見てござる/地蔵篇 |
「暑いなあ、地蔵どんよ」 「おや、明神さん。真っ昼間にどこへ行くんだね?」 「どこへも行かん。ヒマだから散歩に出てきたんだが、こう暑いとね」 「あははは。そりゃ、あんたはいつも山ん中の涼しいところにいるからだ。あたしは、年がら年中、こうやって道端に突っ立ってるんでね、暑さ寒さには慣れちゃったよ」 「ふうん、わしはまた、地蔵さんは汗をかきすぎて干からびて、石になってしまったのかと思ってた」 「いいや違うよ、明神さん。あたしは冬の寒さで凍りつき固まって石になってしまったのさ」 「うへっ、こりゃ参った。あはははは」 「あはははは」 笑った地蔵さんの目が、すっと細くなり、なにやら真剣な顔つきになった。 「どうした? 地蔵どん」 「足音が聞こえる」 村へ向かって、次第に近づいてくる。 ただの足音ではない。それは正確にリズムを刻む、旅慣れた足取りだった。 この村は、山に抱かれた巾着型をしており、山越えをして他国へ通じる道はない。また街道筋からも遠く離れているので、迷ったとしても旅人が入り込んでくるようなところではない。 この村へ来る旅慣れた者といえば、毎年、定期的にやってくる徴税の役人か、薬売りしかいない。しかし、地蔵の耳に響いてくる足音は、そのどちらのものでもなかった。役人なら複数だし、薬売りなら、大きな荷物を背負っているので、もっと重く響くはずだった。 「足音ねえ。そういやあ地蔵どん、一度聞こうと思ってたんだが…… あんたはいつだってここに突っ立ってるだけなのに、なんで遠い諸国の出来事を知ってたり、これから起こることを予知したりできるんだい?」 「なあに、それはあたしの能力じゃなくて、ねっとのせいだよ」 「ねっと?」 「うん。地蔵ねっとというのがあるんだ。音通と書くんだがね。国中の地蔵やあんたのお仲間の道祖神がねっと、つまり音や光の網で結ばれていてね、たとえば必要であれば隣村のできごとを、隣村の地蔵の目を通して、あたしは自分の目で見ることができるんだよ。逆に言えば、いま明神さんと話していることが、千里先の地蔵や道祖神に伝わっているのさ」 「え! そんじゃ、他国の道祖神が今わしを見てるってことか?」 「それだけじゃない。この村でもあたしから明神さんや観音さんに情報を送っているように、各地の道祖神や地蔵から、さらに必要なところに情報が伝えられる仕組みになっている。つまり、今ここで明神さんが油を売っていることは、伊勢や出雲の神様にも筒抜けなのさ」 「あ、いや、こりゃいかん。そうだ、わし用事を思い出した……」 「あははは。明神さん、あわてて行っちゃったよ」 足音の主は、丸い笠をかぶった坊さんだった。 金剛杖に荷物をくくりつけて肩に担ぎ、墨染めの裾をたくし上げて尻にからげて、ま、坊さんにしてはちょっと品のない格好をしていた。墨染めは土ぼこりにまみれていて、かなりの長旅をしてきたことを物語っていた。 坊さんは、道端の地蔵さんを見つけると、金剛杖を担いだまま片膝をつき、片手を立てて拝礼をした。 「地蔵さんよ。この村に寺はあるかね? 宗派はなんでもかまわねえが」 なんともぞんざいな口をきく坊さんだ。 「お、すまねえが、この饅頭、もらうぜ」 坊さんは手を伸ばして、昨日、村のばあさんが供えて行った饅頭をわしづかみにし、ちょっと匂いをかいでから、かぶりついた。 「昨日からなにも食ってねえんだよ。このあたりはしけた村ばかりでよ。寺もなければ、托鉢やっても握り飯のひとつも出しやがらねえ」 饅頭を食い終わった坊さんは、さらに手を伸ばして、地蔵の唯一の財産ともいえる花立をつかむと道の反対側の小川に下りて行った。 「しょうがねえこじき坊主だなあ。饅頭は食ってもいいが、花立は置いてってもらいてえな。