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カタあそび
“カタ”って何? 「カタ遊び」をウンチクするにあたり、まずはこの「“カタ”って何だ?」ってところを説明しないといけないと思うわけです。

ベイゴマの項でも触れましたが、遊びは日本全国、いや世界中でそれぞれの文化や風土や人々の中で生まれ、培われ、変化し伝承されてきております。ですから、「うちの方じゃやってないよ」とか、「名前は違うけど、やり方は一緒だな〜」とか・・・あるのです。
ですので、まずは店主が遊んでおりました(荒川区東尾久/昭和30年代後半の)「カタ遊び」について語ってみましょう。

でですね、この遊びは店主が多分子どもの時の思い出の中でも最大にして最強の面白さとスリルとサスペンスと人生を考えさせられた(今に思えばですが…)遊びなんですね〜(~_~;)オーバーですみませんm(__)m
そんなわけで長文になる可能性大です。一応断っておきます。長くなります。よろしくお願いします(誰に言ってんだか(~_~;))。
カタの遊び方 書いているうちに思うのですが、「このカタを“遊び”と言ってイイのかな〜?」と。ま、おいおい何故そんな風に思うのかも語ります。すみませんもったいぶってばかりでm(__)m。

素材は、素焼きだったり石膏だったりするのですが、厚さが2〜3aほどで、縦横は小さいもので7〜8a四方。大きいもので30a×25aほどある方形をしております。そこに、お城や車、孔雀、般若の面やマンガのキャラクターなんぞが彫り込んであります(これを“カタ”と呼びます)。種類はほんとに一杯あったように思います。大きさもいろいろありました。

このカタに粘土(土でできている)を詰めましてそれぞれ彫り込んであるキャラクターの形に押し込んで整え、取り出し、取り出した形の付いた粘土に粉塗料で着色して出来上がり〜!(この取り出した物自体も“カタ”と言いました。=全て“カタ”で通します。)

掘り込んである形に添ってドロ粘土を詰め、詰め終わったら抜いてそのカタに着色して遊びます。

何か、正しいやり方本やマニュアル、攻略法などございません。全て一人で色々考えて遊びます。時に友達や先輩や凄腕の達人兄ちゃんの腕を盗みつつ少しでも納得いく作品をこしらえるべく日々遊びます。

と、ここまでが「カタ遊び」の一つのあり方です。


想像してみて下さい。ここは公園の木陰です(児童館や学童クラブの庭やタタキあたりでも、家の玄関先でもいいです。風通しのよいところが尚よしです)。

数人の子らが素焼きで出来ているカタに粘土を詰めております。
一人は少しずつ小分けにした粘土を上から順に詰めています。一人は一本の棒状に粘土を伸ばし、カタの真ん中に置き左右に広げながらカタの形に合わせて伸ばしています。
それぞれ色々なやり方で粘土を詰めています。みな真剣です。
一筋の汗が野球帽のこめかみ辺りからこぼれ頬を伝い流れていきますが、彼はその汗を拭おうともせず粘土を詰めています。近くでアブラゼミの鳴き声が響いています。

詰め終わるとそ〜と取り出します。どうやら粘土は繊細のようで、些細な刺激でも型崩れし、キレイな仕上がりを見せないようです。みな息を止めてそ〜と取り出します。

取り出したカタをボール紙の上に乗せ(そーと)、次にそれに粉塗料で色を付けていきます。
粉塗料は柿のタネ大の新聞紙の切れ端にくるまれています。全て金や銀系で、赤や青もラメが入りキラキラしている塗料なのです。新聞紙の包み紙の表面には「金」や「銀」と、青いハンコが押してあります。ちょっぴりしか入っていないようでこれまたそーと大事に大事に指先や筆で塗っているようです。

カタの最終段階です。無骨で無機質だった黒い粘土にまるで命が宿ったかの如く、金銀銅青赤ラメの極彩色に彩られていきます。

各人完成したようです。満足のいく作品が出来たのでしょうか?みな一応に安堵と達成感に溢れる顔をしております。ようやく汗も拭えました。横をシオカラトンボが夏風に乗って通り過ぎて行きます。

・・・て、情景としてはこんな感じでしょうか。
なんとなく牧歌的で吉田拓郎の「夏休み」や井上陽水の「少年時代」なんぞがBGMで聞こえそうですが、あくまでこの情景は一面に過ぎません。

