駆け落ち地蔵



 村のはずれの、あの小さなお堂のことけぇ? うんうん、中は空っぽじゃ。
 千羽鶴だの、お供物だのがならべてあるけんど、お堂の中にお地蔵さまはおらんのよ。
 どこ行ったぁあ?
 あははは。村のおつね後家と駆け落ちしちまっただよ。

 いんや、ウソではねえだ。
 2年ほどになるかのう……

 もともとあのお地蔵さまはな、びっくりするほど霊験あらたかで、村のもんの願い事はなんでもかなえてくれたんじゃ。

 嫁が欲しい、子が欲しい、病気を治したい、畑をもっと広くしたい、金が欲しい…… 願い事はなんでもござれでな、たいがい三月もしないうちにかなえられた。
 日照り続きで作物がだめになりそうになったときなぞ、村ンもんがそろってお地蔵さまの前に座り、手を合わせたと思ったら、待ってましたとばかりに雨が降りはじめてな。みんな雨と涙でずぶぬれになったもんじゃ。

 村にとってはかけがえのねえ、たいせつなお地蔵さまだったんだがな……
 人間、なんでも願いがかなうちゅうのは考えもんだな。

 村は豊かになり、みんな金持ちになった。病気のものはおらんし、飢えるものもおら…… あ、いや、一人だけ、どうしようもねえ怠け者で、飯を食うのに箸を持つのも面倒だ、ちうて、いつも腹をすかせてるものがおったがな。
 まあ、大方はなに不自由ない暮らしぶりじゃった。

 これはもう、すべてお地蔵さまのおかげなんだが、みんな暮らしが楽になるとそのことを忘れてしまったんじゃな。
 いろいろ願い事があるうちは、みんなが入れ替わり立ち代り、お堂の掃除をし、お供物を上げたりしていたんじゃが、願いがかなってお地蔵さまが用無しになってしまうと、誰もお参りをせんようになり、お堂は見る見る荒れ荒み、草に覆われて、どこにあるのかもわからんようになってしまったんじゃ。

 そうしたある晩のこと、お地蔵さまが村長の治左衛門の夢枕に立ってな、
 「腹が減ってどうにもならん、なにか供えてくれ」
 と願ったそうじゃ。
 治左衛門は、
 「明日の朝、必ずお堂の掃除をし、お供物をあげます」
 と約束したんじゃが、もともとけちで強欲の治左衛門のこと、下男に言いつけて、饐えて臭いのする昨日の残り飯を持って行かせたんじゃな。
 下男も下男で、行ってみたところ、お地蔵さまは伸び放題の草に囲まれて、どこにあるかもわからん状態だったので、饐え飯をそこらの草むらに投げ捨てて帰ってきてしまったんじゃ。

 さあ、その日からじゃった。
 この村をたちの悪いはやり病が襲ってな、この病にかかると二ヶ月ほどのた打ち回って苦しんだあげく、死んでしまう。恐ろしい病じゃった。
 村長が真っ先に死に、村のもんが、ふたり死に、三人死ぬようになると、さすがに村人たちも「これはお地蔵さまを粗末にした祟りだ」と考えるようになった。

 さっそくみんなでお堂に出かけ、掃除をし、お供物を供えて、病気平癒を願ったものじゃが……
 ところが、どうしたことか、あれほど霊験あらたかだったお地蔵さまが、こんどはちっとも願いを聞いてくれない。
 それどころか、病は重くなるばかりだし、たった今まで元気だったものまで寝込むようになった。
 働き手が次々病に倒れるので、次第に田畑は荒れ、食い物も底をつき、村はもう全滅寸前になったんじゃよ。

 ところで、村中が病気であえぐなか、一人だけ元気なやつがいた。
 吾作…… さっき言った、いつも腹をすかせている怠け者のことだがな、みんながお地蔵さまのおかげで豊かになったときも、吾作がひとりだけ貧乏していたのは、お地蔵さまに願掛けに行くのも面倒だと、一度もお参りしなかったためなんじゃ。

 世の中、なにが幸いするかわからん。吾作のやつは、もともとお地蔵さまのおかげを受けていなかったので、祟りにもあわない、はやり病にかからない、というわけじゃ。
 ところが吾作め、隣近所が次々死んでゆくのを見て、初めてお地蔵さまに願をかけようと思い立った。
 「お地蔵さま、お願いです。おらも病気にして死なせてくだせぇ。おらは怠け者で、生きていても仕方のねぇ人間です。腹を減らせて生きていてもしょうがねぇ。だから、一ン日も早く死なせてくだせぇ」

