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  7 式神
「田中は今、会議中だそうです。直接会うのは危険ですから、好都合ですね。
 …でも、どうしますか?」
 昇が受付で話を聞いた後、ゴウ達の元に戻ってきて、困ったように言った。
 一人は、黒いジーンズに黒いシャツを着て、コートを羽織っただけの、全身黒づくめの長髪の男。一人は、確かにスーツは着ているが、その色はここでは奇抜な砂茶色で、頬には赤い刺青があり、髪は栗色の男。そしてもう一人は、どう見ても高校生の、ハーフパンツをはいたラフな格好の少年。
 一階のホールを行き来する暗色のスーツ姿の人々の視線は、全て彼ら三人に注がれている。
「ここは目立つ。もっと静かな場所はないのか?」
「あ、ここの近くの会議室をひとつ借りています。…いますけど、そんなところでどうやって調査をするんですか?」
 かといって、ここにいても何もできないことは、昇も自覚している。忍には、議事堂に行けとは言われたが、そこで何をしろとは言われなかった。議事堂に行くのが目的で、着いてしまうと次の目的を見失い、自分は何をしていいのか分からないということに情けなくなる。
 ゴウとレッドのボディガードという指令は受けたものの、どういった者が襲ってくるのか、また襲ってくる可能性があるのか、昇には見当もつかなかった。忍は、それについて何も語らない。忍のことだから、相手が分からないわけではないのだろう。あえて昇には伝えないのだ。
 自分で考えろ。
 分かっている。そういうことなのだ。忍の下で働くようになってから、それは学んだことだ。
 人に答えを与えられることはたやすい。が、それは自分の成長には結びつかない。自分で答えを見つけ出す能力、それは、自分で磨かねば得られないものだ。
 忍は、昇にいつも道標を与えてくれる。それには地図はないが、注意深く周りを見渡せば、何もないということはなかった。自分で考え、ぎりぎりの状態で答えを見つけ出せる、そんな状況を、忍はいつも昇に用意してくれている。
 ゴウ達もそうなんだろうか?
 昇は長身のゴウを見上げた。
「その会議室に行こう。試したいことがある」
「…試したいこと?」
 人気のない会議室で、何が試せるのだろう?昇は、首を傾げた。
「いいんや。俺達は術者やからな」
 レッドが、ポンと昇の頭に手を乗せる。昇の顔がカッと紅くなり、ムキになってレッドの手を振り払った。
「子供扱いしないでください!!」
「俺も、おまえと一緒にされるのはごめんだ」
「いやー、えらく嫌われたなあ―――」
 ゴウの冷たい視線を浴びながら、レッドははははと楽しそうに笑った。
「……こっちです」
 多少疲れた調子で、昇は小さな会議室へと二人を案内した。
 きちんと整頓された机と椅子。ブラインドで半分遮られた陽の光が、窓際にストライプの模様を落としている。人の生活味が感じられない人工的な部屋に人はおらず、しん、と静まり返っていた。
「…ここならいい。田中は今どこにいるんだ?」
「二階にある会議室です。さっき入ってきたホールをはさんで反対側です」
 ゴウは一歩前に進み出ると、静かに瞼を閉じた。呪文のような言葉を不思議な発音で言うと、両手を組み合わせて沈黙した。
「…何を…?」
 話しかけようとした昇を、レッドが引きと止める。
「このままでいいんや。ゴウは今、田中の気を追ってる。よく見とれ、これが俺達や。
 …って言うても、何も見えへんか」
 そう言って、レッドは再びへらへらと笑った。

