雨乞い地蔵 流 転 |
谷に突き出た山襞を回りこむと、正面に北岳が現れた。 富士山に次ぐ日本第二の高峰、北岳3,192mは、5月だというのに、まだ頂に雪を残していた。 男の目に絶望の色が浮かんだ。 過去10年以上、北岳に親しみ、北岳の姿は知り尽くしているつもりだったが、今この角度から見る姿は初めてだった。山歩きを仕事のようにしている男にとって、熟知した山が目近にあることは、それだけで安心なはずだったが、誰も来ない深い深い山奥で足に傷を負い、道を失った身にとって、初めての角度から見る山は、最後の望みを断つに等しかった。 男は崩れるように草むらに腰を落とし、山の斜面に身を預けた。 腹が減っていた。喉が渇いていた。 喉の渇きは、谷に下りれば潤すことができるが、空腹を騙すには、もはや草木の根をかじるしかなかった。背嚢の非常食は、昨日、最後の一個を腹に入れてしまっていた。 「水を飲んで、食い物を探そう」 男はそうつぶやいたが、体が動かなかった。 「少し休んでから……」 もう一度つぶやいたが、いくら休んでももう一度立ち上がる力は湧いてきそうになかった。全身がだるいのは、熱が出ているせいだろう。 男は苦労して靴を脱ぎ、ゲートルをはずした。白い軍足にしみた血が黒く変色して固まっていた。出血は止まっていたが、痛みが全身に回って感じられた。傷口からばい菌が入り込んでいるのかもしれないし、挫いただけでなく、骨にひびが入っているのかもしれなかった。 いままで、山中で迷ったことは何度もある。 もともと人の行かないところを選んで入り込むのだから、迷うことへの恐れはなかった。足の怪我さえなければ、いまも絶望感にとらわれることはなかっただろう。 怪我は、一昨日、猪に追われ、谷へ転落したときに負ったものだ。 人里を離れている上、景色を楽しむ以外はさして魅力のない山奥だから、ここは野獣たちの世界だった。狐や狸もいれば、熊や猪などもいる。彼らはめったに見ることのない人間を異世界からの侵略者と考えるのであろう、敵意をむき出しにして襲ってくる。 男は武器を持っていなかった。 ツルハシとスコップを担ぎ、腰には山刀を提げてはいるが、山刀はじゃまな木や枝を切り払うためのものであり、ツルハシとスコップは地面を掘り下げるためのもので、それらを手に動物たちと闘うつもりは毛頭なかった。 悪寒が来た。全身が痙攣し、男は自分を抱きしめるように腕を組んで体を丸めた。足の痛みが激しさを増し、苦痛が全身を駆け巡った。 「今度こそ死ぬかもしれない」 山に入るようになってから、男は、いつかは山で死ぬと予感していた。岩山での転落や雪山での滑落は何度も経験したし、動物に追われたことも、今回が初めてではない。 その度に死と向かい合い、しかし男は、体力と気力の限りを尽くして、死を乗り越えてきた。 だが…… なにかが今までとは違っていた。高熱のため、意識が朦朧とし目がかすんでいた。遠くの山が傾いて見え、ものの形を捉えることができなかった。 木が歩いていた。四尺足らずの木だった。 木が屈みこみ、男になにか言った。 「?」 子供だった。5〜6歳の男の子だった。 まん丸の目が黒く光っていた。ふっくらと膨らんだほほが赤かった。紺がすりの着物を着、草履を履いていた。頭には小さな髷が結ってあった。 幻覚か? 自分が子供だったころは、「断髪令」に抗して髷を下ろさない大人たちをよく見かけたが、大正天皇の御世になって十年を越えた今、いくら田舎のことだとは言え、丁髷を結った子供がいるとは思えない。 幻覚でしかない…… 男はさらなる絶望の淵に沈み、意識を失った。 米の炊き上がるいい匂いで、鍵山四郎は目覚めた。 腹が「くうぅ」と鳴った。自分で笑いたくなるほど大きな音だった。 あたたかい布団の中にいた。 あたりは薄暗く、時間の見当はつかなかった。床の間つきの六畳ほどの部屋で、二面か板戸、一面が障子戸になっていた。その障子紙が明るんでいることと、米を炊きあがる匂いから、なんとなく朝だと思った。 部屋に天井はなく、高い吹き抜けの屋根裏がみえた。黒光りした太い梁ががっしりと屋根を支えていた。知らない家だった。 全身が痺れているように感じたが、手を動かしてみるとちゃんと動いた。 右足も動いたが、左足は何かに縛り付けられているようで動かなかった。 「誰かに助け出されたんだな」 山の中で子供の幻覚を見たとき以降の記憶が途切れていた。