まだ見てござる (1) |
「観音さん。おかしなやつらがそっちへ行くよ」 「何だね、地蔵さん、おかしなやつらって」 「坊さんと旅の薬売り、それに百姓風なのが一人」 「坊さんと薬売りと百姓? どこにいても不思議じゃないと思うけど、何か不審があるのかね?」 「いやね、ここまで一緒に来たのにね、急にお互い見知らぬ顔をして、別れて村へ入っていった。別れ際に坊さんが、わしは寺にいるからな、と言っていた」 「ふむ。どこにいても不思議ではないが、その三人が仲間ということになれば、確かにおかしいね。ほかに何か目の肥えた地蔵さんに不審を抱かせるようなことがあるのかね?」 「いや。ただの勘なんだがね。どうもただ者ではなさそうなんだ。なんというか、体からにじみ出る匂いが違う、とでも言おうか、雰囲気がね、尋常じゃないんだ」 まもなく寺にやってきた坊さんは、なるほど尋常ではなかった。 どうやらこの寺が住職のいない無住の寺とあらかじめ知っていたと見え、訪ないもいれずに庫裏に入り込むや、手当たり次第に押入れや戸棚を開けて中を覗き込んだ。なにかを探していると言う風ではなく、逆に何も無いのを確かめていると言う感じだった。 庫裏が終ると本堂にやってきて、こちらも同じように一渡り調べた後、なにを考えたのか、観音さんを脇に退けて台座の下まで覗き込んだ。 「よいしょっ、と」 最後に賽銭箱をひっくり返し、中身が空っぽなのを確かめて作業は終ったようだ。この間、坊さんは一度も観音さんの顔を見ようともしなかった。 一仕事終えた坊さんは、正面の錦のざぶとんをくるりと丸めて枕にし、観音さんに尻を向けてごろりと転がった。 「ふぁぁあん。一眠りするか…… っと、そうだ、ご本尊にも挨拶しとかなくちゃな」 坊さんは、寝転んだまま顔だけ観音さんに向けて言った。 「なむ観世音菩薩さんよう、今日からしばらくの間、わしがこの寺のご住職さまだ。なに、そう永い間じゃない。その間は、ちゃんと経も上げてやるからな。ま、家賃代わりってとこかな」 坊さんは、自分の冗談が気に入ったのか、一人でくすくす笑った。 そのころ、薬売りは、名主の家にいた。 「で? ご返事はどうされます? いえ、返事をもらって来いとは言い付かってないんですがね、どうせ楢沢村へ戻りますんでね」 「返事はね、もちろん書きますが、用件が用件なもので、すぐってわけにはいかないんですよ。……薬屋さんは、この手紙の中身はご存じないんでしょうね?」 「へえ。なにも聞いちゃあおりませんし、もちろん中を覗いてもいませんのでね。とてつもなく大事な用件だってことは、楢沢村の名主さんの様子で見当がついてますがね」 「薬屋さん、あ、いや宗助さんとおっしゃいましたね。今から楢沢村に戻っても夜中になる。少し話も聞きたいので、お急ぎでなかったら、今夜はうちに泊まって行きませんかね」 「えっ、それは助かります。実のところ今夜の宿をどうしたものかと考えていたところでして…… では、ご返書は明朝いただくと言うことで……」 「うむ。あ、私はちょいと出かけてきますのでね。家のものには言いつけておきますから、くつろいでいてください」 名主の久右衛門は、眉間に深いしわを寄せて、そそくさと立ち上がった。 もう一人の、百姓風の男は、名主名代の茂作の家にいた。 家の空気が凍り付いていた。 囲炉裏を挟んで、二人は緊迫した面持ちで向かい合い、女房のお糸は台所の隅で息を殺していた。 男は、石川村の百姓で友吉と名乗った。 石川村は、茂作のいる芦原村とはお城のある町をはさんで反対側、北の国境に位置する。友吉は、その村の若い衆仲間の世話役をしているという。 もちろん、初対面である。 「直訴だと、いま確かにそう言ったね?」 押し殺したような茂作の問いに、友吉は黙って頷いた。 直訴というのは、窓口となっている役人に願い出た要求がどうしても通らない場合に、家老や、場合によっては領主に直接訴え出ることだが、百姓町人の直訴は法で厳しく禁じられており、その法を犯して行うので強訴とも言われ、訴え出たものは死罪と決まっていた。 