コスモス街道


 けたたましいクラクションの音で、多恵子は我に帰った。
 ルームミラーいっぱいに大型トラックのフロントが迫っていた。
 アクセルを踏み込みながらスピードメーターを見ると、指針は40km/hを示していた。制限速度は50km/hだが、信号がなく、通行量も少ない山道なので、ほとんどの車が60km/h見当で走っている。
 多恵子も運転には慣れているし、普段なら「流れ」をせき止めて他車に迷惑をかけるような走りはしないが、今日は違った。
 姑とのいさかいのことで頭がいっぱいになっていることと、この道を走りつづけることへのためらいで、上り坂での自然減速に気づかなかった。
 加速して十分に車間をとってから、ハザードを2回点灯し、トラックに詫びの意思を伝える。トラックが「気にすんな」といいたげにパッシングを返してきた。
 「あぶない、あぶない」
 こんな気持ちで運転していたら、事故を起こしかねない。どこかに車をとめて、気持ちを切り替えなければ・・・・・・

 国道254号線。いま走っているのは、群馬県内の通称「信州街道」だ。まもなく長野県との県境をなす内山峠のトンネルにさしかかる。トンネルの向こうは「富岡街道」別名「コスモス街道」と呼ばれ、この時期沿道に群れ咲くコスモスの花がドライバーの目を楽しませてくれる。

 姑とのいさかいは、洗濯物が原因で始まった。
 昨日、多恵子は洗濯物を干したまま外出した。日のあるうちに帰るつもりだったが、用事が長引いて、帰宅したのは日が落ちてからだった。気を利かせた姑が洗濯物を取り込んでおいてくれた。
 ここまでだったら「ありがとう」ですんだはずだったが、姑は取り込んだ洗濯物にアイロンをかけ、箪笥にしまいこむところまでやってしまった。
 洗濯物には、タオルやシーツ、シャツなどの外衣類をはじめ、当然のことながら、夫や多恵子の下着類もあった。
 夫の母親だとは言え、下着類には触れてほしくなかった。
 まして、若夫婦の寝室をかねた私室に入り、箪笥をあけたことは我慢できなかった。

 「ひとつ屋根の下で暮らしているんですから、あまり細かいことをとやかく言うつまりはないんです。でも、いくらお義母さんだからといっても、私たち夫婦のこと、家族のことに手を出してほしくないんです。それは、お義母さんから見れば、私はだらしない妻であり、母親かもしれません。でも、私たちなりに考え、一所懸命努力して作り上げているんですから、放っておいてほしいんです」

 姑への不満は、いままでもたくさんあったが、表面的には平穏で、仲のよい嫁姑の間柄を演じてきた。すべて嫁である自分のほうが折れてきた、と多恵子は思う。その鬱積が一気に爆発してしまった。
 いさかいといっても、姑はおとなしい人だったから、多恵子が自分の鬱屈したさまざまな思いをぶつけただけだった。
 黙ってしょんぼりしている姑を見ていると、多恵子はますますいらいらし、次第にこの母親に顔はもとより性格までそっくりな夫への不満へと膨れ上がっていった。
 夫は弁護士である。
 それも、国立T大学在学中に司法試験を突破したほどの明晰な頭脳の持つ優秀な弁護士である。
 しかし彼は、優秀ではあっても、有能ではなかった。

 弁護士という職業は、高度な専門知識を要求される資格職で、医師などと同様、社会的にも高く評価され尊敬されている。
 しかし、弁護士は、それを職業として成り立たせるために、客=依頼人を探し出さねばならなかった。彼は、その点で、ほとんど無能だった。
 同じく弁護士だった父親からうけついだいくつかの会社の顧問弁護士という収入源を守るのが精一杯で、父がめざし、息子に受け継いでほしいと願った「法律を社会の弱者の武器にしたい」という理念は、当の父親の死とともに葬り去られてしまっていた。
 多恵子には、それが不満だった。加えて、知識は豊富だが、なにごとにつけ「決定」を他の人にゆだねる優柔不断さが我慢ならなかった。


 昨夜、帰宅した夫に、言ってもどうにもならないだろうとは思いながら、姑への不満をぶつけてみた。
 「別にいいじゃないか。手が省けて楽になったと思えばいい」
 予想通りの反応だったことが、よけい多恵子の心をかき乱した。

 噴出したあれやこれやの不満が胸のうちを駆け巡ったため、昨夜はよく眠れなかった……
 はっとして目覚めた。
 今日は、小学生の娘に弁当を持たせる日だった。
 慌てて身づくろいをし、キッチンに行くと、娘の幸子はすでに登校したあとで、姑が洗い物を済ませて自室に戻るところだった。
 「幸ちゃんのお弁当、私が造って持たせましたから……」
 素直に「ありがとう」というべきだった。
 が、多恵子は自分の失敗を怒りに転化してしまった。
 「もういやだ!」
 さっと着替えをし、財布と車のキーを持って家を飛び出してしまった。