花でも生けてなきゃ、地蔵の面目がたたねえ。あはは」 坊さんの口調を真似てみて、地蔵さんは笑った。 花立を持っていってわずかな金に換えようとしているのかと思ったが、こじき坊主はすぐに戻ってきた。 「花でも飾ってなきゃあ、地蔵の格が下がるってもんだ」 坊さんは、その辺で摘んだ野の花を花立に挿して地蔵の前に飾った。 「観音さん、そっちにこじき坊主が行ったかい?」 「ああ、来たよ。いま、私の身体を隅から隅まで調べ、仏具の類も一つ一つ調べている。何者なんだい、この坊主」 「いま調べたんだが、名前は覚元。もとは都の大寺の学僧で、先は一山を預かる住職の道が約束されていたが、道に迷って女犯の罪を犯して本山を追放された。その後は、雲水となって諸国を流れているらしい。まるっきり悪ってわけでもなさそうが、どうやら食わせ者だね」 「どこかで何かやらかしてるのかね?」 「いや、寺を造れってけしかけておいて、話がまとまりかけると逃げ出しちまうらしい」 「なんだい、そりゃ。集めた金でも持ち逃げするのか?」 「いや、盗まれたものはないそうだ」 「いや、驚いたなあ。観音さんよ、あんたとこのお堂、古いとは思ったが、なんと千年の昔、行基さんが開山なんだって? それに観音さんを彫ったのはいまから七百年ほど昔、都のなんとやら言う有名な坊さんで、とてもこんな片田舎に置いとける仏像じゃないんだそうだよ」 「あのこじき坊主がそんなことを言ったのかい?」 村の衆に迷惑がかかってはならん、念のため、ということで、こじき坊主を尾行した明神が目を丸くして帰ってきた。 こじき坊主は、名主の家に駆け込むや、いきなり 「おい、名主! 由緒正しき聖観世音菩薩を、何故にあのように粗略に扱っている? これはたいへんなことになるぞ。拙僧は直ちに都に立ち返り、この旨、天子様に奏上する。追って厳しきご沙汰があろうから、覚悟しておけ!」 と怒鳴りつけた。 驚いたのは名主の七右衛門、「まあまあ」と坊さんをなだめて、詳しい話を聞いた。それによると…… 千年の昔、諸国行脚のおりこの地に立ち寄った行基菩薩は、ここは聖霊の宿る地である、と申されて手にした杖を大地に突き立てられた。枯木であったはずのその杖は、やがて根をはり芽を吹き、年を経て巨木となった。 それから約300年の後、行基菩薩の足跡をたどってこの地に至った覚法大師という高僧が、感ずるところあって、この巨木より二体の聖観世音菩薩像を彫り出した。 二体のうち一体は、都の大本山に送られて安置され、残る一体はこの地に残されて、相携えて天下万民の安寧を祈願することになった…… 「そのように大事な仏像とは、先祖からの言い伝えもなかったので、まったく知りませんでした。この上は、村を挙げて観音様を護持させていただきますので、なにとぞ今しばらくのご猶予を……」 名主はそういって、とりあえずこの坊さんをなだめた。 「明神さん、私はしかし、その覚法大師とやらとは関係ないよ。古いことは古いが、七百年も経ってはいない。せいぜいその半分くらいだよ。行基さんも関係ないと思うけどなあ」 「ふうん…… じゃ、あの坊さん、うそをついているのかね」 「そうらしいね」 「どうするね?」 「放っておこうよ。なにを企んでいるのかわかるまでね」 「うちへ逗留してくれ」という名主の誘いを断って、こじき坊主は、観音堂に寝泊りを始めた。 「観音さんよ。この汚ねえお堂を取っ払って寺を造ってやるからな。その代わり寺ができたら、おれを住職にしてくれよ。旅はもう飽きた。余生は、経でも読んで楽をしてえよ」 名主が下女に届けさせた晩飯を食い、隣の明神社からかっぱらってきたお神酒をちびちび飲りながら、こじき坊主は観音さんにそう約束した。 