1974年の日々を忘れてはいなかったが、軍艦島は遠い過去となっていた。
再び意識したのは1984年のことだ。無人となって10年という節目が心にさざ波をたてた。島はどうなったのだろう。
そんなとき、フランス人写真家シャルル・マルヴィルが1860年代に撮った大改造前のパリの写真を見た。狭い裏通りの写真に眼は釘付けとなった。それらは軍艦島を一気に此岸に引き寄せ、ぼくのなかで軍艦島は蘇った。
行かなければ…。気持ちが昂ぶり、心臓がドクドクと脈打った。
水と食料を携えてぼくは再び島に渡った。さまざまなものを残して住民だけが消え去った島は、一夜のうちにすべての住民が神隠しにされた、抜け殻の都市に見えた。
島は荒れ始めていた。人の匂いも失われていた。しかし、建物のなかには人が暮らした痕跡がまだ濃厚に残っていた。島は人が去って以来、眠り続けているような、不思議な雰囲気に包まれていた。次第にかつての住民たちの記憶が呼び覚まされていった。遠い記憶は、楽しく、寂しく、それは感傷への旅となった。
ところが時間の経過とともに、それまでとは違う奇妙な感覚に襲われ、我に帰った。ぼくは感傷というベールをくぐり抜けたのだ。そのとき島の印象は大きく変化していた。
島には様々なモノが残されていたが、埃をかぶり、錆びつき、死に向かっているだけに見えたモノが、あるときを境に、生々しく、近寄りがたい存在感を発して、自らを主張しいるように見え始めたのだ。島は深く眠っているように見えながら、本当は無人となった日を契機に、何かに目覚めていったのではないかと思われた。
かつて、人の存在によって成立していた秩序や価値観は、島では完全に崩壊していた。神棚に祀られていたはずのお札が畳に落ちていた。隣に酒瓶が転がっていた。その隣には人形があった。そこかしこに散乱したモノは脈絡も秩序もなく、すべてが等価だった。その光景は、棄てられたことによって、人とモノとの間に成立していた関係が消滅し、モノが人の支配から解き放たれたことを物語っていた。
棄てられることは、あらゆることから自由になることだった。島に残されたモノは、与えられた名前も、宿命づけられた使命も、そして存在する意味すら喪失した、ただの「物体」としてそこにあった。お札や酒瓶や人形は、もうお札や酒瓶や人形ではなかった。建物すらただの大きな物体だった。
人間が不在となった状態を死というならば、島は確かに死んだと言える。しかし住民が島を出て新たな人生を歩み始めたように、島に残されたモノたちは人間の思惑から自由になり、自らの生を生き始めているように見えた。
「死を生きる島」
島は深く眠っているように見えながら、人間の意志の及ばない世界となっていく。
●『軍艦島 - 棄てられた島の風景』は新潮社から1986年に出版され反響を呼び、廃墟の軍艦島は一般の人に知られるようになり、以後、廃墟がブームとなりました。
●『軍艦島 - 棄てられた島の風景』と『軍艦島 - 眠りのなかの覚醒』。
1984ー86年まで撮影し、新潮社より出版した写真集が『軍艦島ー棄てられた島の風景』です。
以後も撮り続けた写真をまとめ、淡交社より出版した写真集が『軍艦島ー眠りのなかの覚醒』です。こちらは1984−2001年が撮影期間です。
両方の写真集は撮影期間が少し違いますが、同じコンセプトです。半分以上の写真は両方の写真集に掲載しています。
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