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アニばら観察日記


絶望感、ここに極まる。



第39話 「あの微笑はもう還らない!」


平成最後の更新はアニばら観察日記で・・・!!!
って、アニばらの前では時の流れとか関係なくって。
セーヌの流れの如く、滔々と枯れることのない想いに揺れている間に2、3年あっという間に経っちゃってさ〜!もぅ浦島太郎もビックリですよ。
それにセーヌ川と言えば我らのノートルダム大聖堂が大変な悲劇に見舞われ絶句・・・
しかし、ノートルダム大聖堂は燃え尽きたわけではありません。
大いなる悲しみの後に始まる再生のドラマに、今度は世界中の人々が励まされ、祈りを捧げることでしょう。
時代や宗教、国境や数々の苦難を超えて人々の心に鳴り響いたノートルダムの鐘の音を・・・「今を生きる我々こそが蘇らせるのだ!」そういった使命感に奮え立つフランス国民、ひいては地球人に熱いエールを贈りたいと思います。

時を遡ること230年。
今回は歴史の大転換期、1789年のパリ市街に鳴り響く教会の鐘の音を、暗黒の中 聞いた人々のエピソードです。



小学生の時に世界一理解のある親からアニばらのビデオソフトを買って貰った私は暫くの間 朝5時に起床し、ビデオ1本(4話分90分)を鑑賞してから登校するという生活をしていました。長浜前半戦はまぁいいでしょう。しかし後半になるにつれ精神的な負担は重く、最終的には大号泣の末 顔面がぱんぱんに腫れ上がった状態で学校へ行くわけですから、心配した教師に現代だったら児童相談所に通報されかねません。
こーゆーケースを踏まえ、教職に就かれる方には面倒がらず一人ひとりの子供に対し慎重な聞き取りと観察をお願いしたいと思うのです。が、まぁ35年前にはそれほど気にもされませんでした。
変わり果てた人相で早朝から激しく打ちひしがれた様子の小学4年生。
教室の隅で「現実世界はなんと気楽でたわい無いことか」と安堵の溜息をついていた当時の私。
ノートルダムの鐘の替わりに鳴り響くヒビ割れた間抜けなチャイム音を聞きつつ、平和である事の有難さを噛み締めた日々。。。
今思い返してみてもなんとアニばら三昧だったことか!

別にいじめられっ子とかではありませんでしたが気が付くと机の穴に当時大流行していたキン消しのラーメンマンの頭だけもがれた奴が埋め込まれていたりして、まぁまぁ衝撃を受けたりもしましたっけ・・・^^; 楽しい思い出ですw


さて、平成も終わりを迎えた現代は誰もが不特定多数に向かって簡単に自己表現できるネット社会(っていう言い方もいい加減古いですが)になっています。
一方、今よりかはメディアが限られ恐らくテレビが最大の影響力を持っていた時代に、アニばらは私の傍にありました。堂々と夕方のアニメ再放送枠で放送されているので安心して見始めたら、1か月後に奈落の底に突き落とされました。
そして、這い上がる力を与えてくれたのがアニばらという物語です。



世界中で最も悲惨な恋人たちのエピソード。

大人になった今でも私にとってそれはアニばら第39話です。

誤解を恐れずに言うとこの世の最底辺を生きるオスカル様の悲劇を目の当たりにすることで「あの瞬間の彼女よりもなんぼかマシだ!」と思え、現実社会のあれこれを乗り越えて来れたのです。
実際自分の悩みなど取るに足らない空中に舞う一片の雀の羽根みたいなもんなのです。


たかがアニメに何言ってんだ。お前の悩みはその程度かもしれないが広い世の中にはもっと酷い事象がいろいろと・・・とかおっしゃりたい方はアニばらの何たるかを全く理解していない方だと思われますのでお黙りください。

アニばらから、
私は人生をサバイバルする力・折れない心を学びました。

教科書でも経典でも恩師の言葉でも親の遺言でもなく、なんなら実際の経験値ですらありません。
乾いたスポンジにスッーと水が浸透するように、大切なことは幼児期にアニばらから学びました。
私はこの一点についてアニばら以上に優れた作品を知りません。

