夏めぐり来て



   1.閉ざされた部屋

 さわやかな初夏の午後だった。
 BMW528iは、扶美の心のざわめきも知らず、いつものようにあくまでも静かにすべっていった。
 たったいま終えてきたPTAの会議。激しく意見が対立し、扶美は論争に敗れた。議論の途中で、相手の主張の方が理に叶っていることに扶美は気付いていた。素直に自分の意見を撤回すればよかった。
 議論の相手が、PTAとは何のかかわりもない、政治的立場を異にする相手であったことから、つい意地を張ってしまった。それが露骨に見えたため、普段なら無条件で扶美を支持する〔取り巻き〕達ですら押し黙ったままだった。

 胸の嵐が、いつもより強くアクセルを踏ませていた。
 交差点に接近した。直進してすぐ、2軒目左側が自宅である。急ぐ理由はなかった。
 私鉄の駅に近く、商店街もあるため、人通りが多い。
 前方の信号は青であった。当然、交差する側は赤信号であるが、さして広くない道なので、自転車や歩行者が走って横断していた。いつものことだった。
 そして、いつもだったら、扶美はこの交差点では、青信号でも減速したはずだったが、この日はむしろ加速していた。

 何が起こったのか、後になっても扶美には思い出せなかった。
 巨大な鳥が、激しい衝撃をともなってフロントガラスを覆ったように感じた。
 そしてもう一度、今度はシートから浮き上がった体が投げ出されるような衝撃があって、車が止まった。シートベルトが肩に食い込み、ズバァーンという音とともに作動したエアバッグが顔面をたたいた。
 扶美の目の前から、巨大な鳥が去り、ひび割れたフロントガラスを通して、オレンジ色の世界が広がって見えた。

 奇妙な静寂のなかにいた。
 目に映る車々々、人々々、すべて止まっていた。
 にぎやかな商店街の時間が止まり、扶美はうつろの中にいた。


 状況を把握できないでいた扶美に、調書の作成に当たった警察官が、次のように概況を説明した。
 「奥さんの車から見て、左方向から、佐藤のぞみさんという女子高校生の乗った自転車が交差点に進入し、出会い頭に衝突。のぞみさんをボンネットに跳ね上げた車は、暴走して直進右側の歩道上の電柱に衝突して停止。のぞみさんは路上に投げ出された、こういうことです」

 扶美はついに一睡もせず、留置場の固い布団に正座して夜を過ごした。全身がおこりのように震え、熱があった。

 小さい窓が明るんで、朝が来たことを告げていた。
 ノックの音がして、制服の婦人警官が入ってきた。
 「あら、眠らなかったの? 無理もないけど、出来るだけ休まなければだめよ。これ、ご主人が持ってきてくれたの。着替えとお支度が出来たら、もう少し昨夜の続きがありますからね」
 優しく言って、見覚えのあるブティックのペーパーバッグを手渡した。

 タオルやティッシュ、洗面具はいいとしても、身なりに気を使わない夫がよほど慌てて揃えたものか、着替えの衣類は組み合わせがバラバラで、その上、下着が入っていない。いくら急場しのぎでも着替える気にはなれなかった。


 「奥さんの方の信号が青だったことは、何人も証人がいて明らかなんですがね……。被害者死亡、ということになると多少であれ、過失の有無が問題になるんですよ。奥さんに過失がないとハッキリするまでは、業務上過失致死事件の被疑者なんです」
 なぜ自分が留置されたのか、という質問に、警察官はそう答えた。

 膨大な量の調書が作成され、いちいち扶美の承認を求められた。
 扶美にはほとんど記憶がなかったので、自分の意見は述べなかったが、警察官が手際よくまとめて行く供述調書に誤りがあるようには感じられなかった。
 交通事故は、この調書が地方検察局に送致され、処分が決められる。従って警察は、事件にかかわるすべての事実を捜査しなければならない。

 「問題は速度なんだがね、奥さん自身がどう思っているかが大事なんでね」
 現状道路の規制速度は40km/hであることを、扶美はよく知っていた。
 いつもならゆっくり通りぬける交差点。だが、あの時は……。
 結局、調書上には50km/hと記録されて聴取は終わった。


 「今日、お通夜だそうだ。顔を出したほうがいいよ」
 2日間の拘置の後、迎えに来た夫に、抱きかかえられるようにして警察署を出る扶美に、終始やさしく扱ってくれた初老の警察官が言った。
 交通死亡事故の場合、通常、検事拘留を含めて7日間、留置されるところだが、加害者にほとんど有意な過失が認められなかったこともあって、早めに円満に事故を解決させるための配慮があった。


   
2.奪われた太陽


 正面に掲げられた遺影が、まだあどけなさを残す愛くるしい笑顔で扶美を迎えた。
 狭い玄関は、履物でいっぱいだった。
 扶美は、ドアの外から一礼し、案内されるのを待った。

 「人殺しぃ!」
 裂くような叫びが扶美を襲った。予期しなかった叫びであった。

 祭壇の前に、怒りに燃えた瞳があった。
 面影が遺影に似て、母親と推察された。
 涙はすでに枯れ果てて、腫れあがったまぶたから、赤い血筋が滲み出ていた。
 読経の声がやみ、静寂が支配した。

