Home → 第6章:その他(思い出) → 「ぷよぷよ」の思い出


出会い(1994年正月頃:2007年11月10日記載)

初めてプレイしたぷよぷよは、MD版「ぷよぷよ」でした。
親戚一同集合で、親戚中の子供のお守りをしていました。私は将棋の本に読みふけっていたので子供たちのしているゲームには興味がありませんでした。
子供たちが遊んでいたのが、「ぷよぷよ」でした。
「ぷよぷよ」初挑戦のうちの子供たちは、オーナーである親戚の子にはまったく勝てず、リリーフとなりました。

テトリスを多少していたので落ち物パズルへの抵抗は少なかったのですが、何しろ私も(本当の意味で)初心者、親戚の子にはまったく歯がたちませんでした。
今思うと、相手の子も連鎖を使いこなしていたわけではなく、ぷよを消去していたら連鎖になった程度で、初心者同士の戦いだったわけですが…

2連敗で、他の子に選手交代しました。
負けず嫌いも手伝って、捲土重来に備え子供たちのプレイを見ながら研究(?)していたのですが結局その日再びパッドが父へ渡されることはありませんでした。

広義のパズルゲームである将棋やテトリスと違った面白さを感じました。


ぷよぷよ購入(1994年4月:2007年11月10日記載)

次男の誕生日プレゼント希望がSFC版「す〜ぱ〜ぷよぷよ」でした。
このとき違うものを希望していたら、このサイトもなかったでしょう。

子供たちによると、正月の敗戦が悔しかったようで、夏休みにリベンジを考えていたようです。
私は大人なので(?)のめりこむつもりはなく、「子供たちとのコミュニケーション」「頭の活性化ぐらいにはなるかな」ぐらいでした。


初めの頃(2007年11月10日記載)

我が家では、ぷよぷよはヒットして子供たちは対戦にのめりこんでいました。
しかし忙しい私が参加できるのは日曜ぐらいで、すぐに子供たちは初級者へとクラスチェンジし、初心者停滞の私は10回に1回ぐらいしか勝てませんでした。
人の記憶はあいまいなもので、子供たちの記憶では最初の数ヶ月私に負けていないとのことです。

ひとりでぷよぷよ(ストーリーモード)にチャレンジしても、「ぞう大魔王」にまったく勝てませんでした。

そのうち、子供たちは「なんちゃって3連鎖」ぐらいは出せるようになり、ひたすら目の前のぷよを消すonlyの私はまったく勝てなくなました。私は対戦相手の地位を失い、「ぷよぷよ」は子供たちだけのゲームとなりました。


転換(1994年秋:2007年11月10日記載)

夏休みに、「親戚ぷよぷよ大会?」で善戦した子供たちをよそに私はぷよぷよ界から完全にフェードアウトしていました。

転換点となったのは、「ALL ABOUT ぷよぷよ」(電波新聞社)でした。
出張帰りの書店で何気なく手に取ったその本で、初めて連鎖の組み方を知りました。「階段積み」との衝撃的な出会いでした。
その本は、読み始めて10分後にはレジを経由して私の所有物になっていました。

それから2週間、息子たちの寝静まった後のリビングで、来る日に備え練習する父の姿がありました。
妻からは「ゲームなんて…まだ将棋の本を読んでたほうが…」、短大に通い始めていた長女からは「まったく大人気ない…」と檄を受けながら(?)1日30分のトレーニングを積みました。

9月24日(確か日曜)が再デビューの日となりました。
「おっ、今日はぷよ(24)の日か〜、たまには参加するかな」といいつつ対戦の輪の中に入っていきました。
ぷよぷよ超初級者の長女も参加していたので、勝率は8割を超えました。
息子たち2人は強い衝撃を受けていた様で、「桶狭間の今川」(ちょっと大げさ)状態でした。


その後(2007年11月10日記載)

情報公開した後、1週間とかからずトップの座からは転落しました。
ただ、連鎖の組み方は身についていたので惨敗することはなくなりました。
「ぷよぷよ通」の登場まで、「5連鎖階段速攻」を合言葉に対戦の日々(週末)をすごしていました。



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