誰もが手軽に情報発信できる時代になった今だからこそ、責任と自覚をしっかりもって、私はアニばらの素晴らしさについて語っていこうと思います。


さぁ、ズバリ「アンドレが死んだ」とか言い放ってしまう爽快な程にネタバレ全開な予告編を経て、「あの微笑はもう還らない!」です。
帰らない、ではなく還らない なのです。
簡単に調べただけでも<還>は「土へ還る」「祖国に還る」「自然に還る」など限定的かつ普遍的な意味合い(しかも常用漢字表外の漢字です)に用いられるらしく単に元いた場所に戻るわけではないのです。
というわけで「あいつ、どこ行ったの?」「え?お腹が空いたら帰って来るでしょ?」
とかっていう軽い会話で使われるわけではない、非常に重たいタイトル・・・子供心にも確かにそこらへんに並々ならぬ重力を感じました。

夕暮れ時に無駄に煌めくセーヌ川、なんやかんやでの徹夜続きが祟ってなのかオスカル様の警戒網に多少の緩みがあったのは事実だと思います。しかしこちらに気付きもしない相手を先んじて撃ち殺す等の蛮行もオスカル様に限っては考えられないので、この場合はもぅ仕方ないっていうか・・・世間のアンチアニばらが犬死犬死いう程に情けない展開ではないような気がします。だってこれ、流れ弾っていうの?なんか違うでしょ?確かに目標=オスカル様だったかもしれませんが、モブ兵士は咄嗟に照準を合わし切れなかったわけで。確実に元衛兵隊の皆さんのこと狙ってはいますよね。
流れ弾って言うのはさ・・・あの〜ベルサイユロケの映画アンドレみたいな?
いつ何処でどうしてやられたんだかよく分からん。みたいなことを言うんだと思いますよ。
しかしこの場面、これ程までど真ん中に来るなら防弾チョッキさえ着用していたら事なきを得たのに・・・と、現代の防護服の有用性に思いを馳せずにはいられません。
一方、モブだって血反吐を吐きながら倒れて・・・オスカル様によって即座に射殺されたものと思われますが、彼にも親や妻や子供がいたんだろうにな〜・・・・・・


今回のエピソード、オスカル様に思いっきり感情移入して観るのが基本だと思いますが、余裕のある時には画面の隅々に存在するモブの視点に立ってご覧になるのも一興かと思います。

ドラマチックな展開に加えドキュメンタリー映画の要素も併せ持つアニばら屈指の名脚本。


前回の「運命の扉の前で」に引き続き篠崎好さんの手によるものですが虚構と現実感の絶妙なバランス感覚が見事です。そして、篠崎さん(女性です)の描き出すオスカル様が全編を通し、いかにアンドレを愛していたのか・・・・・そこのところにご注目頂きながら、じっくり見ていきたいと思います。

*ちなみに篠崎好さんの担当されたエピソードを再掲すると、こうなります!
1、2、8、9、14、15、20、21、26、27、32、33、38、39



Aパートです。
負傷したアンドレを助けんと包囲網を正面突破するオスカル様御一行。
その迫力と勢いたるや秒速70キロで大気圏に突っ込んで来るテキサス州大の隕石並みなのでうじゃうじゃとパリに集結した王家の軍隊は手も足も出なかった模様です。

そして戻って来たチュイルリー広場。
オスカル様の出がけの言いつけ通りパリ市民はバリケードを築いており、要は家財道具の山なのでおあつらえ向きのベッドがすぐに提供され・・・って、このベッドがあまりに普通のベッドなんで思わず18世紀にこの型の、しかも庶民の家に、あったの?ねぇ あったの?とかって突っ込みたくなりますが、日本人は知らないだけであったに違いない。
更にベルナールの呼びかけに対し10人を超える医者が名乗りを上げて・・・ってところでも「そんな都合よく医者っているのか?」と言う人がいますが、それはいますよ。
よく例えられるのが飛行機や新幹線です。急病人が出た際に「お客様の中でお医者様は・・・」となれば一人か二人はいるもんです。もっと広く医療従事者となれば満員のエレベーター内に一人の確率でいます。なのでこの場に10人の医者がいること自体はそれほど不自然な事ではありません。


