それぞれの記念日

 信じてはもらえんかもしれんが、わしは今まで『嘘』というものをついたことが一度もない。
 今日わしは、皆さんに記念日にまつわる二つの物語をお話ししようと思う。どちらもわしが若い頃、自身で体験した話じゃ。上手には語れんかもしれんが、ちぃとばかし辛抱して聞いてくだされ。聞いて損はせんはずじゃから──



 物語その一 「山を掘る男 」

 これは、わしが山登りを趣味としておった頃の話じゃ。
 その年の夏に、とある山を登っておったわしは、山の頂きでつるはしを振るう男に出会ったんじゃ。男は額に汗して、それは熱心に山を掘っておった。
「何を掘っているんですか?」
 わしの問いかけに男はこう答えた。
「妻と約束をしたんです。だから来月の結婚記念日までにどうしてもやりとげなければならんのです」
 男はわしにちらりと一瞥をくれただけで、手を休めようともせんかった。
「差し出がましいですが、どういう約束をされたんですか?」
 わしはさらに問い掛けた。春にその山に登った時も、その男が同じ場所を掘っていたのを思い出したからじゃ。すると男はようやくつるはしを置いて、こう言ったんじゃ。
「実は私、妻に対して何ひとつプレゼントをしたことがありませんでした。だから、結婚十周年になる今年の結婚記念日だけはダイヤモンドの指輪のひとつもあげようと、妻に対してある途方もない約束をしてしまったんです」
「何とおっしゃられたのですか?」
「アパートの窓から見える、一番大きな山を指差して『あの山より大きなダイヤの指輪をプレゼントするよ』などと言ってしまったんですよ」男はそう言って嘆息した。
「山より大きなダイヤ! それは大変だ」
 わしは、そうは言ったものの、出るあてもないダイヤを一心不乱に掘り続ける男が不憫になってのう。なんとか協力できんじゃろうかという気になったんじゃ。
「その山というのは、どこにある山ですか? ここから見える山ですか?」
「私とあなたが今立っているこの山ですよ」
 わしの問いかけに、男は事もなげにそう答えた。
「しかし、あなた。それだったらもっと大きな山を掘らなきゃいけませんよ。この山には、この山以上の大きさのダイヤが埋まっているわけがないじゃないですか」
 わしは言ってはならんことを言ってしまったような気がした。と同時に、とんでもない狂人に付き合ってしまったわいと後悔もし始めておった。
「埋まっている? ダイヤが? で、僕がそれを掘っていると? ははは、こりゃいいや」
 ところが男は、まるでわしの方が気が狂ってるとでも言わんばかりに大笑いをした。
「え、違うんですか?」
 あっけにとられているわしに、男が言った台詞が傑作じゃった。
「約束を守るために、僕はこの山を削って小さくしようと思うんです。これよりもね」
 男はそう言って、米粒程のダイヤの指輪をポケットから取り出して、わしに見せてくれたんじゃよ。
 ほんに、世間にはいろんな人がおるもんじゃ。


 物語その二 「メモリアルデー」

 次の話は、こっぱずかしいんじゃが、わしと連れ合いがまだ若かりし頃の話じゃ。わしもその頃は馬鹿をやっておってのう…。
 同じ理学部の学生同士で学生結婚をしたわしらは、結婚式といっても、質素なものしかしておらんかったのじゃが、就職して初めての結婚記念日、わしは妻が仕事から帰る前に、二人だけのパーティーをやろうと準備をして待っておったんじゃ。
「ただいま。わ、どうしたの、これ、凄いじゃない!」
「まあ、メモリアルデーだからね」
 ケーキや鳥の丸焼きを前に妻は目を白黒させておった。まあ、してやったりといったとこじゃった。じゃが、飲み物を運んできたわしを見て、顔色が急に変わったんじゃ。
「何、それ…」
 わしが持っておった盆に載っておったのは、ワインやリキュールの入ったメスシリルダー、グラス用のビーカー、マドラー代わりの撹拌棒など、いわゆる実験器具の数々じゃった。
「キミは、これを見て、どうして僕が今日のこの日に、これを選んだのかわからないのか」
 わしは戸惑っておる妻に質問をした。妻はしばらく考えあぐねておったが、ぱっと顔を赤らめてこう言った。
「私達、貧乏学生だったから結婚する前は、誕生日やクリスマスになると、よく大学の研究室のビーカーでエチルアルコールを薄めて飲んでたりしてたよね。ごめんなさい、これは私達のメモリアルデーにふさわしい演出だわ」
 それは確かに、その通りで、わしも用意しておった答えを飲み込んで、そっちを正解にしたかったくらいじゃが、若気の至りというか、自分の本当の演出を無駄にする勇気がのうてのう。
「そうじゃない。ほら、例えばこのビーカーのここを見てごらん」
 そう言って指を差すわしに、連れ合いはきょとんとした顔をして目を近づけた。
「え? ビーカーの横に何かあるの」
「いいか、一回しか言わないからよく聞くんだよ」
「うん。で、何?」
「ここに『目盛りあるでぇ』。なんちゃって、なんちゃって、ははは、はは、は……」
「……」

 妻が家を出て行きおったのは、それから三日目の朝のことじゃった。



 どうじゃ、わしの話は面白かったかのう? そうかそうか面白かったか。いやあ、嘘をつくのは楽しいのう。実は二つとも作り話なんじゃよ、ふぉふぉふぉ。なに? 嘘をついたことがないと言ったじゃないかと? それは本当じゃ。じゃが、これからもつかんとは言っておらん。まあ差し詰め今日は、わしが生まれて始めて嘘をついた『記念日』ということになるのかのう。ふぉふぉふぉふぉふぉ……。

(了)