見沼ため井がつくられて約100年。時代は将軍吉宗の時代。
吉宗といえば「米将軍」そして「享保の改革」。
(江戸時代の歴史を学習するときのポイントです。)
当時、見沼ため井の上流地域の人々は、ため井の新田開発を希望します。
米の生産を上げるには、広大な見沼の土地を有効に利用することが必要でした。
また、ため井も100年たって、砂がたまるなど、水をためる機能の低下もあったと考えられます。
当然、ため井の水を使っていた下流の人々は大反対。
そこで、上流の人にも下流の人にも納得してもらえる「用水」が必要になります。
利根川の水を行田市中条(今の利根大堰のすぐ近く)で取り、星川に合流させました。
最終的には60kmほどの距離の用水路をつくりました。