■侵入社員

「実は、君にP薬品の社員になってもらいたいのだ」
 上司からそう言われたときは驚いた。

「しかし課長、あそこと、わがS製薬とはライバル同士じゃありませんか。この前だって、人間ミクロ化薬の開発で、先を超されているんですよ。今度こそ、うちが鼻を明かしてやろうと思ってたんです。それを今更、P薬品に転職だなんて…」
「私は、なにも君に転職しろとは言っておらん。P薬品に侵入して、次の製品の内容を調査してほしいのだよ」
「侵入?それでは、私にスパイをしろとおっしゃるのですか?」
「おっしゃる」
「わかりました。そうまでおっしゃるのなら、私も男です。P薬品へ行きましょう!」
「おお、そうか、引き受けてくれるか。君なら、やってくれると思ってたよ。なにしろ、うちのほかの連中は、新聞やら週刊誌やら学会誌やらで顔の知れたやつらぱかりで、君しか適任がいないのだよ」
「……なんとなく、ぱかにされてるような気がしますが?」
「いや、そんなことはない。君の実力は、私は知らないが、どこかに知っている人がいるかもしれない。さあ、書類はすぺて送っておいたから、今すぐP薬品へ行ってくれ。2時から面接があるのだ」

 なんとなく、むちゃくちゃな成り行きだったが、とにかく俺は、P薬品の新入社員、いや侵入社員になった。仕事は警備員である。そして、1か月後、ついに新しい薬品く人間クローン化薬>の秘密書類を盗み出すことに成功し、俺は、それをS製薬に送ったのだった。これで、P薬品より先に、クローンの実用化にこぎつけられる筈であった。
 しかし、悪いことはできないのが世のしくみである。書類の盗難に気付いたP薬品のやつらが、例の人間ミクロ化薬で小さくなって、俺の上着のポケットに入り込んだのだ。そんなこととは全く知らない俺は、そのままS製薬の人間と会ってしまい、話の内容からスパイであることがぱれてしまったのである。
 そんなこんなで、俺はしかたなくS製薬に戻ることにした。

「……というようなわけなんです」
 俺は、S製薬の近くにある喫茶店で、課長に事情を説明した。
「つまり、スパイであることがぱれてしまったし、最初の目的は達成したのだから、うちに戻りたいと?」
 課長は、困惑したというような顔で言った。そして、こう続けた。
「実は、もう君に戻ってもらわなくてもいいんだよ」
「それは、どういうことですか?私は、課長に言われたとおりに、新薬の資料を送ったじゃないですか!」
「それなんだよ。あの薬は非常によくできた薬でねえ、試しに君が送ってくれた書類にはさまっていた、君の頭髪を使って実験してみたところ、君そっくりで、しかも君より優秀なクローンができてしまったのだよ。なあ、木村君」
 課長は、後ろの席に向かって、俺の名を呼んだ。
「うわあ!」
 俺は驚いた。俺そっくりの人間が立ち上がったからである。違うところと言えば、服装と髪型ぐらいだ。しかも悔しいことに、そいつの方がセンスがいい。
「はじめまして。いや、はじめましてというのも変ですね。あなたはわたしそのものなのですから。しかし、人格が文字通り人間の格であり、それが経験や知識によってもたらされるとするならば、全く異なる過程を経て成長した私達は、たとえDNAの二重螺旋が端の端まで同じ塩基配列であったとしても、すでに異なる人格を身に付けているというわけで、核は同じでも格は違うという結論に至ります。そういう意味では、ニ人は全く異なる人間なのかも知れません。しかるに…」
 クローンが喋り出した。頭も俺よりよさそうだ。
「課長、冗談じゃないですよ。こんな、くそまじめなやつのどこが俺よりいいんですか?」
 俺は、クローンの言葉を途中で遮った。
「ふまじめと、くそまじめだったら、くそまじめの方が上だと思うが?しかしながら、君をこのまま、くびにしてしまうのも心苦しい。で、どうだろう。君のほうが、この木村君のクローンということになって、わが社の宣伝に一役かってくれないだろうか?最初から、あまり完成度の高いものも出すより、ある程度欠陥のあるものの方が、あとの商品展開が楽になるんだが」
 課長が、屈辱的な交換条件を持ち出してきた。
「いやですよ、そんなの!僕にだってプライドがあります!」
 俺は、即座に断った。
「そうか、残念だなあ、昔から『若いうちのクローンは買ってでもしろ』というんだがなあ」

(了)