その後に、誰かに助けられた…… 「山師の仲間だろうか?」 鍵山四郎は、山師だった。 山師とは、もともと鉱脈などを探し、山の価値を査定する人々のことを言うが、めったにない鉱脈などを探し当てると莫大な成功報酬を得ることから、一攫千金を夢見て投機的な商いをする人のことをも、そう呼ぶようになった。 だが、鍵山四郎はそのいずれでもなかった。 四郎は、もともと東京帝国大学で日本の歴史を研究する学者だった。 ある夏のことだった。 四郎は、武田信玄とその一族の消長の跡をたずねて、甲州を旅した。武田信玄や戦国時代は、四郎の専門分野である仏教史とはほとんど関係なかったが、どこへ行くにもなにか研究にこじつける学者の習性と、研究目的であれば旅行の費用の一部が支給されるという、しごく現実的な理由から、それを目的に選んだものであった。 甲府から、信玄の隠し湯の一つとされるある温泉場を目指しているときだった。櫛形山の山沿いの道で日没を迎えた四郎は、たまたま通りかかった小さな村の村長の家に宿を求めた。 こういうとき、「東京帝国大学」の文字が刷り込まれた名刺は実に有効で、水戸黄門の印籠みたいなものであった。「納屋にでも」という四郎の願いに、村長は「帝大の先生がお泊りになるのは我が家の誇り」と客間に通し、下にもおかぬもてなしをしてくれた。 翌朝、早立ちをしようとする四郎を押し留め、村長は「我が家に伝わる家宝を見てもらいたい」と、蔵に案内した。 蔵には、刀剣類や書画、陶磁器や漆器類、着物に反物など、いかにも家宝と呼んでもよさそうなさまざまなものがあったが、四郎が興味を持ったのは、隅のほうにうずたかく積み上げられ、埃をかぶっていた古文書類だった。 かなり古い時代のものらしく、虫に食われていたり、染みがついていたりでまともには読めなかったが、表書きから年貢の記録や当時の村長の日誌類から行商人や出入りの商人のものと思われる通い帳などであった。 たまたま手にした紙縒りで綴じた日誌の一冊に次のような記載があった。 「癸亥弐月二十七日 変化あり 小判すべて枯葉と化す 元来金を持たぬわれら農人に被害すくなけれど 商人町人騒動に及ぶ 泡ぶくのごとく湧き出る金のはかなきこと もって肝に銘すべし」 なんだ、これは? 町中の、いやもしかしたら国中の小判が枯葉に化けたらしい。そんなことが考えられるだろうか? 誰かが狐狸に化かされたという話ならいざ知らず、騒動が起こるほどの規模となると、狐や狸の出番はない。 「何かの喩えではないか?」 何かの事情で、この地方は未曾有の好況を享受した。誰もが懐に小判を抱き商人たちは莫大な財を蓄えた。 それが消えた。小判は枯葉に変じた。つまり価値を失った。 インフレェション…… そんな言葉を同じ帝大の経済の研究者に聞いたことがある。 膨れるだけ膨れ上がった好況は、まさに泡ぶくのごとく弾けて消えた。 騒動が起こったという。それはそうだろう。大事な大事な金が価値を失ったら、誰だって怒り狂う。怒りは寄り集まって大河となり、為政者、権力者に向けて爆発する。ここにはただ騒動としか書かれていないが、この騒動も領主か代官に向けられたのであろう。 待てよ? 通常、民の怒りは圧政と収奪に対して爆発する。宗教弾圧によ一向一揆や頻発した農民一揆などがこれである。 だが、ここに記された騒動はちょっと意味合いが異なるようである。本来なら最も過酷な状況に陥り、先鋭的になるはずの農民が、傍観者のように描かれている。 つまりこの騒動は、圧政や収奪に抗うものではなく、金をめぐっての争い、すなわち価値を失った貨幣への不満の爆発に過ぎなかった…… 鍵山四郎は、思いがけなくも出会った史料に魅せられて、この家に一週間ほど滞在し、古文書の山を読破した。 余談だが、四郎は歴史の研究をしていていつも、中央政府や地方の領主家の公式文書は比較的残され、保存されているため時代の流れをほぼ把握することができるが、こういう民間側の私的文書はほとんど残っていないため、歴史上の事件の真相や民一般の受け止め方がわからない、ということが不満だった。 実際、この文書にしても、大学へ持ち帰りたいという四郎の申し出を 「かまどの焚き付けにしてるんですが……」 と、村長はあっさり承知した。 もし民の史料がかまどの焚き付けにならずに残ったならば、世界の歴史観はまったく違ったものになっただろう、と四郎は思う。 