ただし、このようにして提出された訴えは、ほとんどの場合、再吟味が行われ、ある程度、要求が容れられることが多かった。これは、死を覚悟しての訴えに対する代償ともいえた。 荒っぽい手段だが、石川村の百姓たちはそこまで追い込まれていると言う。 友吉の話によれば、石川村では、この春の雪解けで川が氾濫し、絶望的な被害をこうむった。 家と田畑のほとんどが流されてしまい、流れに飲まれて死んだもの、行き方知れずのもの、怪我をしたものなどが村人の半数に及んだ。 それから二カ月、いま残った村の人々は、死に物狂いで復旧に取り組んでいるが、見通しがまるで立っていないのが現状だという。田畑と言うものは、一度壊してしまうと旧に復するには数年を要する。新規の開墾と同じことなのである。 さすがにこの状況を見て、藩は早々に今年の年貢の免除を決めた。 だが、それだけでは足りない。 「村の衆はみんな飢えているだよ」 寝る場所だけはなんとか確保したが、蓄えておいた食料もすべて流されてしまったため、食べ物が全くない。野の草や木の根をかじって飢えを凌いでいる始末で、みな痩せ細る一方。田畑を復活させるための力が出ない。 友吉は目に涙を浮かべて続けた。 「いや大人はいい。泥水をすすってでもなんとか生き抜いてゆく覚悟でいるけんど、子供や赤ん坊はそうはいかない。しなびてしまった母親の乳房をしゃぶって泣く赤ん坊。近頃は泣く元気すらなくなってしまった」 窮状を見かねた周辺の村々が、自分たちの食い扶持を削って援助の手を差し伸べてくれてはいるが、これも限界がある。 そこで名主をはじめ、村の代表たちが役所に赴き、お蔵米の下げ渡しを願い出た。ほんのわずか、子供たちを飢えさせない分だけ。 しかし、お役所の回答はけんもほろろだった。 「今年は参勤交代の年であり、お城も何かと物入りである。年貢を免除しただけでもありがたいと思え」 死ね、と言っているのと同じだった。死ねば年貢もくそもない。よおし、死んでやろう、と言うことで村の意見はまとまった。 直訴。それも、お殿様へ直接訴えよう。 お殿様が城の外に出てくることはめったにないが、参勤交代というのがもっけの幸いで、そのめったにない機会が目の前にあった。 この藩の参勤交代の時期は六月と定められている。まさに絶好の機会といえる。 「厄介な話を持ち込んでくれたもんだ……」 茂作は腕を組んで考え込んだ。 百姓衆が心を一つにして武士と渡り合うのは、茂作個人としては基本的に賛成だった。直訴なんていう生ぬるい手段ではなく、やるんなら自分が先頭に立って肥え柄杓でも草刈鎌でも振り回したい思いだった。 それに、同じ百姓同士、助け合うのは当然だと思う。よその村のことだからと知らん顔は出来ない。いつ、自分が同じ目にあわないとも限らないからだ。 だが、いまこの芦原村の百姓衆はどう思うだろうか。 ぎりぎりではあるが、とにかく食うに困ってはいない。役人たちとの折り合いも、まあうまくいっているし、それなりに平和だ。 平和に慣れきっているから、よその村の痛みは頭ではわかっても肌身には感じない。波風を嫌い、理不尽と立ち向かおうとはしないだろう。 茂作の立場は微妙だった。 名主名代と言う、今日で言えば自治体の助役のような立場にあるので、自分の考えや気持ちより村全体の平和と安全、利益を優先させなければならない。 そのうえ、なにしろひとり娘の七重を、こともあろうに大嫌いなはずの役人の嫁にやってしまったのだ。 「で? この茂作になにをしてほしいんだね?」 「なにも。おらが名主さんから言い付かったのは、ただ石川村で起こっていることを伝えてこい、ということだけだ。直訴の結果がどうなるにしろ、ご領内の村々には迷惑がかかることになる。だから先に知らせておくんだ、と」 それはその通りだった。 