萩夫人口述


 M様のことをお尋ねですか?
 この街では、そう、私がM様について一番詳しいのかもしれません。
 でも、本当はお話したくはないんです。

 M様と知り合ったのは、もう10年以上昔になりました。
 当時私は、この町の〈ふぐ〉のせりで有名な魚市場の近くで、小さなスナックを営んでおりました。いえ、私一人でお客様のお相手をさせていただくだけの、ほんとうに小さな店でございます。
 エスポワール・・・よくはわからないんですが、フランス語で希望と言う意味だと聞いております。それが店の名前でした。

 ある夜のこと、大変お酔いになったお客様が、文字通り「転がり込んで」きました。初めてのお客様で、それがM様でした。
 「水」
 とだけおっしゃって、そのままソファでお休みになってしまいました。

 他にお客様はいらっしゃらなかったし、もうお店を閉めようと思っていたときなので、このときは迷惑に感じました。で、お身体をゆすって起こそうとしたのですが、目覚める気配はなく、仕方なく毛布をかけ、テーブルにお水とお薬を用意して、私は帰宅いたしました。

 お仕立てのいいスーツをお召しで、パリッと糊の利いたワイシャツ、ネクタイのセンスもこの街ではちょっと見かけないものでございました。
 ネクタイピン、カフス、腕時計、どれも一見して高価なものとわかりました。
 「都会の人」
 というのが、私の第一印象でした。

 翌日、店に行くと、もちろんM様はいらっしゃいませんでしたが、毛布はきちんと畳んであり、「大変ご迷惑をおかけしました」というメモが2万円のお金を添えて置いてありました。お金なんか要らないのに・・・。
 お店には異常はなく、お薬だけが使われた様子でした。

 あら、こんなお話でよろしいのでしょうか。昔のことですから、記憶違いもあるかもしれません。
 あ、お茶を入れ替えましょう。

 それから数日後、まだ早い時間にM様がいらっしゃいました。
 丁寧なご挨拶と、花束をいただきました。
 この日、私がうかがったお話では、M様は、東京からお仕事で、長期のご出張でこちらにお出でになり、2ヶ月ほどになると言うことでございました。
 この日は、あまりご自身のことをお話にはなりませんでしたけれど、その後に知ったことをあわせて申し上げますと・・・

 M様のお仕事は、東京のある大きな会社と、この町の会社が合弁で事業を起こし、その指導をされていらっしゃる、ということでございました。
 ところがその事業が突然打ち切りになり、M様は東京の会社の窓口として大変辛いお立場になったようでございます。

 先日、酔ってご来店になったのは、こちらの町の会社から大変厳しいお叱りを受け、ご自身をコントロールできなくなってしまわれたためだったようでございます。

 「ママさん、私、会社辞めました。こちらの会社が単独で事業計画を進めることになったので、そのお手伝いをさせていただくことになりました。変なご縁で飲みに来るようになりましたが、まだしばらくこちらに居りますので、よろしくお願いします」

 その後、週末には必ずお見えになるようになりました。何時も明るく、冗談をおっしゃってはいましたが、お仕事は順調とはいえないようでした。
 ずっとホテルにお住まいと聞き、差し出がましいとは思ったのですが、私の持っている小さなアパートをご紹介いたしましたら、喜んですぐに移っていらっしゃいました。
 失礼ですが、経済的にもかなり追い詰められていらっしゃるご様子でした。
 ある日曜日、私の家に、お食事にお誘いいたしました。
 「慣れてはいるんですが、ひとりぼっちの食事って、つまらないんです」
 そうおっしゃって、快く応じてくださいましたが、きちんとネクタイを締めてお出でになったんですよ。
 「くつろいだ格好で良かったのに」
 と申し上げましたら、ちょっと悲しそうに、
 「これしかないんです」
 と、お答えでした。東京には、奥様もお子様もおいでになると伺っておりましたが、何か触れてはならないことに触れてしまったようで、申し訳ない気持ちになりました。

 言い遅れましたが、私には当時4歳の男の子がおりました。父親のことは聞かないでくださいませ。
 M様は、この子を非常に可愛がって、疲れて眠ってしまうまで遊んでくださいました。
 次の日曜日も、そして次も…… M様は、私がプレゼントしたポロシャツにジーンズ姿で、まるで父親のように、息子を連れて散歩に行ったり、サッカーのボールを買ってきて、転げまわったりされました。

 そして、あれは最後の日曜日でした。3人で、赤間神宮へお参りにまいりました。ええ、追い詰められて入水した、平家の公達を御祀りしたお社です。

 「あなたは萩の花のような人だね」
 海峡沿いの道を歩いている時、M様は何の脈絡もなく、つぶやくようにおっしゃいました。この人、今なにか打ち明けた、と私は思いました。
 M様は、「神様に頼る気はない」と、境内を散策されてましたが、私はふと、M様が息子の父親になって、新しい生活が出来ないかと考えてしまい、神様にお願いしてしまいました。

 神様がお怒りになったのでしょうか。
 翌日から、M様と連絡が取れなくなりました。アパートに帰っている様子もないので、お仕事先に伺ったところ、事業は中止になり、事務所は閉鎖された、とのことでした。
 M様は、銀行やお役所、その他関係先との協議で忙殺されている、とのことでした。

 それから半月ほど経ったある日、そろそろ冬将軍の訪れを感じるほど肌寒い日でした。
 M様が、いえ、はじめはM様とはわからないようなお変わりようで、突然おみえになりました。頬がこけ、目だけが大きく剥き出しになり、お召し物は汚れが目立っていました。
 あれだけなついていた息子が怯えたように逃げさるほど……。

 「お金を、東京へ帰る電車賃を、貸していただけませんか。あなた以外に、こんなお願いのできる人は、この街にいないんです」

 いや、いやっ! 他のどんな無理だって聞きます、お金が必要なら私の持っているものすべてをあげてもいい。でも、東京へ帰るお金だけは私から借りないで!

 ……
 失礼いたしました。つい取り乱してしまいました。

 後日、お店のお客様に聞かされました。
 M様は、身分の保証は何もなく、お仕事に没頭されたのに退職金どころか、お給料も1円も払ってもらえず、放り出された、と。
 こちらの会社ですか? もちろんもうありません。
 人の情がわからないものが、この街で生きられるはずはありませんもの。
 ご用立てしたお金はまもなく送っていただきました。現金書留の文字はM様のものでなく、もちろんお手紙もありませんでした。

 これがM様について、私の知っているすべてです。
 その後、お会いしたことも、ご連絡もございません。

 ところで弁護士事務所の調査の方が、何をお調べなんですか?