黒 い 連 環


 十分に間に合うと思っていたのに、駅に着いてみると終電は出た後だった。
 やむなくタクシーを拾おうと思ったが、こちらの方は長い行列が出来ていてすぐには順番が回ってきそうになかった。
 酔いは思いのほか深く、ちょっと駅の待合室で休んでいるうちに眠り込んでしまった。

 どのくらいの時間が経過したのだろう。激しく身体をゆすられて目を覚ました。たくさんの人が私を取り巻いていた。酔いでボンヤリした目にも、それが警察官であることはすぐにわかった。

 事情がよくわからないまま、私は警察署に連行された。
 顔を洗い、大量に水を飲んで、いくらか頭がハッキリしてきた。なんと私は強盗殺人事件の重要参考人となっていたのである。
 駅近くの公園で若い女性の死体が発見された。その女性のものと思われるハンドバッグが、私の眠っていたベンチの下で発見され、ご丁寧にそのバッグから私の指紋まで検出されたと言うのだから、文句のつけようのない《容疑者》だ。

 えらいことになった。
 こわい顔の刑事がぐいぐい私を追及してくるのだが、こっちは酔っ払って寝ていたのだから、何にも覚えていない。ほぼ正確に答えられたのは、飲んでいたスナックの名前くらいだった。時間なんかわかるわけがない。
 結局、私は留置所に入れられた。家へ電話することも、連絡をとってもらうことも拒否された。

 翌日、と言うより日付としては同じ日であるが、朝から取り調べが再開された。自宅へも、会社への連絡も拒否されたまま、また夜がやってきた。
 奇妙なことに、私は、自分にかけられた容疑のことより、妻や会社のことのほうが心配だった。ここにいると、外の動きが全くわからない。そのことのほうが不安なのである。

 取調べは、一向に進展しなかった。同じことを何度も質問されたが、何にも覚えていないのだから、取調べ官が満足できる回答が出来ないのは仕方なかった。
 しかし、さすがに警察も、私が口を割るのを漫然と待っていたわけではないらしい。午後9時頃になって、突然「帰っていい」と言われた。
 「またお話を伺うことがあるかもしれない」と、急に丁寧な言葉遣いになった刑事に、なぜ帰されるのか聞くと、どうやら私のアリバイが成立したと言うことのようだった。
 事件発生時刻には、私はまだスナックで盛大に飲んでいたことが、店の人達によって証言されたということだった。

 さらに、聞いて驚いたのだが、私が寝ていたベンチの隣に、もう一人寝ていたやつがいて、そちらにより強い疑いがかかっているらしい。
 「そうだ。念のため面通しをしてください」といわれ、私が取調べを受けた隣の部屋へ通された。TVなどで見るのと同様のマジックミラーがあって、取調室の様子が見て取れた。私もこうやって見られたのだろう。

 黒人が取調べを受けていた。
 どこかで見た顔だった。そう言うと、刑事の動きが急にあわただしくなった。日本語がわからないようなので、英語の堪能な刑事が取り調べに当たっているが、黙秘を続けていると言う。米軍兵で、姓名所属はわかったが、このままでは地位協定にもとずき身柄を米軍側に引き渡さねばならないという。
 残された時間はわずか。それまでに事件を解明してしまおうというのだ。
 だから、私がどこで彼にあったかがわかれば、捜査はかなり進展する。

 「何軒かハシゴした店のどれかだと思う」
 間違いないか? 念を押されるても保証は出来ないが、刑事たちは、酔っ払いの証言などもともと信用していなかった。
 さっさと私が飲み歩いた店を洗い上げてしまい、そのうちの一軒でこの黒人兵のアリバイは成立した。何時間も粘った挙句、金が足りなくて一悶着あったと言うから、私よりはるかにしっかりしたアリバイだった。

 ジョーイ(彼の名である)は、釈放された。
 警察官の質問、事情説明には相変わらず口を閉ざしたままだったが、私が経緯を説明してやると、素直に事情聴取に応じるようになった。彼のほうも飲み屋で大騒ぎをしていた私を覚えていたようだ。私がポリス・オフィサーではないとわかり、ようやく安心したものらしい。
 さんざん痛めつけられて正気に戻った酔っ払い二人が、肩を並べて警察署を出たのは、きのうここへ連れて来られた時と変わらない時刻であった。