ここまででしたら、「お絵かき遊び」や「折り紙遊び」なんぞとそう変わりませんね。
対人だったり、対相手チームだったりする遊びとは一線を画します。静的、自己的、個人的な遊び思われますね。

ここから先、「牧歌的」なんぞという平和な表現ができなくなるもう一つの側面に入って行きましょう。
カタ遊びの核心 (←)またまた大それた見出しです^^;

そもそもこの“カタ”というものは店主が生れる以前からありました。
詳しい「歴史」や「誕生秘話」なんぞは調べていないので分かりません。
もの心付いた頃には既に近所のワンパク集団のオミソとして兄ちゃんたちのキンギョのフン状態で様々な遊びに付いて回っておりましたので、カタも自然と遊んでいったのです。
店主の育った界隈ではほとんどの子らが同じような感じだったと思います。

それで・・・カタは子らが生み出したものではありません。・・・エッ〜・・・ガ〜ン!衝撃の発言!

そうなんです、「カタ屋さん」という人格(商人?、おじさん?)が、いたのです。
「カタ屋」「カタ屋のおっちゃん」・・・なんぞと呼んでおりました。

さて、ここからもう一つの「カタ遊び」が始まるわけです。ほんと本題になかなか入らない。
もう一つの遊び方














ちょっぴり
紙芝居のこと
カタ屋のおっちゃんは公園に主にやって来るのです。

当時の公園はそれはそれは賑やかでした。そこら中に子らがおりまして、備え付けの遊具はもとより、野球だ鬼ごっこだ、なんだかんだと大きい子も小ちゃい子も男の子も女の子も徒党を組んで遊んでおりました。それはそれは賑やかだったのです。
店主などは町全体が遊び場でしたから、「公園でも遊んだ」程度ですけど。

そんな子らがわんさか溢れて遊んでいる公園に色々な“商人”がやって来るわけです。
代表的な商人は、「紙芝居屋」です。いったい何人いらしたことでしょうか?
少なくとも3〜4人はおりました。
同じ公園なのですが決してバッティングしないのです。今思えば曜日でやって来る日(営業日)を決めていたのでしょうか?同業者組合なんぞがあり、ローテーションで回っていたに違いありません。
この「紙芝居屋」も語ると長くなります。どっぷり浸かっておりました(^_^)v大変従順なよいお客さんだったのです。


当時の子らは学校が終わると遊ぶ約束をしながら寄り道しながら帰り、「ただいま〜」「いって来まーす!」と、ランドセルを玄関に置き、外へ遊びに行きます。
あらかじめ待ち合わせた場所に着くと、三々五々友だちも集まり様々な遊びを目一杯遊んで三々五々また帰っていきます。

「電話で予約」なんぞありえません!
自分の足で友達の家に行き、居なければまた次の友だちの家へ・・・放浪の旅人のようです。

「何して遊ぶ」のかは集まってから決めたり、昨日の続きだったり、その日の気分や集まった人数で変わります。そんな遊びの途中なんぞで、「紙芝居屋」がヒョッコリ現れます。

直ぐに紙芝居が始まるわけではありません。商人ですからまずは商売です。当然当時は紙芝居屋のおっちゃんが、「生活のためにやっている。」なんてことは考えも付かないことです。でも(基本的には)「買わないと見られない」のです。チラ見はザルでしたけど(~_~;)

まずは駄菓子を買うのです。
基本は「ミズアメ」です。支払う¥によってメニューが違います。商売です。高額になるほど、割り箸を半分ほどにした長さの先に着いているミズアメに付ける「トッピング」や「ミルクセンベイ」の枚数が変わるのです。
「両面」、「両面+間に2枚」それに更に「間に2枚」・・・ってな感じです。
ミズアメだけでなく、トッピングにスモモやアンズを使ったり、缶詰のミカンをミズアメでくるんだり、ミルクセンベイにアンズジャムを塗ったり、ソースを塗ったり、それにミルクセンベイを更に付けたり・・・。
かなりのバリエーションがありました。
おっちゃんは次々に来る子らの注文に機敏に反応し、ササッとオリジナル駄菓子作品をこしらえて行くのです。
甘いものに飢えている子らにとりまして、そのミズアメを取りミルクセンベイをササッと付けていく手さばきの見事さ。「さぞや美味いのだろうな〜」と、想像力をかきたてるその形・・・。
いたいけな子らはノックダウンなのです。目がハートなのです。かーちゃんからもらったほぼ100lの小遣いはこうしてプロの商人へ・・・。いや、楽しませて頂いた報酬として消えて行ったわけです。

