの持ってきた名主の手紙を読んで、満足そうに笑った。 「おお、こいつは思った以上の収穫だ。久右衛門のやつめ、わしの話にまんまと引っかかったらしい。石川村への食料の合力だけではなく、年貢問題を江戸の将軍様に訴え出ようではないか、などと書いてある。上々だ。これはそのまま証拠になる。友吉は、早速これを大目付様に届けてくれ。宗助は、楢沢村へ、わしの書いた偽手紙を届け、少しあの村を煽っておけ。わしはもうしばらくこの村の工作をした上で楢沢村へ行く。そのころには大目付様によるこの藩のご詮議も始まるだろう」 「大嵐になりそうだね。明神さん」 「ああ。なんとかならんのかね、観音さん」 「なんとかならんかって、そりゃあこちらが聞きたいよ、明神さん」 「人の世のことは人に任せて、わしらは見てるだけ……」 「悉皆見届けなきゃ、ね」 |
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