 ここへ来るまで、夫からも、保険会社の事故処理担当者からも「事故原因は相手側の赤信号無視だから、卑屈になってはいけない」と言われていたし、警察から帰って入浴後一眠りしてどうにか平常心を取り戻した扶美自身も、死亡した女の子には気の毒だが、自分の責任はほとんどないと思っていた。
 その思いは、遺族もまた、そのように考えているに違いないと言う、気軽な気持ちにもさせていた。
 人殺し呼ばわりは、思いもかけぬ反応であった。そんなことをいわれるためにここへ来たつもりはなかった。

 二間と玄関共用の狭い台所しかない、小さなアパートの一室であった。線香の香りに混じって、かすかにトイレの匂いがした。扶美の経験したことのない貧しさが感じられた。
 参会者も、同じアパートの住人と見られる小人数だった。
 扶美は、上がりがまちに膝をつき、軽く頭を下げた。詫びる気持ちからではなかった。安置された遺体と遺族への常識的、儀礼的挨拶と、そうすることが自分の身に降りかかった災難から逃れるのに必要だと思ったからだ。
 後ろに立つ夫が何か言ったが、聞こえなかった。
 ややあって、床をきしませながら、誰かが立ってきた。
 「帰れ! ツラを見たくねえ! うせろ!」
 地底から噴き上げるようなダミ声であった。理不尽だと思ったが、こういう粗暴な怒声に接した経験のない扶美は恐怖を感じた。
 夫に促されて立ち上がったが、立っていられないほど足が震えた。


 翌日の葬儀では、さすがに昨夜のような荒々しさはなかったが、参列、焼香はもちろん、記帳さえ許されなかった。
 扶美は、同級生だと言うセーラー服の群れにさえぎられた形で、遠く葬儀の進行を見守るしかなかった。
 それはしかし、扶美にとってはむしろ好ましいことだった。
 一日過ぎて、扶美は立ち直りつつあった。今日もし、人殺し呼ばわりされたなら、扶美は気強く「事故原因は赤信号を無視したお嬢さんのほうにある」と反撃したに違いなかった。
 あの時、減速していれば事故は防げたかもしれない…… そういう思いはある。そういう時、扶美はかえって攻撃的になってしまう。まさにあの日のPTA会議がそれであった。その心の動揺が、事故の真因だったかもしれない。

 出棺。
 折から降り始めた雨に濡れ、棺は寂しく消えていった。


 初七日が過ぎた。
 保険会社の補償交渉が動き出した。
 事故原因、損害発生状況の調査が行われ、保険会社の担当者が遺族との接触を始める。
 これに先立って、担当者が扶美に会いに来た。
 「先方の過失による事故なので、本来は自賠責への被害者請求で処理するところですが、先方がご近所であることもあって、トラブルを避けるため、任意保険で扱います。すべてお任せください」
 安心させようとして言ったことだろうが、扶美はむしろ小太りの担当者のプロ的な物言いに反発を感じた。


 ところで、平山扶美を容疑者とする交通死亡事故、業務上過失致死事件は、不起訴処分となった。
 つまり、この事故について、扶美は刑事上の責任は問われないということである。言いかえれば、死亡した佐藤のぞみの一方的落ち度と言うのが検察の結論であった。


   
3.遠い地鳴り


 事故からすでに四十九日が過ぎ、暑い夏の盛りに入っていた。
 保険会社が動き出し、扶美の刑事上の処分が決まったことから、平山家に日常が戻りかけていた。

 扶美の日常は、平山道弘の妻、平山由美の母であるほかに、夫が経営するこの地域の有力企業である株式会社平山製作所の専務取締役、由美の通う中学校のPTA副会長、町会の幹事長、等々、さまざまな地域社会の役職をこなすことにあった。
 その中には、かつて県議会議長を務めた経歴を持つ義父の関係で、保守党の婦人部長などと言う肩書きもあって、平山家の応接間は、いつもたくさんの客であふれていた。

 「あそこの旦那さんは、定職を持たず、ばくち打ちのようなことをしてるそうよ」
 「奥さんね、いい年をして髪を茶色に染めちゃったりしてるでしょ? なんでも怪しげなバーかなんかでえげつない商売をしているらしいわよ」

 事故後しばらく顔を見せなかった、扶美の〔取り巻き〕たちが平山家の応接間に姿をあらわし、どこで聞きこんできたのか、遺族についての事情を報告するようになった。
 選挙ともなれば、この婦人たちは戦闘の中核部隊となって活躍する。
 従って、多少うっとうしくても相手をしないわけには行かなかった。

 しばらく選挙がないので、ひまを持て余した婦人有力者たちにとって、扶美の事故は、恰好のフラストレーション解消の材料だったのだろう。扶美の胸のうちを忖度することもなく、それぞれ集めてきた情報の交換に没頭していた。

 扶美自身は、あの事故については、早く忘れてしまいたかった。
 もちろん自分が直接関係して人がひとり死んだのだから、そう簡単に忘れてしまえるわけはなかったが、この婦人たちが別の話題に興味を持つまでは、忘れようもなさそうだった。