ほかに何もすることがないので、食って飲んで寝てるだけかと思ったら、意外にも翌日から、こじき坊主はせっせと、お堂の修理を始めた。 こわれた蝶番を直して扉がちゃんと閉まるようにしたし、壁板の穴をふさぎ、農家を回ってもらってきた藁で雨漏りのする屋根を葺き替えてしまった。 もちろん堂内の掃除もして、観音さんに積もっていた埃を払い、仏具も磨き上げて、七日も過ぎるとお堂は、ネズミも逃げ出して見違えるようにきれいになった。 その様子をつぶさに見ていたのは、名主と村の肝煎りたちだった。 いきなり「由緒ある仏像だ」と言われても、相手は見も知らぬ旅の坊さんだから、すぐに金を出し合って何とか格好をつけるというわけにも行かない。さあ、どうする、と鳩首協議に入ったところ、坊さんが一人で、どんどんお堂の修理を始めた。 これはどうやら本物だ。放っておいて、後でお咎めを受けてはたまらない。お堂の修理を手伝うか。いやそれは坊さんがやってしまった。いまさら修理などと言い出したら、かえってお咎めがきつくなる。……どうする? 寺を造るしかない。 ……それが村の旦那衆の結論だった。 さて、お堂の修理がほぼ終った、七日目の昼過ぎだった。 地蔵の前に、5〜6歳の男の子を連れた女がひざまずいた。 「お地蔵さま、もしや覚元という僧侶をご存知ありますまいか。私は覚元の妻、これは息子でございます。都から旅に出た夫を追ってまいりました。お心当たりがございましたら、お願いです、会わせて下さいませ」 女犯の罪と聞いたが、なんと当の女が子連れで追いかけてきた。 「こりゃ、面白い。ぜひとも会わせずにおくものか」 「観音さん。こじき坊主と家族はどうしてる?」 「参ったよ、地蔵さん。そりゃあ夫婦だからなにをしてもいいがね、何もよりによってここでしなくても……」 「なにをしてるんだい?」 「夫婦のすることさ」 「えっ! 観音さんの見てる前で、してるの?」 「女房どののほうが積極的でね。こじき坊主は、観音様の前ではできない、って断ったんだけどね。女房はなんて言ったと思う? なに言ってるんですか、初めてのときは阿弥陀さまの前だったでしょ、だって」 「あはははは。阿弥陀さまもたまげただろうね」 「お堂の修理はもういいから、早いとこ庫裏を造ってそっちでしてほしいね。なにしろ毎晩だからね、かなわんよ」 山々が色づき、風が冷たく感じる季節になった。 寺の建設が本決まりになった。 開基大檀那は、御領主様と決まった。これは、名主たちが「とても村だけの力では寺は造れない」と、一計を案じて、この村の観音像がいかに由緒もご利益もあるか、信者も多く、都からの慫慂でいよいよ寺の建設計画が持ち上がっていると、それとなく役人に吹き込み、御領主様の耳に入るように仕向けたためであった。 これを聞きつけた御領主様は、都への聞こえを気にして、自ら大檀那になるべく名乗り出たのであった。 疾風のごとく、覚元坊主が走ってきて、地蔵の前に片膝をついた。 初めてこの村に来たときと同じように、墨染めの衣の裾を尻にからげ、荷物と笠をくくりつけた金剛杖を担いだ、相変わらず品のないいでたちだった。 「地蔵さん、世話になった。縁があったらまたこの村に来るからな。お、この饅頭、もらってゆくぜ」 「行っちゃったなあ、こじき坊主……」 「地蔵どんは、あの坊さんが好きだったようだね」 「ああ、好きだ」 路傍の地蔵を一掬の花で飾った、こじき坊主のあの心の優しさが地蔵さんは好きだった。 「ところで、なんで逃げ出したんだろう? やっと住職になれるのに。なにかまずいことがあったのかなあ」 「住職になって落ち着くとね、毎晩、弁天さんに攻められるからだろう」 「弁天さん? この村には弁天さんはいないよ」 「ふふふ。明神さん、それはね、観音さんに聞いてごらん」 |