ほぼ子らの買い物が済み、押しなべて何かしら口に運んでいる姿を確認すると、いよいよ紙芝居が始まります。

寒き冬ともなりますと、北風吹く野外でですね、みな鼻水を垂らしながら少ししょっぱい水あめを舐め、寒さに震えながら紙芝居を鑑賞するのです。ホント、今じゃこんな光景無いな〜。

ま、とにかくですね、長いのですよ。プロセスと言いますがイントロと申しますか・・・。(店主の文章にも同じことが言えますが、)とにかくですね、ゆっくりしてたんです。長いプロセスや道のりの中で皆色々と想像し、気づき、発想して行ったのです。

紙芝居のタイトルですが、憶えているのは色々スパイ物なんかが多かったように思います。が、やはり「黄金バット」ですかね〜。あの金ぴかのガイコツおじさんが、「なんで正義の味方なのか?」よく分かりません。なぜヒーローだったのでしょう?どうみても悪玉顔でしょうに・・・。

めくるめくうちに紙芝居は終わり、紙芝居屋のおっちゃんは次の仕事場へと自転車をこいで行ってしまいます。商売は大変なのです。
そして公園は何事も無かったようにまた子らの賑やかな声に包まれるのです。
しばし缶ケリを中断していた我々も主戦場に戻り暗くなるまでひたすら遊び尽くします。

と、ここまでが当時の公園の一コマ。そんな公園に「カタ屋」のおっちゃんも現れるのです。
ここから遊び方





































点数集めるぞ!































バリエーション
脱線が多くてごめんなさい。これからがようやくもう一つの「カタ遊び」の遊び方です。

もう一つのカタ遊び(これからお話しする「カタ屋のおっちゃん」との関係)のやり方はカタ屋によって多少違っておりました。
そうです、紙芝居屋同様、3〜4人はカタ屋のおっちゃんがおりました。

憶えているやり方を紹介します。

おっちゃんは低いイスに腰掛けていたか、座布団の上に胡坐をかいていたか・・・。とにかくドシリと座っておりました。
その前や横ににズラリと並ぶ「カタ」の数々。おっちゃんの手前には大きめなカタ。前に行くほど小さくなっていくカタが並べてあります。ゴザかなんかが敷かれていたと思います。
それぞれ並んでいる大小のカタには、○○点、○○○点・・・と、金額では無くハンコで押した数字が書かれている紙切れが置いてあります。

当然大きいカタほど点数は高いのです。何万点台なのです。

カタをやりたい子は始めに一番小さいカタを買います。
いくらだったか忘れていますが、何十円の世界だったと思います。それから粘土や色粉もお金で買います。一通り全部揃えると結構な金額に(100円くらいか?)なるのです。
色粉も「金」「銀」「銅」より「赤」「青」などの色ラメの方が割高だったように記憶しております。
ですので、始めは皆「金」「銀」「銅」の三色あたりしか買えなかった様に思います。

最初に買える小さなカタは、7〜8a四方で、ボールや野球帽、マンガの顔なんぞの簡単な絵柄が彫り込んでありました。

では、大きいカタが欲しい場合どうすればよいのでしょうか?
大きいカタにはそれはそれは素晴らしい絵が彫りこまれているのです。なにせ大きいのです。子らは小さいものより大きいものが欲しいのです。人間の心理なのです。

先ほどお話ししましたが、カタに点数が付いています。そうです。点数を集めて欲しいそのカタを手に入れるのです。

では点数はどうやって集めるのでしょうか?