 私は、ジョーイを我が家へ連れ帰った。
 ジョーイのスナックへの未払い分を代わって支払ったので、ジョーイが帰らねばならない基地までのタクシー代は、とうてい用立てることが出来なかったからである。
 妻は、この世のものとは思えぬ形相で私を睨んだが、他にどうすればいいと言うんだろう。袖すり合うも他生の縁、とはこういう事を言うのだ。

 「アリガトゴザマシタ ゴチソナリマシタ」
 ジョーイは、そう判読できるメモを残して、翌早朝、われわれが眠っている間に去った。
 そしてこの一件は終わった…… 筈だった。ことあれば蒸し返す、妻の非情な言葉を除いては。

 半月ほど経った日曜日、ジョーイが尋ねてきた。
 すぐにでも礼に来たかったが、懲罰にかけられていたという。上官に世話になった日本人のことを話し、ようやく外出の許可を得たのだという。
 ゆっくり話してみると、ジョーイは好青年であった。妻もすっかり打ち解けて、まるで世話をしたのは自分であるかのようなことをいう。あの夜、私とジョーイに毛布を投げつけ、足音荒く寝室に消えた事など、全く覚えていないようだった。
 夕食まで、ジョーイは家にいた。2人の娘ともすっかり仲良くなった。まるで言葉が通じているように、なにか言っては3人で大笑いしていた。
 「また遊びにいらっしゃい」と、日本人的別れの挨拶をしたところジョーイの顔が破裂した。娘達を抱きしめ、涙を流して喜んだ。

 休みのたびにジョーイが来るようになった。
 そしてすぐに、ジョーイと娘達は英語とも日本語ともつかぬ共通語を作りだし、私たち夫婦の入り込めぬ世界を作ってしまった。

 3ヶ月ほど経ったある日、ジョーイは制服で来た。
 「お別れです。多分ベトナムへ行きます。アリガタゴザシタ。ゴサマシタ」
 ありがとうございました。ご馳走様でした。それは、軍当局が兵に教えたいくつかの日本語の一つだった。日本語としては理解不能であったが、ジョーイは、その日本語の心を、十分に理解していた。

 お別れの食事をし、私達家族の写真を請われるままに渡した。娘たちは大切にしていたディズニーキャラクターのハンカチと、安物のチェーンペンダントを記念にプレゼントした。
 ジョーイは、娘達に「世界中の花を持って帰る」と約束した。行く先がベトナムでは、生きて帰れるかどうかが問題なのに。

 翌日、あの忌まわしい事件が起きた。

 隣りの町内で、強盗殺人事件が発生した。新婚の夫婦が拳銃で撃ち殺され、金品が盗まれていた。新妻には、陵辱の痕があった。
 私用された拳銃は、大口径の、米軍軍用拳銃と推定された。そして、犯人の遺留品と思われるハンカチが1点。ディズニーキャラクターのものと噂されたが、警察が発表しないので定かではない。

 基地の町ではあるが、この付近は、日本人の住宅地であり、歓楽街もない。
 米兵が出入りしていた我が家は、当然のごとく、警察当局の事情聴取の対象になった。
 それはいいのだが、困ったのは、暗黙のうちに村八分になってしまったことだ。妻は、買い物に出るのも嫌がるようになり、娘たちは家のなかで姉妹だけで遊ぶようになった。

 捜査の状況はわからなかった。
 警察は、米軍当局に氏名を特定して事情聴取を申し入れたが、同人はすでに作戦の展開で日本を離れている、との回答があっただけだと報道されていた。
 捜査の状況などどうでもいい。問題は我が家である。
 我が家の地獄はつづき、転居を考え、物件を具体的に物色する毎日であった。


 あの日から、数年が過ぎ、村八分もようやく解けかけたある日の事だった。
 久しぶりにのんびりした気分で、私は縁側で、妻が洗濯物を干すのを眺めていた。
 いい女だ。
 重役のわがまま娘で半ば押し付けられたように結婚したが、当たりだったと思う。さすがにあの事件の時は、神経をすり減らしてしまい、娘2人を連れて実家に帰ったが、親に諭されて戻ってきた。
 村八分に苦しみぬいていた時だけに、こちらから逆に、もうしばらく置いてやって欲しいと願い出たくらいだ。