 曲がりくねった山道を登りきり、県境のトンネルを抜けた。こちら側は、長野県佐久市である。

 「来てしまった」
 多恵子の唇から独り言が漏れた。

 目指しているわけではないが、多恵子の頭の中にはこの佐久市内に住む友人の名があった。
 「友人」といっても、会ったことはない。住所も名前も知らない。わかっているのは、男性で、佐久市のどこかに住んでいるということと、携帯電話の番号、そして「ピエトロ」というハンドルだけだった。
 ピエトロ氏とは、パソコン通信の教育に関するフォーラムで知り合った。

 多恵子は、以前、自分が卒業した私立大学の付属小学校で教員をしていた。出産を間近になって退職したが、小児教育については今もって情熱を持っている。できればまた教壇に立ちたいと思っていた。
 そんなことから、現役の教員や教員を目指す学生、教育関係者、教育に深い関心を持つ人々などが参加している、パソコン通信のフォーラムに参加するようになった。
 パソコン通信は、基本的に参加者の個人情報を伏せているため、本人が明らかにしない限り、名前や住所、性別すらわからない。名前がわからないのでは討論が成立しないので、通常は、ハンドルという一種のペンネームを用いている。
 多恵子のハンドルは「みい」。オンラインで登録するとき、気の利いたハンドルネームを思いつかなかったので、とっさにそばにいた飼い猫の名前を借用したものである。

 フォーラムでは、さまざまな問題が取り上げられ、いろいろな意見がたたかわされた。時には、激しい論争に発展することもあったが、多恵子は、その中で終始一貫して冷静に、論理的に意見を述べるピエトロ氏に注目し、その発言にコメントをつけるようになった。
 ピエトロ氏もまた、みいさんの発言には丁寧なレスポンスを返した。
 ピエトロ氏は、みいさんの思いもかけぬ角度からの切り込みが気に入ったようだった。
 二人の意見交換は、公開されたフォーラムだけでなく、メールのやり取りに発展した。はじめのうちは、当り障りのない意見交換だったが、次第に他人が読めばラブレターじゃないかと揶揄されそうな内容になっていった。


 トンネルを抜けて大きな急カーブを過ぎると、道はほぼ一直線の下り坂になった。遠くには佐久の市街地らしい町並みが広がっている。
 このあたりから、うっそうとした木立の山の雰囲気が一変し、明るくのどかな農村の雰囲気に包まれる。
 道路の両側には、咲き乱れる紅や白いコスモス。山の深い緑と、田んぼの黄色、抜けるような青空と白い雲・・・・・・ 車で通り抜けてしまうのが惜しいような風景が展開する。
 薄いピンク、穢れのない純白の花々が、研を競う。
 トンボがいる・・・・・・ 蝶々が・・・・・・ 
 車を停め、付近の草原に転がってみたい誘惑に駆られたが、適当な駐車スペースが見当たらなかった。

 「こんなところに住めたらいいな」
 人との軋轢のない、自然の移ろいに囲まれた生活……
 そういう思いにピエトロという名がかさなってきて、多恵子ははっとした。
 ピエトロ氏に、早く会いたいという気持ちと、会ってはいけないという気持ちが相半ばしていた。
 「コスモスさん、どうすればいい?」
 コスモスは、風に吹かれて左右にゆれた。「いけない」といっているようでもあり「早く行け」といっているようにも思えた。

 複雑な気持ちのまま、後続の車がいないことを幸いにゆっくりと車を進めると、右側に「萩寺」という方向標識を見出した。
 乱れる思いが「萩寺」という落ち着いた雰囲気の文字に吸い付いた。

 車幅いっぱいの狭い坂道を登りつめると、左手に駐車場があった。十数台停められそうな広さだが、先客はいなかった。
 車から降り立つと、運転している間は気づかなかったが、駐車場はすでに萩の花に覆われていた。打ち寄せる磯波のように、山の斜面から薄紫の小さな花の群れが幾重にも重なって多恵子に迫ってきた。

 押し寄せる萩の波に圧倒されて振り向くと、後方にはすばらしいロケーションが展開していた。
 足下には、いまが盛りと咲き乱れるコスモス畑。その向こうには、黄金に色づいた田園風景が広がる。それに割り込むように、深い緑の小高い山がせり出す。一部色が変わって見えるのは、すでに紅葉が始まっているためだろうか。
 遠くにひときわ高く見える山並みは八ヶ岳連峰だろう。
 青く、青く、深い空。真綿のような雲が流れていた。

 あふれ、こぼれるような萩の花に覆われた参道を通って境内に入る。
 境内にも、人は誰もいなかった。
 照曜山園城寺、真言宗智山派の寺で、門の脇に「佐久八十八ヶ所霊場四十二番札所」と書かれていた。
 本堂前の階に、お守りや御朱印帳、みやげ物などが並べてあったが、ここにも人は居らず、脇に押しボタンがあって、小さな紙片に「御用の方は、このベルを押してください」と書かれてあった。
 用事はないし、人には会いたくなかった。