 「……二人とも前科者だそうよ」
 「え? 女の方も? 旦那は小指がないから、想像つくけど……」
 「いやだ。やくざなの? うちの町内にそんな人がいたなんて……」
 「もともと、どこから引っ越してきたのかもわからないらしい」
 「女の勤めてるバーは、何度も手入れを受けているんだって」

 「死んだのぞみっていう子、札付きなんだって」
 「学校の成績はよかったらしいわね」
 「でも、番長っていうの? いつも五、六人、手下がついていて……」
 「不良?」
 「というほどでもないらしいけど、誰も頭が上がらなかったらしいわ」

 扶美は、あのトイレの臭いの漂うアパートを思い出していた。
 あの住環境、両親の生活態度とそれが作り出す家庭環境…… そういう中で育った子供なら、札付きになるかもしれない。
 なぜ信号無視をしたのか、その経緯は不明だが、あまり芳しくない評判の立つ子なら、平気でルール違反をするだろうし、思慮も浅く注意深さに欠けていたのかもしれない。そんな風に思えた。


 深夜、電話のベルが鳴った。
 「平山でございます」
 すでに床についていたが、すぐに扶美が出た。
 「……」
 「もしもし…… どちらさまですか? もしもし……」
 切れてしまったわけではない。微かに人の話し声が伝わってくるし、相手のものと思われる息遣いも聞こえる。

 「奥さんかい?」
 しばらく無言が続いた後、地の底から噴きあがるようなだみ声が響いた。
 「どちらさまでしょうか?」
 「佐藤だよ」
 「あの、どちらの佐藤さま……」
 尋ねるまでもなく、だみ声を聞いただけであの佐藤のぞみの父親であることはわかっていた。通夜のとき「帰れ! ツラを見たくねぇ! うせろ!」といったあの声だった。全身が震え、冷えこんだ。

 「自分が殺した相手の名前も忘れたのかい」
 「……わかりました。……どういうご用件でしょう」
 「ご用件だぁ? ……あんたを殺してやろうと思ってね」
 「……」
 喉がカラカラに乾き、声が出なかった。

 「どうした?」
 夫が、眠そうな声で問い掛けてきた。
 「おや、旦那さんかい? 眠そうな声だねぇ。殺された方は眠れねぇでいるのによぉ、殺した方は仲良くおねんねかい。いい気なもんだ」
 「殺したんじゃありません! あれは事故で……」
 「殺したんだよ、あんたが。のぞみを殺したんだ」
 「違う! あれは信号……」
 「ま、いいさ。のぞみは殺された。今度はあんたの番だ」

 異常を察知した夫が扶美から受話器を取り上げたが、電話はすでに切れていた。


 「本気で殺そうと思っているなら、もちろん必要な手は打ちますがね。たとえば刃物を持って乗りこんできた、というわけじゃないでしょう?」
 翌朝、夫の勧めで警察に通報したが、担当官は首をひねってそう答えた。
 「殺してやる」という言葉は、日常の喧嘩などでよく使われるが、ほとんど一時の激昂のために口をついて出たもので、実行に移すことはめったにない、という。
 「今後も続くようなら、厳重に注意しましょう」というのが警察の結論だった。


   
4.闇の触手

 2回目の電話がかかったのは、それから4日後だった。
 「奥さんかい?」
 相変わらず地の底から響くようなだみ声だった。
 「保険会社がね、カネをやるからのぞみのことを忘れろ、っていうんだよ。奥さん、どう思う? お宅のお嬢さん、由美ちゃん? のぞみとひとつ違いだってねぇ。由美ちゃんが殺されたら、カネで忘れられるかい? 奥さんよぉ、由美ちゃんも自転車で、あの交差点を通って通学してるんだろ? 気ぃつけた方がいいよ」
 「やめて! 由美は関係ないでしょ!」
 「さあね」

 「今度は、殺す!とはいわなかったんでしょう? ちょっとした嫌がらせですよ。この件ではありませんが、保険会社との交渉で思ったような金額提示がなかったため、当事者を突っついてそちら側からアップさせようとした、という事例もありますから……。多少、脅迫めいた言葉使いがあったとしても、示談交渉に絡んでのことだと、これは民事なのでねえ、警察は手を出せないんですよ」
 警察に再び相談したが、そう説明されただけだった。


 深夜の電話は、2〜3日おきに続いた。
 さすがの警察も重い腰を挙げ、佐藤某に対し警告を発したが、「娘を失った切ない思いを伝えているだけだ」と切り返されて、それ以上の打つ手がなかった。
 無言電話をしているわけではなく、名乗らないわけでもない。短期間に何十回と架けるわけでもないし、一回あたりの通話時間も常識はずれに長いわけでもない。
 「脅迫的言辞」があれば、という警察の勧めで録音機を取り付けてみたが、扶美にとっては脅迫に聞こえても、第三者には脅迫、恐喝と受け取られるような言葉は見出せなかった。

 扶美はノイローゼ状態になり、昼間でも電話の呼び出し音に拒否反応を示すようになった。
 深夜の電話には、夫が応対するようになったが、「旦那さんには関係ない。奥さんに話がある」の一点張りであった。


