「ノーといえる中国」

表紙

張蔵蔵ほか 著/莫邦冨 編訳
カバーデザイン 新潮社装幀室
新潮文庫
ISBN4-10-130022-4 \781(税別)

 1996年に刊行され、国際的に物議をかもした(らしい)本の文庫化。中国の若手知識人たちが現在の中国の状況を憂い、中国と中国人に再び国家としての誇りを取り戻すべくあげた檄、といえますか。5千年の歴史を誇りながら近代以降、西洋文明(と日本)のなすがままの蹂躙をうけ、その後共産主義国家として再出発、文革から資本主義型経済への移行と、目まぐるしく変転する巨大国家のなかで、ともすれば自分の足元を見失いがちになってしまう国民に対して、今一度中国という世界有数の大国の国民であることに誇りを持ち、いたずらに西洋的な分明に毒されることなく、独立した一個の国として、21世紀に向かっていかなければならないのだ、というメッセージというか、かなり強い調子のアジテーションとも取れる文章が続き、登用のちっぽけな島国の住人は少々辟易してしまいますね(^^;)

 訳者の後書きでも述べられてるとおり、時に幼稚とも取れる檄文が続き、おいおいと思っちゃうのは確かです。非常に印象的なのは、中国の人達の中には、いまだに中華思想が根強く残っているのだなあ、ってところでしょうか。数億の人口と広大な国土をもつ中国は確かに大国なんですが、"中国は大国なのだから、大国らしく堂々とアメリカと渡り合っていくべきだ"から、"アメリカが大国の論理を振りかざしてくるのならば、同じく大国である中国も、一歩も引く必要はないのだ。『やるか?』と堂々とアメリカに言うべきだ"という理屈に飛躍されてしまうと、少々薄ら寒いものを感じないでもありませんな。

 20世紀はたしかに中国にとって悲惨な世紀であったと思うのですが、んで凄惨とさえいえる経験に対し、日本を含めたかつての帝国主義勢力の列強の責任問題が(巻末の石原慎太郎の対談のような通り一遍の事務的処理で)完全に清算されたわケでもない状況下で、一人中国だけが必要以上に"おとな"ぶることもないとは思うのですけれども、でも"大国"ならば"大国"のパワーが国際的にどういう影響を与えるか、その大きさがどういうモノなのかもあわせて考慮していかなければいけないんじゃないかと思うんですよね。そこら辺の考慮があまりにも浅いあたりががやはり、若い人たちのアジテーション本にしか見えない出来上がりの原因になってるんじゃないかな、と思いました。

 ただ、注目すべき論点も数多く見受けられます。"多くの発展途上国にとって、アメリカが存在しない世界はずっと住みやすいものだろう"という指摘などは全くそのとおりだと思いますし、いまだに日本では喧々諤々の論争が繰り広げられている南京大虐殺の問題にしても、それが統計的な数字の問題などではないのだという、しごくもっともな論点から、現在の日本に対して極めて理にかなった批判が加えられていると感じました。それだけに中華思想を切り離せない中国の人々の心理面の歴史の重さみたいなモノを痛感して少々複雑な気分になってしまいました。

 文庫判では「NOといえる日本」の石原慎太郎との対談も収録されています。これを読むと石原慎太郎という人物がいかに子供じみた愚かな人物かがわかってなかなか興味深いです。読んでて不快感が募ってしまうのが困りものなんですけどね(苦笑)

99/9/21

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