金  沢
 ● おくのほそ道 本文
 卯の花山・くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也。爰に大坂よりかよふ商人何処と云者有。それが旅宿をともにす。一笑と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、其兄追善を催すに、
  塚も動け我泣声は秋の風
   ある草庵にいざなはれて
  秋涼し手毎にむけや瓜茄子
   途中唫
  あかあかと日は難面もあきの風
   小松と云所にて
  しおらしき名や小松吹萩すすき
 ● ぼくの細道
 芭蕉が倶利伽羅峠を越えて金沢に入ったのは、7月15日(陽暦8月29日)だった。暦の上ではもう秋に入っていたが、まだ厳しい夏の暑さを残しており、吹きすぎる風に秋の気配を感じるのみであった。

 金沢市街に入った芭蕉は現在の東茶屋町付近に宿を取り、小杉一笑に使いを出した。
 小杉一笑とは、年は若いが芭蕉に勝るとも劣らぬ俳諧の上手で、金沢に来たからには是が非でも会って語り明かしたい俳人だった。
 が、芭蕉のもとにもたらされた返事は、一笑は昨秋すでに鬼籍の人となったという訃報だった。
 芭蕉は、受けた衝撃と悲しみをこう謳った。

  「塚も動け  我泣声は  秋の風

 なんともすさまじい句ではないか。芭蕉翁の慟哭が聞こえてくる。大地をたたく涙の音が聞こえる。
 しかし芭蕉翁はプロだった。すぐさま冷静になって詩を続ける。

  「あかあかと  日はつれなくも  秋の風

 「秋の風」という同じ言葉を使いながら、前の句とは明らかに異なる風を吹かせる。

 芭蕉翁はこの金沢に9日間滞在した。宮竹屋という旅宿を営む俳人が居たとはいえ、黒羽、尾花沢、酒田に於けるような有力な後援者の居ない町に長逗留となったのは、一笑を育んだこの町の風が、長旅に疲れた翁をやさしく労わってくれたからだろう。
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