個人タクシー

 残業で終電も無くなったその日、俺は道路わきに立ち、目当て
のタクシーが来るのを待っていた。
 タクシーには、すぐにそれとわかる特徴がある。屋根の上にあ
る、会社名表示灯だ。地域によってはアンドンとも呼ばれるあれ
は、よく観察していると、千差万別で面白い。横長の四角いもの
が圧倒的に多いのだが、丸いもの、星型のものも少なくない。付
いている場所も、屋根の中央にぽつんとあるとは限らず、札幌で
は、前端から後端まで三角柱を横にしたような表示灯がどっしり
と乗っかっていて、驚いたのを覚えている。会社名だけでなく、
そこには煙草会社の広告も書いてあった。
 俺が待っていたタクシーとは、変わった形の表示灯のついたタ
クシーだった。というのは、以前、馬の形をした表示灯のついた
タクシーを拾って以来、競馬で面白いように儲かったという経験
があるからだ。俺に限らず、ギャンブラーというのはゲンをかつ
ぐ人間が多いのだが、表示灯にこだわる人間はあまりいないだろ
う。
 何台目かの、四角や丸の表示灯が通り過ぎた後にやってきたタ
クシーを俺は見逃さなかった。屋根には、宝船の形をした表示灯
がついていた。馬で競馬なら、船なら競艇だ。それに宝船とは、
何とも縁起がいい。
 手を挙げると、そのタクシーはスムーズに流れる車の列から外
れて、俺の前に停車した。
 何とも暗い感じの運転手だったが、俺が行き先を告げると「は
い、かしこまりました」とだけ言って走り出した。
 男は、何度もバックミラーで俺の方を見ていた。
「このタクシー、変わった表示灯つけてるよね?」あまり黙って
るのも気がひけるので、俺は話しかけた。
「ええ、私は個人ですから。滅多に見ることはないと思いますよ」

「こんな深夜の運転は怖いでしょ?」
 タクシーが繁華街を外れ、郊外の寂しい側道に入ってから、俺
は切り出した。聞きかじりの怪談を始めて、運転手を怖がらせる
という悪い趣味も俺は持っていたのだ。
「この先に、赤い橋があるでしょ?あそこ出るんだってね」
「白い服の女ですか…」
「え?ああ、なんだ。知ってるのか」
「わたしは、そんなものより、生きている人間の方が怖いですよ。
その赤い橋で、運転手が売上を奪われた上、殺されたという事件
もあったでしょ?」
 そういえば、一年ほど前、そんな事件があった。
「ああ、覚えてる。たかがニ、三万の為に殺されたんだったよな。
むごいことをするもんだと思ったよ」
「三途の川ってのがあるでしょ?あそこを渡る時、タクシードラ
イバーはどうやって渡るかご存知ですか」
「いや、聞いたことがない」
「宝船の表示灯のついたタクシーで渡るんですよ」
 気がつくと、例の赤い橋の上に来ていた。
「降りてもらえますか。もうすぐ夜が明けますから。目的地まで
行くことができず申し訳ありませんでした」
 男は、そう言って橋の上に車を停めた。そして、欄干に供えら
れた花束を後部座席に乗せ、車ごとかき消すように消えた。

 とんでもない体験ではあったが、僕には不思議と恐怖感はなか
った。運転手が言った言葉を取り違えていたことに気がついて、
妙なおかしさがこみ上げてきたからだ。
 彼は、本当はこう言ったのだ。
「ええ、私は故人ですから…」と。

(了)