新聞

 テレビや映画の影響なのか、夜逃げをする人間が増えてきた。
 俺は、探偵を生業にしているのだが、日本の探偵などというもの
は、おおよそ格好いいものではない。浮気の調査、迷子になった犬
や猫の捜索、実際は、そんなものばかりだったりする。
 そして、昨今の夜逃げブームの影響からか、債権者からの依頼で、
負債者が夜逃げをしないように見張りをするという仕事も多くなっ
てきた。

 見張りに関してはプロなのだが、毎日のことなので、張り込んで
いるのを見つけられてしまうこともある。そういう時、彼らは、あ
からさまに嫌な顔をする。彼らにとっては、債権者が見張っている
ように見えるらしい。いちいち、探偵が見張りますとか連絡してる
わけじゃないので、そう取られても文句は言えないし、借金のこと
で見張られてるのには違いないので、負債者にとっては同じなのか
も知れないが、俺には少し納得がいかない。ダーバンのトレンチコ
ートに身を包み、鳥打帽を目深にかぶって、形だけでも本場の探偵
に見せようとしている、俺のプライドが許さないのだ。帰ってくれ
と罵声を浴びせられたことは数知れず。封筒に入ったカネをしぶし
ぶ渡されることもある。そういう場合は、返済金として債権者に渡
すのだが、払えないものは払えない、なんならこれでも持ってけと、
宝くじを押し付けられたこともある。また、そんなのに限って当た
ったりするもので、律儀な俺は、当選金をわざわざ届けに行ったり
したのだ。負債者から直接債権者に払った方がいいと判断したから
だが、ネズミ小僧みたいで格好いいと思わなかったわけでもない。
結構な額だったのに、未だにその家がチェックリストから外れてい
ないところをみると、相当な負債をかかえているのであろう。

 さて、俺は、この仕事の場合、新聞受けの新聞を利用することに
している。負債者は、夜逃げをするにあたって、わざわざ、新聞を
解約するというようなことはしない。そういう情報は、すぐに伝わ
るようになっているのだ。朝晩の配達時間後に、ターゲットの家の
前まで行って、新聞がなくなっているのを確認できれば、その家に
は、まだ人が住んでいることになる。手抜きと言われれば、それま
でだが、今までのところ、このやり方で失敗したことは一度もない。
逃げて数時間しか経っていなければ、わが社の追跡システムをかい
くぐることは不可能なのだ。このやり方のおかげで、見張りにかけ
る時間は、大幅に短縮できるし、一人で多くの仕事をこなすことが
できる。
 それにしても、雨の日の張り込みというのは、イヤだ。トレンチ
のクリーニング代は高いのだ。とりわけ、今日のような土砂降りの
日は、オフィスでぬくぬくと仕事をしてる奴がうらやましくてしょ
うがない。傘が役にたたないような、これほどの大雨は、年に数度
しかないのが救いといえば救いだが。

 ――携帯が振動した。
「やられましたよ」
 同じように、夜逃げを見張ってる仲間からの電話だった。
「新聞受けをチェックしてなかったのか?」
「してましたよ。朝刊が十時すぎても、そのままになってたんで、
おかしいと思って、ふみこんでみたんですよ。いつも、配達後すぐ
中に入れる家でしたから」
「いなかったのか?」
「いや、いました。あ、いえ、いませんでした」
「なんだ。どっちなんだ」
「家人はいませんでしたが、ヤギがいました」
「ヤギ?……そうか、ヤギなら、新聞食って生きられるかもしれな
いなあ。腹をすかしたヤギが、朝晩配達される新聞を中にひっぱり
こみ、それを食べて生きながらえるって寸法か。これは、プロの夜
逃げ屋の仕業だな。でも、なんで、今日は、そのままになってたん
だ?、新聞」
「雨ですよ、こういう土砂降りの日は、配達員が新聞をビニール袋
に入れて配達することがあるんですよ。それで、食べることができ
なかったんです。玄関の糞の量からすると、相当前に逃げられた可
能性があります。もう追跡するのは不可能ですよ」
 電話の向こうの、泣きそうな顔が浮かんだ。

 俺は、胸騒ぎがして、自分が担当している家のうちのひとつへと、
急いだ。
 やはりビニール袋に入れて配達された朝刊が、新聞受けに残って
いる。呼び鈴を押してみた。返事はない。力をこめてノックをして
みた。
「メー」中から、まの抜けた返事がした。
 俺は、ドアを破って、中に入った。

(馬鹿なやつだ。夜逃げなんかしなくてすんだかも知れないのに…) 
 玄関には、あのとき新聞受けから押し込んだ、当選金の札束を止
めていたセロファンの帯止めが、大量の糞とともに幾枚も散乱して
いた。

(了)