約一週間を費やして昔の村長が書き残した日誌を読破した鍵山四郎は、自分がとてつもない宝物を発見するかもしれないという、畏れにも似た気持ちにとらわれた。 それは、いま四郎が滞在している村のすぐ近くに存在した、夢のような町の物語であった。 いつの時代のことかは定かではないが、瓦礫の土地が緑豊かな田畑に変わって、類まれな豊かな村が出来上がった。 豊かな村には、人と金が集まり、町になって活発な経済活動が行われた。 その町が、癸亥弐月二十七日、小判が枯葉に変じたことで、急激にさびれ、翌庚申参月、大水が出てもとの瓦礫の土地に戻ってしまった…… 古文書は保存状態が悪く、しかもかまどの焚き付けに使われて、すでに焼失した部分もあるようで、日誌を日付順にそろえることは出なかったが、断片を寄せ集めると以上のようなことが書かれていた。 書いたのは、隣といってもよい近くの村の名主(村長)で、自分の見たこと知ったことを冷静に記録していた。それは、決して創作とは思えなかった。この一件以外のことも飾る風なく記していることからもそう思えた。 しかし創作ではないが、何かを隠して比喩的に書いたものとも考えられた。それは「騒動」と書きながら、「誰に対して」という相手を伏せていることからも推測できた。 書き残さないではおれない事件だが、あまりあからさまにはできない事情があったのではないか。 鍵山四郎には、そこに権力者の影が見えた。 癸亥弐月…… 小判が枯葉に変じた日を、日誌はこう記している。 いつのことだろうか? 干支は、十干(甲乙丙丁……)と十二支(子丑寅……)の組み合わせだから60年に一度、同じ組み合わせになる。 四郎は、当年からさかのぼって癸亥の年を列挙してみた。 1863(文久3年) 14代 徳川家茂 1803(享和3年) 11代 徳川家斉 1743(寛保3年) 8代 徳川吉宗 1683(天和3年) 5代 徳川綱吉 1623(元和9年) 3代 徳川家光 1563(永禄6年) 戦国時代で、この甲斐は武田信玄が治めていた。 これ以上さかのぼるには無理があった。いかに村長とはいえ、百姓が日誌を書き、冊子にまとめて保管するということは考えにくいからだ。 14代将軍家茂の時代は、すでに外国からの商船が続々とやってきて開国を迫っていた時代である。尊皇攘夷の波がうねり、いかに甲州の片田舎でも、そのことが日誌に一言も触れられていないのは不思議である。 11代家斉の時代は、幕府の財政が逼迫し、倹約令が出されるなど、一地方といえども好況を謳歌するような時代ではなかった。 8代吉宗の時代も同じで、但馬の国で大規模な一揆が起こったり、江戸では米価の高騰を原因として打ちこわしなどという騒動が持ち上がった。 飛んで3代家光の時代は、いまだ戦雲覚めやらず、特に甲州は西への備えの要衝であった。このことが日誌に登場しないのもおかしい。 これに対し、5代綱吉の時代は、とにもかくにも平和が到来し、経済活動も活発化して、文化的にも安定化した時代であった。 「これに違いない」 こうして日誌の「癸亥弐月」が特定された。 鍵山四郎は、もともと歴史学者だから、時代の特定はそれほど難題ではなかったが、肝心の「小判が枯葉に化した」という記録の解釈は難題だった。 宿を提供してくれている村長に尋ねてみたが、どうやら「その場所」が現在芦高村と呼ばれる地域らしいこと以外はわからなかった。 天和3年弐月、甲斐の国芦高村に「何か」が起こった。 その「何か」は、「小判が枯葉と化した」と表現されている。つまり小判が小判としての価値を失った、ということだ。それは、最初にひらめいたようにインフレェションということで説明がつく。 問題は、インフレェションの原因は何か、ということだ。 そのインフレェションは、どうやら芦高村とその周辺でのみ起こったことのようだ。それは、この村の村長が、自分の小判も枯葉に変わってしまったであろうに意外に冷静なことでもわかる。おそらく隣村の隆盛を苦々しく見ていたのであろう。 一山当てた成金の隆盛をやっかみ、その転落に快哉を叫ぶ様に似ていた。 日誌によれば、芦高村はもともと岩石ばかりの荒れた土地だったという。 その荒れた土地が豊かになり、あるとき大水が出てもとの石ころばかりの土地に戻った…… 「これは!」鍵山四郎の胸が高鳴った。