 保険会社も手をこまねいていたわけではない。
 本来、このような事故の場合、まず「自賠責料率算定会」が、「加害者」の過失責任の有無を判断する。ここで、たといわずかでも「加害者」に責任ありと認められれば、「被害者」の過失の有無にかかわらず自賠責保険(最高限度:死亡等3000万円、傷害120万円)の範囲内で全額損害賠償が認められる。

 いわゆる「任意保険」は、この自賠責保険の上乗せ保険であり、損害額が自賠責保険を上回る場合に「加害者」の負うべき過失責任の範囲で保険金を支払う。
 仮に、被害額を一億円、過失割合を加害者9対被害者1とした場合、加害者は九千万円の支払い義務があるわけだから、この場合は自賠責から三千万円、任意保険から六千万円が支払われる。残りの一千万円は被害者の自己負担というわけである。
 逆に過失割合が加害者1対被害者9というケースでは、加害者は一千万円の支払い義務があるが、自賠責は全額支払われるので、被害者は三千万円を受け取ることになる。

 扶美の事故の場合は、ほとんど加害者無責に近いので、仮に過失割合を10%認めたとしても、自賠責保険金額を超えて支払うには、損害額が3億円を超えなければならない。
 生命の価値を金額におきかえるのは非常に難しいが、現実の例で見ると普通の女子高生の損害積算額が3億円になることはほとんどない。
 となれば、過失割合の方をいじることになるが、これも1:9を2:8くらいに考えるのが精一杯だ。

 結局、この数字はどういじくりまわしても自賠責保険の三千万円が最高額にしかならなかった。
 それでも保険会社は、「円満に解決するため」多少だが上乗せの用意をしていた。

 「このことは、ご遺族に何度も説明したんです。で、もし希望というか、腹づもりがあるなら申し出て欲しい、誠意を持って対応する、とこちらの考え方も申し上げました。でも、ご遺族からは金額的な提示がないんです」
 金額の提示があれば「交渉」が成り立つのだが…… と、保険会社の担当者は困りきっている実情を扶美に説明した。


 季節はすでに秋になっていた。

 深夜の電話は相変わらず続いていた。扶美はいくらか落ち着いてきたが、かわって夫が次第に不機嫌になっていった。
 当初は、妻を守ろうという気持ちと、理不尽な攻撃に対する怒りから、深夜の電話に積極的に対応したが、いつ終わるともなく執拗につづく攻撃に、次第にその原因を作った扶美に怒りの矛先を向けるようになった。

 平山夫妻は、人も知るおしどり夫婦であった。実際、結婚後17年余、扶美は夫婦関係の危機を感じたことはなかった。互いに愛し合っていると信じられたし、自分の足りない部分を補ってくれる存在として尊んでいた。
 その関係に軋みが生じ、わずかな亀裂が入り始めていた。

 逃げていてはいけない。長年培ってきたものを、いわれのない攻撃でこわしてはならない。戦わなければならない…… 扶美はそう決心した。
 あのだみ声を聞くと、全身が震えて崩れ落ちそうになるけれど……


   
5.切れた絆


 「いったいどうして欲しいんですか? こうしてたびたびお電話をされるのは何か目的がおありなんでございましょう? 私どもで出来ることはなんでもいたします。おっしゃってくださいませ」
 ふるえて受話器を取り落としそうになりながら、扶美は思いきって切りこんだ。

 「目的? そんなものはねえよ。ただ、娘をね、なんの理由もなく殺された怨み、悲しさを知ってもらいてぇんだよ」
 「お嬢さんを亡くされたお気持ちはわかります。私も同じ年頃の娘の母ですから。でも、あれは事故だったんですよ。あなたは、私が殺したようにおっしゃいますが、不幸に……」
 「あんたが、殺したんだよ! あんたがね。これから開こうとしていた花を踏みにじって殺したんだ!」
 「わかりました。百歩譲って、そのことは認めましょう。私がお嬢さんの死にかかわったことは事実ですから。でも、それは偶然で、信号が……」
 「信号なんか知っちゃいねえ。いいかあ、警察だの、保険会社だの、寄ってたかって、うちの娘を悪者にしようとしてるけどな、いや世界中の人間がのぞみのことを悪者にしようったって、俺はそんなものは認めねえ。俺は、俺とかあちゃんだけはのぞみの味方なんだ!」

 「わかりました。こういうことで言い合いをするつもりはありません。では私が悪者になりましょう。私のほうが原因で起こった事故ということにして、それでどうすればいいんですか? いつまでもこういうことを続けていても仕方ありませんでしょう? どうすればお気持ちが済み、解決できるのでしょうか?」
 「解決方法はね、元に戻すことだよ。のぞみを返せ!」
 「そんなこと……」
 「できっこない、か。できっこないさね。解決は出来ない」

 「では、永久に、こうして夜中に電話をかけつづけるんですか? それでお気持ちが安らぐのでしたら、結構です。私どももそのつもりで対処させていただきます。でも、それでお気が済むとは、私には思えません。他の方法で解決することは出来ないものでしょうか?」
 「カネで、といいたいんだろ? 奥歯にモノの挟まったようないい方はしなくていい。カネはね、ほしいよ。保険会社が3000万円、くれるって言ってるけどね…… すげえ大金だよね。俺なんか100万円だって見たことねえ。でもな、のぞみの命の値段だと思うと、情けなくなるほどの小金だね」
 「それで済ませる気はありません。私もいくらか貯えがありますから……」