 しばらくひっそりとした境内を散歩した後、本堂脇の花壇の前のベンチに腰を下ろした。
 花壇には、秋の七草と書いた小さな経木の札が立ててあって、一つ一つの草花にも「をみなえし」などと説明札があった。

 「お参り、ご苦労様です」
 声があった。見ると、頭に手ぬぐいをかぶり、もんぺ姿で、箒とちりとりを持った中年の婦人がほほえんでいた。寺の人であろう。
 「萩の花、きれいですね」
 「そうですね。でももう終わりなんですよ」
 「こんなにたくさん咲いているのに?」
 「先週あたりが最盛期でした。吹く風までが薄紅色に染まったほど……」
 「まさか」
 「おほほほほ」
 上品な婦人だった。住職の妻かと思ったが、違った。近くに住む檀家で、お寺の手伝いをしているのだ、という。

 「お茶、さし上げましょう」
 「あ、いえ。そんなご厄介をかけるわけには……」
 「あら、私が飲みたいんですよ。お付き合いしてくださいな」
 婦人は、本堂の外縁に多恵子を誘った。
 心地よい日差しを浴び、お茶の香りが溶け込んで、多恵子の荒れていた心が次第に静まった。

 「萩はね、草かんむりに秋と書いて、万葉の昔から秋を代表する花だけど、萩という名の植物はないってこと、ご存知?」
 「えっ? そうなんですか?」
 「萩というのは、植物学的には、マメ科ハギ属の総称で、ヤマハギ、ミヤギノハギ、マルバハギ、その他たくさんあって、ほかにもマメ科だけどハギ属ではない萩や、名前だけハギでぜんぜん違う種類の萩、たとえばヒメハギなんていうのもあるのよ。ここに咲いているのはミヤギノハギとシロハギで、ああして枝垂れるのが特徴。日本で一番多いヤマハギは、枝がピンと張っていてお花の形もちょっと違うの」
 「いやだ、私、考えたみたら、ここへ来るまで萩ってどんな花かイメージしてませんでしたわ」
 「そうね。萩という花があることは誰でも知っているけど、どんな花かとなると、みんなさまざまな印象をもっているでしょうね」
 お茶を入れ替えて婦人は続けた。
 「私ね、この季節になると、いつも思うんですけど、なぜ萩は秋を代表する花なのかしら……。萩って地味でしょ? 秋を代表するなら菊だっていいし、コスモスだって…… コスモスは外来の花だからだめなのかしら。それなら同じ秋の七草に数えられる桔梗だっていいはずね。桔梗のほうが、誰でも同じイメージを持つから分かりやすいんじゃないかしら」
 「でも、萩って言われたほうがしっくり来ます」
 「そう。お花の美しさから言えば、ほかにいくらでも美しく、強い印象をもつものがある。萩はいろいろな種類があって、それぞれ特徴があるけど、あまり個性がないのね。春の桜もそうだけど、小さな花が寄り集まって大きな景色に溶け込んだ時、一つ一つの花からは想像もできない美しさを生み出す。日本人はそういうのが好きなんじゃないかしら」

 日が傾いて、雲の動きが速くなっていた。
 「もう帰らなくちゃ……」
 と思ってから、多恵子は自分がここへなにをしにきたかを思い出した。

 「私、家出してきたんです」
 「まあ」
 「好きな人のところへ行こうと思って。夫も子供もいるんですよ、私」
 「あら、素敵」
 「えっ? いけないことだと思いません?」
 「いいじゃありませんか、人間は自由なんですもの」
 「……」
 「自分で考え、思い通りにできるのが人間でしょ?」
 「そうは言っても、自分ひとりで生きているわけじゃないから……」
 「私ね、子供の頃は親の言いなりだったし、結婚してからは主人に口答えできないし、もう亡くなったけど姑には頭が上がらなかったわ。私にだってしたいこと、言いたいことはいっぱいあるのよ。でも相手のことを考えるとなにもできない。それでストレスがたまると、こうやってお寺へ来て、お掃除しながらお花とお話してるの」
 「近くにそういう場所があってうらやましい」
 「そうじゃないのよ。私がお花と話しているのは、いつあの家を飛び出るかという計画についてなの。ほほほほ。私は、自由。いつ、どこへ行くかは、ここのお花だけが知っているの」

 「またいつか、遊びに来てもいいですか?」
 「彼と一緒に?」
 「娘と、かも知れません」
 「その時、私はいなくなっているかも……」
 二人で声を立てて笑い、この婦人ともう一度会えることを願いながら、多恵子は寺を後にした。

 コスモスのあふれる国道254号線。
 右へ行けばピエトロ氏のいる佐久市街、左は鬱陶しいわが家へ続く道。
 多恵子は「私は自由」とつぶやきながら、左にハンドルを切った。