■夢の超高層マンション

「あのー、すいません」
「はい、いらっしゃいませ。どういったご用件でしょうか?」

 俺は、いつものように不動産屋のドアを開け、いつものようなやりとりをする。いつからかは忘れたが、会社の帰りに不動産屋巡りをするのが、すっかり日課になってしまった。これというのも、片道2時間半という長い長い通勤時間にすっかり嫌気がさしてきたからである

「あのー、都内で2000万ぐらいのマンションを探してるんですが」 最近は、この文句を言うのに勇気がいる。どの不動産屋でも、この後、数秒、化物を見るような目で俺を見た後、『そういった物件は、うちではちょっと……』と言うに決まっているからだ。だから『お客さん、運がいいですね。実は一戸だけあるんですよ』と言われた時は、正直言って驚いた。
「えっ、今もしかして、あるんです、って言いました?」
 俺は思わず訊き返した。
「ええ、あるんですよ。それも新築の3LDKで、値段は何と1800万!」
「そんな馬鹿な、私が今住んでいる、まわりに山しかない、ど田舎の家ですら3950万したんですよ。それが1800万なんて……。あ、もしかして幽霊が出るとか?」
「新築だって言いましたが……」
「昔、墓地だったとか、作業員が足踏み外して死んだとか?」
「建つ前は、移転した区役所の跡地で、作業員は全員ぴんぴんしてます。まあ寿命でお亡くなりになった方もいるでしょうが、そういう人は化けて出たりしませんから」
「うーん、信じられないなあ。何かあるんでしょう?」
「まあ、ないと言ったら嘘になりますが……」
「やっぱりね。で、何なんです?多少のことなら我慢しますが」
「実は、ちょっとばかり高いんですよね」
「え、さっき1800万て言いませんでした?あ、わかった、管理費やら共益費が高いんだ」
「いえ、お金ではなくて、俗に言う超高層マンションてやつなわけでして…」
「それだけですか?」
 俺は、半ぱ唖然として言った。
「ええ、それだけです」
 不動産屋のおやじは、きっぱりと言った。
「超高層マンション!いいじゃないですか。階下に街並を見下ろしながら暮らす、そういうのが夢だったんですよ。よし、そこに決めた!」
「はい、ありがとうございます。では、契約書に署名と印鑑をお願いします。何しろ、あと一戸だけですからねえ。いやあ、お客さん、実に運がいい」

 というようなわけで、俺はここに住み始めたのだが、残念ながら階下に街並を見下ろすことはできない。まあ、たまに見えないでもないが、街並というよりはむしろ地図を見るような感じである。それでも見えればいいほうで、大抵は、600階あたりに広がる雲海が邪魔して何も見えない。見下ろすたびに、あのあたりに住む人は可愛そうだなあと思う。俺の住む750階ともなると年中晴天なのだ。山しかない場所から、空気しかない場所に来てしまったようで、ちょっと、あては外れたが、ジェット機が飛ぶのを“見おろしたり”できるのはここぐらいかと思うと、優越感を感じないわけでもない。

 おっと、出勤時間だ。まだ6時半だというのに……。最新のエレベーターをもってしても、朝のラッシュ時には1階まで2時間半かかってしまうのだ。それが、今のところ最大の不満である。
 

(了)