「鉱山ではないか?」 武田信玄には、「隠し金山」や「埋蔵金」の伝説が絶えない。 学問的に裏づけの取れないその種のものを、純粋な学者である鍵山四郎はまともに考えたこともなかったが、そういう学者の耳にすら達しているうわさというものは、何か根拠があるとも考えられる。 この日誌の記録もそのひとつではないだろうか? 芦高村の石ころの間から「金」が見つかった。この場合「金」は、「きん」でもよいし「かね」でもよい。いずれにしても、武田信玄ゆかりのものと考えてよい。 無尽蔵とも言える「金」が町に出回り、町の隆盛は極度に達した。 その頂点で、「金」は無価値になった。まがい物だったか、為政者によってまがい物扱いされたか。いずれにしろ「癸亥弐月二十七日」に、それは金として通用しなくなった。 鍵山四郎は、そう結論付けた。 秋になり、大学に戻った鍵山四郎は、専門の学問を捨て、徹底的に武田信玄と甲斐の国の研究を始めた。 帝国大学の機能と権限をフルに使い、学問的にまとめられた書物はもとより町の無責任な講釈本にいたるまで、ありとあらゆる文献を読みあさった。 さらにたびたび甲州に出張し、昔語りを知る古老たちからも聞き取り調査をかさね、ついにひとつの結論を導き出した。 「信玄の隠し金山」は実在し、さらに甲斐のいずこかの山に「埋蔵金」も存在する、ということだった。 戦国の世、天下人を目指す武田信玄は、その生涯のほとんどを戦闘に費やしていた。織田信長や徳川家康などは、小勢の軍隊で知略、機略によって群雄を制していったが、武田軍は正面に陣を敷き、大軍をもって敵を押しつぶす戦略に徹していた。 大軍を動かすので、信玄の戦争は金がかかった。 その金はどこから出たか? 当然、自国内と占領地からの徴租は厳しく、善政をしいたと伝えられる割には、農民の一揆も多発していた。 武田信玄の軍事経済を支えたのは、豊富な山資源、鉱山だった。 代表的なものでは、身延山麓、下部温泉の「湯の奥金山」が今日にも伝えられ知られている。 他にもあったはずだ。鍵山四郎はそう考えた。 わが国の貨幣は、中国から伝来したものと考えられるが、その歴史は古く、飛鳥時代までさかのぼることができる。 ただし、このころの貨幣は銅銭、鉄銭で、金貨はなかった。 金貨、それも単位を鋳込んだ通貨としての金貨は、「甲州金」と呼ばれる、まさに武田信玄によって作られたものだった。 純度約80%、現代の5円玉ほどの大きさで、重量約15グラム。これを標準の一両として通用するようになったのだった。 甲斐は、徳川政権時代は、幕府直轄とされた。それは軍事的要衝だったためもあるが、金をはじめとする山資源を握るためであったと考えられる。 鍵山四郎は、多くの資料と歴史の分析により、「信玄の隠し金山」「信玄の埋蔵金」実在理論を構築して論文を発表した。その論文は、十分に学術的考察に裏打ちされたものであったが、世に受け入れられることはなかった。特に学者仲間からは冷笑を浴びる結果となった。 鍵山四郎は、東京帝国大学を放逐された。 「国の頭脳を輩出すべき東京帝国大学に、山師的論を振りまいて世を惑わす学者の存在はとうてい容認できるものではない」 帝大の長老たちを始め、文部省や政治家たちからも、そう突き上げられた結果だった。 鍵山四郎は、自説を証明するため、山に入った。 「ここはどこだろう?」 部屋の様子を確かめながら、四郎は起き上がった。全身に痺れに似た感覚があって、自分の体ではないように感じた。 部屋の隅の衣桁には、四郎の衣類がきちんと畳まれていて、脇には背嚢などの所持品が並べておかれていた。 枕元には盆に載せた急須と湯飲み、水を張った木製のたらいと手ぬぐいが数本おいてあった。 渇きを感じたので、急須の水を飲んでみた。吐き出したくなるほど苦い水だった。どうやら薬湯だったらしい。 左足は添え木が当てられ、晒し布で縛り付けられていた。 尿意を催してもいたので、立ち上がってみた。足に力が入らず、何かにつかまっていないと転んでしまいそうだった。左足に軽い痛みが残っていたが、歩けないというほどではなかった。当て木がむこうずねにあたるのが痛かったので、晒し布を解いて邪魔者をはずしてしまった。 足の裂傷部分は、きれいに洗われて、すでに傷口はふさがっていた。 這っていって障子を開けると、まばゆい日差しが飛び込んできた。