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  9 真名
 昇の運転するビッグホーンは、千葉県柏市に入った。後部座席でゴウと並んだミチユキが的確な指示を出し、入り組んだ道を案内して行く。
 車内でミチユキに聞いた話はこうだ。
 ミチユキとハルキの通う柏学園は、その地域で知らぬ者はいない伝統校である。学園の所有物である、小、中、高、大学が隣接するその地区は、もはや一つの「街」として成り立っていた。
 柏学園は、表向き、他の学園と何ら変わらない普通の学校に見える。が、ひとつ、他の学校と決定的に違うところがあった。
 学園を動かす理事長は、代々、日本を守るという意志を継いでいた。それは、常に、表舞台の世界だけでなく、裏の世界のことも含んでいた。裏の世界―――。それは、ゴウ達が身を置く、霊力が支配する世界。
 そのため、柏学園の理事長は、力ある者を密かに学園に呼び集めている。その力の強弱は関係なかった。学園に入ってからの教育。それが一番に掲げられるからである。
 つまりは、精神論というわけだ。
 実の話、力の有無は関係ないのだそうだ。頭脳明晰であろうとなかろうと、スポーツ万能であろうとなかろうと、自らの世界を愛し、守ろうとする気持ち。それが何より大事だと理事長は口癖のように言うという。
 持って生まれた力もあるだろう。それが大半と言える。が、気持ちがあるところに力が生まれる。そんな可能性を秘めている。その可能性を信じ、真実を見つめ希望を持つこと。
 それが柏学園理事長の持論だった。
「俺は、理事長の考えに共感しています」
 ミチユキは、静かに微笑んだ。
 ミチユキもハルキも、力あると見込まれて、集められた学生だ。それも、学園でトップクラスの力を持つという。
 二人の力を直接見ているため、ゴウはその話には納得がいった。反対に、あの力が学園で中程度であったなら、柏学園は核一つ分くらいの兵器を持っているのと同じだ。ゴウの脳裏に、無差別テロを起こした新興宗教がよぎった。…いや、「テロ」という概念を軽々と越えてしまうだろう。その枠には入りきらない。
 ゴウは、ミチユキとハルキをちらりと見た。こんな力の持ち主が、続々と学園に集められていると思うと、少々背筋が寒い。今まで、間違った人間をよく輩出しなかったものだと不思議に思う。
「それで、先日、理事長直々に話があったんです」
 それは、学園の学生一人を救えというものだった。その学生は、長い間眠り続け、目を覚ます気配がないそうだ。その原因を見つけ出し、解決すること。それが話の内容である。
 あまりにも漠然とした話に、二人は最初面食らったという。
 その学生というのは、ミチユキ達と同じように柏学園に集められた能力者である。その能力は、今までの能力者のものとは全く異なったものだという。それが、力量においてなのか、それとも能力の質によるものなのか、詳しいところはミチユキも知らないらしい。
「そして、彼女の家がここです」
 いつの間にか住宅街の路地に入っていたビッグホーンは、変わり映えのしない家々のひとつの前でゆっくりと止まった。
 表札の名前に、ゴウの記憶の線が揺らぐ。
 石の表札には、「高木」と彫られていた。
(霊樹、波動を発したのはここだな?)
