情報、官邸に達せず

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麻生 幾 著
カバー装画 岡本三紀夫
デザイン 新潮社装幀室
新潮文庫
ISBN4-10-121931-1 \476(税別)

 阪神大震災の一報が当時の首相であった村山富市の許に届いたのは午前七時ごろ、それも正式なルートを通してではなく、同僚の代議士からの電話であったとか。一時間も何してたんだ、と言いたくもなるけれども、それはこちらが身体で地震の発生を知った側であって、関西以外の地域にもこの情報が届くまでには、やはり多少の時間は必要なのだろう。だが、それに続いて首相官邸がとった行動のほうには唖然とさせられる。村山は神戸でかなり大きな地震があった、という情報が届けられた後も6時間以上にわたり、あらかじめ定められていた公務を予定どおりこなしていたのだった。その間テレビでは次々と現地の惨状が伝えられ、死傷者の数がうなぎ登りになっていたというのに。ようやく村山の顔色がかわったのは午後三時すぎ、夕刊トップの見出しの「死者千人以上」の文字を見た時だったという。

 「宣戦布告」で、有事に際して何ら有効な手を打てないまま、徒に国家の危機的状況を拡大させてしまう日本の国家システムの欠陥を、フィクションの形で鮮やかにえぐってみせた麻生幾氏の、こちらは現実のニッポンの情報後進国ぶりを鋭く告発する本。先日の金正日の息子(らしき)人物の日本入国、オウムの麻原逮捕、金日成死去の前後、ルワンダへのPKO派遣前夜、JCO臨界事故………さまざまな事件のたびに、事態の真相をいち早く把握し、適切な処置を下さなくてはならない首相官邸が、実は日本で一番情報の伝わりにくい場所である、ということが如実にされ、何ともはやお寒い気分になってしまう。

 件の震災の時にも、ともすれば村山個人の指導力の貧弱さ(それはもちろんあるのだけれど)のみをわれわれは問題にしてしまいがちだけれども、それ以上に深刻なのは、現在の日本の国を動かすシステムのなかで、情報をどう集め、どう分析し、どこに伝達するのか、という部分に対して明確なガイドラインが儲けられておらず、しばしば複数の情報源がそれぞれのセクト主義のなかだけで情報を弄び、最もその情報を必要としている場所に、必要なタイミングで情報を伝えることが後回しにされてしまう、事なかれ主義とセクト主義が染みついてしまった日本の官僚機構の問題なのだろうと思う。

 事故・事件が起こらないための"形"を整える———。これが、今まで日本民族が繰り返してきた"反省"のすべてだった。最悪のことは考えたくない、できれば蓋をしておきたい———日本民族は常に"形"を整えるのは実に優秀だった。その先が完全に空白となった。

 "起きるはずのない"事が起きたときどうするのか。官僚主導の日本において、そこで最も多く執られる手段が"起きるはずのないこと"は"起きなかった"と言いかえてしまおうと小細工を弄する、というものであるのを目にするにつけても、この国の行く先に、何とも言えない頼りなさを感じてしまう。

 情報の使い方のあまりにも拙劣さによって、かつて戦争で痛い目を見ておきながら、その事に対する反省が、ほとんどされていないか、まるで間違った方向に向けてなされてしまったこの国は、簡単にアメリカに「ノー」などと言ってしまったらその後自力でやっていけるんだろうかなどと思ってしまう。

 それにしても、最近の報道でもしばしば出てくるし、「歴史を変えた誤訳」でも感じたことなんだけれども、外務省という所はいったいどういう精神構造を持った人間たちが集まっている所なんであろうか。本書では、ルワンダへのPKO派遣に際して、PKO活動などの実績を、外務省の悲願である国連常任理事国入りの布石としようとして、あえて楽観的な情報ばかりを官邸に流し続けた外務省の実体が浮き彫りにされている。実際にはアメリカも平和維持軍の派遣を敬遠し、実際に軍隊を送り込んだベルギーやフランスの軍の訓練を積んだ兵士でさえ、そのあまりの過酷な状況に、1ヶ月でノイローゼに陥るものがでてくるような土地であったにもかかわらず。こんなエピソードが続々と出てくるようでは、外務省にあえて素人の大臣を送り込んだ小泉の判断が、実は大英断であったような気までしてくるから、不思議なもんである。

01/8/27

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