始めに買ったカタに粘土を詰め、カタを付け、取り出し、色粉で着色し・・・完成したらカタ屋のおっちゃんの所へ持って行きます。

カタ屋のおっちゃんは一生懸命こしらえたいたいけな子らが持って来るカタを冷静かつ寸時に検分し、無造作に「○○点!」と、点数を言い、その点数分の○○点と書かれた紙切れを渡します。
そして(ここからが書くのもはばかる戦慄の光景!)、品評したカタはおっちゃんの手により「クニュ!」とひねりつぶされてしまうのです。おおぉぉぉ〜\(◎o◎)/!

お分かりですね。カタ遊びのもう一つの遊び方(遊びと言えるのかどうだか・・・)は、カタ屋のおっちゃんとのやりとりなのです。
おっちゃんがいて子らがいて初めて成立(~_~;)するワケです。ま、圧倒的におっちゃんに分があるわけです。主導権は握られているわけです。

子らはせっせとカタをこしらえては点数を集め、より大きくてかっこいいデザインや絵の彫り込んであるカタを手に入れるべく励みます。
点数で粘土や色粉も買えるのです。
百点、千点、万点・・・。大きいものほど0の数が多いのです。粘土や色粉も百点以上はするのです。
持っていってもらえる点数はせいぜい数十点。果てしなき挑戦です。長い道のりです。西遊記の天竺への道のようです。

「点数を集めてより大きく素敵でカッコいい絵のカタを手に入れる」ことが、子らの最大の目標になります。

と、どのカタ屋も基本的にはこんな感じのやり方でした。

大きなカタを現金で買えるカタ屋もあったように思います。ただ貧乏長屋のワンパクどもには到底買える金額ではなかったので、小さいカタで色粉も少ない中、セッセとこしらえていたように思います。


「カタ」の素材ですが、基本的には「素焼き」でしたが、中には「石膏」で作られたカタを使っていたおっちゃんもいました。

出没現場は、公園が主ではありましたが、中には堂々^^;と校門前にお店を広げていたカタ屋もおりました。

特異なカタ屋では、お金を払うと(一回10円くらいだったか・・・)粘土でこしらえた粘土玉を幾つかくれて、そしてお店の前に引いてある線の向こうからお店に並ぶカタに向かってその粘土玉を投げます。そして見事狙った方に粘土玉が「2個」入るとそのカタがもらえました。
「2個」というところがミソなのです。
店主も挑戦したことがありましたが、入るものではありません。おっちゃんの圧倒的な勝ちです。
ハートのミッキー












































エイトマン
すっかりカタ屋のとりこになり、カタ屋通いを日課にしておりました。

小学校の低学年です。お小遣いもそんなにもらえないし、カタの腕前もヘタクソだから周りの兄ちゃんたちみたいな大きなカタがなかなか手に入れられないのです。

小さなカタを一生懸命こしらえて色塗って持って行っても10点くらいしか付けてもらえないのです。これでは粘土や色といった消耗品も買えません。
来週は縁日もあるしお小遣いをこれ以上使えないし・・・でもそんなことはいたいけな子らは考えもしません。目の前にある欲望に走ります。「粘土ちょうだい」、「ハイ○円ね」・・・と、なけなしのお小遣いをはたいて粘土を買い、また挑戦します。

そんなカタ遊びに熱中していた当時、「あぁ〜早く点数溜めてあのカタを手に入れたい!欲しい〜」と、ホレ込んだカタがありました。
そのカタの名を通称、「ハートのミッキー」と呼んでおりました。

初めて出会ったのはいつだったのでしょうか・・・?それはまるでそれから何年後かに経験する“初恋”に似ていたのでしょうか?そのカタが目に留まった瞬間、いたいけ過ぎるボクは雷に打たれ恋に落ちたのでした〜(^_^)v

横20a、タテ15aほどのカタで、大きなハートマークの横だったか中だったかに朗らか過ぎるミッキーマウスが満面の笑みを浮かべ、「ヤァ〜!みんな元気かい?!」と、立っています。愛らしいのです。ハートのミッキーがボクを呼んでいるのです!