 「わかってないね、奥さん。はじめに言ったろ? あんたを殺す、って」
 冷え冷えとした声が響いて、電話は切れた。

 「だめだ、そんなの!」
 電話の内容を話すと、夫はそう怒鳴った。
 もともとこちらには責任のない事故なのだから1円も払う必要はない。それを解決のために、保険会社がしかるべき金を払う、というのだから任せておけばいい。いくら要求されても保険以外の金は一文も出してはならない。
 結局はカネだろう。こちらの足元を見て、ふんだくれるだけふんだくろうという腹なんだろう。そんなものに負けてはならん。
 問題は、理不尽にもわけのわからない電話を、それも夜中に架けてくることだから、強く出て、それを止めさせろ。強く出れば適当なところで折れるだろう、という。

 しかし、実際問題としては、夜中の電話を止めさせるには、相手の要求を受け入れるしかない、扶美はそう考えた。
 カネ……。いまのところ先方は、金銭要求をしているわけではない。だが、「カネで、といいたいんだろう……」と言い出したのは先方だった。具体的な要求がないとしても、最後には金銭をもって決着を図るしかない。保険会社が提示した金額での解決に応じないのは、要求額が提示額を大幅に上回っているからだろう。

 事故原因がどちらにあったか、という問題を除けば、人間の生命の価値を金銭におきかえるわけだから、それはなまなかな金額ではあるまい。
 こちらの支払能力を超える要求なら致し方ないが、生活を壊さない程度の金額であるなら、早くこの問題を解決して、平穏な家庭を取り戻すために、保険金に追加して支払うのはやむをえない、と思った。
 しかしそれは、扶美の考えでしかなく、夫は頑として受け入れようとはしなかった。

 「馬鹿なことを言うな!
 「なんのために保険に入ってるんだ? こういう時のためだろう?
 「保険というのは、本来、自分で払わねばならないものを保険料を払うことによって、保険会社に肩代わりしてもらっているわけだ。保険会社が払うってことは、自分が払うのと同じことなんだ。その上になお自分で払うということは、二重に払うってことじゃないか。
 「ましてこの件は、もともと払う必要がないものを、相手の事情を汲んで保険会社が払うものだから、自己負担など、もってのほかだ。
 「よく考えてみろ。こちらは誠意を尽くして、保険外で香典を50万も包んでるんだぞ。香典は、気のもんだからいいとしても……
 「他にも車の修理代だって200万もかかってるんだ。これなんか先方に逆に払ってもらいたいもんだ」


 ところで、平山夫妻、いや、一人娘の由美を含めた平山家の家族関係に入った亀裂は思いのほか深かった。
 亀裂は、この事件により発生したというより、もともと内在していたものが事件によって入ったわずかなヒビとつながって表面化したといえた。

 秋が深まり、落ち葉が路上に積もり出したある日。由美の担任教師から電話が入った。
 「由美ちゃん、お加減いかがですか? お休みが長引いているようですが」


   
6.ニ短調のフーガ


 由美が、ここ一週間ほど「風邪をひいて」学校を休んでいるという。
 「えっ? 学校、行ってないんですか?」
 扶美には信じられなかった。
 確かに風邪気味ではあったが、今朝もふだん通りに出掛けていった。

 通常、欠席通知は親が行う決まりだった。
 だが、仕事を持つ母親が増えたこともあって、風邪ていどの一、二日の欠席は、本人の電話連絡で済まされることもあった。
 由美の通う学校は、この地域では「お嬢様学校」として評判の私立女子校でそれなりに規律も厳しかったが、現実には問題になるようなことがなかったため、緩みが生じていたようだ。

 なぜ、由美は親に内緒で学校を休んだのだろう。
 一週間、学校を休んで、毎日どこへ行っていたのだろう。
 いくら考えても、思い当たることはなかった。

 子供が親に知らせず学校を休むということは、家族全体の大事件である。したがって当然その事情を究明しなければならないが、これがまた実に厄介で、扱いを間違えるととんでもない結果に結びつくことがある。

 扶美は、とりあえずこのことを父親には伏せておくことにした。
 いつもの時刻にいつものように帰ってきた由美を、さりげなく私室に招いた。
 「先生から電話があったわ。いつかこうなることは、わかっていたでしょ?」
 由美の顔がきゅっと引きつり、そのまま固まった。
 はじめてみる由美の能面のような表情…… そこには深い悩み、抑えきれぬ怒り、絶望的な悲しみがあった。

 沈黙が続いた。由美に口を開く気配はなかった。
 扶美も、無理に問いただすつもりはなかった。
 「いいわ。なにも聞かない。でも、明日からは、学校に行ってね。でないと、お父様にも話さなきゃならなくなるわよ」
 「お父さんなんか、大っ嫌い! 学校、もう行かない!」
 絞り出すように叫び、由美は泣き伏した。
 小さな胸に収まりきれぬ懊悩があるようだった。

