積年の恨み

「博士、博士!大変です。博士の仮説はあたってましたよ!」
 民族学の権威であるエフ博士のもとに、研究員のアール氏が飛び込んできた。
「なに、あの『N人総いじめられっこ説』はやはり正しかったか。これでK国やC国を見返すことができるのう」博士は口ひげを撫でた。
「先日もわが国が、戦争の真実を教科書で正確に伝えてないとかで、つるし上げをくいましたからね。だいたい、教科書なんてのは、その国の思惑で作られて当然なんですから、他国にとやかく言われる筋合いはないんですよ。例えばA国で原子爆弾を正当化する表現があったとしても、我が国は文句を言ったりしないでしょ?もしかしたら、いまだに我々がチョンマゲ姿で刀を振り回していると書いている教科書もあるかもしれない」アール氏は力説した。
「まあ、ガイドブックならいざしらず、教科書でチョンマゲというのはないじゃろうが、K国やC国の抗議に対して、ほとんどのN人は、そんな昔のことはどうでもええじゃろ、と思っておるはずじゃ。そこで、今度のわしの学説でK国人やC国人をぎゃふんと言わせてやろうと思うんじゃ」
「根底は大陸移動説でしたよね。大昔、わが国がK国やC国と陸続きであったという」
「そうじゃ、今のようにわが国が島国になる前は、どちらの国──まあ当時は国という存在ではなかったかもしれんが、今でいうところのN国とK国、C国は歩いて行き来できたんじゃよ。ところがじゃ、ある日を境に、N国だけが次第に分離され始めた。そんな時、普通の人間ならどうする?広い方の大陸に残ろうとするじゃろ?つまり、今この国に住んでおる人間は、遠ざかっていく狭い陸の方に追いやられてしまった、いじめられっこばかりで、その遠い記憶がK国やC国を敵視する体質を生み出したというのが、わしの説なんじゃ」博士は口から泡を飛ばしながら言った。
「おそらく、彼らは言うでしょうね。『そんな昔のことを』と──」
「ふぉふぉふぉ。その時は『そういうのを五十歩百歩と言うんですよ』とか『目くそ鼻くそを笑うと言うんですよ』とか言ってあげればよろしい」博士の目は、少年のように輝いている。
「なんか、ますますこじれそうな気もしますが?」
「いいや、中にはそういう不幸な歴史を真正面から見据えようという理解ある人間も出てくるはずじゃ。ところで、調査書をわしはまだ読んでおらんのじゃ。見せてくれんかのう」
「あ、そうでしたね。これです『大陸移動時の人間行動』として地質学者がまとめていたのを入手しました。地質学とは直接関係がないので、学会等への発表はしていないそうです」アール氏は、そう言って論文を博士に渡した。

***

「だめじゃ」
 一時間後、エフ博士はつぶやくように言うと、論文を放り投げて天を仰いだ。
「どうしたんですか?ちらと私が見たところでは、確かに離れつつある大陸の方に、多くの人間が追いやられたと書いてありましたが」アール氏が不満そうに言う。
「追いやったのは我々の側の人間なんじゃよ。大昔のことゆえ、どちらが広いのかろくすっぽ調べず、先に日が昇るこちら側の陸の方がエライなどと、たわけたことを考えたのかも知れん。彼らの遺伝子に数億年分の恨みが蓄積されているとしたら、K国やC国と心から仲良くするのは、骨が折れるかもしれんのう」博士が嘆息した。
「我々には、早とちりで間抜けな民族の遺伝子だけが伝わっているというわけですか。わかるような気もします」
 アール氏はそう言って、博士の顔をまじまじと見たのであった。

(了)