(…そうだ)
 右手が疼くような感触があった後、少し間を置いて、霊樹の声が聞こえてくる。
「どうかしました?」
 車から降り立ったミチユキが、動きを止め思いこんでいる風のゴウに、怪訝そうな顔を向けてくる。
「なんでもない。…この家の人間は、彼女の能力のことを知っているのか?」
 ゴウは、何の変哲もない二階建ての家を見上げた。まだ古くはなく、確かにきれいではあるが、良く見かける、数種のパーツを組み合わせただけのような、単調な作り。これでは、同じ間取りが並べられているマンションと変わらないのではないかと思う。
「はい。彼女以外に能力を持っている人はいませんが、彼女が能力を持っているのは知っています」
「彼女は『認められている』ってことか」
「…はい」
 ゴウの皮肉に、ミチユキは表情を陰らせた。
 いつの時代も、「異端」には厳しい。それは、家族とて例外ではない。「家族に認められている」者がいかに少ないか、「異端」たるミチユキは身に染みて知っている、ということだ。
「じゃあ、顔が拝めるな」
「はい」
 ミチユキはそう言うと、インターホンを押した。応対の声にミチユキが名前を名乗ると、暫くして玄関が開く。
「ここには、度々来ましたから」
 ミチユキが、振り返ってゴウ達を導いた。
 真名の母親であろう女性が、一行を家に入れる。見知らぬ顔が三人も増えたことに、不安の表情を隠せないようだ。顔が青い。
「気になさらないでください。この方達は、真名さんを助けに来たんです」
 いかにも子供騙しの台詞だが、かなり精神的に極限状態なのだろう。母親はミチユキの言葉に表情を和らげると、二階の真名の部屋の前で身を退けた。
(助けに来た訳じゃないんだがな…)
 ゴウは心の中で呟く。
 ミチユキが、ドアノブに手を掛け、ゆっくりとドアを開けた。
 …死んでいるような部屋だった。
 窓から外光が入ってくるのにもかかわらず、薄暗い印象を受ける。部屋の空気はひんやりとし、人間の体温の温もりが全く感じられない。ふとすれば、目の前のベッドに横たわっている少女を見過ごしてしまいそうだ。
「彼女が、高木真名さん。柏学園中等部の二年生です」
(高木真名。波動を二ヶ所から発した者…)
 ゴウは、すたすたとベッドに歩み寄ると、直立のまま真名を見下ろした。
 化粧を施したような白い肌。長い漆黒の髪は、惜しげもなく枕に流れ、シーツにこぼれている。目を閉じたままロウのように動かないが、この日本人形のように整った顔に瞳が開かれたら、さぞ美しいことだろう。とても十四歳も少女のものとは思えない。
 その全てのイメージが、「神秘的」という言葉を具現化したようだった。
「何やっとんねん。早よ入れや、昇」
 ゴウの隣で興味津々顔を覗きこんでいたレッドが、ふと気付いて部屋の入口を振り返った。そこには、きまりの悪そうな昇が立ち尽くしている。
「だって、仮にも女の子の部屋じゃないですか。男がこんなずかずか入りこんじゃ悪いですよ」
「大丈夫。真名さんは僕達の訪問を拒んでいないから」
「?」
 それまでずっと沈黙を守っていたハルキが、透き通るような声を昇にかけた。昇は、顔を渋らせて首を傾げる。
「どうして分かるんですか?」
「真名さんの体がそう言ってる」
「本当に驚いたな。肉体のみが意思を持つなんて」
 ゴウは、ハルキに同意するように嘆息を漏らした。
 真名の魂は、この場所に一片もない。真名の体は、完全に魂と分離している。普通なら、分離した瞬間に死んでいるはずだ。
 俗に言う幽体離脱も、体のどこかが魂と繋がっているからこそできる技だ。繋がっていない限り、魂は体に戻る術を持たない。それは、死を意味する。
 だが、器のみとなった真名の体は、当然のように呼吸を続けている。それも、真名の意志まで持っているのだ。
「どれくらい前から、こんな状態なんだ?」
「二週間前からです」
「いくらなんでも、この状態を保つのは、一ヶ月が限度だろう」
 ゴウが、真名を横目で見て、突き放すように言う。
「…そうですね」
 ミチユキは少し俯き、暗い声で応じた。
「最初に来た時は、魂と肉体は繋がっていたんです。でも、突然切れてしまって…」
「魂はどこに行っていたんだ?」
「政治家、田中秀征の家です」
(繋がった!)
 ゴウは思った。
 真名の救いを求める思念に始まり、礼門の意味ありげな行動、田中の異常な気。おぼろげながらも、全てを繋ぐ糸が見え始めている。
「いつまでもここにいても何も始まらない。魂と肉体が切れた原因はここじゃない。田中の家だ」
 例え、肉体が意志を持とうとも、それは色彩やイメージで伝えるようなあやふやなものだ。肉体は言葉を持たない。ここにいても、これ以上得られる情報はないと知れた。
「田中の家に行こう」
 ゴウは、駆け出しそうになる気持ちを抑え、床を踏みしめて歩き出した。気を抜くと、口の端に笑みが浮いてしまいそうだった。


to be continued


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