 翌日から、由美は自室にこもった。今度は扶美が正式に病欠の届を出した。
 「女の子にはよくある病気なの。そっとしておいて」
 問い詰める父親に微笑を添えて応えた扶美は、PTA役員としてではなく、一生徒の母親として学校に向かった。

 半月ほど後、教師たちと扶美自身による、由美の級友たちとの面接調査でいくつかのことがわかった。

 美しく成績のよい由美は、クラスだけの人気者だった。
 人気者の周囲には、当人の意思にかかわらず、友達という名の取り巻きが増え、グループ化する。グループは外輪を広げつつひとつの派閥を形成する。
 派閥の成長は、同時に対立する派閥も生み出す。
 そして派閥どうしは、水面下で激しい抗争を繰り広げる。


 由美を頂点とする派閥は、クラスの枠を越えて、学校全体で最大の規模になっていた。由美自身が意識していたかどうかは別にして、派閥の上層にいるとほとんどなんでも思い通りになるので、学校生活は実に楽しいものであった。

 扶美にも覚えがあった。
 扶美は、幼稚園から大学卒業まで、いや社会人となってからも、いつも人気者で人の輪の中心にいた。とくに中学、高校時代は、こういうグループ化が起こりやすい年代なのかもしれない。扶美は、何かにつけ指導的立場にあり、いつも親衛隊に取り巻かれていた。
 「札付き、と陰口をたたかれたこともあったわ」
 ふっと思いだし笑いをしてから、最近その言葉を耳にしたことに気づいた。

 ……「死んだのぞみっていう子、札付きなんだって」
 「学校の成績はよかったらしいわね」
 「でも、番長っていうの? いつも五、六人、手下がついていて……」
 「不良?」
 「というほどでもないらしいけど、誰も頭が上がらなかったらしいわ」……

 そうか、あの子も人気者だったんだ。
 黒いリボンのかかった写真の、愛くるしい笑顔が脳裏によみがえった。
 楽しくて仕方ない毎日が、一瞬にして消え去った……

 それは同時に、由美の楽しい日々の終焉でもあったようだ。
 「母親が死亡事故を起こした!」
 理由の如何を問わず、これは思春期の乙女たちの心を激しく揺さぶる大事件であった。
 派閥は動揺し、櫛の歯をひくように外輪から崩れ始めた。

 ここまでだったら、由美はまだ、小派閥の長でいられたかもしれない。
 山は、ある日、忽然と姿を消した。そして、頂点にいた由美は、孤独の淵に突き落とされた。
 それは、由美が学校を休み始める前日の出来事だった……

 由美の父が、若い女と怪しげなところに出入りするのが目撃された、というのだ。
 「その女の人ね……」
 言いにくそうに、由美のいちばん親しくししていた友人が扶美に告げた。
 「由美んちの会社の事務員さんだったの」



   
7.逆転の序曲


 由美の友人に聞いた、夫と従業員の関係について、扶美は問い質したり、責めたりはしなかった。誰にも、もちろん由美にも話さなかった。
 なにも知らない夫は、その後も当然のごとく扶美を求めてきたが、すでに心を閉ざしてしまった扶美から喜びを得ることは出来ず、舌打ちをして別室に去った。
 しかし、平山の家にいる限り、理由を明らかにせず夫を拒否しつづけることは出来ない。

 由美の問題、夫婦の問題、そして交通事故にまつわる問題、それはすべて自分の人生のあり方を問うものだった。
 よく考えて、採るべき道を探らなければならない。

 落ち葉が街を埋める頃、扶美は実家に帰った。
 なにも話さなかったが、由美も一緒についてきた。
 小さな胸についた傷は、容易に癒えないだろうが、賢い娘だからきっと立ち直ってくれると思った。

 深夜の電話もついてきた。
 これは扶美が当事者なのだから当然だったが、こちらへ来てからは、電話のニュアンスが微妙に変わってきているように感じられた。
 時が経て、怒りが治まりかけたようにも感じたが、扶美の幸せな家庭が崩壊しつつあると見て、追い込みの矛先が鈍ってきたようにも思えた。


 「明日は、ホワイトクリスマスになるかもしれません」
 と、天気予報が流れた日、保険会社の事故処理担当者から電話が入った。
 「示談交渉に応じるそうです。金額の折り合いさえつけば、こちらは翌日にでも支払う準備が出来ていますので、すっきりと新年を迎えることが出きるでしょう。出来れば、クリスマスを心置きなく、といけばいいんですが」

 扶美は不思議な気がした。
 昨夜も電話があったが、示談に関する話はまったくしていなかった。
 娘と過ごした去年のクリスマスの思い出話だけだった。
 思い出話をしたことで、ようやく悲しみにくれる日々から脱出する決心をしたのだろうか。
 そうだとすれば、扶美自身のことだけではなく、相手のためにも喜ばしいことだが、やや唐突な感じがした。

 「結果はまた電話します」
 と、保険会社の担当者は言ったが、電話はかかってこなかった。
 かわりに、深夜の電話があった。二日連続でかかってくるのは珍しいことだった。

