クラゲの海に浮かぶ舟

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北野勇作 著
カバーイラスト 橋本晋
カバーデザイン 高木信義 [海老原泰幸]
徳間デュアル文庫
ISBN4-19-905075-2 \590(税別)

ポートライナーから見えてくる異世界

 街が一つ、消滅した。人工的にでっち上げられた、ひどくいびつな街だった。その街に、以前はぼくもいたらしい。良く覚えていないのだけど。街が消えたとき、ぼくは何もすることのないプータローで、一日の大半を夢を見て過ごしていた。ぼくのことをよく知っているらしい一人の女性がぼくの住んでるアパートに押しかけてくるその日までは…。

 北野勇作読みまくり特集…というほどのモノでもないが、北野不思議SFをもう一作。こちらは1994年の作品。後の「かめくん」とかでもおなじみの、かつてみたことがある懐かしい風景への少々悲しみをたたえた視線であるとか、独特の音の表現なんかで小刻みに刻まれたリズムの中に押し込まれているユーモアとかなんだかわからないものの描写とかはこのころからのモノであるのだな。

 お話はそんな、いつもの北野スタイルのほんわかとしたノリの中で、「自分」ってなんだろう、というか、「自分」が「自分」である拠り所ってのは一体何で、それがなくなったり、急に(アナログ盤の針飛びみたいに)変なところに飛んでいったらどうなっちゃうんだろう、というなんだかディックが喜んで取り上げそうなテーマを、実に北野勇作的に料理してみせる本になっているんだった。ある意味「イカ星人」に通じる訳のわからなさも含めて、じつはこれかなりSFしている本なんですな。口当たりが良さそうに見えて、実は案外厳しく読者を突き放してみせるこの方の作風がかなりヴィヴィッドに前に出た、妙に心に残る本だと思う。私は最近何となく「物語」ってキイ・ワードに拘泥しすぎる傾向があって、こういうフリージャズっぽいノリのお話は少々苦手なんだけど、これはかなり気になる、し、なんだか読後感がとても切ない。これも北野勇作的世界ってことなのかな。

 それはそれとして、このお話、神戸の人工島、ポートアイランドのあたりに件の「街」が出現することになっている。知ってる人なら知ってるとおり、ポートアイランドにはポートライナーという交通機関(まあモノレールですな)があり、こいつはポーアイ(と略すんです、こっちでは)をぐるりとまわり、それから神戸の中心部につながる訳で、ぼけっとポートライナーに乗っているとポーアイの外周を回ることができるんである。で、そこで見える風景ってのは、ポートピアがとっくに終わってるのに当時のパビリオンが残ってたり、そうかと思えばなんだか良くわからん新しいビルが建っていたりと、妙にいびつなものだったりするんだよね。北野さんもぼんやりポートライナーに乗って景色を眺めているときに、人工の街を取り巻く"ダイヤモンド・リング"っていう本書の芯になる設定を思いついたのかも知れないな、などと思ったことでした。最近ポーアイがどうなってるのか、実はワシも全然知らんのだけどね。

 最後に。おもにすみさんへ。わたくしが一番気に入ったのはこんな一節です。

 重いドアをゆっくり押し開けると、そこに暗い客席があった。まるでこれから映画が始まりそうな闇が、そこにそのまま保存されていた。すぐにも使えそうな温かい闇。

 すぐにも使えそうな温かい闇…。ちょっとしびれたです。

02/12/18

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