 視界を遮るものは何もなかった。…もっとも、ゴウ自身の目で見ているものではなかったが。
 部屋を仕切るはずの壁は透け、見ようとすると、遥か遠くまでの景色が見て取れた。例えひとつが暗室であろうと、その部屋にある小指ほどの道具まで鮮明に見える。
 当然といえば当然だった。ゴウが見ているものは、ゴウの使い魔とも言えるだろうか、式神が見ているものだったから。
 式神とは、異界のものを呪いで縛り、使役者の思い通りに操るものを言う。また、呪符や葉など、ものに命を与え操るものもある。ゴウが今使役しているのは、後者だった。
 式神に異界のものを使うのには、思ったよりも精神力が必要となる。常に使役する異界のものより自分が強者でないとならないためだ。自らの力が失墜すると、異界のものに食われることになる。
 しかし、呪符を使用する場合、その姿形、特徴や動きなど、全てを創り出さなければならない。異界のもの、この世界の全てのものにはすでにある個性というものを、だ。
 例えは、自分の体だ。爪の形、骨格、ほくろの位置、全てを明確にイメージしなければならない。そうでなければ、日本の幽霊としてよく描かれる、下半身が煙の状態になってしまう。幽霊の下半身が煙のように表現されるのは、顔や上半身などのおどろおどろしい印象が強すぎて、他の部分が曖昧になってしまうためだ。
 こんなことから、無から命を創り出すということが、いかに難しいかと知れる。
 ゴウの使役している式神は、何年も前からゴウの手足となって働いている。阿修羅をイメージした姿に欠けたところはなく、隅々までゴウの意識が届いていることが分かる。
 周囲のものが透け、そこに存在しているのに、実体感がない不思議な感覚。
 式神の視覚は人間とは違う。物理的な暗闇や壁は、式神の目の妨げにはならない。なぜなら式神は、その空間に存在するように見えて、実は別の次元にいるからだ。
 式神にとって、こちら側の物理的な障害は、ただの飾りに過ぎない。
 幾人もの人間が、あちこちに存在していた。体の中心に光が見える。これこそが、その人間が持っている気、魂の光とも言える。
 大きさも色も、光の強さも、人それぞれに違いがあり、全く同じものはなかった。
 昔どこかで、この光の違いで健康状態が分かると言った人間がいた。その人間が本当にこの光を見れたかはどうかは疑問だが、言っていたことに間違いはなかったわけだ。
 ゴウは、興味がなさそうに、その場を離れようとした。その刹那、全く別の景色が目の前に現れる。
 瞬間移動のようだが、そうではない。式神の移動が速過ぎて、ゴウの視神経がついていけないだけだ。おまけに、式神は壁を当たり前のようにすり抜けていくから、突然場面が変わったようにしか見えないのだ。
(―――――いた!)
 式神の目は、ゴウが資料で見た田中の記憶を、数枚の壁を隔て、探し当てた。
 昇が言ったとおり会議中らしく、田中は長いテーブルに向かって座り、何やら話しこんでいる。周りには、同じように座る幾人かの人間を見ることができる。どうやら、政治家のようだ。
 ゴウが慎重に近づこうとすると、式神はその気をすぐに汲み取り、じりじりと近づいていく。
 だんだんと、田中の顔がはっきりとしてくる。しかし、いくら近づいていっても、田中の気は一向に光を見せることはなかった。ただぼんやりと、体の中心にもやもやとしたものが沈んでいるだけだ。
(気がない?そんな馬鹿な)
 ゴウは眉間にしわを寄せた。
 気がないということは、死を意味する。が、田中にそういった気配は全くない。当然体は腕を組んだりあごを撫でたり、何気ない動作を繰り返しているし、周囲の者との間にも違和感はなかった。なにより、健康的とも言えるその顔色に、死人を想像することはできない。
(どういうことだ…?)
 ゴウが微かに首を傾げると、ふいに田中の背後の空気がずるりと揺らめいた。黒く歪むような影が、田中に纏わりつく。空間の染みのような形の定まらないその影が、目がどこにあるかも知れないのに、ゴウのことを見た気がした。
(!?)
 よく見極めようともう一歩踏み出そうとしたとき、式神の視界が地震のように激しく揺れた。まるで、後ろから突き飛ばされたような感覚。
(何だ?)
「他に誰かがいる!!」
 即座に聞こえる、少し高めの声。
 その途端、すさまじい重力が式神に、感覚がシンクロしているゴウに降りかかってきた。たたみかけるように、背筋が寒くなる鋭い音をたて、凍てつく風のいくつもの刃が、目で追いきれないほどのスピードで式神の体を切り裂いていく。
(!!)
 酷い痛みが、空間を越えゴウを襲った。式神の体から紅い血が飛び散るのが、式神の目から見える。
 カッターで切ったような、表面は鋭いのに筋肉にじんと響くような痛み。意識が遠のき膝が折れそうになったが、歯を食いしばって踏みとどまる。
(……返すぞ)
 激しい痛みに耐えながら、ゴウは虚空を睨むと、呪文を唱えつつ手や指を複雑な形に組み合わせた。
(行け!!)
 忠実な下僕はゴウの命令に従い、見知らぬ攻撃を発した方へと真っ直ぐに飛び去った。見えぬ糸を辿って、その軌跡を白く描きながら。
 ゴウの目がついていけるギリギリのスピードで、式神は空間をすり抜けていく。まるでジェットコースターのように、景色が左右に流れていった。
「駄目だ!力を戻すんだ!!」
 他の少年の声が響く。
「きゃあ!!」
 悲鳴が聞こえ、確かな手応えがあった。そこでうずくまろうとした少年の制服に、強烈な見覚えがある。
 もう一人の少年が、倒れかけた少年を抱きとめようと手を伸ばしたとき、ゴウの視界は、……闇に落ちた。


to be continued


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