ジングルベル |
「おにいちゃん、おなかすいた」 「もうちょっとがまんしててね。もうすぐかあちゃんがかえってくるから」 マサシは泣きたくなった。4歳のミヨコがどんなにおなかをすかせているか自分もペコペコだから、よくわかる。 もうすぐかあちゃんがかえってくる…… そういって何回ミヨコをだましただろう。だますつもりではなかった。本当に、もうすぐかあちゃんがかえってくる、とマサシ自身も思っていた。 でも…… かあちゃんは、もう帰ってこないのかもしれない…… あのおじさんが来て、かあちゃんは出かけた。 おじさんと出かけた夜は、いつもかあちゃんは帰ってこない。 それはわかっていたが、いつかそのまま帰ってこなくなるんじゃないかと不安だった。 でも、いつも次の日には帰ってきて、おいしいものを食べさせてくれた。 おじさんと出かける時、かあちゃんが菓子パン3個と500円、置いていってくれた。いつもはパン4個なのだが、昼間のうちに、ミヨコがどうしてもほしいといって、ひとつ食べてしまったので、3個しかなかった。 夜、ミヨコと菓子パンを1個ずつ食べて寝た。 ミヨコがテレビを見たいといったが、電気がきていないので、テレビは見えない。仕方がないので、仏壇のローソクを下ろして、絵本を読んでやった。 次の朝、パンを半分こしようとしたら、ミヨコがぜんぶ食べたいといったので、マサシは我慢した。 「ミヨコは小さいんだから、マサシが我慢しなくちゃね」 かあちゃんがいつもそういっていたから。 お昼前、ミヨコと一緒に、商店街に行った。商店街は、クリスマスの飾りですごくきれいだった。街中にクリスマスの音楽があふれていた。 去年のクリスマスには、かあちゃんがケーキを買ってきてくれた。甘くて甘くて、いっぱい食べた。 ミヨコの顔がクリームで真っ白になり、雪だるまみたいだねってかあちゃんがいったので、皆で笑った。 商店街で、もしかしたらケーキを買っているかあちゃんに会えるかと思ったが、どこにもいなかった。 パン屋さんでパンを3個買った。4個買おうと思ったが、お金が足りなかった。ミヨコがどうしてもジュースがほしいというので自動販売機で買ったためだ。 お金が47円残った。 そしてまた夜が来た。かあちゃんは帰ってこなかった。 次の夜も…… いやちがうかな。夜は一つだったかな…… 三つだったかもしれない。 寒いから、明るいうちから布団に入っているので、目がさめると真っ暗で、夜がいくつだったか分からなかった。 おなかがすいて、なにか食べたかったけど、もうなにもなかった。 「おにいちゃん、おなかすいた」 「もうすぐ、かあちゃんがかえってくるからね」 かあちゃんを迎えに行こう…… そう考えて、マサシは外に出た。いつもならついてくるミヨコは、寝転がったまま、マサシのほうをみただけだった。 迎えに行こう、と思ったが、かあちゃんがどこにいるのかマサシは知らなかった。 とりあえず、バス停まで行ってみた。 バスは何台も来たけど、かあちゃんは降りてこなかった。 駅まで行ってみようと思った。 駅は遠いので、歩いたことはない。道も知らない。でもバスの行く方へ歩けば、駅まで行けそうに思った。 足に力が入らないのでゆっくり歩いた。歩きながら、マサシは自動販売機を見つけてはつり銭の穴に指を差し込んだ。たまにお金が残っていることがあるからだ。でも今日は、10円玉1個もなかった。 いつのまにか、知らない街を歩いていた。 コンビニの前に、パンの入った箱が積み重ねられていた。 「おにいちゃん、おなかすいた」 ミヨコの声が聞こえた。 パンはたくさんあった。だれもいなかった。 一つだけ、たった一つだけ…… マサシはパンを一つとってミヨコの待つおうちのほうへ歩き出した。 「泥棒!」 声と共に誰かが追いかけてくる足音が聞こえた。 マサシは必死になって逃げた…… つもりだったが、足がふわふわと雲を踏んでいるようで前へ進まなかった。 「このガキぃ!」 誰かに腕をつかまれて、はずみでパンが道路に転がった。ミヨコのパンが。 コンビニの狭い事務所に連れ込まれた。 「名前は? 家は? ……」 店長という人にいろいろ聞かれたが、マサシは答えなかった。 早くパンを持って帰らなければ…… ミヨコが待っている…… パトカーがきて、マサシは警察に連れてゆかれた。 パトカーの窓から、道路に投げ出されたままのパンが見えた。車に轢かれたらしく、ぐしゃぐしゃになっていた。 警察でいろいろ聞かれたが、マサシはミヨコのパンのことで頭がいっぱいでなにも答えられなかった。 「おなか、すいてるの?」 優しそうな女のおまわりさんが尋ねたので、マサシはうなずいた。 しばらくして、いい匂いのする皿が目の前に置かれた。カレーライス! じゅわぁっとつばが湧いて口の中がいっぱいになった。ミヨコもカレーライス、食べたいだろうなあ…… 僕だけ食べちゃいけない、我慢しなくちゃ、マサシはそう思った。 「だめです。口はきかないし、なにも食べません」 「身元の分かりそうなものはないのか?」 「なにも持ってません。小銭が47円。それだけ……」 「親か、身内からの連絡を待つしかないな」 マサシは、次第に匂いの薄らいでゆくカレーライスをどうやってミヨコのところに持ってゆくか考えていた。 マサシは再びパトカーに乗せられた。 クリスマスのイルミネーションできらきら光る夜の街を通って、保護施設につれてゆかれた。 マサシはベッドに寝かされて、お医者さんの診察を受けた。 衰弱が激しい、血圧が低すぎる、24時間監視、点滴、流動食…… マサシにはわからない言葉が次々に聞こえた。 どのくらいの時間が経ったかわからなかった。 身体がぽうっと温かくなってきた。 ミヨコが待っている、帰らなければ…… マサシは起き上がろうとしたが、体が動いてくれなかった。 首をひねってみると、ベッドの傍に小さなクリスマスツリーがあった。 「ミヨコ……」 「えっ?」 見えないところにいたらしい白い服を着たおねえさんが飛んできた。 「いま、なんていったの?」 「ミヨコ」 「ミヨコって誰?」 「いもうと」 「妹さん? ミヨコちゃん、いまどこにいるの?」 「うちでまってる」 「おうち、どこ?」 優しそうなおねえさんだったので、マサシは住所を教えた。 おねえさんは、急いで部屋を出て行った。 身体が温まって、マサシは眠くなった。 「シャンシャン、シャンシャン……」 どこかでたくさんの鈴が鳴っているのが聞こえた。 眠い目をいっしょうけんめい開いてみると、トナカイの橇に乗って、白いおひげのサンタクロースが近づいてきた。背中に大きな白い袋を担いでいた。 「おにいちゃん」 サンタクロースがマサシに呼びかけた。 よく見ると、サンタクロースはミヨコだった。 白いおひげは口の周りについた、ケーキのクリームだった。 「ミヨコ、ケーキ食べたんだね。よかった」 安心して、マサシは深い眠りについた。かあちゃんが、保護責任者遺棄の疑いで逮捕されたことは知らなかった。 |
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