障子紙が分厚く、茶っぽいので、日差しがさえぎられていたようだ。 障子の外は縁側で、雨戸が開け放たれており、甘い、冷たい空気が四郎の胸いっぱいに入り込んできた。 真正面に北岳が見えた。抜けるような青空を背に、残雪が煌いていた。 左奥に重なって見えるのは間の岳だろう。 手前の山々は新緑に萌え、庭先の木々も初夏を謳っていた。 小鳥のさえずりが音楽のように響き、いかな芸術家にもなしえない大自然の美を讃えていた。 「ふふっ」 笑い声が聞こえて、尿意を忘れて陶然となっていた四郎の目の前に子供が現れた。あの、幻覚で見た男の子だった。 幻覚ではなかった。 青い絣の着物を着、草履を履いて、頭には髷が結ってあった。 「あら。お気がつかれましたの?」 子供を追うようにして女が現れた。恐ろしくなるほど美しい女だった。やわらかく耳に心地よい声だった。 子供が女の脚に抱きついた。どうやら子供の母親の様子だった。 「まだお歩きになるのはご無理のようですね。でも、よかった」 杖になるものを借りて、縁側から草履を突っかけて、庭に降りてみた。 清新な山の空気を吸ったせいか、あるいは大地の生気が伝わったせいか、足に力が戻りつつあるのを感じた。 庭の便所で用を足し、案内されて家の裏手に回ると、山の湧き水を竹で受けた水道がしつらえてあって、透き通った水が絶え間なくあふれていた。 冷たく甘い水で口をすすぎ、顔を洗うと、自分でも人が変わったのではないかと思えるほど、さっぱりした気分になった。 「ここはどこでしょう?」 囲炉裏端で、用意された粥を食べながら、四郎は女に尋ねた。他にいろいろ尋ねたいこと、知りたいことがあったが、口を突いて出た最初の質問がそれだった。人は、まず自分のおかれた場所、立場を確認しないと不安になるものらしい。 女はちょっと困ったような顔をしたが、すぐに答えた。 「芦高村ですわ」 「芦高村? 芦高村というのは、山すそにある石ころだらけの、いまは誰も住んでいない村じゃありませんか。ここは山の上のようですが、あの芦高村と何か関係があるんですか?」 「まもなく父が戻ります。詳しいことは父にお尋ねくださいませ」 女はそれきり口を閉ざし、なにを尋ねてもただ微笑み返すだけだった。 あとで聞いたことだが、女の名はおせつ、男の子はやはり女の息子で清太郎という名だった。 女の父親、この家の当主は、清兵衛と名乗った。この芦高村の「名主」だという。名主という古い言葉に違和感を覚えたが、田舎のことでもあり、そう言い習わされているのだろうと思った。 驚いたことに、清兵衛の頭も、あの子供と同じく髷を結っていた。いや清兵衛ばかりでなく、この村の住人たちは皆、髷姿であることがあとでわかった。それはまるで江戸時代の農村をそのままこの大正の時代に再現したような観があった。 「ともかく元気になってよかった。あとはゆっくり養生して、体に力をつけることだ。何かほしいものがあれば、遠慮なくおせつに言うといい」 世話になった礼を言うと、清兵衛は笑顔でそういった。 ほしいもの。それは、ここはどこだ、に始まる一連の疑問に対する回答だった。清兵衛にそれを尋ねると、 「ま、ま、それはおいおいわかることだ。いや、こちらからも聞きたいことが山ほどあるんだが、まずは、体作りをね」 翌日から、四郎は、体の鍛錬をかねて、村の中を散歩して回った。 村は、山の中にしては思いのほか広く、なだらかな山の斜面にいくつもの田畑が広がっていた。 四郎が杖を頼りに歩いてゆくと、村人たちは例外なく農作業の手を休め、笑顔で近づいてきては「茶を飲んで一休みしていけ」とすすめた。 その言葉に甘えて、あぜ道に敷いた筵に座り込み、茶を飲み、漬物などをつまみながら、いろいろな話をした。その話で、清兵衛が「おいおい」と言ったとおり、いろいろなことがわかってきた。 なかでも四郎が驚いたのは、この村には62軒の家があり、約200人が住んでいるが、そのすべての人々が村の外から来た人間を見るのは鍵山四郎が初めて、ということだった。 村人は、誰一人、乃木将軍も東郷元帥も知らず、東京帝国大学といっても何のことかわからない様子だった。 四郎は、山歩きをするので陸軍の軍服に似た羅紗地の洋服を着ていたが、村人はそれを珍しがり、必ずといっていいほど触りに来た。 この村は、村外との交流がまったくないらしい。 そういえば、郵便局もなければ学校もななかった。 