次にアンチが指摘して来るのが銃弾に真っ直ぐ心臓を貫かれている状態なのに何故即死じゃないんだとかってやつですが、実際世の中には交通事故で胴体が真っ二つに切断されてもなお数分間生き続け、救急隊員に家族へ電話をかけてくれるよう頼んだ人もいるようですから。そーゆーこともあるでしょう。これはもう意気込みの差というか、この世に留まりたいと強く願う魂に神様が僅かな時間を与えたということで理解できます。

そーゆーわけで結果として天然痘で逝ったルイ15世よりも多くの医師団に見守られながら最期を迎えたアンドレですが、集まった面々、そしてそれを遠巻きに見つめる市民たち・・・大勢の死者を出した一日ではありますが今目の前で失われつつある命、それが革命の行く先を左右する程に重要なものだという雰囲気を察して特別ダークな空気に包まれています。
そりゃそうでしょう。朝、絶体絶命の窮地を救いに現れた元衛兵隊員。
中でも的確な指示と強いリーダーシップ、英雄ベルナール・シャトレと固い信頼関係にある女隊長が彼らを救ったのです。
それを支える存在が消え去れば陣形が崩れるどころではありません。
敗北です。

<将を射んと欲すれば先ず馬を射よ> 馬面云々は関係なく、てか馬呼ばわりして申し訳ありませんが、そーゆー感じの展開ですよね・・・っていう、空気感なのでしょう。


そんな重苦しい雰囲気の中、鋼鉄の意思と不屈の生命力でなんとか意識を保つアンドレ。
“医学ではとうてい説明のつかない不思議な体験だった・・・”と、後に10人を超える医師たちは語ることになるのでしょうね。



肝心の、恋人たちの最後を見ていきます。

ようやく訪れた夕闇の静寂の中、鳴り響くのは街の小さな教会の鐘の音。
鳩が塒へ帰ってゆく羽音。
愛しいひとの優しい声と肌のぬくもり、そして伝い落ちた涙の感覚。


ここからの二人の会話をキリスト教における結婚観という視点で考察される方もおられますが私はその辺りのことは分かりませんので、日本人としてシンプルに考えてみたいと思います。

オスカル様にとってアンドレは生きる希望です。
今までも、これからも、彼なくしては生きられない。
共に存在してこその命です。彼の魂を、繋ぎ留めたいのです。
その為にすがるように、もはや懇願しているのです。


この戦いが終わったら結婚式だ。
それが上から目線の発言だとは思いません。
でも、アニメのオスカル様の台詞ではない。
相手を尊重し、敬い、立てるひとなのです。


それが愛する男性となれば尚更です。
ベルナール、ロザリー、医師団、部下たち、大勢のパリ市民。
微かな囁き声での会話がどこまで聞こえるのかは別として とりあえず此処はまだ公共の場です。そこで
「私の為に結婚式を挙げてください。そして、私を妻にすると神様の前で誓ってください」と、そんな風にアンドレに跪いてお願いしているんですよ・・・。

まったくもって健気さ炸裂でアンドレ的には愛しさ大爆発だったことでしょう(涙。。。)

アンドレだけではありません。
ケツアゴ始め部下たちは勿論、2人の関係性を知らず、もはや成すすべの無い医師団の面々も「これは・・・おい君、こんな女性を置いて死んだらいかんよ」と、胸をえぐられる思いだったに違いない。


ワンカット毎に、人々の無念さが画面から伝わるのです。


―新しい時代を目前に、我々は愛し合う一組の恋人同士すら救えない―

そういった暗澹たる空気が、画面から溢れ来るのです。



微笑ながらオスカル様の言葉に応えるアンドレ。
驚くでも感極まるでもなく、「もちろんだ、そうするつもりだよ・・・」 これがアニメのアンドレです。


でもオスカル、何を泣く・・・何故泣くんだ?
俺は・・・もう駄目なのか・・・・・・?