そのカタにすっぽりと魅せられてしまい、取り付かれたかのように毎日ハートのミッキーに会いに通っておりました。
「まだいるね。」「待っててね、もうすぐ買ってあげるからね!」・・・

でも、果てしなく高い点数が付いていて到底手に負えないのは低学年でも分かるのです。でも欲しいのです(T_T)
思いは募るばかり・・・寝ても冷めてもハートのミッキーが頭に浮かんでは消え浮かんでは消え・・・勉強も食事も手につきません。恋わずらい・・・ほんとそんな感じでした。

今でも憶えてい逸話があります。

ある時ボクは風邪をひいたそうです。高熱が出て学校も休んだのです。
カッカと火照るヒタイには濡れタオル。夕飯は当時高価なバナナだったでしょうか?
熱はなかなか下がらず、夕暮れ時。布団に包まるボクの耳に遠く子らの遊ぶ賑やかな声が聞こえます。「遊びたいよ〜・・・」。
熱は更に上がり何事かうわごとをフニャフニャ・・・言い出したそうです。
「ハ、ハ、ハ、ハートのミッキ〜…ハートの〜ミッキ〜…」と、うわごとで言い続けていたそうです(T_T)

未だにこんな話を覚えているのですからよっぽど取り付かれていたのでしょうね。でも結局そのカタとは結ばれずじまいでした。
「どうして?」、理由はまた後ほど。

もう一つの憧れのカタはなんと言っても、「エイトマン(8マン)」でした。
思い出しただけでも泣けてきます(T_T)
カッコよかったのです。ほんとに・・・。ふりかけは丸美屋の“エイトマンふりかけ”に決まっています。
それは素晴らしく大きいカタでした。おっちゃんが扱っているカタで一番大きかったのではないでしょうか。
エイトマン様は飛ぶように走っておられます。カ、カ、カ、カッコイイ〜♪

低学年にとって、その大きさと偉大さとカッコよさはとてもじゃないですが手に負えないのでした。「欲しい」という以前に神の領域、空の上の存在でした。

そんなエイトマンにまつわる話もまた後ほど。
遊び考





























子らの工夫





























ウデを磨く









完成度をあげる
















カタを抜く

















表面を仕上げる














色粉を塗る




















































持ってい
子らの遊びについては色々ウンチクしたいのですが、この項では少しだけ・・・

店主が子どものころと現在を比較して、「遊び」の、その「成立要素」に視点を当てた場合、「時間」だ「空間」だ・・・とありますが、決定的に違うのは「仲間」の存在と思うのです。
「仲間」=「同級生」ではなかったりします。多分に「同級生」と捉えがちですが、「遊び仲間」と言うと。学校ではそういうことが多かったですが、家に帰ればいわゆる「近所の子ら」と遊ぶことが多かったのです。

学校で約束したり、同級生が訪ねて来てくれたりする時は別ですけれど。
特に日曜日なんぞは朝から晩まで近所のエリアを舞台に様々な遊びが生まれ消え、また生まれ・・・一日中(近所の子らと)遊んでおりました。

現在こうした「子ら」はなかなか居ないものと思われます。
古い地域だったり親同士近所同士が仲良くしていたりするとあるかも知れません。
店主が育った地域には中学生を頭に幼稚園生までが「遊び仲間」として存在しておりました。
最初はいわゆる「オミソ」でして、大きい兄ちゃんの後をキンギョのフンの様に付いて回るのです。兄ちゃんたちも時に優しく時に厳しくワンパク集団でのキマリを教え、遊びを教えてくれました。何も「○○教室」だの「△△講習会」だのを開いたわけではありませんよ!自然に、徒党を組んで遊んでいる中で伝承されていったのです。

また長くなりそうなのでこの辺で。こうしたウンチクはまた別の項で。

さてさて、今まで紹介してきた通り、「カタ遊び」は一方的にカタ屋のおっちゃんに主導権を握られていて、さすがのわんぱくどももなすすべもなく、「いいように牛耳られていたのか?」と言うと、そうでもなかったのです。

学年が上がれば上がるほど知恵も腕前も上がっていくものです。人はそれを「成長」と言ったりします。様々な「経験」を積むと人は成長し賢くなります。普通は大体そうでしょう。(店主はどうでしょうか(~_~;)自問自答。)

遊びの中で、「オミソ」から出発し、最初は許されていた失敗も何年か経って来ると許されなくなります。人はそれを「一人立ち」とか、「一人前になったじゃないかぁ〜」などと言ったりします。
(今、店主はどうでしょうか?大きな声で正々堂々と、「一人前だぁ〜!」と叫びたいものですm(__)m)