そして…… 一ヶ月ほど村を歩き回って気がついたのは、村から外へ通じる道が一本もないことだった。 村の周辺は深い森と屹立する崖で囲まれており、道らしいものはない。村を出ようとするならば、森に踏み入るか、村の中央部を流れる川に沿って下るか上るかするしかない。しかし、森はあまりにも深く、川は上下とも滝があってそれを越えるのはかなり難しそうに思えた。 出るのが困難なら、当然入るのも難しい。ここに村があることを知っていて特別な理由がない限り、ここを目指してくる者はないだろう。 四郎自身、山中を迷い歩いたあげく、森の中で倒れていたのを助け出されたものだ。それはまったくの偶然だった。 村を歩き、北岳の姿を確かめながら、四郎は手持ちの地図を繰り返し丹念に調べた。 迷うまでに自分の歩いた山と、北岳と間ノ岳の位置関係から、鳳凰山の観音岳付近と思われるが、このあたりは2,800m級の急峻な連峰に囲まれた地域であり、地図には等高線が記されているのみで、手がかりになるようなものはなにもなかった。 村の外に通じる道がないことについて、清兵衛は「昔から伝えられている掟があってな」と説明した。 「掟?」 「村を出てはならん、とな」 「なぜ?」 「わからん。理由までは伝えられておらんのでな」 「その掟があるから、村人は外へ出ない?」 「そんなことはない。理由のわからない掟など、守るものはおらん。だからわしの知っているだけでも、十人以上の若い衆が森へ入り川を下っていった。だがな、出て行った者が誰一人帰ってこない」 帰ってこないのは、外の世界がよほど楽しいか、帰りたくても道がわからなくなってしまったか、あるいは獣に襲われたか滝に落ちたかして死んでしまったのではないか…… そう聞かされたから、というわけではなかったが、四郎は、農作業の手伝いができるほどに体が回復していたが、この村を去る決心がつかないでいた。 雨が降っていた。 散歩にも出られないので、四郎は縁側に座って、庭を眺めていた。その背に清太郎がじゃれ付いていた。 その後ろの部屋の中では、おせつが繕い物をしていた。 清太郎の父親は、もう何年も前に病気で死んだと聞かされた。村の子供で父親がいないのは、清太郎だけだった。そのせいであろう、清太郎は四郎になつき、近頃は四郎をふと「おとう」と呼ぶこともあった。 四郎は未婚だった。したがって子供はいない。子供を持ったことがないから5〜6歳の子供にいきなり「おとう」と呼ばれて戸惑ったが、悪い気はしなかった。 四郎にとって清太郎は、いわば命の恩人なのだが、そういうことを別にして清太郎は可愛いと思ったし、なんとなく愛情を感じていた。 なにげなく振り向くと、おせつと目が合った。おせつは、白い歯で縫い糸を噛み切りながら微笑んだ。 四郎は、清太郎のほんとうの父親になってもいいと思っていた。 四郎の頭の中で、ひとつの考えがまとまりつあった。 天和3年弐月二十七日、芦高村の人々は、あの石ころだらけの村を捨て、安住の地を求めて山の奥へと入り込んだ。「洪水」は翌年のことだから、村を捨てた理由は何かほかにあったに違いない。 金山か、埋蔵金か、それにかかわる「何か」に違いない…… 「村を出るな、という掟以外に、何か伝えられていることはないのかな? たとえば金のこととか」 繕い物を続けるおせつに尋ねてみた。 「金? 金てなんですか?」 おせつは、キョトンとして手を休めた。金そのものを知らないようだった。うそを言ったり、隠しているようには感じられなかった。 「これ。こういう色をしたもの」 四郎は、ポケットから懐中時計を取り出した。帝大を卒業したとき、特に成績が優秀だったものに贈られた金時計で、いわばエリートの証だった。 時計の蓋と裏面には鳳凰の図柄が彫りこまれており、金製の鎖でチョッキのボタンホールに留められるようになっていた。 「山吹の花」 「いや、花じゃない」 「稲の穂?」 「植物ではなく、こういう色の石なんだけど」 おせつには、まったく心当たりがないようだった。 「いい伝えられている掟はもうひとつ、雨乞い地蔵様のことだけですよ」 「雨乞い地蔵様?」 「川の上の滝へは行ったでしょ? 丸く細長い石があるのに気がつきませんでした? あれ、この村の守り神の雨乞い地蔵様なんです。雨乞い地蔵様がいるおかげで、この村の川は、どんなに日照りが続こうと涸れず、どんなに大雨が降ろうと溢れることもないんです。