 うそみてぇだが、吾作は本気になってそう願をかけた。ちうのは、まわりの村ン人が元気で働いているからこそ、怠けてごろごろしていてもなんとか生きてゆける。それが、まわりがみんな貧乏になって死にかかっているとなると、一人だけ元気でいても食ってゆくことができねぇ、ちうわけなんじゃな。

 吾作が死にたいと思っていたのはうそではねえ。
 家の梁に縄をかけて首を吊ったこともあるし、包丁を自分の腹に突き刺そうとしたこともあったけんど、縄は切れるわ、包丁は折れるわで、どうやっても死に切れんのじゃ。

 それどころか、今まで貧乏で、日々の食い物にも事欠いていた吾作の家が、なぜか次第に豊かになり始めた。米びつにはいつも米があふれているので、これじゃあ飢え死にもできんと、怠け者の吾作らしくもなく、毎日お地蔵さまにおまいりし「死なせてくれぇ」と願ったんじゃ。
 じゃが、願えば願うほど、吾作は豊かになっていった。

 豊かになった吾作は、「飢え死にするのにじゃまになる」と、村中の困っているものにせっせと飯を配り歩いた。

 これを見ていたのが、隣のおつね後家じゃった。
 おつねは、はやり病で亭主が死に、働き手がないために食うにも困っていたんじゃが、吾作の家が豊かになるのを見て考えた。
 「病を治してくれと願うとひどくなり、死なせてくれと願うと生かされる。もしかしたら……」

 おつね後家は、さっそくお地蔵さまに
 「食い物はいらん。腹を減らしたい」
 と願ってみた。
 家に帰ってみると、まさかとは思ったが、ちゃぶ台には山海の珍味が並び、米びつには米があふれていた。
 そう、お地蔵さまは、相変わらず霊験あらたかで、願い事はなんでもかなえることができた。ただ人の願い事は裏返しにしてかなえていたんじゃった。
 おつね後家は、すぐさまお堂にとって帰し、こともあろうにお地蔵さまに説教をした。
 「お地蔵さま、こんなことをしたらいけんよ。そりゃぁ、村ン人たちもお地蔵さまのご恩を忘れたのは悪かった。だけんど、人ちうもんは、みんな自分と家族が幸せになることを願っているものだんべ。悪心や怠け心は誰にでもあるもんで、だけんどその心と戦って、なんとか極楽浄土とやらに行きてぇとがんばってるだ。お地蔵さまの役目は、それを助けることじゃねぇのけ?」

 そしておつね後家は、願をかけた。
 「村ン人はもう苦しむだけ苦しんだ。楽にしてやってくれ。村ン人、一人残らず死なせて欲しい。こんなことをお願いするおらは悪い女だから、罰を当てて地獄に放り込んでくれ。地獄に放り込んで鬼と添わせてくれ」

 そのとき以来、猛威を振るったはやり病はたちどころに絶え、また平和で豊かな村が戻ってきたんじゃ。
 村ン人はみんな心を入れ替え、空っぽになってしまったけんど、お堂にはああしていつもお供物を絶やさんようにしているんじゃ。

 ん? ああ、おつね後家とお地蔵さまのことけぇ?
 その晩のことじゃった。
 おつね後家のところに夜這いをかけたもんがいての。これがおつむを丸めた坊さんじゃった。いんや、うそではねぇ。隣の吾作が見ていただ。
 この村には坊さんはいねぇし、村の外から人が入ってきた様子もねぇ。
 「どこのスケベ坊主だろう?」
 と吾作は不思議に思ったけんど、次の日になってなぞが解けた。

 おつね後家がどこにも見当たらんようになり、お地蔵さまも煙のように消えうせていたんじゃ。
 おつね後家に夜這いをかけたのはお地蔵さまで、地獄の鬼と添い遂げると言う願いが、極楽で仏様と添い遂げるという形でかなえられたんじゃろう。
 村ン人は、みんなそう信じている。

 ん? おらけぇ?
 おらの名は吾作。みんなに推されて、いまは村長をしているだ。
 村長はいいど。なあんにもしなくても食って行ける。あはははは。