さて、また脱線しましたm(__)m
上は中学生から下は幼稚園生までで遊んでおりましたので、上にはそれはそれはスゴイ兄ちゃんたちが居たわけです。オミソの憧れの的なワケです。
缶ケリでも、悪漢探偵でもベイゴマでもメンコでも彼らが「遊ぶ」と言うより「戦う姿」は迫力がありました。「いつかボクもあんな風にしてやる〜!」と、オミソは思うのでした。

「カタ屋」に対する兄ちゃんたちの燃え上がり様もそれはそれは熱きものでした。

カタ遊び専用の箱なんぞをこしらえ、カタ、粘土、色粉、刷毛・・・と、キレイに整理しております。粘土には乾燥防止のため、濡れ雑巾も被せてあります。
そうです。「粘土」の管理が結構大変でした。
ほおっておくとどんどん乾いていってしまいます。一晩ほおっておけばカピカピになってしまい、バケツの水に付けて戻さなくてなりません。戻し方もヘマすれば今度は水気が多すぎたりするのです。

色粉だって水になんか濡らしたらパーです。カタも落として割れてしまえばオジャンです。
皆そんなニガイ経験を乗り越え、様々ワザを身に付けて行くのです。「自己管理能力」が自然に身に付くのです。それを共有し伝承する土壌もあったのです。

「点数」を稼ぐ為にナニをするか?点数を稼がなければ大きなカタや消耗品類は手に入れられません。
そりゃお金さえ出せば大きなカタは手に入ります。が、それは一見して「楽な道のり」なのです。「苦労した先に至福の瞬間がある」、「お金で買うやつは半人前だ」。などという信念があるやつもいたのです。ただ「お金がない!」、と言う事もありますがそんなことはプライドが許しません。「武士は食わねど高楊枝」なのです。

ですので残された道はそうはありません。
とにかく「ウデを磨く」ことに集中します。

まずは「抜いたカタの完成度」を上げます。

粘土の詰め方、伸ばし方・・・おっと!その前に粘土を最高の状態に仕上げる事も重要です。
よくこね、小さな石や草切れなどの不純物を取り除きます。これらがあると抜いた時に表面に凸凹が出てしまいます。
限りなく滑らかで美しい粘土に仕上げてからカタに押し込んで行くのです。

押し込み方は、「小分けにちぎりながら」より、大きい塊を真ん中から外側へ押し開いていくように伸ばして行くやり方が抜いた時の仕上がりがキレイになります。小分けにしてしまうと塊と塊の間にスジが残るのです。このスジは抜いた後で指先に水を付け、スジの両側の粘土を擦りながら溶かすことで消して行きますが、なかなか繊細な作業で元の形を崩してしまう可能性も高く、中型のカタまではこのやり方をしておりました。30a物はとても一気にはできず、バナナの様に伸ばした粘土を幾本も並べそれを拡げたり、太く大きな粘土棒状にして一気に詰め込む。なんてこともしておりました。

大切なのは抜いた時の出来上がり状態ですから。
いかに「表面(カタの凸側)をツルッとした仕上がりにするか。」が、ポイントなのです。

「カタ」の内側(凹側)の状態もよい状態にしておく必要もあります。
「砂が付いてないか」「粘土の残りが付着してないか」・・・点検します。
粘土を詰めた時、粘土の水分を素焼きのカタは奪います。そんなことも経験上知っている子らは、粘土を詰める前に適度の水分をカタに与え、粘土の水分吸収を抑える様にもします。ここまで来ると“職人ワザ”なのです。人間、まったくもって「考えるアシ」なのです。でもまだまだこの先、工夫は続くのです。

次に、「カタから抜く時」も注意が必要です。

小さいものなら一気にひっくり返して抜きますが、大きくなればなるほど抜く時に崩れる可能性が高くなります。
カタ遊びの大きなポイントとなります。

大きいものは抜いた後、とてもじゃないけど手のひらには乗せられません。厚紙なんぞを用意し、その上に乗せます。
粘土を詰めたカタの上に厚紙を乗せそのまま上下にひっくり返します。そしてそ〜と素焼きのカタを上に抜きます。ところが!凹面と凸面が密着し過ぎで取れなくなっている事もあるのです。伸名時は哀れ半分にもぎちぎられることもあるのです。