だからこの村は、作物がよく育ち、食べてゆくのに何の不自由もないんです」 「言い伝えはそれだけ?」 「もしこの村を捨てるときが来たら、必ず雨乞い地蔵様もお連れしろって」 その石は知っている。 清太郎をつれて散歩に行ったとき、滝つぼの脇に地蔵といえばそう見える、丸く細長い石が立っているのを見た。 その石が自然にそこに立っていたものでないことは、台座に当たる部分に玉砂利が敷き詰められていることでもわかった。かなり古いものらしく、苔に覆われていた。 滝つぼの水は、雨乞い地蔵様の前を通って流れを作り、ゆるい斜面を村の方角に落ちていた。 水は清冽で、雨乞い地蔵様のおかげかどうかは別にして、確かに村の人々の命を支えるにふさわしいと感じられた。 「その金とやらを探しておいでなんですか?」 「ええ。多分この村は、いまから250年ほど昔、山すそにある芦高村から移って来たんだと思う。なぜ移ったのか、それに金がかかわっていると思う。金を運んできたか、金を守りに来たか……」 「そんなこと、聞いたことありませんよ」 「名主の清兵衛さんだけが知っているとか……」 「くくくっ。ああ、おかしい。父は隠し事のできる人じゃありませんし、この村では隠し事をしたってしょうがありません」 それはそうだ、秘密を守るも何も、この村はほとんど閉鎖されているのだから、秘密自体が意味を成さない。 「それが見つかったら…… お帰りになるんですか?」 「さあ…… 僕はもう10年もこの付近の山を歩き回っているんです。だから山が自分の家みたいなもんです。東京に帰ったところで、誰が待っているわけでもなし、また山に入るしかないのかもしれない」 「でしたらずっとここにいらっしゃればいい」 「そう考えてもいるんですよ」 「でも、この村を出る道を探していらっしゃるんでしょ?」 「ええ。でもそれは帰りたいためじゃない。村からいったん出てもまた戻ってこられるようにしたいからなんです。そうなれば、村の人々も町との交流ができるようになると思ってね」 「村にとって、それがいいことかどうか……」 「いいに決まってますよ。この村は文明から取り残されている。町にはあなた方が見たこともないすばらしいものがたくさんあります。……たとえば、ほら、これ」 四郎は、金色に輝く懐中時計をおせつに渡した。 「なんですか? これ」 「時計ですよ…… 時を計る道具」 「時を計ってどうするんですか?」 「……たとえば、これを見れば、お昼ご飯の時間がわかる……」 「くくくっ、お昼ご飯なんて、こんなものがなくてもわかります。すぐ支度しますからね」 「あははは、そうですね。おなかがすいたらお昼。それでいいんだ」 文明なんて、そんなものかもしれない。時計がなければ人間が生きていけないわけではない。そんなものよりも…… 四郎は、台所へ去ってゆくおせつの白い足から目をはずし、清太郎をきつく抱きしめた。 夏が来た。 村の子供たちが滝つぼに集まって水浴びをしていた。 滝つぼはそう深くないし、さして危険はないのだが、念のため四郎は監視役を買って出て、近くの草むらに寝転んで皆の弁当の番をしていた。 青い空に白い雲がふんわりと浮かんでいた。 四郎は、昨夜のことを思い出していた。 夕食後、床に入る前のひと時を庭に出て月を眺めていたら、おせつが心配そうな顔をしてやってきた。 「これ、音がしなくなりました」 あの雨の日、四郎は金の懐中時計をおせつにやってしまった。 帝大卒業以来、自分のたった一つの宝物として大事に使ってきたものだが、文明というもののばかばかしさを感じたとたん、時計という道具が無意味に思えたからだった。 時を計る道具としてよりも、金の鎖は美しい女の襟元を飾るにふさわしいし磨き上げた蓋の内側は女の顔を写す鏡としての機能のほうが似合っていると思った。 「ゼンマイが緩んだだけだよ」 おせつは、コチコチという時を刻む音が気に入ったのか、暇さえあれば時計を耳に当てていた。その音が消えてしまったというのだ。 竜頭の巻き方を教えるため伸ばした四郎の指先がおせつの白い指に触れた。 ピクンとおせつが体を震わせた。 一瞬だけためらってから、四郎は思い切っておせつの手を握りしめた。 おせつは逆らわなかった。手を四郎に預けたまま、首を傾けてうつむいた。 この村で、百姓になろう。