 チャイムが鳴った。
 妻が不安げな目つきで私を振りかえる。別に不安になるようなことは何もないのに、私もなにか落ち着かない気持ちだった。
 庭から、髪を直しながら駆け上がろうとする妻を制し、私が玄関に出た。
 ジョーイがいた。
 いや、ジョーイではなかった。軍服を着た大柄な黒人だった。
 直立不動で敬礼し「US海兵隊、**隊、ラスキン軍曹」と名乗った。

 黒人はいつも無表情だ。楽しい時、可笑しいときは信じられないほどの大口をあけて笑い、全身で喜びを表現する。逆に悲しいとき、苦しいときは、無表情で時の過ぎるのを待つ。
 今、この軍曹は、無表情で私を見つめていた。

 軍曹は、一等兵ジョーイの戦死の通知と、遺品を届けに来たと言う。
 私は戸惑いを覚えた。迷惑な気もしたが、正装で、職務として来ているものを追い返すわけにも行かない。仕方なく、招じ入れた。
 軍曹の肩越しに、向かいの主婦が非難のまなざしでこちらを窺っているのに気づいた。すぐに村八分事件の不快な思い出がよみがえった。
 こっちが呼んだわけじゃない。なんといったって、うちがいちばんの被害者なんだ、といってやりたかった。

 軍曹の話はこうだ。
 米軍は、ベトナムで散々な目に会っていた。ジョーイの所属する隊も、敗走を重ね、ついに撤退命令が出された。
 明朝、爆撃機の掩護を得て、撤退という前夜、ジョーイの姿が消えた。捜索隊が組織され、まもなく、草原に屈んで逃げて行くジョーイが発見された。脱走と認められ、ジョーイは味方の弾丸に倒れた。
 死の寸前、軍曹は、ジョーイが脱走したのではなく、花を摘みにいっていたと聞かされた。

 「戦火に焼かれたベトナムの大地には、花なんかほとんどないんです」
 遠くを見るような目つきで、軍曹は言った。
 軍曹は鞄を開き、朽ち果てた花束をテーブルに広げた。
 「お嬢さんとの約束と聞いています」

 激しい衝撃が全身を貫いた。妻は「ああ」と叫んで、床に崩れ落ちた。
 朽ち果てた花束は、あのディズニーのハンカチとペンダントチェーンでまとめられていた。
 あの明るく楽しいジョーイを、一瞬でも疑い疎ましく思った私たち夫婦に、神が下された制裁がこの花束だった。

 ジョーイには本国に親はいないと言う。軍隊が家であり、上官が父母であった。そのジョーイが、軍隊以外に見つけた安らぎの家が、我が家だったのだ。父がいて母がいて、妹のいる家。
 ジョーイは、ごく短い私たち一家とのふれあいに、自分の家を見出していたのだろう。
 私たち一家の写真は、弾痕と、黒く変色した血の痕で彩られていた。

 すぐに帰るというラスキン軍曹を無理に引きとめ、娘達を交えて食事をしながらジョーイの思い出を語り合った。
 当時から言えば倍くらいの年齢になった娘たちは、始めは恥ずかしそうにしていたが、すぐに「ジョウ」とファーストネームで呼びかけるようになった。

 「ジョウ。休みの時は、遊びに来てくれたまえ」
 言ってしまってから、ちょっと後悔して妻の顔を見ると、彼女はジョウの大きな手を握り締めて、
 「ぜひ、そうして。あなたの家だと思ってね」
という。
 ジョウは、大きな身体を揺さぶって、
 「ありがとう。ジョーイのパパ、ママ。今度はボクがジョーイになろう。平和な時代になったから、世界中の花も手に入れやすい。約束する。この家を花でうずめることを」

 ジョウを送って出ると、向かいの主婦が、近所の主婦達を集めて緊急井戸端会議を開いていた。
 いっせいに暗い目で私を睨んだので、私は精一杯の笑顔を作って挨拶をかえしてた。