 「保険会社がね、カネを受け取れって言うから、くれるもんなら貰う、ってそう言ってやったんだ。俺もカネは欲しいからね。きょう、喜んでやってきてね、示談書にハンコを押せっていうんだ。見ると示談条件てところに、甲は乙側に今後一切接触しない、って書いてある。これはなんだ、と聞いたら、甲は俺で乙が奥さんだ。電話もしちゃいけねえって言うんだぜ。そんじゃだめだって断ったら、何が目的なんだ、と来た。平山扶美を殺すんだ、と答えたら、真っ青になって吹っ飛んで帰っていったよ」
 「本気でそんなことを言ってるんですか?」
 「ああ、本気だよ。はじめから、そう言ってるだろ?」
 「でしたら、なぜ殺しにこないんですか? 電話で人を殺せないでしょ?」
 「まだだよ、奥さん。人の怨みってもんがどんなに恐ろしいものか、たっぷり味わうがいい。こんなことなら、死んだほうがマシだ、と思った時、その時に殺してやる」

 保険会社は、しかし、翌日、連絡してきた。
 「先方の要求は5000万円です。当初10億円などといってましたが、結局5000万円なら示談に応じるとのことでした。本来の3000万円とはあまりに差がありすぎて、私の一存では結論が出せませんでしたので、昨日は、ご連絡できませんでした。今日、上司とも相談したのですが、やはり2000万円の上積みはとうてい無理なので、もう少し交渉をしたいと思います」

 本人はそうは言っていなかったが、保険会社がこんなことでうそを言うとは思えなかった。
 「あの2000万円は無理ですが、1800万円でしたら、私、貯えがあります。先方がそれで気がすむとおっしゃるのでしたら、お支払いしたいと思いますが……」
 「いけません、奥さま。それは筋違いです」
 「でも……」
 「奥さまがそれだけ誠意を尽くされていることは先方にお伝えします」


 年が明けた。
 あれ以来、保険会社からの連絡も深夜の電話も途絶えていた。

 静かな正月だった。
 平山の家では、人の出入りが激しくて、正月を静かに過ごすことなどなかったから、久々にのんびりしたいところだが、問題が解決せずに年を越したので気分すっきりというわけには行かなかった。
 ひとつだけ、由美の転校が決まり、3学期初めから登校することになっていた。由美自身も、傷心は癒えていなかったが、新しい学校に通うことには前向きになっていた。それだけが救いだった。

 1月4日。仕事始め。
 翌5日からの由美の登校の準備をしているところへ、佐藤から電話が入った。初めての昼間の電話だった。

 「今ここに保険屋さんがいるんだが、奥さんが2000万円出すって言うのはほんとかね? (うるせぇ、黙ってろ!) いや、奥さんじゃねえよ、保険屋がごちゃごちゃ言うもんだからね」
 「2000万円は無理です。1800万円しかありません。でもそれは保険とは関係のない、私の気持ちですから……」
 「気持ちでぽんと1800万円かい? あるとこにはあるもんだねえ」
 「嫌な言い方はなさらないでください。それは私の貯金全部です。あとは当座の生活費くらいですから……」
 「そうか、旦那さんとは別れちゃったんだっけねえ……」

 示談が成立した。
 総額5000万円。保険会社が3200万円、扶美が1800万円を佐藤某の銀行口座に振りこんで完了することになった。

 翌日、佐藤某の署名捺印のある「示談書」を持って、保険会社の担当者とサービスセンター所長が来て、結果的に、扶美に1800万円の負担をさせてしまったことを詫びた。
 しかし扶美は、晴れ晴れとした気持ちになっていた。
 深夜の電話から解放される、ということもあったが、ひとり娘を失った悲しみから、佐藤夫妻が新たな生活に踏み出す助けになるのなら、事故の当事者として果たすべき役割を果たした、と思えたからだ。


   
8.夏めぐり来て


 さわやかな5月の風が、洗濯物を揺らしていた。
 一仕事終えて、扶美は老母とお茶を飲みながら、なんとなくここ数ヶ月を振りかえっていた。

 いちばん忙しかったのは由美だった。
 中学3年の3学期に転校した。友達を作るひまもなく、高校受験を迎えた。前の学校ならエスカレーターで大学まで行けるので受験には縁がなかったが、今度はそうは行かなかった。
 受験勉強らしいことはなにも出来ぬまま、ほとんどぶっつけ本番だったが、由美は見事に合格した。すぐにテニス部に入り、連日すさまじい量の洗濯物を扶美に提供してくれた。
 忘れきることは出来ないだろうが、嫌な思い出も汗と共に少しずつ流し出しているようだった。

 扶美も忙しかった。
 貯金がなくなってしまったので、生活費を稼ぎ出すための仕事探しに奔走した。夫に言えば、母子の生活費くらいわけなく出してもらえるし、当初、そういう話もあったが、扶美は自活の道を選んだ。
 幸い、学生時代の恩師のつてで翻訳の仕事にありつき、不定期だが食べて行けるほどの収入を得るようになっていた。

 新年早々、扶美が抱えた重要問題三つのうち、こうして二つが解決した。残るひとつは夫との問題だが、こちらはどうするとも、どちらからも言い出さぬままに時が過ぎていた。
 この問題は由美の心にもかかわることなので、解決は急がないことにした。