偉大さと弱さが混在していてもうどうしていいか分かりません。

助けてください!助けてください!!何を引き換えにしたっていい・・・だから神様、このひとを助けてください・・・
アニばらファンは一人残らず心で絶叫する場面です。



想い出の地、アラスで見た日の出。
二人、生まれて来て、出会って、生きて、本当に良かったと思いながら・・・あの素晴らしかった朝日をもう一度二人で見よう・・・


オスカル様のもうひとつの願いはアンドレの耳には届かず・・・・・・
「死んでたまるか・・・」という無念の一言を最後に彼は力尽きました。


両目を見開いているところもポイントです。
普段は髪で隠れて見えないのでどーゆー状態だったのか確かなことは分かりませんが閉じている事が多かったように思います。私も片目なんで推察すると活動中には例え視力を失ってはいてもなんとなく光の感覚というのはあるんです。それが太陽光や明るい照明の下だとかえって眩しく感じ負担になるので見えない方の目は閉じてしまった方が楽なのです。写真など見ると特に意識してなくても閉じ気味でいる事が多いです。逆に夜や暗い室内だと普通に開けていられます。なので、意識が薄れていくにしたがい五感も完全に失い眩しいも何もなくなって、結果、両目があのように見開いたのかな・・・と思います。もともと潰されたわけではないですから。美しい眼球をしてますね、彼は・・・


長年の願いが叶った喜びの中、安らかなお顔で逝った原作のアンドレとえらい違いだなーーーっ!!と、リアルタイムご覧になった方々は驚かれたでしょうね!?再放送世代は逆に原作読んで驚きましたけどね・・・え?そこで成仏しちゃうの!?ひとりで!?って。
まぁ、死に方だってみんな違ってみんなイイんです。性格も状況も違うんだから、当たり前です。しかしなぁ〜・・・やっぱし、アニばらは重いですよ。重過ぎる。はっきり言って受け入れられない・・・完全に重量オーバーで暫く思考停止しちゃうくらいなんですよ。


原作ではそこまで悲観的にならず救いがあったものの後発のアニメでそーゆー描き方しちゃうとやっぱりベルばらは悲劇なんだ!ってことになっちゃって・・・わ〜〜〜出崎め!なんてことをしてくれたんだ!!!!!」
という苦情を、それこそ何件も伺った事があります。。。

気付きたくなかったこと、認めたくなかったことをバーーーン!と突き付けられた感覚ですよね
なんという厄介deな作品、アニばら・・・。

そんでもってオスカル様の大号泣がうまくてねーーー・・・田島令子さん、今回めっちゃ女。
これ聴いちゃうと田島令子さん以外のオスカル様はもぅ要らないと思って・・・。

要らないよ、うん。俺はね、女は田島令子のオスカルだけでいいから。


オスカ〜〜〜〜〜ルっ!!!!!!!!!!!!!

って、なんかもぅ本当に誰か助けてください。


想いが通じ恋が成就したからといって、自ら身を挺して愛するひとを庇ったからといって、安らかに死を受け入れられるなんてことは決してない。愛するひとを残してゆくことは、それだけできっと地獄です。

死を美化しない厳しいアニばらの別離シーン。
世に数多ある死生観についていろいろと考えるきっかけになってくれるはずですので、目を逸らさず、観て、感じて欲しいと思います。


で、アンドレのご遺体です。
ベッドやワラワラ現れる医師団や銃弾心臓貫き云々よりもっと引っ掛かるのがご遺体を彩るお花畑ですよ・・・。この状況下でどっから摘んで来たの?その他衛兵隊員や市民らの遺体もお花畑なのかなぁ?それともアンドレだけが特別待遇なの???あ!そうか、今度はパリ中のお花屋さんのご協力のもと こんな風に・・・ってことはまぁいいとして、7月だっていうのに18世紀のパリは焚火をしなくちゃならないくらいに夜は冷えるんですって。

・・・え?だって昨夜は森の中で裸になって・・・その〜・・・・
って思ったりもしますが、今夜だけ異常気象ということで、寒いんだそうです。
で、ケツアゴ登場。これがなぁー、精一杯なんでしょうね、彼も。
でも・・・カッコいいとは思えない。この場でこーゆーぶっきらぼうな態度、正直私はムカつきますし
「男の友情なんて知るかよ。それにお前、どさくさに紛れて何 呼び捨てにしてんの?」とかって呟いてしまう・・・どうしてもオスカル様とアンドレの仲に割って入ってこようとする無作法者という印象が拭えないんです。でもまぁ、他に何を言って来たとしても許せないんで、しょうがないですね。
あ、でも私がイラついていたところで当事者のオスカル様には一切そのような様子はなく・・・憔悴しきったオスカル様のお耳には何もかもがぼんやりとしか聞こえない、そんな夜なのかもしれません(てか、オスカル様は元々ケツアゴの態度どーのこーので憤慨するようなお方じゃないんですけどね)。