そんなこともワンパクどもは「知恵と勇気と力の子〜♪」ですから、克服します。

抜く前に予め丸めた粘土で抜く粘土の表面に押し付けてチョンチョンと引っ張ります。何箇所かで行っておきます。そうすることにより凸凹面に隙間を作ることが出来、抜き易くしておくのです。見事きれいな形のまま抜ければ次は「表面仕上げです」。

抜いたカタを見れば、どんなに気を使って粘土を詰めて抜いても表面には「小じわ」や「亀裂」が見つかったりします。表面はツルツルに磨きたいのは言うまでもありません。ツルツルに磨く方法は「泥ダンゴ作り」で実践積みです。こうして普段の遊びがいざという時に応用が利き助けてくれるのです。
しかし、カタの場合は泥ダンゴの様にツルツルにする必要はありません。あくまで色粉を塗る前の「下地づくり」です。

指先に水をチョンと付け、亀裂の入っているところを擦り、なでて溝を塞いで行きます。手早く行います。というのも、カタは時間との勝負でもあります。
薄い粘土でこしらえてあるカタは直ぐに乾燥し、乾燥すればヒビが入ります。ヒビはカタにとって致命傷なのです。すなわち、カタ屋のおっちゃんの評価が下がってしまい、よい点数がもらえなくなります。

ヒビや亀裂や小じわ^^;を手早く補修し、次に色粉付けです。

「色粉」は前述したように、新聞紙を千切ってその中にほんの少し入っていて、柿の種くらいの大きさに包み込まれていました。新聞紙の表面には中に包まれている色粉の名がハンコで押してありました。
ワンパクどもはそれを現金で買ったり、集めた点数で引き換えたりして手に入れます。
金、銀、銅、青、赤、緑・・・何色あったか記憶が定かではありません。基本的には金銀銅だったように思います。赤や青もラメで輝いています。およそ絵の具やクレヨンの発色ではなく、スパンコール状にキラキラ輝くのです。

とにかく量が少ないですから大事に大事に使います。風で飛ばされ地面に転がせてしまったらオジャンです。

色粉を塗る時は指先や刷毛に色粉を付け、カタにそーと塗って行きます。伸ばしながらはみ出さないように・・・。
カタの「どこに何色を塗る」かは、決まってはいません。全ては自分の感性、判断、技量にて塗ります。鍛えられるわけです。

ただここで気を付けなくてはいけないことは・・・分かりますね、おっちゃんが果たして「どう判断してくれるか?」を、考えながら塗るのです。各おっちゃん評価への「傾向と対策」を知っておく必要があります。
「基本的なカタのディテールに重きを置くのか」、「着色の出来栄えか」・・・。

まったく・・・遊ぶのもただ事ではありません。いたいけな子らを、「これでもか」と窮地に追い込みます。

また脱線しましたm(__)m

「本日の塗り方の傾向と対策」が決まったら手早くカタが乾燥してヒビだらけになる前に色粉を塗ります。
今は「綿棒」なんぞというよい道具がありますが、あのころはほとんどが指に付けて塗っていました。人差し指、薬指、小指あたりを駆使しながら微妙な色分けを左官職人顔負けに、みな地べたにへばりついてやっておりました。

しかし手ごわいのです。そうやすやすと色粉は塗れません。こまかな線や色分けなど、とても低学年やオミソにとっては厳しいものがあります。手先が、指先が、なかなか言うことを聞いてくれません。はみ出したり、混ざったりします。一回塗った色粉はなかなか取れませんからどうしても混ざってしまうのです。
大きい兄ちゃんたちはさすがに熟練していて指先を使って素早く手際よく色粉を塗っていき、さっさとおっちゃんとこに持って行きます。

作品を見ればほんとに芸術的に仕上げる兄ちゃんもいて、オミソどもの羨望の的です。色使いしかり、表面の仕上げしかり、まるで今にも動き出しそうです!