ひとつには、直訴云々とは関わりなく、石川村の年貢が免除されたとなれば、藩はそれだけ年貢が減るわけだから、ほかの村の年貢の取立てを厳しくして、実収減を食い止めようとする。 さらに、藩当局にとって、一個村の蜂起は痛くも痒くもない。軍勢を押し出せば簡単に鎮圧できるし、そこまで行かなくても、代表者を捕らえて処罰すれば、弱虫の百姓どもはすぐに穴にもぐっておとなしくなる。 だが、怖いのはこれが飛び火したときだった。 どこの百姓も、皆ぎりぎりで生きている。どこかの村が蜂起したと知れば、鬱積していた不平不満が爆発して、連鎖的に火の手が上がることは目に見えている。こうなると手がつけられない。 なにしろ、武士の数は足軽まで含めても数百人、精一杯数えても千人に満たない。これに対して領内の百姓は十万人を超える。刀や鉄砲は持っていなくてもこれだけの数の力とは勝負にならない。 よしんばこの騒ぎをなんとか制圧しきったとしても、まだ問題は残る。 農作業が止まるので、貢租も止まるし、幕府からの咎めもある。良くて転封悪ければ改易と言うことになる。 そこで藩当局は、領内の監視を強め、百姓の蜂起の芽を小さなうちに摘み取ろうとする。 いずれにせよ、領内の百姓たちにとって、他の村のことは無関係とは言えないのであった。 「もうひとつ聞きたい。友吉さん、なぜこの話をわしのところへ持ってきたのかね? つまり、こんな大事な話は、村長の名主のところへ持って行くのが筋だと思うんだがね?」 「それは……」 友吉は、ちょっと言いよどんでから続けた。 「この村では、茂作さんがいちばんもののわかったお方だと聞いておりまして…… なにしろ万一直訴の計画がお役人の耳にでも入ろうものなら……」 「ふむ。だが、名主の耳に入れないわけには行かないよ」 茂作は立ち上がった。 「友吉さん、わしはちょっと出かけてくる。もう少し詳しい話も聞きたいので、待っていてもらいたい。そうだ、今夜はうちに泊まっていきなさい」 茂作が家を出ると、丘の向こうから名主の久右衛門が難しい顔をして急ぎ足でやってくるところだった。 「観音さん、大変だ!」 「どうしたね、明神さん」 「おや? 坊さんがいるね。住職が決まったのかね?」 「いや。なんだかわからんが、しばらくこの寺を根城にするらしい押しかけ坊主でね。ちゃんと経は読むが、仏なんかまるで信じていない。どうも胡散臭いやつなんだ」 「ほう。大変なときに、変なのが紛れ込んできたみたいだね」 「大変、て、なんだね?」 「ほい、それそれ。胡散臭い坊主のことより、こっちのほうが大事だった。わし、いま茂作んところの神棚に居たんだがね……」 明神さんは、茂作の家で見聞きしたことをすべて話した。 「ふむ。大変なことになってきたが…… ちょいと妙だね」 「ん? わしの話に何かおかしなところがあるかね?」 「いや、そうじゃない。話にはおかしなことはないんだがね、明神さんの言うその石川村の友吉って言う若者がね、ここにいる胡散臭い坊さんとかかわりがあるとしたら、どうだね?」 「へ? この坊さんも石川村から来たのかね?」 「それはわからんが、地蔵さんからの連絡によれば、村へ入ってくるまでは一緒だったようだ。いや、ただの道連れじゃない。もう一人、薬売りもいて、仲間同士の様子だったそうだ」 「薬売り? それなら名主の家に入るのを見かけたけど」 「名主の家か…… ふむう、明神さん、やっぱり何か変だよ。そう思わないかね?」 「むう。石川村の友吉が嘘を言っているというのかね?」 「わからないが、これは何か企みがありそうだ。すまないけど、明神さん、その薬売りがなにをしに来たのか探ってもらえんかね」 「薬を売りに来たんじゃない、と言うのかね。よし、わかった」 「おぉい、地蔵さん。聞いたかね? 大至急だ、石川村の情報を集めてほしい。それと、この坊さんたちのことも」 香峰山浄観寺。 無住のはずの寺に読経の声が流れていた。 