言いたいことを言ってケツアゴは去り、オスカル様は・・・喀血!!!!!
今までになく大量の血に染まるハンカチ、・・・ハンカチ持ってるオスカル様ってすごいなぁ。
だいたいハンカチ持って出るのを忘れる私から見て、このような非常時にもちゃんと白い布を持参している女性ということで、オスカル様を尊敬してしまいます。

私は、もぅ本当にオスカル様という女性を愛しているんです・・・
その愛する女性が弱り切った身体を引きずってフラフラと・・・・・嗚呼シロちゃん、そこにいたんですね(泣)
もぅ辛過ぎて見ていられない!と思ったところへ登場し「泣かないでオスカル、僕に乗りなよ」風なシロちゃんにほんの少し・・・ほんの少し救われました。

シロちゃんに重なるのは愛するアンドレの姿。
これは・・・ノルマンディーの海岸でしょうか?


元気で、生きて、未来がある。
そう あの時、自分の想いに気付いてさえいれば 二人は・・・!


妄想の中の幸せな二人の姿に自責の念はいや増すも、白馬に跨り街を疾走――――
次の瞬間、決定的ともいえる絶望感に襲われます。



Bパートです。
シロちゃんが撃たれ倒れたところでもう本当に、得体の知れない、それまで感じたことのない暗黒の世界に引きずりこまれました。


ひと欠片の夢も、希望も、妄想さえもすべて打ち砕かれるという残酷極まりない描写だと思って・・・トラウマ級の体験でした、ホントに。

これねー・・・かつてアニメージュの人気女性キャラ ランキングでオスカル様を破った風の谷の某姫さまだったら怒りのあまり発狂してその場に居合わせた人間を手あたり次第に殺してるんじゃないかと思いますね。
パワーがあって自己制御出来ないというのは怖いです。
そーゆー形でしか発散できないというのは若さゆえなのではなく内面に抱えた一種狂暴性というか・・・
まぁここで某姫さまをディスるつもりもないんで止めときますが、とにかく我らのオスカル様の怒りはそこに向かうのじゃないんです。

ある意味、もっともっと怖く・・・辛い展開です。



謀反を起こした衛兵隊の女隊長が夜中にひとり。
立身出世の為に身柄を拘束し上層部に差し出すのでしょうか?
犯した罪をその場で償わす意味で暴行を加えるのでしょうか?
もしかすると女であるが故に輪姦とかいう最悪の事態に・・・・
等と想像を巡らすまでもなく、敵は動きを止めます。

「おい・・・こいつ、泣いてやがる・・・」

これはモブ史上最高の名台詞であると共に第39話の素晴らしさを決定付けました。

予想だにしなかった女隊長の涙。
暗闇でもそれと分かる程に、両目から溢れるように涙を流していたのでしょう。
人としての感情を持った者ならば何某かを想像しないではいられない程に、止めどなく、ぼろぼろと 女は泣いている。




愛していました アンドレ
おそらく ずっと以前から
気付くのが遅すぎたのです

もっと早く、あなたを愛している自分に気付いてさえいれば・・・
二人はもっと素晴らしい日々を送れたに違いない

あまりに静かに あまりに優しく
あなたが私の傍にいたものだから・・・
私はその愛に気付かなかったのです

アンドレ・・・・・許して欲しい
愛は 裏切ることより
愛に気付かぬ方が もっと罪深い



一度聞いたが最後、耳と心に焼き付いて離れないオスカル様渾身の独白です。


悔やむべきは過去の自分自身。
<後悔>の二文字に苛まれるオスカル様は疾風のように身を翻し、自分以外誰も傷付けることなくその場を去ります。


嗚呼、アニばらのこの美しさよ〜・・・

アンドレが逝ってしまった喪失感となおも溢れ来る深い愛をこのように表現出来る制作者が他に何人いるでしょうか!!!
ダークトーンの背景にスローモーションで流れるようなオスカル様の動きはそれだけで清濁併せのむ人間性を思わせ、物言わず哀しみに耐え疾走する後姿はたゆまぬセーヌの流れのようだ・・・