オミソや低学年は小遣いも少なく、買える色粉も少なく、技量も無く・・・大変な苦労を背負い遊ぶのです。
必然的に「一色塗り」「二色塗り」なんぞこしらえます。ですので、ひたすら一色なり二色なりをキレイに凸凹がないように、ツルツルに仕上げ、おっちゃんとこに持って行くのです。
おっちゃんの評価が決して「カラフル優先」ではなく、一色でも二色でも「キレイに仕上げて来ている」ことが評価基準になっていることを知っての上の作戦でもあります。
おっちゃんとて将来の「よい客」をつなぎとめておくにはオミソへの評価は必要不可欠です。う〜む、そうか〜、こうして当時を振り返ってみると、やはり主導権はあくまでもオッチャンですね〜(~_~;)

苦労して仕上げたカタをおっとゃんのところに持って行きます。焦ってはいけません。落としたらオジャンです。でも乾くとヒビが多くなってしまいます。ほんとにも〜!大変なんです!

先にも述べましたが、おっちゃんの品評の仕方も様々でした。
持ってきた順に評価して点数をくれる。一定の時間で区切り、その時までに持ってきたたカタに一斉に評価を付ける・・・。
無言で機械的につまらなそうに一連の作業を行うおっちゃんも居れば、「ここはこうするともっと点数が高いんだけどな〜」などと作品の評論をしながら点数を付けるおっちゃん。
そして点数が付いた後に待つ、驚愕の光景が・・・
オミソが作った小さな一色の「野球帽」も、上級生がこしらえた「般若の面」も、中学生が持ってきた「8マン」も、あっけなくひねり潰されます。承知の上とはいえ目の前で潰されていく現実はなかなか厳しいものがあったのです。「あ〜ぁ・・・あんなにかっこいいエイトマンがぁ〜(T_T)」・・・。
子らの逆襲







夜明けは近い?














秘密工場
ここまで書いてくるとホンとに全く、おっちゃんの一人勝ちです。ワンパクどもの立ち入るスキがありません。
唯一の方策は前述したようなよい点数を付けてもらうための「ウデを磨く」ことでした。

しか〜し・・・
世の中、「全く」とか「絶対」とかいうことが無いのも常でございます。
子らの恐るべき逆襲が始まろうとしておりました。

子らも学年が進むに連れ成長します。
それはいたって必然です。学校では日々学習し知識を積みます。遊びの中では実践的に学習した事を実証したり、反映させたり、上から下、右から左・・・様々な方角から様々なキャラクターから刺激を受けます。
遊びは伝承され、変化しまたは新しい遊びを生み出し、人と人との関わり方をギクシャクしながらも体験し、泣き、笑い、憧れ、失望したりします。
良しも悪しきも成長しないワケがありません。

ですので店主も、「いいこと」「悪いこと」。「正義」「インチキ」・・・ワンパクどもの遊びや暮らしのかかわりの中で色々学んだワケです。

また前説が長くなりましたm(__)m

それはある日の午後でした。

裏の家の庭に兄ちゃんたちが結構な人数集まっておりました。
縁側にカタがズラリと並べてあります。
丁度この季節、カタ屋のおっちゃんが公園に来はじめていて、子らはカタ遊びに熱中し始めているころでした。

「どれどれ兄ちゃんたち何作ってるのかな〜?」と、庭のワンパクどもの輪の中に入ってみると・・・

兄ちゃんたちは“石膏”を水で溶き、抜いたカタを菓子折りの箱に置き、そこに石膏を流し入れておりました。

何人くらいがその作業に携わっていたことでしょうか?20人近くの中学生や小学校の高学年の子らを中心に、中低学年の地域の子らも何人も集まり彼らの作業をジッと見守っています。

兄ちゃんたちは口数も少なく、淡々と己の分担する作業を進めます。

まずは、カタを作る係。
どう見てもプロです。カタのゴミやホコリを取り除き、カタに水分を含ませ、手早く粘土を積め、小さな粘土で数箇所はがし、一気に裏返し大きなカタも手のひらで受け止めます。そしてそれを菓子折りの箱の中に置くと、今度は指先に水を付け小さなヒビも見逃さず補修します。

一連の作業に見とれます。まるでカタのお手本です。教科書が目の前で展開されている感じです。

次に、石膏を準備している兄ちゃんがいます。大きな缶詰の空き缶に石膏を入れ、水を入れ棒で掻き混ぜます。掻き混ぜると熱を帯びるらしく「あちぃ〜」とか言いながらも仕事を進めます。

つづく(これからが最大のヤマ場なのです!乞うご期待!)
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