名主の久右衛門と名主名代の茂作は顔を見合わせた。 「誰かいるね」 「覚元さん、帰ってきたかな?」 この寺は、もとは小さな観音堂だった。 四年ほど前、覚元という旅の坊さんの勧進で、領主様が開基大檀那となって寺ができた。 寺が成ってすぐに、女房、子供もやってきたので、誰もが覚元坊が住職になると思っていたが、この坊さん、ある日突然、逐電した。数日後には、女房と子供もいなくなり、村人にはなにがなんだかわからぬまま無住の寺になってしまった。 覚元坊は、坊さんとしてはかなり型破り、というよりいい加減だったが、明るく親しみやすい坊さんで、短い間に村人に溶け込んでそれなりに信頼されていた。 覚元さんは、いずれ帰ってくるかもしれない。いや帰ってきてほしい。 だから、というわけでもないが、寺を無住のまま放置しておくと、せっかくの堂宇が荒れてしまうので、村の人々は交替で掃除をし、事あるにつけ、集会所として使っていた。 いまも、久右衛門と茂作は、それぞれのところに飛び込んできた難題を話し合うために、寺にやってきたのだった。 二人は本堂の階に上がり、そっと堂内を覗きこんだ。 坊さんが一人、観音像の正面に正座して経を読んでいた。覚元坊ではない。もっと年上の知らない坊さんだった。 こぉん。 鉦をたたいて坊さんは読経を終え、振り向いた。 「そこにおいでになったのは、村のお方かな?」 坊さんは、快堯と名乗った。 「この寺が無住になっていると聞きましてな、しばらく拙僧がお預りすることになりました。至らぬものですが、以後、ご昵懇に」 にこにこと微笑を浮かべていたが、鋭い目には優しさがなく、何か得体の知れない雰囲気が漂う坊さんだった。ずっと後になってから、久右衛門が「あまり昵懇にはなりたくない坊さん」と評したが、茂作も同じ感想だった。 初対面の挨拶が済むと、快堯坊は、「お二人で込み入ったお話し合いをなさりたいようですな」といって庫裏に去った。 実際、込み入った話だった。 茂作が石川村の友吉の話をすると、久右衛門は渋い顔をしてそっぽを向き、楢沢村の名主からという手紙を、投げ出すように茂作に示した。 久右衛門は、いまの名主という自分の身分と生活に満足していた。 名主は、本来、百姓の代表であるが、行政執行の代理人でもある。どちらに重きをおくかは本人の考え方次第だが、久右衛門は行政側、つまり役人の側に軸足を置いており、百姓の切実な要求には目を背けがちだった。 これに対して名代の茂作は、完全に百姓の意見の代弁者だった。 楢沢村の名主の手紙は、石川村の窮乏を伝え、食糧援助を訴えていた。 直訴のことにはふれていなかったが、放置すれば「領内の他村にも影響がおよぶ事態」を予測していた。 「まったく何を考えているんだ、楢沢村は。こっちだって自分が食ってゆくので精一杯なんだ。他所へ回す食料なんてあると思っているのかね。よしんばあったとしてもだ、石川村へ物を送ったなんてことが役所にばれてみろ、どんなお咎めを受けるか知れたもんじゃない」 確かに、百姓同士の村の枠を超えた交流は法度であった。 百姓が自分の村を出ることは厳しく制限されており、手紙のやり取りも禁止されていた。それは、前にも書いたように、百姓同士の横のつながりが出来ることを恐れたからであった。 「その上に、何だと。直訴だ? 冗談じゃない。そんな話に関わったら首が飛ぶじゃないか!」 なおも喚きたてる久右衛門を見ながら、茂作は腕を組み、考え込んでいた。 友吉の話は事実だった。疑っていたわけではないが、突然やってきた見も知らぬ若者の言葉を鵜呑みにすることは出来ないと思っていた。 その思いは、楢沢村からの手紙が友吉の話を裏付けたことで払拭された。 石川村の百姓仲間を微力ながらも応援したい。 だが…… だが、まだなにかが引っかかる…… |
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