絶望のどん底へきて奇跡のこの名場面。

―アニばらの深淵を覗く時、アニばらの深淵もまたこちらを覗いているのだ―

まぁまぁニーチェですけども。



とにかく覗き込めば覗き込む程に、奥が深いのがアニばらという怪物なのだ。


という有名な格言(今考えましたが)をここに書き記しておこうと思います。



昨夜の甘い余韻を未だその身に残したまま、あてどなくパリの街を彷徨い歩くオスカル様。
季節外れの寒空の下、立ち込める冷気はやがて雨になり慌てた衛兵隊員の一人がケツアゴの元へやって来ます。あるいは傷心のオスカル様がアンドレの後を追ってしまうのでは!?とかって事が頭を過ったのかもしれないですね。それに対し「バカ野郎うろたえんな!」と一喝するケツアゴ・・・・・お〜〜〜やっとカッコよくなってきたじゃないですか♪

四方八方を敵に囲まれたパリ市街、病んで痩せこけた野良猫のようなオスカル様の横を意外な大物が通り過ぎます。

星野鉄郎であり孫悟空でありいなかっぺ大将な野沢雅子殿は路地裏のアイドル吟遊詩人の御子息らしく、しかも死んだ父ちゃんを担いでセーヌへドボン!即座に後を継ぐと大ヒット曲である『それでもセーヌは流れる』を披露するというビックリな展開。
記念すべき二世の初ライブに偶然居合わせたオスカル様は多少「ギョッ!」となりつつも、たった一人の観客として静かに見守り、鬱ソングに合わせ暗黒に沈んだパリの街を振り返るのでした・・・。

一連のこの流れも実にアニばららしい・・・てか、完全アニばらオリジナルの名珍場面なので要チェックでお願いします。

ところで、この時のですね・・・オスカル様が歩かれた場所というのはモンマルトルなんでしょうかね?
モンマルトルの丘と言えばサクレ・クール寺院が超有名だったりして、私めも四半世紀前に訪れたことがあったりするんでございますが、18世紀の革命当時には存在しない建造物なんですね。万が一、アニばら内でサクレ・クール寺院が見えちゃったりした場合には、それはすなわちサービスカットってやつでございますから、「お!」つって喜んであげましょうwww


オスカル様がヤング吟遊詩人の弾き語りに合わせ独りパリをナイトクルージングしているその頃、チュイルリー広場近くの小屋だか飲み屋だかでは革命家ベルナールが市民を集め作戦会議をしていました。
オスカル様おでかけ中につき俺が代理で来ましたよっと・・・なケツアゴ、早く探しに出ろや。という気持ちが少し。それ以上にベルナールの奴が・・・黒い騎士事件についてはすべて、すべて水に流されたものと理解はしていても、元はと言えばテメーの〜・・・という恨み節が鳴りやみません。いいでしょうよ、それくらい。で、事は急を要するんでね・・・・・の内容、


我々は、夜明けとともにバスティーユ牢獄へ向かい、これを攻撃する!

いよいよ<歴史が動いた!>な瞬間です。
1789年7月14日、フランス・パリ バスティーユ牢獄襲撃
といえば、多少不真面目でも一般的な高校に行ってさえいれば誰でも知ってるくらいにウルトラポピュラーな世界史ワードです。

アニばら観察日記なので歴史上のことにつきましては割愛させて頂きますが、ロベスピエールとベルナールのやりとりはなんかワクワクするので触れておこうと思います。

「先生、お言葉を返すようですが革命は筋書きではありません。
セーヌの流れの如く、大衆の心のままに進み行われるものと私は信じます。一応ご報告まで・・・と思ったのですが、来なければよかった」


いつからかロベスピエールを妄信し彼の筋書き通りの道を進んでいたベルナールの呪縛が、ついに解けたようです。

「・・・よぅし認めよう!君たちのバスティーユ攻撃を認めよう!だが忘れるな!リーダーなくして革命は成功しないぞ!!」


もともと一枚岩ではない革命推進派の亀裂はついに音を立てて割れるに至ったようです。


そうだ!何もかも壊れちまえーーーーーっ!!!!!!!