四郎はそう決心した。 コツン。額に何かが当たり、子供たちがいっせいに笑い声を上げた。 起き上がるともうひとつ、今度は胸の辺りに当たった。子供たちが滝つぼの小石を拾って、四郎を的にして投げていた。 「こらあ!」 小石を投げ返そうとして、四郎はハッとした。 表面を覆っていた藻や泥がはがれた小石は、黄金の輝きを放っていた。 親指の先ほどのやや平たい塊りだが、ハンカチで拭いてみると明らかに人手によって打刻された文字が浮かび上がった。小さくてはっきりしないが、4文字ほどのうちの1字は「壱」だった。 「甲州金だっ!」 滝つぼに沈む小石は、金貨だった。 玉砂利と見た雨乞い地蔵の台座の石もすべて金貨だった。 「信玄の遺宝発見さる」 「世紀の大発見」 鍵山四郎の写真とともに、新聞にそんな見出しが躍った。 鍵山四郎は、滝つぼから一掴みの甲州金を拾い上げて東京に帰ってきた。 「信玄の埋蔵金発見」という四郎の報告に、はじめは眉をしかめていた学会の重鎮も、約50個の甲州金の現物を見せられては、認めないわけにはいかなかった。 四郎は、学会によって否定された自分の研究を証明したかっただけだった。失ってしまったといっていい10年に及ぶ調査の結果を証拠で示し、自分の研究に誤りがなかったことを証明したあと、芦高村に戻って百姓になろうと考えていた。 だが、四郎の意に反して、世紀の大発見は、政府を動かすことになり、各界の代表と学者たちによる現地調査団が結成されてしまった。 四郎は、芦高村を出るときに、二つの約束をした。 ひとつは清兵衛に「芦高村のことは誰にも言わない」 ひとつはおせつに「必ず帰ってくる」 四郎は、埋蔵金の所在は誰にも明かさなかった。それを明かすことは、清兵衛との約束を破ることになるからだった。 だが、政府が絡んだ以上、四郎がいくら口を閉ざしていても、その調査力でたちまち推定所在地を割り出してしまっていた。 やむをえなかった。 四郎は調査団の先頭に立った。 芦高村から出るルートを、四郎は雨乞い地蔵の滝から上流に採った。 森へ入り、あるいは川を下って出て行ったものは誰も帰ってこなかった。ならば目指すルートは上しかない。四郎はそう考えた。 上へ上へ、流れに沿って上がり、沢が絶えた後はひたすら尾根を目指した。険しい登りに疲れ果て、もはやあきらめようかと考えたとき、四囲を見晴らすことのできる頂上にたどり着いた。 四郎は、再び芦高村に戻る日のために、山の位置を正確に地図上で確かめ、いま登ってきたルートには目印を残しておいた。 調査団は、総数約50名で、うち20名が各界の代表、残りが帝大の学生を中心とする助手だった。 芦高村へのルートは、まず観音岳2,840mを登り、尾根伝いに5kmほど歩いた後、今度は1,000mほど下る。 全員、登山の装備はしていたが、いわゆる各界の代表たちは、ふだんあまり歩かない年寄りたちだった。2,840mを登りきることができず、次々に脱落し、頂上に到達したのは2人だけだった。 助手の学生たちは山岳部、ワンダーフォーゲル部などの健脚ぞろいだったが脱落した先生たちを山麓へ下ろす作業があったため、頂上まで来たのは5人だけだった。 下りにかかったのは昼前だった。夏の終わりの厳しい陽光が、焼け付くように8人に照り付けていた。 先に昼食を摂ろう、という声もあったが、頂上は森林限界を超えているため木陰がなく、少し下ってからにすることになった。 山に慣れているものなら、この下りはそう難しくなかったが、足の弱い年寄りのためにロープを使ったことが致命的だった。 時に大正12年(1923癸亥)9月1日午前11時58分。 突然激しい地震に見舞われ、岩場に取り付いていた年寄りの一人が足を滑らせた。通常なら、崖上でロープを操作していた屈強の若者には十分に支えられたはずだったが、突然の地震に体勢を崩していた学生も足を踏み外して転落し。列をなして山を下っていた8人は玉突き状に振り落とされ、積み重なるように崖下へ転落して行った。 1年ほど後のことだった。 山すその、石ころだらけの芦高村に、小さな小屋が建った。小屋には夫婦と男の子が住み、付近の荒地の開墾を始めた。 小屋の傍らには細い流れがあって、流れの脇に丸く細長い石が立っていた。 |
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