 玄関のチャイムが鳴った。宅配便だった。
 薄汚れたダンボール箱がズシッと重かった。
 宛名は扶美、差出人は「佐藤則之」とあった。

 以前は、この名を聞いただけで震えが来たものだが、示談がすんでからは、むしろその後どうしているか知りたい気持ちすら起こる、懐かしいといってもいい名前だった。

 なにか、名産品でも送ってくれたのかしら?
 華やいだ気持ちで開梱すると、ばらばらと一万円札の束が転がり出てきた。
 銀行の封帯つきで50束、5000万円あった。

 「奥さんかい?」
 夜になって、電話がかかった。

 「昨日、のぞみの一周忌だった。
 「来てくれるんじゃねえかと思ってたんだがね。いや、怒ってるんじゃねえよ。考えてみりゃ、しかたのねえことだ。
 「坊さんが帰ってからよ、めぐみが、かあちゃんが出ていった。もう、この家には戻らないし、俺と二度と会うこともない、って言ってね。行き先はわからねえ、追っかける気もないんでね……

 「全部終わったのさ。なにもかも無くなって、元に戻った。

 「17年前、めぐみはね、新宿の裏街で客引いてたんだ。俺はその客……たまたま出会った行きずりなんだけどね、なんだか気があっちまってね。
 「二人とも、泥水をすすり、人様の生き血を飲むような生きざまをしていたんだ。その二人がね、互いの傷口を舐めあうような形でいっしょになった。

 「一緒になって半年後、のぞみができた。妊娠したと知った時のめぐみの喜びようはね、すさまじかった。もちろん俺も、なんだか違う世界に入り込んだように感じたもんだ。
 「しあわせ…… 俺たちにゃ、縁のねえ言葉だと思ってたけど、追っかけてみようか、って話し合った。
 「立派な子供を育てて、世間様に恥じないちゃんとした家庭を作る…… そういう夢ができたんだ。
 「だからね、赤ん坊の名前は、のぞみ。俺たちのすべての夢をかけた名前なんだよ。

 「難産だった。
 「医者はね、始めから子供を産むのは無理だからあきらめなさい、っていってたんだ。めぐみは、それまでの生きざまで、すっかり体を壊していてね、赤ん坊を腹ん中で育てることができなくなってたんだよ。
 「俺も一時はあきらめて、堕ろすことに賛成したんだけど、めぐみはね、堕ろすんなら死ぬ、とがんばってね。もともと産めないものなら授かるはずが無い、授かったのは産んで育てろっていうお告げだ、なんて言ってね。

 「医者もがんばってくれたよ。
 「結局手術して、のぞみは生まれた。1200グラム。あんたたちに抱かれるまで生きているかどうかわからない、なんて医者のヤツ脅かしやがってね。
 「でも、のぞみは生きた。ガラスの箱ん中で、どんどん大きくなった。

 「半年も経ってから、のぞみと3人でボロアパートに帰ることができた。
 「でね、新しい命は、新しい生活で育てようって話し合ってね、仕事もなにも全部変えることにして、この町に引っ越してきたんだ。

 「つらかったよ。苦しかった。
 「生き方を変える、生活を作るってのがこんなに苦しいとは思わなかった。
 「仕事も無い、金も無い…… 何度も崩れて後戻りしそうになった。でもね、そのたびに、のぞみの笑顔が俺たちを助けてくれた。この子をまっとうに育て上げる、それがこの子を産むことの約束事なんだからって、めぐみと励ましあった。

 「子供が大きくなるってのは、金がかかるもんなんだねえ。生活はちっとも楽にはならなかったけど、小学校に上がり中学に行くようになると、のぞみが家ん中のことをやってくれるようになってね、幸せってこういうことかな、なんて笑いながら話ができるようになった。
 「のぞみが高校の受験に合格した時は、俺たちはもう死んでもいいと思ったよ。だって、俺たちはグレちゃって、中学だってまともに行かなかったんだから……

 「すまなかったねえ、奥さん。長いこといやな思いさせちゃってよお。
 「わかってたんだよ、奥さんのせいじゃないってことは。
 「だけどね、夢が消え去ったこと、その切ない気持ちをぶつける相手は奥さんしかいなかったのさ。勘弁してやってよ。

 「金、あの慰謝料ってやつ、返したからね。保険会社からもらったのと、奥さんからもらったの、まとめて宅急便で送っといた。
 「めぐみにね、当座の生活費にもってけ、っていったんだけど、のぞみの命で食べていくつもり無いからって…… 利息がね、50万円近くついてたんでその分は貰ったよ。一周忌の坊さんの費用とか、どっかへ行く電車賃とか……
 「墓はね、建てないことにした。
 「しょせん一時の夢。根無し草に戻った俺たちにゃ、墓は守れねえから……

 「じゃね。さいなら。由美ちゃん、大事にしてね」

 電話は切れたが、扶美の耳にいつまでもすすり泣きが残った。

 数日後、ある全国新聞の福祉事業団に「交通遺児奨学資金」として、佐藤則之、めぐみ、のぞみ連名で5000万円の寄付があった。
 事業団は、感謝状を送ろうとしたが、記載された住所に名宛人はいなかった。