と、叫んでみることをおススメします。

耐え難い絶望に見舞われた時、ひとりでは一歩も前へ進めません。
自分に降りかかった不幸を、世間の誰もが気に留めることなくいつもと同じように時が流れるのです。
闇の中に自分だけが置き去りにされ、他人には変わらず明日という未来がやって来る。
その理不尽さこそが、耐えられない。。。

だから、皆でバスティーユへ向かおう!!
自由を我らに!思いっきり暴れてストレスを薙ぎ払おうーーー!!!

私は原作を読んだ際にもバスティーユ陥落なんてことは成り行きでそうなっただけで実際オスカル様にとってみたらどうでもよかったんじゃないの?って思ってます。ただ、大不幸の直後に暴れて終われたのは良かった。アンドレ死亡によるストレスの発散場所があって本当に良かったね!!と思ってるんです。
これを馬鹿みたいな意見だと一笑されるなら別に構わないんですが、生き方としてなかなかスマートだなと自分では満足してますよ。
革命なんてだいそれた、しかもよいのか悪いのか分からないことに直面した時には好きな男に従っていればいいんです。その男がまともであるかないかの判断くらいはきっちりしないといけませんが、女は基本好きな男の行く方に付いて行けばよし!その上で、その男をしっかり支えてやればいいんです。

というわけで、アンドレ復活。

疲れ果てた挙句にみた妄想なのか、否、アンドレはまだいるんですよ オスカル様のすぐ傍に。


オスカル、どうした、こんなところで何をしている?

誰もがバスティーユへ向かったぞ。
誰もが銃を取り闘う為にバスティーユへと向かった。
だが、君が率いる衛兵隊の連中はまだ広場にいる。
広場で隊長を信じて待っている。
隊長、あんたと共に闘おうと みんな あんたの帰りを待っている。


アンドレであり、ケツアゴであり、何よりもこの過酷な宿命を科した神の声であります。


一晩中雨に打たれ涙を流し続けたオスカル様。
結核に冒され血を吐き、石畳の上に倒れ込んだオスカル様。

嗚呼、それでもオスカル様は美しい。


泣きはらして腫れ上がるどころか色気に満ち溢れ、「アラン、もう一度だけ、これで最後だ・・・泣いてもいいか・・・?」
のところなんてめっちゃくちゃ艶めかしいお顔つきではないですか!?

役得ケツアゴ・・・っ!なんて美味しいんだ・・・くっそーーーーーー・・・(byアンドレ)



そんで午後1時、ついに戦闘は開始された。
ということですが・・・あれ?午後からなの?夜明けとともに・・・じゃなかったけ?
じゃ、じゃあさ準備時間はそれなりにあったでしょうに、誰も大砲使えなくて地獄の底に陥れられっ放しって・・・昨夜のは一体何のための会議だったのさ?
てか、元衛兵隊員の中から何人かを先に派遣してやれば良かったんじゃないの!?
と、疑問符の嵐なわけですが、世紀の大決戦なのに結局見切り発車で自ら死体の山を築いているらしい一般大衆よ!

あんたらオスカル様の助けがないと本当ダメダメだなーーー(;゚Д゚)!!!

そして、徹底してオスカル様の命令にしか従わないつもりの元衛兵隊員の諸君。
昨日“民衆の中には恐らく諸君の親か兄弟がいる事と思う・・・”と思いやってくださったオスカル様のお気持ちを、分かってるのかね!?と突っ込みたくなる程に彼らときたら熱烈オスカル様の指示待ち状態です・・・w


ま・・・まったくよく仕込んであるもんですね(;´Д`A ```

と、ここはブイエ将軍に代わって大いに感心しておきたい珍場面ですよ、いやマジで。
凄いよ、ホント・・・これじゃ、オスカル様・・・何がなんでも起き上がって広場に戻んないとネ( ̄▽ ̄;)

そんなこんなで満身創痍超えのオスカル様は隊長続投となり、アッと言う間に形勢逆転。
神風の如く現れたオスカル様に慌てたド・ローネー侯爵は「狙いをあの指揮官にしぼれ!」と部下に一斉射撃を指示・・・





銃弾の雨と解放と―――
オスカル様の瞳に映ったものは。










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